櫻庭

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8/17/2024, 10:34:55 AM

「そういえば先生ってさぁ、没作の原稿用紙とかずっと持ってるよね。捨てなくて良いの?」
いつものように部屋に入ってきた彼に、そう言われた。
確かに、いつの間にか溜まった没作の原稿用紙はなんだかんだ今も引き出しの中に眠っている。
捨てないと、とは思うけれど、中々捨てられない。
「そうだね…なんか、溜まっちゃって捨てるタイミングが分からなくなって」
「ふぅん、そっか」と、彼は案外聞いてきた割には素っ気ない。
「まぁ、捨てなくても良いんじゃない?いつか先生の遺書みたいなものになると思うし」
「めちゃくちゃ失礼じゃない?それ」
そう言うと、彼は子供のように喉を鳴らして笑った。
「だって、先生遺書とか書かなそうじゃん!」
そう言われたらそれまで。言い返せなかったのが悔しい。
「とにかく、先生にどうしても捨てられないものがあって良かったぁ!」
揶揄うようにはぐらかされてしまった。

8/10/2024, 10:24:26 AM

「眠っちゃいましたねぇ、瑞希くん」
夕方から夜に移り変わる時間。殆ど貸切のようなある田舎のバス内で、私と白髪の彼だけが起きていた。
「今日はみんなはしゃいでましたから。疲れちゃったんでしょうか」
そう言って、彼は窓の外を見ていた。
無理矢理少しだけ結んだ白髪がこの時間によく映えていた。
「私、海って久しぶりなんですよねぇ。何年ぶりかな」
「…僕も、海なんてすごく久しぶりです」
何かの思いに耽るように彼は目を閉じる。
私も、頭の片隅で思い出してみる。
最後に海に行ったときのことを。
そうするうちに日はどんどん沈んで、窓の外の空が藍色に染まっていた。
「終点ですよ、カタルさん」
そう声を掛けられて、ふっと我に帰った。
「みんなのこと起こさないと。晩御飯に間に合わなくなっちゃいますから!」
「そうですね。僕もお腹空きました」

8/9/2024, 10:39:06 AM

最近、何もかもが上手くいかない。
財布は落とすし、原稿用紙の下書きはほとんどが赤で染め上げられて返ってくるし、よく体のどこかしらをぶつけて痣ができたり。
そう言うときに限って、側に誰もいないのは良く有ることだけれど随分きつい。
薬に頼って眠ることも増えてきて、薬瓶の錠剤の減るスピードがはやくなった。
泣き崩れたくなる夜もある。
「どうしたの、先生?」不意に、声がした。
「…晶くん。また夜更かししてるの?」
そう聞くと、彼はばつが悪そうに目をそらした。
「最近、思ったようにいかなくて。ちょっと気分転換にお酒でも飲んで大人しく寝ようかなぁと思って」
「君、お酒弱いんじゃないっけ」
「弱いけど…なんか気分転換に飲む分にはすごく良くて」
先生も飲む?、と問われたら、僕は肯定しか出てこないことをこの子は知っている。
ずるい子だ、と心の中で笑った。
「もちろん、久しぶりに飲もうかな」
僕がそう言うと、そうこなくっちゃと言わんばかりの顔で二つのグラスに酒を注いでいた。
「やった!先生、酔い潰れないでよ?先生の介抱大変なんだから!」
「分かってるよ。流石に二日酔いは勘弁だからね…」
「……さ、何も上手くいかないもの同士、今日はぱぁっと飲んじゃお!」
乾杯、の声と共にカツンとグラスのぶつかる音が部屋に響く。

8/7/2024, 1:02:45 PM

「白燐さんって、なんで俺のことわざわざ引き取ったんですか?」
晩酌。今日は年にだいたい数回だけあるふたりだけの時間。
いつもより奮発して、少しだけでいい酒と肴で机を囲った。
なんでもない日にこんなことをするのは滅多にないから、ついペースがはやくなって、その分はやく酔いが回っていた。
「なんでっていわれても…なんだろう……なんとなく?」
「ひどぉい!もっとかっこいい理由があるのかと思って損したぁ!」
そう言って喉を鳴らして笑いながら、彼はまたコップの中の酒を一口飲む。白い喉が上下に動いていた。
目の前に座る彼の伸びた髪に身長、いつの間にか声変わりを迎えて少し低くなった声、豊かになった感情表現に言葉。
長いようであっという間。
この子も成長したなぁ、と感慨深くなる。
これが親の気持ちってやつか、と実感し始めたのはいつ頃だったろうか。
この子を引き取った時から、この子が「友達と遊んでくる」と初めて言った時から、この子が小さな子供を拾ってくるようになったときから。
思い返せば、色々あった。
「なんですか、そんなに俺のこと見つめて」
えっち、といたずらげに瞳を細めて笑いながら言われたから「別に何も無いですよぉ…まだやっぱガキだなぁと」
「ガキって…俺一応宇宙と同じくらいの歳行ってますからね?」
幼稚なようで中身のない言葉を交わしながら、また酒を飲む。
こうなることも、最初から決まっていたのかもしれない。

8/5/2024, 11:31:58 AM

キンコンカンコン、半端に間延びした鐘の音が校舎全体に響く。
それは、もちろん生徒会室も例外ではない。
蝉が鳴き、日差しが体に容赦なく照りつけるある夏の日。
「みずきぃ~~……生徒会長権限でここにクーラーつけれたりしない…?」
「流石に無理…できたら苦労してないよ……」
書類を捌きながら会話をする。
外では大会に向けて部活動に勤しむサッカー部や野球部のかけ声、校舎内ではギターや小気味のいいドラムをならす軽音部やヴァイオリンやチェロの美しい音が聞こえる弦楽部。
それぞれの部活が、それぞれの時間とペースで青春の一ページを埋めつつある。
そんな中、生徒会室には多少の会話と蝉の鳴き声と紙がめくれる音が響く。
これも青春の一ページなのかな、とも思う。
ふと顔を上げるとチャイムの音が鳴って、気付けばもう夕方になっていた。

「やっばい!瑞希もう最終下校時間!!」
彼がそう言うから時計を見ると、時刻はとっくに六時を過ぎていた。
「本当、早く帰んないと!」
僕たちは急いで荷物を持って靴箱へと走った。
校門からでた瞬間、もう一度、キンコンカンコンと半端に間延びした鐘の音が響いた。

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