【タイムマシーン】
眩い閃光が、僕の日常をぶっ壊しにやってきた。
ことが起きたのは3年前。
僕がオカルト雑誌を手に、暇していた日の夜だった。
「ーーこの伝説は実在したのだろうか?! タイムマシーンを追い、我々の調査は続く」
「おおお! ……はぁ」
握り拳片手に見ていた番組が終わると、急に無気力感に襲われた。灰色の現実に引き戻された感じがする。
ああ、もう。
僕の日常は退屈だ。
テストとか、運動会とか、そんなものはあるけれど、大体は同じことの繰り返し。得意の物理学は最初こそ熱狂したが、珍しい賞をとったあたりでやり尽くしてしまった気がした。
そんな僕の15年間。飽きた。
僕は刺激を求めていた。それが陳腐なオカルト番組と雑誌でもいい。ムー大陸とか、宇宙人とか、ノストラなんとかの大予言とか、そんなは話に飢えていた。
日常なんてぶっ飛んじまえ。
そう感じて大の字に寝っ転がった時だ。
カタカタと急に床が揺れ始めた。飲みかけのジュースの上で波紋が踊る。
地震か?
いや、なんか変だ。
床や本棚より窓がひたすら忙しなく揺れていた。
まるで空が揺れてるみたいじゃないか、と思った時には咄嗟に窓を開けていた。
その時に見た。光り輝く流星を。
「え……流れ星……?」
青白い霧を噴霧しながら、輝いていた。美しい七色の炎が目の前で地へ向かっている。
あまりにも可憐で時間が止まったように思えた。僕以外も、この流星を見たら同じことを思ったんじゃないだろうか。
夕食を作る母も、仕事から帰る父も、犬の散歩をする友達も、受験勉強していた妹もーー日常に飽きていた僕も。自分の時間がその時だけは止まっていた。
そして、訪れる。
流星がこの街の一番高い丘へ接吻した刹那、激しい轟音と光が高波のように全てを巻き込み、奪い去っていったのだ。
僕の日常と、沢山の命を。
肌を焼くとかそんな感覚はわからなかった。理解不能な速さでエネルギーの波に飲まれたのだ。一瞬で僕は意識を手放した。
僕が次に目を覚ましたのは、3年後のことだった。病院みたいな施設の目覚め。
ああ、鏡を初めて見た時の衝撃は忘れない。顔は原型を留めていなかったから。
僕の思考回路はそこで止まったようだった。立ち替わり人が来て、話しかけたり、調査したり、隕石が何を起こしたのか話したり、していたようだがよく覚えていない。
だが博士みたいな男がやってきて、僕にこういったことだけは確かに覚えている。
やけに背の高い、でも鋭い瞳がギラギラと光っている男だ。
白衣はやけに機械オイルで汚れている。指の爪には鉄屑と薬品が詰まって黒くなっていた。そんな不審な男を信じて見ようとした僕はどうかしていたんだろう。
でも、あの言葉が僕の未来を変えたんだ。
「芳賀さん、俺とタイムマシーンを作ってみないか?」
流星によって変わった世界を取り戻すために。
言葉は意識を動かした。ガツンと歯車が噛み合ったように、止まった時間が流れ出した気がした。
【泣かないで】
もし俺だったら、こんな小説を書くことはできなかった。
そう思い知らされたのは、親友の書いた小説を偶然読んでしまった時だった。
夕日の入る窓際の部屋。そこに親友は住んでいる。
そろそろ帰ろうかという時に偶然見つけた。
何のノートかと思い、何気なくぱらりとめくった先にある文字の世界。
それは、俺にとっては衝撃的なものだった。
こんな緻密で繊細なミステリー小説は読んだことがなかったからだ。直ぐに俺は世界に引き込まれた。
不可思議なトリック。癖の強い登場人物。そして散りばめられた謎。絡み合う伏線の数々。
弟みたいに思っていた彼の、描く世界は魅力的で。
もっと。続きが読みたい。
そう思ってページをめくろうとした途端。
「それは読んじゃだめだ!」
親友に、ノートをはたき落とされた。
すぐさま拾い上げ、彼はノートを体の後ろに隠してしまった。
「……なぁ、これ、お前がかいたの?」
俺の質問に、親友がびくりと震えたのがわかった。
「……は、恥ずかしい、だろ。大人にもなって、小説書いてて。もう、夢を見るようなガキじゃないのに」
「そんな事ないだろ」
大人になって作家になった奴らなんてごまんといるじゃないか。
そう言い返そうとして、止まる。
親友の瞳が、潤んで揺れていたからだ。
「そんな事、あるよ」
なんで? 文字なんて、文字の世界なんて自由なもんじゃないか。
少なくとも俺はお前の小説を、好きだと伝えたかったのに。
俺には書けない、あの物語を。
「そんな事….…あるんだよ」
後悔するような親友の言葉に、俺の心臓が大きく波打った。俺の知らない何かが、彼の奥に見えた気がしたからだ。
何が、彼を、そう苦しませるのだろうか。
俺にはわからないけれど。
「……泣くなよ」
小説を書くことを後悔してほしくない、と。俺は親友に近づいて、その涙を拭って見せた。
【柔らかな光】
「死んだらさ、どんな人だったと言われたい?」
人でひしめき合う葬儀場。
そんな中で、親友が急に言葉にしたセリフに、僕は驚いた。
葬式に来ただけでも初めてだって言うのに、緊張してる僕にそんなことを聞かれても。
「え、考えたことない」
「だよな、俺も」
親友が僕を見て笑う。黒い学ラン姿は中学校でいつも見るのと同じもので、少しだけ肩の力が抜けた気がした。
僕の初めて参列した葬式は、近所の駄菓子屋のおばちゃんとのお別れの日だった。
小学校に上がる前からお世話になった、身近な大人だ。
お菓子を買うとおまけをくれて。
悲しいことがあると話を聞いてくれて。
褒められたと自慢すれば、しわしわの顔で笑って一緒に喜んでくれた。
……もっと長生きすると思っていたのにな。
がやがやと雑談する周りを見渡してから、僕は親友を肘でこづいた。
「なんだよ、変な質問してさ」
「変じゃないよ。さっき、おじさんが話をてたじゃん。駄菓子屋のおばあちゃんの息子だって」
「ああ、あの人」
「母は誰よりも子供に優しかった、ってさ。話を聞いた時に、ほんとだなーって感じてさ。
俺もそんな言葉、誰かに言ってもらえたら良いなーとか思っちゃって」
親友が指で頬をかいた。
もちろん、僕も親友も死ぬ予定なんかない。
ただ、誰かに『あいつは良い奴だった』なんて思われてみたい……そんな親友の気持ちは、僕にとっては不思議な感覚だった。
そうなんだ、みたいな。
うまく言葉にできないけど。僕にはない不思議な気持ち。
そんな話をしていて、線香を上げる番が回って来た。
見様見真似で最後の挨拶を終えると、亡くなったおばあちゃんの顔が見えた。
柔らかな光を浴びて、幸せそうに昼寝をしている時にそっくりの顔。
それをみて、なんとなく。
なんとなく。
僕も、少し羨ましい気持ちがした。
【涙の理由】
「泣きたい時は泣いて良いと思うよ」
と、僕が彼女に話しかけると、名前も知らないその人は驚いたように僕を見てから、静かに涙をこぼし始めた。
深夜のカフェ。
どっぷりと日が暮れた窓の外の景色が、まるで額縁に飾られた写真に思えた。お店には、優しい灯りを落とすランプと、大人びたBGMが静かに流れている。
カフェというより、時間帯ならもはやバーに近い。
それでも、この柔らかな暖かい雰囲気は、やはりカフェ特有のソレだな、と僕は思っている。
「泣いていい、なんて初めて言われたわ」
彼女は涙を拭いながら、少しだけ笑った。
髪を長く伸ばした、大人のお姉さんだ。その顔は少しやつれていて、お腹には抱っこ紐で支えられている赤ちゃんがいた。
泣き声をあげてないから、寝てるのかもしれない。
深夜カフェに、赤ちゃん?
珍しいな、という言葉の代わりに僕は店主にココアを頼んだ。
泣いていい、なんて余計なことを言ってしまったかなと思いつつ、少し相手の笑顔に救われる。
「僕もこのカフェに初めて来た時に、店主さんに言われたので」
「そうなんだ。……常連さん? 学生が深夜にカフェとは驚いたわ」
「あー……たまに? 一応、大学生ですけどね。バイトが遅くなると、ここで朝を待つんです。……夜の道は怖くて、歩けないんですよ」
夜道恐怖症……と僕は呼んでいるが、本当は何と呼ばれるべきなのかは知らない。
そんな僕の逃げ道の一つが、この深夜カフェだ。
《深夜に居場所が欲しい人へ》と言うコンセプトのカフェは、たまにこうして特別な事情のある人が訪れていた。
「そうなのね。……私も朝までいてみたいわ」
「いたらいいんじゃないですか?」
「それは無理よ、赤ちゃんいるし」
彼女はしばらく黙って赤ちゃんを見てから、言葉をこぼすように呟いた。
「私ね、逃げて来たの。赤ちゃんの泣き声がうるさいと、怒られちゃって。普通の子じゃないから」
「?」
「この子、耳が聞こえないのよ。だから音楽や言葉で安心させることが難しくて、なかなか泣き止んでくれない子なの」
耳の聞こえない子と言われ、意外に思った。
そんなの見た目じゃわからない。
どんな声で泣くのか、そのせいでどんな辛い目に合っているのか、僕には想像することしかできないけれど。
『泣くな』と言われ続けていたなら、どれだけ辛かったのだろう。
お前のせいでーーと怒鳴られるのを想像して、僕の胸が軋む音がした。
彼女は暖かなコーヒーを一杯だけ大切そうに飲むと、暫く目を閉じて考えているようだった。
(それと僕はカフェインレスコーヒーを初めて知った)
それから暫くすると、赤く腫れた目で、赤ちゃんのために帰るね、と店を後にした。
彼女がなぜ泣いたのか、僕は知らない。
きっと、育児の苦労なんて経験者にしかわからないのかもしれない。
でも、彼女は赤ちゃんの為に泣いたのか、自分の為に泣いていたのか、朝までもう少しだけ考えていた。
できるなら後数時間……彼女と赤ちゃんが眠れますようにと、願いながら窓を見つめて。
【窓から見える景色】
車窓から見えたのは、みたこともない紅葉でした。
「わー! 見ろよ! 山一面が紅葉してるぞ!」
「うわぁ、ほんまや! 初めてみた!」
「俺たちは本当に遠くまで来たんだな……」
親友の角田と宮野をつれて、列車に揺られること二日目。
とうとう見たことのない景色をまえに、俺たちのテンションは最高潮に達していた。
今、列車が走っているのがどこかは知らない。
行き先も知らずに深夜に駆け込んだ駅から、適当に乗り継いで来たからだ。
県外なのはわかる。多分、西に向かってる。
けど、この冒険は初めてのことばかりでも、ちっとも怖くなんかなかった。
「今頃みんなどうしてるかなー」
「流石に高校生三人が失踪! なんて話題になっとったりせぇへんかな? 俺たち話題の人やん」
「それは無いさ。俺と角田はともかく、桜井の親は国会議員だ。子供の夜逃げなんて話題にもしないさ」
俺と角田と違い、宮野だけは冷静に言った。
確かに、そうかも。
淡白で仕事人間、そんな親の顔を思い浮かべて、うん、と言うと宮野がすぐに笑い返した。
「お陰で静かに旅行できそうだけどな」
「帰ったら怖いでぇ〜! 牢に入れられるかもしれへん」
「その時は三人一緒な」
「ぶっっっは!」
盛大に吹き出す角田に、俺も笑った。
抑圧されていた環境。
管理された家族。
監視される日々。
親のキャリアを潰さないように、と面目ばかり気にしていた俺を、親友が連れ出してくれたんだ。
今だけは、この時間を思う存分楽しみたかった。
例え、家に帰ったら、二度と外には出られなくなったとしても。
「安心しろよ、桜井」
「せやせや。俺たち高校生やで。危ない目にあっても三人ならどうにかなるって。もちろん、ヤベー事はせぇへんけど!」
「うん。ありがとうな、二人とも」
心から、勇気が込み上がる。
言葉が心に染みると、目頭が熱くなるんだって、二人が教えてくれた。
だからこそ。
「なぁ、記念写真撮ろうよ」
「ええなぁ! みんなで撮るか!」
「背景は車窓にしようか。紅葉が綺麗で映えるしさ」
「撮るでー!」
俺はこの旅を、これからもずっと忘れない。