【何でもないフリ】
兄貴が俺の世話をやかなくなった。
ああ、それはそれで幸せだって、思っていたんだけどな。
両親を幼い頃に亡くしてから、何かと兄貴が親代わりだった。これをしろ、仕事を覚えろ、家を継げ。みたいな言葉が口癖だった兄貴。
鬱陶しくてうんざりしていたはずなのにな。
兄貴が結婚して家を出てから、俺が家督を継ぐと、兄は何も言わなくなった。
俺の周りは静かだ。
静かすぎて。ちょっと孤独だ。
寝坊しても怒られないけど、おはようという相手もいない。
狭いはずの家は、今は広い。
喧嘩相手も特にない。
あぁ、なんつーか。こう。
兄貴の声が懐かしいっていうか。
そんなことを考えていたら、スマホが鳴った。
短い言葉で、「子供が生まれた」と兄から届く。
ちゃんと飯食えてるか、とも届いて、急に声が聞きたくなった。
急いで電話しようとして、立ち止まる。あっちは今頃賑やかなんだよな。
……。
「うん。子供おめでとう」
素っ気なく返す。寂しさなんて何もないふり。
なのに兄貴は「今度、久々に会おう」と言葉をくれるから。
俺の胸が少しだけ騒がしくなった。
【過ぎた日を思う】
私の重さに耐えきれず、体重計が壊れたのは、結婚式の半年前のことでした。
……ぇっ。
いやいや、ないでしょ。何キロまではかれるものをかったとおもってるの。
だが本当にないのは自分の体だ。
痩せた体が良いとは言わない。
しかし、ボヨン、と跳ねる3段腹や鉛よりも重くなってしまった足と、とうとう向き合わねばならなくなった。
腹はもはや三段バラ肉。焼けば油がじゅわりと滴る事間違いなしだ。
しかしダイエット。
その言葉だけで拒絶反応が起こる。
私はぽっちゃり系でいい。もはや太り過ぎて油の滴るダメ女だが。
あーでも。
好きになってくれた彼のために、脂肪を筋肉に変えたら。彼が私を持ち上げられるくらい身軽な体になったら。
それは少しだけ嬉しいかもしれない。
痩せなくていいのだ(ダイエットという言葉が嫌いだから)。
ただ、身軽にはなってみたかった。
そこから始まる私の伝説。すなわち肉体改良の日々。
きつかったマラソンは2週間目を過ぎてから、苦しくなくなってきた。
食事制限は辛いのでしない。ただ、お菓子の買い食いだけは卒業した。お菓子を食べたきゃ一から作ることにした。
ストレッチは朝に。筋トレは好きなだけ。
体重が変わらなくても、腰が細くなるだけでなんだか私はハッピーだ。
身軽になると、今まで興味のなかった旅行にも行きたい気分となってきた。
それで迎えた結婚式。
私は変わった。良い方に変わった。
さぁ、新しい旦那様。私の素敵な体を見てよ。
ウエディングドレスを着こなす私に、釘付けになりながら新郎は答えた。
「もはやボディービルダーじゃん」
彼をお姫様抱っこする私。その私を抱き返しながら彼は、随分と幸せそうに笑っていたのだった。
「長生きしようね、お互いに!」
【秋】
君が愛しているよと騒ぐから、僕は今夜も眠れない。
でもその辺にしておこうよ。
ほら、僕たち男同士だし。
……僕のベッドからお帰りくださいお願いします。
ね? コオロギさん。
【形のないもの】
誰もいないはずの空間が、突然カタンと音を立てた。
最初は気のせいかと思った。
私しかこの部屋にいないからだ。
私以外のものが『この部屋に閉じ込められて』いるとしたら、それは怖いと同時に、妙な親近感を感じずにはいられない。
じっと音がした方向を眺めたが、何も起きない。
気のせいかな?
目線を逸らすと、また音がした。
ああ、やはり誰かいる。
私は急に喜びが込み上げてくるのを感じた。
ゴミ捨て場の様な倉庫。そこの奥に彼はいた。
「ねぇ、君は誰?」
見えない。喋らない。温度もない。
けれどもたまにモノを動かして、彼は確かに存在している。
「触れてもいい?」
人の形でもなく、触れると透明なのにぷにっとする彼。
嫌がることもなく、消えることもなかった。
幽霊ではなく、透明な生き物の様なモノなんだろう。
「私と友達になれるかな……?」
慣れたら、嬉しい。そう期待を込めて、流血したままの片目で笑う。
お父さんもお母さんも、要らないと教えてくれたけど、私は友達が欲しかった。
「来てくれてありがとう」
そう笑って、また彼に触る。不思議なことに、彼からも私に触れようとしてくれた様な、そんな気がした。
私はまだ知らない。
彼の名前はインビジブル。
後に、死神と呼ばれる、安らかな死の象徴ということを。この時は、まだ。
【明日、もし晴れたら】
不安の夜が明けて、朝日の灯りを迎えたら。
大好きな君に、また会いたいんだ。