【もしも未来を見れるなら】
「あー! おかぁさん、こんなところにいたー!」
子供の声で目が覚める。
春の麗らかな日。私は心地よい日差しに当たりながら、昼寝をしていたらしかった。
周囲にあるのは、短い丈に整えられた青々とした芝生。風が吹けば青い香りが鼻をくすぐった。
軽く服についた草を払っていると、他にもたんぽぽや青く小さい花なども近くに咲いているのに気づく。
うん。
なんて言うか……のどかだ。
「もー探したんだからねぇ」
なんて、スカートをはためかせた小さな女の子が両手を腰に当てている。
ぷくっと膨らんだほっぺは、桜みたいに淡い赤色で染まっていた。
ぷにっと押したくなるくらい可愛い。
「ん? 探してたの?」
私が首を傾げると、彼女は「もちろんよ!」って胸を張る。
「きょーのお昼ごはんは、わたしとおとーさんの、とっておきサンドイッチだもん!」
「作ってくれたんだ? 楽しみだなぁ」
「うん! いっしょに食べよ!」
拗ねた顔は満面の笑みへ。
うん、いいね。
きっと君にはその笑顔がよく似合う。
「レジャーシートを引いて、ここで食べるのもいいね」
「すてき! ピクニックよね! おとーさんよんでくる!」
ぱっと駆け出す彼女の、小さな影に微笑むと。私はもう一度、自分が寝ていた草原を眺めた。
花が咲き、草は風で揺れ。
少し遠くには似たような親子連れが川の土手を歩いたり、何か楽し気げにおしゃべりしたりする。
白い鳥は風に乗って空を滑り。
猫はあくびをして二度寝をはじめた。
遠くに見える街からも、人が楽しげに暮らす気配がする。
なんだか嬉しい気持ちになって、私はゆっくり目を閉じた。
次に目が覚めたとき。
視界は灰色に淀み、埃と瓦礫に塗れた世界が広がっていた。
口の中がジャリジャリする。
体がひどく痛い。
重たい身体を起こすと、ぼろぼろの帽子がずれ落ちる。ズキリと痛む額から何かが垂れた。
私の血だ。
きっと空襲爆撃の爆発に巻き込まれて、気を失っていたんだなって。後から気がついた。
独りで夢を見ていたんだ。
子供たちによって作られた、後方支援部隊。
全戦で負傷した兵士を、衛生兵とは名ばかりの私たちが無理やり手当てする。
数ヶ月前まで、中学生だったのに。何度も死体を眺めるたびに、もう血を見ても驚かなくなってしまった。
口の中の血と砂利を唾にくるんで吐き出すと、生存者を探す。
半壊した野戦病院は、もう建物の形をほとんど残していなかった。
同級生は患者もろとも瓦礫に潰された子ばかり。
頭が綺麗に潰され、確認せずとも死亡してるとわかるのがわずかな救いだ。
私達、まだ結婚も、恋もしたことないのにね。
呟いた途端。急に目頭が熱くなる。
遠くで空襲警報が鳴る。
赤く焼けた空の彼方から、黒い鳥の群れみたいな戦闘機がやって来るのだろう。潤んだ視界では、その死の鳥がどこを飛ぶかすら見ることができない。
脳の欠けたラジオからは、壊れたかのように戦争を止めるなと叫ぶ声が聞こえてくる。
もう、いいじゃないか。
永遠じみた地獄は、もう、うんざりだ。
「さっき見た夢が、私の未来なら良かったのに」
熱いものが頬を伝う。
嗅ぎ慣れた血の香りが、わずかに遠かった。
やっと見えた死の鳥は、こちらへは来ない。代わりに、逃げ場のない人々が住む街に、ゆっくりとたくさんの爆弾を落としていくところだった。
【無色の世界】
僕はガラスの向こうの世界を知らない。
このガラスに映るのは、自分と自分が暮らす、閉じ込められた世界だけなんだ。
そう気がついたのは、つい最近のことだった。
だから、いつもいつも。
分厚くて割れることの知らないガラスの世界の中から、『外』の世界を想像していた。
答え合わせのできない空想に自然とため息が出る。
あぁ。僕はどこから来て。
これからどうなるのだろう?
変化の失われた世界なのだから、このまま何も変わり続けることもなく、歳をとって終わるのかもしれない。
僕のおじいちゃんはそうだったと聞いた。
お婆ちゃんも。父と母もそうなのだから、僕も変化というものを知らないまま消えるのかもしれない。
唯一変化があるとしたら。
「生と死」くらいしかそばにない。
祖父の時代には「色」と言うものや「危険」と呼ばれるものがあり、生きることは命懸けで、毎日がギラギラと輝いていたそうだ。
その冒険譚は聞いていて幻のようだった。
「温度」が変わると「香り」が変わり、「空」が変わると「世界」まで変わったみたい。
真っ暗な中を星の光を頼りに突き進む冒険の話は、とても僕の心を踊らせた。
暖かい風とは、どんなものだろうか。
数多の巨体生物とは、なんだろうか。
今の僕らは、どうだろう。
名も知らず、何もわからないままだ。
色というものを知らないから、今、自分の前にある色の名前すら…僕は知らない。
寂しいな。
そうこうしていたら…急に世界が、どん、と揺れた。
その揺れはどんどん大きくなって、僕たちはみんなで集まって身を潜めた。
こんなもの、初めてのことだったからだ。
やがて大きな何かがやってきて、巨大な記号を空に書いていった。
『細菌観測用シャーレ 破棄予定』
あれは、なんだろう?
このとき、僕たちは自分たちがこの閉鎖的な世界から外に出る瞬間が来ることを、まだ知らずにいた。
【音のメモ】
チョキチョキと、鋏を動かす音がする。
ブーンと鳴るのはバリカンだろうか。
後は僕が知らない時代遅れの明るい曲が流れていたが、たまにドライヤーの音でよく聞こえない。
雑談する声もほとんどなく、みんなが本かスマホをいじっているらしい。
下町にある安い理髪店。
美容院なんてオシャレなものとは程遠く、安い値段で髪を整える程度のこの店だが、別に嫌いなわけじゃない。
最低限のことはしてくれるし、席に座って自分の番を待つ客たちも、大体同じ気持ちだろう。
何より待ち時間にコーヒーを出してくれるのが良い。
おっとりした声の優しげなおばあちゃんが、静かにコーヒーを淹れる。
さぁどうぞ、と僕にだけは熱々の紙コップをシワシワの手で手渡ししてくれた。この味が嫌いじゃない。
紙コップにコーヒーを注ぐ音が聞こえないのが残念だ。
僕はコーヒーを飲みながら自分の番をまつ。
盲目の僕にも、たくさんの音が安心を届けてくれるから、ここではみんなの姿が少しだけ見えてくるような気がした。
書けなくなってしまった。
解らなくなってしまった。
僕というものの中にある、吐き出したい言葉。
沢山あったはずなのに、今はそれすらわからなくなってしまった。
記憶の奥が霞がかったように。
意識が遠い。自分の脳みそのくせに、思い通りに回らない。
ああ。
どうせなら。
この憂鬱な記憶ごと、波が連れ去ってくれたら良いのに。
砂浜に描く、もう文字ですらない言葉。
君に笑われた小説だった何かが、ゆっくりと波に溶けてゆく。
【8月、君に会いたい】
「君は相変わらず堅物だなぁ」
8月になると、私は君に会いに来る。
なんて事のない、他愛ない夏の日。
空は青く。歩くだけで汗が落ちた。
ついでに蝉の音は会話をかき消すほどうるさい。
そんな中をわざわざ会いに来たというのに、君は笑いもせず、顔色を変えることもない。
ま、君が何を思っているかなんて軽く想像つくけどね。
ははーん。まったく。
もっと喜んでくれてもいいんだぞぉ。
君は昔から不器用だからなぁ、なんて。
けらりと笑って、私は麦わら帽子のふちをクイッと持ち上げてた。
私はトウジと幼馴染だ。
優しいくせに不器用で、照れ屋なわりに堅物で。なかなか自分のことをうまく伝えてくれないから、周りと仲良くなるのに時間のかかる男だった。
体が大きいから、怖いやつだと誤解されることも多くって。
だからお喋りな私は、君がいかにいいやつかを教えて回ったのは今ではいい思い出だ。
そう。思い出。
思い出になっちゃったよ。
君があんまり喋んないから。
「全くさぁ。言葉にしないと伝わらないよ? 君に何度も言ったじゃない」
昔を思い出す。
君の優しい手を。若かった君を。
あの真っ赤な空から降ってきた空襲から守ってくれた時のことを。
倒壊する家屋。人を飲み込む黒煙。
恐怖に支配された人間たちが叫びながら逃げ惑う夜。
苦しそうに背中を焼かれながら、私を庇った君が話した最後の言葉。
『君だけでも、生きて』
「あれは今考えても『僕と一緒に』って言って欲しかったわ。ねぇ、君もそう思わない?」
君のおかげで。私も八十年も長生きしてしまった。
硬い石となった君を軽く整えると、花をたむけて寄り添った。
昔みたいに、今もまた。
いつまでも愛してるって言わない君に。
何度でも愛してるって行動で伝えてくれた君に。
今も寄り添ってる。
「うん、私も愛してる」
だから、来年も。また、君に会いたい。