書けなくなってしまった。
解らなくなってしまった。
僕というものの中にある、吐き出したい言葉。
沢山あったはずなのに、今はそれすらわからなくなってしまった。
記憶の奥が霞がかったように。
意識が遠い。自分の脳みそのくせに、思い通りに回らない。
ああ。
どうせなら。
この憂鬱な記憶ごと、波が連れ去ってくれたら良いのに。
砂浜に描く、もう文字ですらない言葉。
君に笑われた小説だった何かが、ゆっくりと波に溶けてゆく。
【8月、君に会いたい】
「君は相変わらず堅物だなぁ」
8月になると、私は君に会いに来る。
なんて事のない、他愛ない夏の日。
空は青く。歩くだけで汗が落ちた。
ついでに蝉の音は会話をかき消すほどうるさい。
そんな中をわざわざ会いに来たというのに、君は笑いもせず、顔色を変えることもない。
ま、君が何を思っているかなんて軽く想像つくけどね。
ははーん。まったく。
もっと喜んでくれてもいいんだぞぉ。
君は昔から不器用だからなぁ、なんて。
けらりと笑って、私は麦わら帽子のふちをクイッと持ち上げてた。
私はトウジと幼馴染だ。
優しいくせに不器用で、照れ屋なわりに堅物で。なかなか自分のことをうまく伝えてくれないから、周りと仲良くなるのに時間のかかる男だった。
体が大きいから、怖いやつだと誤解されることも多くって。
だからお喋りな私は、君がいかにいいやつかを教えて回ったのは今ではいい思い出だ。
そう。思い出。
思い出になっちゃったよ。
君があんまり喋んないから。
「全くさぁ。言葉にしないと伝わらないよ? 君に何度も言ったじゃない」
昔を思い出す。
君の優しい手を。若かった君を。
あの真っ赤な空から降ってきた空襲から守ってくれた時のことを。
倒壊する家屋。人を飲み込む黒煙。
恐怖に支配された人間たちが叫びながら逃げ惑う夜。
苦しそうに背中を焼かれながら、私を庇った君が話した最後の言葉。
『君だけでも、生きて』
「あれは今考えても『僕と一緒に』って言って欲しかったわ。ねぇ、君もそう思わない?」
君のおかげで。私も八十年も長生きしてしまった。
硬い石となった君を軽く整えると、花をたむけて寄り添った。
昔みたいに、今もまた。
いつまでも愛してるって言わない君に。
何度でも愛してるって行動で伝えてくれた君に。
今も寄り添ってる。
「うん、私も愛してる」
だから、来年も。また、君に会いたい。
【何でもないフリ】
兄貴が俺の世話をやかなくなった。
ああ、それはそれで幸せだって、思っていたんだけどな。
両親を幼い頃に亡くしてから、何かと兄貴が親代わりだった。これをしろ、仕事を覚えろ、家を継げ。みたいな言葉が口癖だった兄貴。
鬱陶しくてうんざりしていたはずなのにな。
兄貴が結婚して家を出てから、俺が家督を継ぐと、兄は何も言わなくなった。
俺の周りは静かだ。
静かすぎて。ちょっと孤独だ。
寝坊しても怒られないけど、おはようという相手もいない。
狭いはずの家は、今は広い。
喧嘩相手も特にない。
あぁ、なんつーか。こう。
兄貴の声が懐かしいっていうか。
そんなことを考えていたら、スマホが鳴った。
短い言葉で、「子供が生まれた」と兄から届く。
ちゃんと飯食えてるか、とも届いて、急に声が聞きたくなった。
急いで電話しようとして、立ち止まる。あっちは今頃賑やかなんだよな。
……。
「うん。子供おめでとう」
素っ気なく返す。寂しさなんて何もないふり。
なのに兄貴は「今度、久々に会おう」と言葉をくれるから。
俺の胸が少しだけ騒がしくなった。
【過ぎた日を思う】
私の重さに耐えきれず、体重計が壊れたのは、結婚式の半年前のことでした。
……ぇっ。
いやいや、ないでしょ。何キロまではかれるものをかったとおもってるの。
だが本当にないのは自分の体だ。
痩せた体が良いとは言わない。
しかし、ボヨン、と跳ねる3段腹や鉛よりも重くなってしまった足と、とうとう向き合わねばならなくなった。
腹はもはや三段バラ肉。焼けば油がじゅわりと滴る事間違いなしだ。
しかしダイエット。
その言葉だけで拒絶反応が起こる。
私はぽっちゃり系でいい。もはや太り過ぎて油の滴るダメ女だが。
あーでも。
好きになってくれた彼のために、脂肪を筋肉に変えたら。彼が私を持ち上げられるくらい身軽な体になったら。
それは少しだけ嬉しいかもしれない。
痩せなくていいのだ(ダイエットという言葉が嫌いだから)。
ただ、身軽にはなってみたかった。
そこから始まる私の伝説。すなわち肉体改良の日々。
きつかったマラソンは2週間目を過ぎてから、苦しくなくなってきた。
食事制限は辛いのでしない。ただ、お菓子の買い食いだけは卒業した。お菓子を食べたきゃ一から作ることにした。
ストレッチは朝に。筋トレは好きなだけ。
体重が変わらなくても、腰が細くなるだけでなんだか私はハッピーだ。
身軽になると、今まで興味のなかった旅行にも行きたい気分となってきた。
それで迎えた結婚式。
私は変わった。良い方に変わった。
さぁ、新しい旦那様。私の素敵な体を見てよ。
ウエディングドレスを着こなす私に、釘付けになりながら新郎は答えた。
「もはやボディービルダーじゃん」
彼をお姫様抱っこする私。その私を抱き返しながら彼は、随分と幸せそうに笑っていたのだった。
「長生きしようね、お互いに!」
【秋】
君が愛しているよと騒ぐから、僕は今夜も眠れない。
でもその辺にしておこうよ。
ほら、僕たち男同士だし。
……僕のベッドからお帰りくださいお願いします。
ね? コオロギさん。