「以前より疑問だったのですが」
窓の外から暖かな光が差し込む朝食時。男とも女とも取れる中性的な容姿の機械人形がはっきりとした声で呟いた。
「博士、貴方は何故、私に心臓を備え付けたのですか。私にとって鼓動は、無意味な機能ではありませんか」
「君は無意味だと思うんだね」
博士と呼ばれた白衣の青年は紅く透き通った液体の入ったティーカップを傾け、少し困ったように眉を下げた。
「なら僕からも質問するけど、君は〝心〟と呼ばれるものが身体のどこに存在すると考えるかな」
「心とは、大方感情の事を指すと考えます。そして感情とは、それを有する個体の経験や境遇によって判断基準が異なるものです。私の場合は、集積されたデータベースより得た過去の創作物や事例などからより適切な感情表現を選び、抽出しておりますので、それがどこにあるかと聞かれたならば、頭脳であると回答致します」
淀みない、淡々とした口調で機械人形は答える。奇妙なくらいにぴしりと伸ばされた背筋や瞬きひとつしない顔面は、どこか異質なものを感じさせた。
容貌以外人間味を感じられない機械仕掛けのそれの発言を聞き、博士は僅かに焦げ目の付いたパンを一口かじり、咀嚼する。そして口元に付いたジャムを親指で拭うと、機械人形の目を真っ直ぐに見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「そうだね。それも一つの正解だ」
「納得頂けましたか。では、私の質問にもお答えください。なぜ貴方は、私に心臓を備え付けたのですか」
誤魔化すな、とばかりに見つめ返す機械人形の瞳に窓から降り注ぐ光が反射して、鈍い光を放った。
「僕はね、身体中の至るところが心の一部だと考えているんだ。腹が減り胃が収縮すると切なくなる。喜びを感じると視界が明るく見える。感情と臓器は互いに連動しているんだ。とりわけ心臓は喜怒哀楽、多くの感情と密接な関係にある。だから君にも心臓を作った。君の事は対等な友として生み出したからね。同じ心を共有する機能が――鼓動が欲しかったんだ」
機械人形は少し目を伏せ、口から少量の空気を放出した。
「不可解です。ヒトを模して作られたといえ、私は単なる金属の集合体。貴方の対話も、過去実績から算出した都合の良い回答と感情を選択しているだけに過ぎないのです。決められた感情に基づいて鼓動の速度を変化させているだけなのですよ」
「それでもいいよ。錯覚だとしても僕は心を感じたい。君に心を感じて欲しいんだ」
もう一度、機械人形は溜息をつく振りをした。こんな時、なんと言えば良いのだろうか。目を伏せ、データベースを参照する。数秒後、口角を少し上げながら機械人形は導き出した台詞を吐いた。
「案外ロマンチストなんですね、博士」
「そうだね、君を作るくらいだからね」
歯の浮きそうな台詞を返して、白衣の青年は微笑んだ。機械人形はおもむろに右手を胸に当てる。規則的で速度の変わらない自身の鼓動は、安堵のような悲しみのような、形容し難い感情を浮かび上がらせた。
【My Heart】
「いいなあ、こんなパフェ食べてみたい」
一緒に遊びながら見ていた夕方のニュース番組。テレビ画面に映る色鮮やかなパフェに目を輝かせる君を見て、それを叶えてあげたいと思った。きっとそれが僕の初恋だったのだろう。
パフェに必要なのはフルーツとクリームとあとは色々。だけどもお小遣いでは生クリームを買うのが精一杯で、毎朝食べてたコーンフレークにクリームと余り物のチョコスプレーをかけたもので精一杯だった。テレビで見たものとは全然違ってきらきらしていなくて、こんなもので喜んで貰えるはずがないと落胆した。
もっとお小遣いを貯めていれば良かった。自分で作ろうなんて考えなければ良かった。幼いながらにそんな事を思ったものだ。
だけどもそんな考えに反して、君はテレビで流れた鮮やかなパフェを見たときと同じくらいきらきらした笑顔で喜んだ。カラフルなフルーツも、冷たいアイスクリームも、ウエハースも、何も乗ってないパフェもどき。それをひと口ひと口大事そうに食べて「美味しい」と言ってくれた。何だかそれがこそばゆくて、嬉しくて堪らなかった。
君はパフェもどきをいたく気に入ったらしい。何かあるごとに僕にねだるようになった。あろう事か10年以上経った今でも。
「他のパフェ、食べれば良いのに」
「これが好きなの」
「なんで。フルーツもなんにも乗ってないのに」
「だって、君が私に作ってくれた、思い出のパフェだもん」
「……そう」
そう言ってパフェを口にする君の左手には、きらりと光る銀の指輪。大きくなって出来ることも増えて、僕以外の人と恋をして……あのきらきらのパフェも食べられる様になったのに、僕のパフェを食べに来る。それはきっと親戚のよしみもあるのだろう。だけどもこの時間だけは夢想してしまうのだ。指輪を送った相手が僕であったなら、と。
「ほら、君も食べなよ」
促されて僕もパフェを口に運ぶ。クリームもチョコレートもフレークも、何もかもが甘ったるくて胸焼けしそうだった。
【ないものねだり】(少し逸れたかもですが…)
目が合った。その瞬間に量産品の君は、私にとってたったひとつの特別になる。
ぬいぐるみを家に迎え入れる決め手は何だろうか。私の決め手は彼らと目が合うことだ。綿と布で構成された彼らに対して〝合う〟と言うのはおかしいかもしれないが、そうとしか言いようがない。
雑貨屋の棚やクレーンゲームの筐体の中、目の前を何気なく通り過ぎようとすると、ふと視線を感じるときがある。そこで足を止めてしまったらもうおしまい。同じ姿かたちなのに、一体だけどうしても目が離せない子が見つかる。
顔の刺繍や綿の詰まり具合、そんな些細な違いが目に付いているだけなのかもしれない。けどもたしかに、大量生産されたモノ達の中で、君だけが息をしている様に感じられるのだ。
【特別な存在】
町をぐるりと囲むあの山のどこかに馬と鹿を混じり合わせたような姿の神様が住んでいて、住処に迷い込んだ人間の願いを何でも叶えてくれる。そんな文字通り馬鹿みたいな噂話が、私の住む土地にはある。
金曜夜にたまーにやってる国民的アニメ映画じゃあるまいし、居ないでしょ、現代に。そもそも山で迷った人の願いなんて十中八九「家に帰りたい」だ。少なくとも〝何でも〟は叶えてくれないだろう。まあ、大方軽い気持ちで登山した奴が遭難した不安感からただの鹿を見間違えて、偶然生還できたのを「山神さまのおかげ」だと思い込んでるだけだと思うけど。
そんな馬鹿げた存在が、こんな身近にいるワケが無いのだ。ましてや私の目の前になんて。
「……居ない、はずなんだけどなあ」
気づけば桜と紅葉が同時に色付くあべこべな世界の中、馬とも鹿とも言えない奇妙な生物がじっと私を見下ろしていた。頬をつねれば痛い。残念ながら夢じゃないらしい。
軽トラック位の大きな身体。黒豆みたいな目がはめ込まれた面長の顔から、おばあちゃんが使ってる樫の杖みたいな、艶やかで硬そうな角が生えている。首元はふさふさの白い襟巻が着いていて、角と同じ色の蹄は馬と同じで割れていない。
景色も目の前の生物も、見れば見るほど奇妙だ。もう一度、今度は反対側の頬をつねってみたけども、やっぱり痛い。馬鹿みたいな生物が目を細める。なんだか笑われてるみたいで少しムカついた。
おかしい、絶対におかしい。山に近づいた覚えなんてさらさらない。ついさっきまで友人と、取り留めもない会話を楽しみながら帰り道を歩いていたはずだ。二駅隣に最近出来た喫茶店の話とか、飼い犬が可愛くて堪らないだとか。どうせ行くなら山なんかじゃなく、喫茶店の方が何十倍も良い。
ならば目の前の光景はどういうことなのか。痛む左右の頬っぺたが、夢ではないと訴え続ける。まあ自問自答を繰り返しても、やっぱり答えることは出来ないわけだけど。
奇妙な生物は鳴くことも無くじっと私を見下ろしたままだ。時折瞬きをして小首を傾げる。その様子は何かを待ってるみたいにも見える。……もしかして、願いを言えって事なのか。
何だかもう考えるのも馬鹿らしくなってきた。馬鹿馬鹿考えて馬鹿がゲシュタルト崩壊しそうだ。というよりすでにしている。
ようし、分かった。願ってやる。どうせならバカみたいな願いを言ってやるぞ。私の願いは――
「遊んで暮らせるだけのお金が欲しい!」
奇妙な生物がぷるる、と鳴いた。
××××
「――がね、こがね。聞いてる?」
友人の声で我に返る。あんなに鮮やかな色を放っていた桜も紅葉も、視界のどこにも見当たらない。勿論あの奇妙な生物も。何だ、やっぱり夢じゃないか。友人の顔を見れば怪訝そうな表情でこちらを見つめていた。ほんのちょっとだけ、あの生物に似ている。
「ごめん、少しぼーっとしてた」
「大丈夫? テスト明けの疲れが出てんじゃない」
「あはは……そうかも」
そうしてまた取り留めのない話をしながら家路を歩く。幻覚が見えるほど疲れているとは、今日は早めに寝ようかなあ。そんな事を考えて、友人の話に相槌を打っていれば、いつの間にやら自宅の前……なのだが。
「何これ、落ち葉の山?」
ぽかん、と口を大きく開ける友人。玄関扉のすぐ横、インターホンに届かんばかりの落ち葉の山がこんもりと鎮座している。ぴゅうと風が吹いて、何処からか飛んできた早咲きの桜の花びらがその上に落ちた。見覚えのあるその色彩に、思わず吹き出してしまった。
お金が欲しいと願ったら沢山の落ち葉が家の前に置かれていて、まるで狐か狸に化かされたみたいだ。いやあれは馬か鹿か……馬鹿か。馬鹿に化かされるなんて、駄洒落みたいな話だ。
見た目もやる事もばかばかしい奴だったけど、まあ存在は認めてやっても良いかもしれない。神様かは別だけど。
「え、ちょ、ちょっと、こがね!」
いつの間にか落ち葉の前にしゃがみこんでいた友人が、今度は目をまん丸に見開いて振り返る。
「なんか、落ち葉の中から、お札いっぱい入った鞄、出てきた」
「へ?」
「どどど、どうする?」
「とりあえず、交番持ってこうか……」
町をぐるりと囲むあの山のどこかに馬と鹿を混じり合わせたような姿の神様が住んでいて、住処に迷い込んだ人間の願いを何でも叶えてくれる。そんな文字通り馬鹿みたいな噂話は、もしかしたら本当なのかもしれない。
【バカみたい】
生まれた瞬間から今まで、私たちはいつでも一緒だった。
お揃いの服を着て、同じご飯を食べて、肩を並べて道を歩く。どんなに辛い事があったとしても、君がいればへっちゃらだった。水よりも濃い絆が、私と君を繋いでいたから。たったひとりの双子同士だから。
だけどいつからだろう、君との違いを感じる様になったのは。ぼろぼろになったランドセルを捨て、男女違った制服を纏うようになった頃かな。歩幅が変わった。背丈も離れた。君は甘いものが好きで、私は辛いものが好き。食べ物の嗜好も変わった。私以外の女の子と話すようになって、過ごす時間も少なくなった。
似ているけれど、同じじゃない。そんな些細な変化が、私を苦しめる。いっそ同じ性別に生まれたかった。同じ胚から分かたれたかった。そうすれば君ともっと一緒であれたはず。そんなどうしようも無い願いが、私を苛む。
「どうしよう――。僕、母さんを……」
だからどれほど嬉しかったか。電話口、憔悴しきった君の声を聞いたあの時の気持ちを、君にも教えてあげたいくらいだ。
けばけばしくてずる賢い、魔女みたいな女。優しかったお父さんがいなくなったのはお前のせいだと罵る、母親だったもの。身体への暴力はそれほどなかったけど、言葉の暴力は雨のように浴びせられたっけ。
アイツも君が大好きだった。お父さんに似てるから、私の事は大嫌いだった。お父さんに似てるから。ああ、こんなところもそっくりなのに全然違うなんて。へんなの。
今はどこかに逃げようと君を誘った。目指すは二人の秘密基地。昔みつけた町外れの廃屋。
小さい頃とは反対に、君の手を引いて夕暮れの薄暗い道を走っていく、ぽつぽつと視界に緑が増え始めたころ、記憶よりも一層ぼろぼろになった小屋にたどり着いた。
何だか昔いっしょに読んだ童話に似てる。森の奥に捨てられて、お菓子の家に迷いこんだ兄妹のお話。今の私たちにあるのは飲みかけのお茶と、鞄の奥に隠れてた期限切れの湿気ったクッキーが一枚きりだけど。
廃屋の中、 分け合ったクッキーを食べながら君の話を聞いた。私への態度について言い合いになった末に、アイツは君にはさみを向けたらしい。脅しのつもりだったのだろう。私にとっては日常茶飯事だから、嫌でもわかる。
でも君は違った。自分を守ろうと、じりじり近づくアイツの身体を咄嗟に押しのけた。それで足を滑らせて、運悪く持っていたハサミがアイツの身体に深々と刺さった。とめどなく出てくる血に慄き気絶し、目覚めた時にはもう手遅れだったとか。
血の気の引いた顔で震えながら語る。そんな君がとても可哀想で、悲しむふりをしながら緩みかけた口元を両手で覆った。
暫くして、君は疲れて眠ってしまった。小さい頃と全く変わらない少し困った寝顔が愛しくて、隣に寝そべり頬を撫でる。
実はね、君に言ってないことがあるんだ。君が気絶した後に、まだ息のあったアイツにとどめを刺したのは私。だってそうでしょう? 悪い魔女を竈に放り込むのは妹の役目だもの。それにたった一人の双子同士、分かち合わなきゃ不公平じゃない。
分かってる。これはめでたしめでたしで終わる童話じゃない。明日になれば儚い夢は醒めて、私は報いを受けるだろう。
それでも今だけは、私と君の二人ぼっち、ここで静かに眠らせて、あの頃のように傍にいさせて。そんなことを考えながら、私は目を閉じる。
その日見たのは幸せな夢。鏡写しの私と君が、同じ制服を着て笑っていた。
【二人ぼっち/夢が醒める前に】