2023/06/13 【あじさい】
雨が降っている。
雨の中下駄を鳴らしながら急足で家路を急ぐ。今日はずいぶんと雨足が強く、浴衣の袖もぐしょぐしょに濡れている。
こんな日は、いつも同じことを思い出す。
道端には、毎年この時期に咲かせる紫陽花が雨の水滴で輝いていた。赤、青、紫。雨で曇っている街の表情を明るくしてくれる。
-まるで、あの頃の彼のように。
彼はいつも、私が暗くなって落ち込んでいるとき、いつも笑って私を元気付けてくれていた。
彼は紫陽花を見ると、いつも同じようなことを口にしていた。
「紫陽花みたいな、暗い状況こそ明るく輝くような存在は、俺たちにとっても絶対いなくちゃいけない存在なんだよな。」
私は、そう言って紫陽花を見つめ嬉しそうに目を細める彼の表情が大好きだった。
-いや、あの頃だけじゃない。
きっと今も、傷ついた誰かを思って、紫陽花のように暗闇を照らす存在になっているのだろう。きっとそうだ。絶対に彼ならそうする。彼は諦めない。
今この場に彼がいたら、やはり同じように笑ってくれるだろうか。
-彼は、帰ってくるだろうか?
「あなた、早く帰ってきて」
会いたい。会ってあなたの顔が見たい。
私は紫陽花の前で手を合わせる。
戦争に駆り出される時ですら、また会えると笑顔で言って去っていった、愛する夫の無事を祈って。
2023/06/09 【朝日の温もり】
-ああ、もう今日か。本当に朝って嫌だ。
眠さで重い瞼を擦りながら、だるい体を無理やり起こす。部屋はまだ暗かった。朝は嫌い。ようやく1日が終わったって思ったら、起きた時にはまた1日が始まってるんだもん。また不機嫌になりながら部屋の扉を開けて準備をし始める。
「ねえ、今度の連休3人でお泊まり会しない?」
「お、いいね!」
私の中学からの親友2人が口を揃えて言う。
「もしかして、予定とかあったりする?」
ハッとすると、お泊まり会発案者の親友の1人が不安そうに目を潜めていた。私が何の反応も示さないから、心配になったのだろう。
「ごめんごめん、ちょっと考え事してただけ!」
私がそう言うと、2人とも顔を見合わせて、安心したような表情をした。
2人ともどうしたんだろうか。
2人の反応がいつもと違う。
ちょっと気になりながらも、私は話を進める。
「誰のうちでお泊まり会する?」
そこに発案者の親友がスマホ画面を突き出してくる。
「実は、電車で20分ぐらいで行けるところに、ちょうど連休中割引で激安のおしゃれなグランピング施設があるんだよね!どう⁉︎どう思う⁉︎」
興奮気味に彼女はまくしたてる。
-もう、いつもこうなんだから。
もう1人の親友と顔を見合わせて、苦笑いを浮かべる。でも、こう言うところがやっぱり好きなんだよな。
「いいよ、時間とかはあとでね。」
チャイムが昼休みの終わりを告げる。後ろ髪を引かれながらも私たちは自分たちの席に戻った。
-ああ、もう今日か。
目を開けると、目の前にはまだ気持ちよさそうに寝ている2人の親友と、おしゃれでインスタ映えしそうな洋風な内装の広いグランピングテントの風景が広がっていた。
今日はグランピング2日目。昨日はみんなでバーベキューしたり、近くの山でハイキングしたり、夜は遅くまで恋バナしたり。
「あっ、おっはよ〜」
いつの間にか2人とも起きたらしい。
「いやーよく眠れたわー。カーテン開けるよ。」そう言って彼女はカーテンを勢いよく開ける。
そのとき、一気に日が入ってきて、すごく眩しかった。
そう言えば、いつも部屋のカーテン開けてなかったっけ。そのとき、気づいたら2人ともまた顔を見合わせて、私を観て笑っていた。
「よかった、元気になったみたいで。」
1人が笑っていった。
「最近ストレスでか、元気なかったもんね。」
「ちょっとは顔色も良くなったんじゃない?」
ケラケラと笑いながら2人はいった。
-そっか。私のために言ってくれたことだったんだ。
何だか無性に恥ずかしくなって、それ以上に嬉しくなった。
-ああ、もう今日か。本当に朝って嫌だ。
でも、窓から差し込む、美しく、それでいてとても暖かい朝日の温もりで、久しぶりに爽快な朝になった。
2023/06/07 【世界の終わりに君と】
彼女は、よく笑う人だった。そして、自分の気持ちに正直な人だ。好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。嬉しい時は思いっきり笑って、悲しい時は思いっきり泣いていた。病室の暗い雰囲気なんて、一瞬で吹き飛ばしてしまうような人だ。
「ねえ、、明日は何をしたい?」
彼女はそうやって、僕が帰る時間の直前にそうやって聞いてくる。僕はその質問を、いつも心待ちにしていた。まるで彼女も、僕と一緒にいることを望んでくれているようだったから。
-そんな彼女のことを、僕は好きにならずにはいられなかった。
どこまでもまっすぐな瞳。薄く紅い唇。影を落とすほどに長いまつ毛。太陽の元で光り輝く茶色い髪。その顔に浮かべる、どこか悲しそうな、優しい笑顔。
ずっと一緒にいられたらと、思っていた。
-そんな願いは、地球への隕石落下を伝えるニュースによって、突如として破壊された。
今日も彼はやってきた。病室に入った瞬間、いつもみたいに優しく、どこか悲しそうな笑みを浮かべて。でも、彼は何も聞かないで、私の話をたくさん聞いてくれる。
私が好き勝手言っても、彼は穏やかな顔をして寄り添ってくれる。だから、彼と一緒にいると、いつのまにか私も普通の人間になれたような気がした。
-そんな彼に、私は惹かれていった。
少し癖っ毛の黒い髪も、大きな丸渕メガネの御子から覗く優しい瞳も、見た目にはあまり似合わない低い声も。
彼といるだけで、安心できた。
「ねえ、明日は何をしたい?」
私はいつもこの質問を口にする。明日が来るかわからないけど、私の人生が終わるまで、ずっと一緒にいられたらと思っていたから。
-なのに、今日の朝の隕石落下のニュースによって、私の残りわずかな人生も、一瞬にして短くなった。
もうすぐ、世界が終わる。
数日前までは、テレビニュースで地下へ避難しる人や、落下地点付近の住民にインタビューする貴社の映像がよく見られたけれど、予告された当日である今日は、何もテレビも何も報道していなかった。
隣では、いつもと変わらぬ様子で、彼女が座っている。
彼女の様子は相変わらずで、いつもと同じような他愛もない話をしている。
「僕は、もっと、君と一緒にいたかった…」
いつのまにか自分の口から溢れた言葉は、自分のものではないのではと思うほど掠れてしまっていた。
そのとき、唐突に彼女はこんなことを言った。
「今日って暑いよね。今までにないくらい。」
「えっ?」何を言ってるんだ、彼女は。僕たちはもうすぐみんな死んじゃうのに。もっと言うことがあるだろうに。僕の意図を感じ取ったのか、彼女は口を開いた。
「だってさ-」
彼女は、その綺麗な瞳で僕を見つめていった。
「私は、言いたかったことは全部今までに言ってきたから。もう、悔いはないから。」
僕は今までのことを思い出して、手の甲に落ちてきた水滴が、自分の涙であることにすぐには気づかなかった。
彼女は、いつ死が来てもいいように、僕に言いたいことを、今まで言っていたんだ。
-そうか、君はもう覚悟ができていたんだな。
なんだか、君らしいや。
「でもね-」
彼女が唐突に口を開く。
「まだ言えていないことがあったんだ。」
次の瞬間、彼女は僕の手を握っていった。
「世界の終わりに君と一緒でよかった。」
彼女のその瞳から、大粒の涙がこぼれ出ていた。
「ねえ、明日は何をしたい?」
彼女は、驚いたような表情をした後、その大粒の涙で溢れる顔に満面の笑みを浮かべる。
今度は、僕から質問したかった。
-もっと君と一緒にいたい。
世界の終わりに君と、もう来るはずのない明日、また君と一緒にいられることを願って。
2023/06/06 【最悪】
-ああ、最悪だ。
こんなことになるぐらいなら、来るんじゃなかった。あいつがこいって言ったから来たのに。今日最高気温を記録した俺の地元では、保健室の窓から覗く曇り空が妙に物悲しげに感じられた。
「ねえ、明日学校行ってみない?」
唐突にそんなことを言われた。公園のブランコをこぎまがた彼女は言った。彼女は何を言っているんだろうか。今までだってそんなこと一度も言わなかったのに。
「いきなり何言い出すんだよ。行っても、意味ないだろ。」
俺は半ば強引になりながら口にする。あんなところ、絶対に行きたくない。だって、俺が行っても-
「俺が言ってもどうせ邪魔になるだけとか思ってるんでしょ。」
何でわかるんだよ。俺は言葉に詰まる。
でもその通りだ。俺が行ったら、迷惑をかける。
-ねえ、あそこの席の子、今日も学校来てなくない?
-あー、なんかあんま体が良くないらしい。
-えっ、そうなの?
-でも、体良くないなら休んでて全然いいよなって感じ。何かあったときに面倒だし。
-まあ、それもそうだね。
体育祭も、文化祭も、校外学習も、行きたいと思ったことはあるけど、俺はほとんど行ったことがない。いつもすぐ眩暈で倒れたり、歩けなくなったり。みんなに迷惑をかける。その後の、みんなの反応が、俺にはどうしても辛い。
-だったら、学校自体に行かなければいいじゃないか。
そんな、半ば逃げるような結論に達した次の日から、俺は学校に行ってない。俺がいなくなっても、どうせ誰も気付かないだろうし。
「でもさ、気づいてないだけだと思うんだよね。」
そういう彼女は、俺の幼馴染で、普通に学校にも行っている。近所に住んでいるせいで、いつも授業のプリントやらノートやら連絡やらを届けに来てくれる。
-こいつも災難だな、俺みたいなやつと幼馴染で。
俺は体のことだけじゃなく、性格もこんなだから、ただでさえ迷惑をかけている。特にこいつには昔から。
-でも、迷惑をかけたくないと思いながら、こいつにはすごく甘えてしまっている自分がいる。
今もこうして、俺のことを気遣ってくれているとわかっている。それに気づかないふりをして、俺は彼女に聞き返す。
「気づいてないって、何が?」
「あんたがみているのは表面的な部分だけで、見えていない部分がまだあるってこと。」
哲学みたいなこと言うな。
「でも、俺がいなくなったことで、みんな平和なら、いく必要もないだろ。最悪のじょうたいになるだけだ。」
俺は自分に言い聞かせるように言う。
「そうなんだけどさ。」
彼女は勢いをつけてブランコから飛び降り、俺の目に立つ。その綺麗で大きな目で俺を見つめて。
「最悪があるってことは、最高があるってことなんだよ。」
満面の、お日様みたいな笑みでそう言った。
「悪いこともあるかもしれないし、いいこともあるかもしれない。何があるかわからないんだし、行ってみようよ。」
彼女はすごく眩しかった。隣でさもいちばんの親友のように振る舞ってきた自分が情けない。
「でも-」
言いかけたとき、彼女の優しい手が冷えた俺の顔を包んだ。
「大丈夫、私がいるから。」
俺は、どこまでも優しい彼女に、今日も甘えてしまった。
-ああ、最悪だ。
結局、言っても何にもならなかった。あいつは今日は学校休みだって言うし。俺もすぐに体が言うこと聞かなくなって、保健室に行く羽目になるし。天気のせいか頭痛もする。
-やっぱり、こなきゃよかったな。
そんなことをまた考えている自分がいた。そんなとき、保健室の扉がそっと開いた。
「あの、失礼します…。」
確か、うちのクラスの女子だっけ。体調悪いのかな。
「あの、大丈夫?」
そのとき、明らかにその子は俺をみていた。
「えっ?」
「あの、午前中の授業終わったしたその時のプリント、届けに来たんだけど。」
ああ、そう言うことか。
「すみません、迷惑かけて。」
またこうなってしまった。
「迷惑?全然迷惑じゃないですけど。」
思ってもいない答えに、俺は驚いた。
「えっ?」
さっきと同じ言葉を口にする。何で迷惑じゃないんだろうか。その子の意図が読めない。
「むしろ私、あんまりクラスとこで役に立つことできないから、ちょっとでも、役に立てたのが嬉しいなって言うか…」
顔を少し赤ながら、その子はいった。
-最悪があるってことは、最高があるってことなんだよ。
ああ、そう言うことか。やっと彼女の言っている意味がわかった気がする。
-最高とまではいかなくても、いいことはあったな。
今日は久しぶりに笑った気がする。よくみたら、保健室の窓から見た空は、雲が消えて太陽が顔を覗かせていた。
学校が終わって、俺は彼女の家の前に立っている。家が近いため、プリント類をこうして家に届けに来たのだ。
-まさか、自分がこの立場になるとはな。
そう自分の中で苦笑いを浮かべながら、ふと思った。自分が迷惑だなんて思っていまいことに。
-あいつも、おんなじように思っていてくれたのかな。
そう思うと、何だか嬉しくなって、最悪も悪くないなと、そんなことを思いながら、彼女の家のインターフォンを押した。
2023/06/05 【誰にもいえない秘密】
俺には、誰にもいえない秘密がある。
z家の事情とか、性癖とか、それこそ自分だけの秘密基地とかそういうのじゃない。
-そんなことよりも、もっと残酷で、暗く、重く、悲しいことだ。
もう日が沈みそうな時間帯。後ろを振り向くと、太陽が町中を淡く照らし出していた。俺はそのまま、ある山の裏側周って行く。山に隠れたせいか、一気に暗くなったように感じた。しかし、それでももうほとんどの光が見えないくらいに暗くなり始めている。もうほとんど日が沈んでしまったのだろう。俺はポケットから小型の懐中電灯を取り出して歩き始める。
街の裏側にある、ちょっと小さな山にあるこれまた小さなお墓。そこで、約一ヶ月ぶりとなる墓参りに来ていた。ある墓の前で止まって、よくみたら花がまだ新しかった。その花には見覚えがあった。
-まさか、あいつがきたのか?
それは、死んだ母が好きな花だった。その時期になってはよく花屋で買って花瓶に生けていたのを覚えている。でも、それを知っているのは、俺以外に、“今は”1人しか いない。
-“あのこと”を知ってるんだったら、なんで何の連絡もよこさないんだよ。あのクソ親父。
俺たちを捨てたあの親父がここ駅たのなら、なおのこと腹が立つ。
俺はいけてある新しい花を抜き取り、今日自分が買ってきた花を添えた。そんなことを躊躇なくできるようになってしまった自分にも吐き気がする。
-でも、もう遅い。
もう後戻りができないところまで来てしまったんだ。暗闇の中懐中電灯に照らされた墓石が妙気味悪く感じられる。その墓石が、自分に何か訴えているような心地にすらなった。
「-兄ちゃんが必ずお前の仇を取ってやるからな。」
さっき懐中電灯が入っていた場所とは別のポケットから取り出したものを見て、俺は幾らか心が救われた。そこに映る、今はもう亡き妹を見て。
俺は、懐中電灯の明かりを消して歩き始める。もうすっかり日が暮れて周りには人っ子一人いない。その中でも月明かりは健在で、町中を明るく照らしていた。
俺は自分のハッグからあるものを取り出した。
満月の月明かりを、無骨なナイフがやけに反射していた。その光が、危険な色を孕んでいた。