手放した時間
他人に尽くすと、それは自分の時間を手放したと言える。
それは果たしていい事なのか、自分には分からなかった。悪いことだったとしても、その理由を説明することは俺には出来ない。
家族の時間なんかそうだ。きっと俺は、家族に尽くしたと言える。否、その言い方でしか関わることが出来なかったのかもしれない。
ずっと本音を殺して、居場所を作っていた。
辛いだなんて言葉、口にすることなんて相当なことがあったとしても、不可能だった。
その手放した、手放してしまった時間は、家族が居なくなったことによって埋めることは出来るのだろうか。
「何してんだ、そんなところで」
「あ、ああ……すまない」
左之助は、先程まで屯所の掃除をしていたのだろう。俺が邪魔だったのか、箒でこれの足を優しく叩いた。
この問題は、誰にも伝える必要のない自分の問題なのだ。
何時もみたいに、左之助に解決してもらう訳にはいかないだろう。
しかしその想いも虚しく、勘づいてしまった左之助がおれに話しかけてきた。
「どうした?なんだ、いつもの考え事か?」
どう答えればいいのか、分からなかった。これは、左之助に話してもいいものなのだろうか。
「……聞いて、くれるか」
考えがまとまっていないのに、言葉になってそれは現れた。やはり、俺は誰かに自分の悩みを伝えたい。
そうすれば、左之助が助けてくれるから。
左之助は柔らかい笑顔を見せて、俺の隣に座った。
「勿論だ」
「俺は、家族に使った時間を取り戻したいんだ。……手放してしまった、あの時間を」
多分、この悩みは左之助は無縁の存在だ。俺が、俺の環境がおかしかっただけだとは、充分に承知している。
だが、左之助は自分事のように考えてくれた。
「そうだなあ、でも、それがなかったら今のお前はいないだろ?」
「だが__」
俺が言葉を発する前に、俺の肩を大きな音を立てて叩く。その左之助は、何処か悲しそうだった。
「ああ、分かる。そんな思い出したくもない記憶、無くしたいし、無駄にしたと思う。」
「……左之助」
「どうした?」
「今、こうしているより俺は、刀を交えたい」
刀だって、きっとあの家族ではなかったら使うことなんてなかった。
しかし、その刀は今では言葉となった。刀を交わすことで、俺は会話をすることが出来る。
左之助は立ち上がって、俺に木刀を投付ける。
「かかってこいよ」
挑発するように左之助は、俺に向かって指を指す。
考えていることも、俺にとっては手放した時間であると、ハッとした。
それは、左之助に伝えると答えがすぐに帰ってきたからだ。ならば、俺が迷っている必要は無い。
今大切なのは、過去の鎖を見つめるより、目の前の光を見ることだ。
「ああ、勿論」
泥沼になんか嵌らない。俺は、土を歩いて自分の足跡をつける。
手放した時間は、もう戻ってこない。ならば、これから手放さなければいい話だ。
夢の断片
きっと幸せになりたかった自分が居て。
けれどそれはもう、幻想になってしまっていた。
自分の脈拍が段々となくなっていくのが何故か、よく分かってしまった。
死ぬ時はせめて、誰かが隣にいて欲しいものであるが、俺の隣には誰も居ない。
夢というものは追えば追うほど大きくなり、叶いにくくなる、ような気がする。
俺の夢はなんだっただろう。
きっと、ただ従って、刀を振り回して幕府を救うとか、そんな物騒なものではなかった筈だ。
もっとこう、自分の畑を持つとか。仲間と楽しく過ごすとか、そんなちっぽけなものだった気がする。
かつて見たはずの近い夢というものは、遠い未来へと変わっていった。それはもう、実現できないほどに。
「はあ……」
最後の力を振り絞って腕を伸ばしては見たものの、案の定そこには何も無かった。
ただ大粒の雨が、俺の身体に痛い程にのしかかって。冷たい、寒い、そう感じていた。
最後に誰かいれば、俺の夢を託せたのに。
そう、願ってしまったからだろうか。遠くから走って来るような音が聞こえてきた。
「左之助!左之助、大丈夫か?」
「……斎藤、か」
「ああ、そうだ。左之助……」
どこか悟ってしまったように俺の名前を呼び続ける斎藤も、深い傷を負っていた。
この世界というものは、何故こんなにも純粋な奴を傷つけるのが好きなのだろう。
しかし、この機にコイツには、俺の夢を託そう。
「斎藤……」
「どうした、左之助」
「お前は、幸せに……生きろよ」
「左之助……なんで」
力一杯笑顔を見せた。もう意識が朦朧としてきた。
もう何分も経たずに俺は死ぬだろう。斎藤に夢を託せたのに、心には夢の断片が残っている感覚だ。
だが、今更後悔したって遅い。来世は、また斎藤と一緒に過ごせたらいいと思う。
今はそう願って、俺は目を閉じた。
ささやかな約束
寒い日には、暖かい蕎麦を食べるのが一番だ。
「左之助、ありがとう」
「え?なにが?」
斎藤は空になった器を座っていた場所に置いて、去っていってしまった。
『ありがとう』と意味が分かった。コイツは、金を払っていない。自分が食べた分は置いておけばいいのに、自分勝手な奴だ。
「はあ……」
仕方なく払い、屯所へと戻る。勝手な外出であり、勝手な出費は御法度であるものの、いつも見て見ぬふりをしてくれているのは感謝している。
だがしかし、いつ怒られるのかなんて分かったものではない。それでも俺は、蕎麦を食べることをやめない。
屯所に戻ると斎藤が居た。任務という訳でもなく、ただ払ってもらいたいから早く帰ったのだろうか。
「斎藤、払えよ」
「……左之助も、自分の金じゃないだろ」
「感謝とかしろよ」
「したな」
そういえば去る前、ありがとうと言われた気がする。何とずる賢い奴だ。こんな奴に賢いなんて言葉を使いたくないほどに。
暫くして、時間は夜になっていた。今日は、見回りの日だった。
何時も俺は斎藤と共に見回りをしている。信用しているからだ。あんな適当な奴でも、やる時はやる。
「俺はもっとちゃんと感謝して欲しかったな〜」
「……」
相変わらず無口なコイツは、何を考えているのかが分からない。唯一分かることといえば、コイツは寒がりということだ。
最近は一段と冷えるような夜が続いている。そのせいだろうか。斎藤の耳と鼻が赤く染まっていた。
「寒いな、今日は」
「……寒い」
明らかに寒そうにしている斎藤を見て、なにかしてやるべきだとは思った。自分の着ている羽織をかけてやるべきだろうか。
自分は考えるよりも行動に移す奴だろう。なら、それをしてやればいい。
俺は自分の羽織を斎藤に渡す。
「使えよ。……寒いんだろ」
「……ありがとう」
素直に礼を言う斎藤は、すぐに俺の羽織を重ね着した。元々暖かそうだった姿は、更に暖かくなっていった。
一方で俺は、袖なしを着ているせいか、肌に直接風が触れて鳥肌が立っていた。
「は〜…やべえな」
「すまないな」
「いや、いい。斎藤の方が寒そうだったからな」
そのまま俺達は、見回りを再開した。いつものように沈黙が漂っていたが、それは信頼によるものだと俺たちは知っている。
何時間経っただろうか。夜更けになり更に寒さが増す。
動いているからそこまで支障はないが、客観的に見れば大分ヤバい奴なのは分かった。
「……左之助」
羽織を脱ぎ、俺に渡しながら斎藤は話しかけた。
「どうした?」
「また、一緒に蕎麦を食べてくれるか」
「いいが、急にそんなこと言うんだな」
優しく微笑むと、斎藤も応えるように優しく微笑んだ。
「今度は、……一緒に帰りたくて」
俺はかなり直接的な表現をしてくる斎藤の言葉遣いが、得意ではない。
意味が直接伝わりすぎて、なんだか恥ずかしくなってしまう。
「そうか」
「それに、こういうささやかな約束をしていた方が借りも返しやすいからな」
白い息が出ない程度の外の寒さの中、俺は口を大きく開けて笑う。
「気にしてんのか。別にいいのに」
斎藤は刀に右腕を置いて、静かに笑う。
「お前には借りが二つ、あるからな」
多分コイツは、人と一緒にいるのに理由を見つけようとしている。
そんなことをしなくたって、俺はお前の隣にいるのに。
「……そうか。じゃあ、早めに返せよ」
斎藤は空を見上げる。釣られて、空を見上げてみると曇っているからか、月がぼやけて見えていた。
「ああ、分かった」
ささやかな約束、それは人を繋ぐためにあるのかもしれない。
俺たちは屯所へと戻る。
祈りの果て
死んだ人に向かって祈ったところで、その人は戻ってこない。仏になれと祈ったところで、仏になったかなんて分からない。
適当な仏教を並べては、浄土宗だの浄土真宗だの。僧侶がやってきて枕経を並べる。
祈りの果てに人は、最期に静かな真実を見つける。願っていた祈りは、きっと最期には叶わないと気づく。
「左之助。お前は、葬式に行ったことはあるか?」
「何だ急に。あるけどよ」
「家族は、どういう気持ちで亡き人を見ているのだろうか」
「斎藤は家族の葬式に参加したことないのか?」
「……いや、ある」
幼き頃から今までで、数年事に身内が三途の川を亘っていった。しかし、どうも自分事として捉えることが出来ずに過ごしてきた。
きっと自分が、無宗教だからだろう。それとも、家族に対して何も考えたことがないから?
左之助は少し驚いたようにした後、考える姿勢をとった。
「俺は……三昧場まで葬列してく時が一番悲しかったな」
「何故?」
「もう、生きてた頃の姿が見れなくなるからな。火葬されて、御骨になって」
生きていた頃の姿が見れないというのは、それほどに悲しいことなのだろうか。
ああ、悲しいだろう。俺は家族だけだと思い込んでいたが、もし左之助が死んだ時も葬式に参加するのか。
左之助が骨になってしまったら、もう生きていないのだとさらに自覚してしまう。
祈ったところで、それは最期に真実になって現れる。
「まあでも、俺は葬式自体は悲しいものだと思ったことはねえな」
「……本当か」
「ああ、亡くなった人が三途の川を亘って、仏様になるんだ。悲しい事じゃねえだろ?」
俺のことを横目で見て左之助は、片眉を上げる。
難しいことは自分にはよく分からない。人に対しての関心が、人一倍なかったから。
しかし、左之助のような奴を見ていると、普通の生活をしてみたかったと心の底から感じてしまう。
これは、祈りというものだろう。
「分からない。それが、悲しいことではないという事が。俺には、」
「いいんじゃねえの?」
そう言って優しく微笑んでくれる左之助は、これから亡くなる可能性のある人間だとは思いたくないほどに輝いていた。
俺は、最期には無意味だと気づいてしまう祈りを、左之助に捧げている。
死んで欲しくないと。消えて欲しくないと。
「斎藤は多分、仏とか信じてねえからだろ」
「……ああ、居るとは、思っていない」
左之助は俺の肩を思いっきり叩いて、真剣な眼差しで俺を見つめる。しかしその目つきは嘘だったようで、すぐにいつもの様になる。
「信じた方がいい。俺が言うんだから間違いねえ」
そう言うのなら、俺はいつものように返す他ないだろう。
「お前が言うのなら、……間違えなのかもな」
苦笑いをして左之助を見つめると、立ち上がって大きく身体を動かす。
「おい!なんでだよ……全く」
そう言う割には、左之助は何処か嬉しそうだった。
心の迷路
「……僕って、なんなんだろう」
珍しく沖田がネガティブな言葉を口に出す。
誰しも迷い苦しむことは来る。それを真に受け止めた時、人はみな死という存在を選んでしまう。
迷路で例えるに、出口を見つけられなくてリタイアしてしまうようなものだろう。
隣に左之助もいないので、俺がその質問の答えを言ってやらないといけない。
「俺には分からん。……だが、自分の身体と心が一緒だと思ったことは無いな」
「斎藤さんも、そう思う時があるの?」
「いつも、だ」
いつも迷っては出口を求めている。だが、一人で探して出口を見つけられなことなんて、一度もない。
そう考えると、俺は孤独ではないのかもしれない。
「……いつも、苦しんでるってこと?」
その無鉄砲な発言に年下らしさを感じるも、迷っている姿はどうも年下とは思えなかった。
きっと沖田は、俺よりももっと先を見据えて、苦しんでいるのだろう。考える必要も全くない、ただの妄想に近い現実に。
「ああ。だが、いつもその時には隣にいるんだ」
「何が?」
隣にいる。否、隣に来てしまっている。行ってしまう。そうじゃないと、不安で仕方がないから。
心の迷路に迷った時、解決する方法としてはその迷路を共に解いてくれる人が隣にいることだ。その人と共に歩めば、必ず出口は見える。
つまりは、一人で抱え込んでしまっているというだけ。
一人で苦しんでいる時、この世で一番苦しいのは自分だと思い込む。それは単なる勘違いであって、本当はみんな苦しいのだと。
「総司と斎藤、珍しいな」
俺と沖田はその声に反応して振り向く。そこには、案の定左之助の姿があった。
「……沖田」
「なに?」
「コイツが、いるんだよ。いつも」
何処か皮肉ったように言ってしまっが、いつも尊敬していて、とても頼りにしている。
直接的に行ったことはないが、いつも共にいるというのがその証拠だろう。
「あ?悪口か?」
「左之助、違うよ。斎藤さんは、左之助を頼りにしてる。そうでしょ?」
「ああ、そうだ」
素直に褒めると顔を逸らしてしまうのが、左之助の面白いところだ。
喧嘩したって、意見が違ったって、それは短所ではなく長所になる。しかしそれはそういうのが短所と自覚して始めて、長所として扱える。
「……確かに、二人ともいつも楽しそうだね」
どういう場面からその言葉がでてきたのか分からず、目を丸くしてしまった。左之助も同じなようで、目が合ってしまった。
気が合う、といえばそうなのだろう。心に介入してきたって、不快感を感じないのが一番いいところだ。
「総司は、楽しくないのか?」
そういえば沖田は、今悩んでいた。俺との相談で、解決の糸口が見つかっていればいいのだが。
沖田は今までとは違い、爽やかな表情で笑みを浮かべる。
「楽しい。ふたりがいるから」
俺と左之助は下を向いて静かに、大きく笑う。
「ふたりは、僕が苦しんでる時に助けてくれる?」
年下らしい甘えた声で、俺たちに尋ねる。だがその表情は志があって、否定できなかった。
否定するつもりは毛頭ない。そう信用できる相手だからだ。
「……勿論」
「総司、心配すんなって。な?」
左之助が沖田の肩に手を回して、気分上々なのか大きな口を開けて笑う。
こんな平和で暖かい日々が続けばいいと、心から思っている。苦しい程に。