寂しくて
夜というものは、自分でも感じたくない感情を浮かび上がらせる。
それは果たして、自分の今感じているものなのか、夜という現実がそうさせているのかは、分からない。
月夜に照らされて、少しばかり空を眺める。
誰もいないこの空間は、嫌いではない。ただ、寂しいだけだ。
この瞬間に誰かが来て欲しいわけではない。だが、隣にいるともっといいのにとは思う。
自分の手を見る。俺は一体、何を気にしているのだろう。
ただ寂しくて。寂しかったら、俺はどうなる?
「……分かんねえ」
こんな夜中に起きている人なんて誰もいない。起きている人がいたとしても、きっと仕事をしていて俺の声に気づいてはくれない。
俺は、それでいいと思っている。独りの方が自分の好きなような自分でいられるから。
でも、それは自分なのだろうか。
考えたくもない思考の話題が、脳内を駆け巡ってしょうがない。
きっと、こんなことを考えなくなって独りな現実は変わらないし、寂しさを埋める何かが現れる訳でもない。
そういう風に、世界はできている。
そういう風に世界はできているから、俺は今寂しいと思っていて、それを埋めてくれるなにかに期待している。
「寒くないのか」
「齋藤……」
「どうしたんだ、こんな夜更けに」
俺を見下すような目線から、同じ目線になるように齋藤は腰掛けた。
「なんか、寂しくて」
きっと寂しいのは、こんな夜更けまで起きているからだろう。なら、さっさと寝ればいい。
なのに何故起きているのか。それは、齋藤が隣に来るって思っていたから。
「……そうか」
俺とは違って齋藤は、どこか鈍感な部分が多い。だから、本音を言わなくてもバレることはあまりない。
そんな性格だからこそ、俺は自由にやっていける。
ああ、俺、やっぱり誰かが隣にいて欲しかったのかな。
寂しさを埋めるのは、隣に誰かがいるのが一番だ。
「齋藤は、どうしてここに?」
「左之助の声がしたんだ。……なんと言っていたかは忘れてしまったが」
きっとこの沈黙は、嘘を言っている時の沈黙だ。
「へえ、聞こえちまったかぁ」
「聞いて欲しくなかったか」
「いや?全然。むしろ嬉しい」
いつもなら俺は、照れながらその発言を口にしているだろう。その為か、齋藤は何処か唖然としていた。
「……月が、綺麗だな」
お前の方が綺麗に見える。なんて言葉は口が裂けても言えない。
「ああ、綺麗だ」
寂しくて独りになるのも、悪くはない。
心の境界線
きっとアイツとの関係性は思ったよりも曖昧なもので、理解できていない。
俺ができていないだけかもしれないが、それでも、だからこそ少し踏み入れるのが怖くなる。
嫌われたくないって思って、曖昧な行動ばっかして。
こんなこと考えているなんてまるで恋をしているみたいだ。そんな自分が、嫌になる。
「なあ、齋藤」
米を頬張りながら左之助は、箸を俺に向けて話しかけてくる。マナーがなっていないと思いつつも、口に出すことは出来なかった。
「お前、こういう時は姿勢悪いよな」
「……うるさい」
「はあ?本音を言ってあげてるだけだ」
『本音』。その言葉は、俺に今足りないものだろう。きっと、誰に対しても本音で話したことがないのだろう。
それは果たして良いことなのか。何が一体俺をそうしたのか。分からなくてもいい事ばかりをかんがえ、どこか苦しくなる。
食事を済まして、稽古の時間になる。教える立場ではあるものの戦う立場である俺達も、日々稽古に取り組んでいる。
左之助は面倒くさそうに胡座をかいて、欠伸をしている。
「なんだよ。こっち見て」
気がついたら、俺は左之助のことを見ていてしまったようだった。
自分でもうんざりするほどの本音を口に出せない瞬間は、消えて欲しいと思う。
「すまない。……なんでもない」
「いやあ?なんかあるだろ」
そう言って勢いよく立ち上がり、俺の方向へと近づいてくる。
俺よりも少しだけ小さい背丈で、左之助は俺の目を見つめる。目が合うことに慣れていないせいで、目が泳いでいたと思う。
「な、なんだ……いきなり」
何故か恐怖すら感じてしまって、声に出さないと耐えられなくなった。
左之助はニヤリといつものように子供っぽく笑って、大きく口を開けた。
「俺に嫌われたくない、とかか?」
どこの文脈からも合わないその発言は、図星だった。
動揺してしまって、冷や汗が出てくるのが分かる。そんなに自分は分かりやすい人間なのだろうか。それとも、コイツが鋭すぎるだけ?
目を細めて笑うその姿は、俺を安心させた。
「お前は理解してないだけだ」
「……なにを」
「心の境界線を」
俺の心臓の辺りを左之助は、優しく叩く。
「俺はお前じゃないし、お前も俺じゃない。だから考えが違ったっていいだろ?」
いつも自分に自信がなくなった時、的確な言葉をくれるのは左之助だけだ。
人並みより少しできるからって、人間関係さえもできる訳ではない。その印象が大きくて、俺は相談できる相手がいなかったのだ。
「嫌われたくないなんて考えなくていい。俺は、お前の発言を間違ってるって思ったことはねえよ」
何故こんなにも明るい言葉が浮かび上がってくるのだろう。
俺も、左之助みたいになれる選択肢がどこかにあったのだろうか。
「ありがとう、左之助」
素直に感謝の気持ちを述べると、左之助は固まってしまった。コイツはきっと、俺に感謝されることに慣れていない。
そういう所が面白い。
「……あ、ああ」
左之助は稽古に参加するのか、置いていた槍を右手に持って、後ろを向く。
俺もあとに続くように木刀を持ち直して、右手に力を強く入れる。
「それに、……俺が、齋藤を嫌いになる時なんて、来ねえよ」
その小さな捨て台詞に、左之助の全てが詰まっているような気がした。
からかうように近づいて、話しかける。
「何か言ったか?」
「何も言ってねえ!……ったく、こういう時は元気になりあがる……」
髪の毛をかいて、照れくさくなっている左之助を見て、俺は初めて人との関わり方がわかったような気がする。
俺達は稽古へと戻る。
時を止めて
「あーあ、割れちまったな」
いつも見ていた砂時計が、何故か割れてしまっていた。
誰のせいとかはどうでもいいが、何となく心に深く刺さった。
「そうだな。新しいの、買うか」
「齋藤、そんなに欲しいのか?砂時計」
自分でも何故欲しいのか分からないが、左之助に言われて少し考えてみる。
時が進んでいる姿が好きなのかもしれない。その逆で、時が止まっているのが怖いのだろうか。
自分でも分からない物事というのは、恐怖を自分に植え付けてくる。
「……まあ、欲しい」
そう俺が言うと、左之助は手を頭の後ろで組み、そうなのかと柔らかい口調で呟いていた。
「たしかに、ずっと動いてたものが止まるのはなんか嫌だな」
きっとこの気持ちを言葉に表現出来るのは、松尾芭蕉などの俳人や詩人のような語彙が詰まっている人達だけだろう。
言葉というものは、人生を経験した分だけ募っていくものだと思っている。
俺たちは、人生の全てを戦いに捧げている。それは、人生を経験していると言えるのだろうか。
「だが、これもこれでいいかもな」
「どうして?」
「俺が時を止めてるみたいでかっこいいからだ」
馬鹿馬鹿しい。だが、そういう所が左之助のいいところと言える。
「馬鹿だな」
「うっせ」
左之助は、割れてしまった砂時計の片付けを始める。片付けている最中に鳴ってしまう硝子の音が、終わりを迎えているように感じた。
俺たちは、きっとこの砂時計のように壊されてしまう時が来るだろう。
その時に、左之助のような丁寧に壊れた自分を扱ってくれる人がいれば、どれだけ嬉しいことか。
ハッとして、自分も左之助の手伝いを始める。
「なあ、齋藤」
「……なんだ?」
「お前は、……時が止まるのが怖いのか?」
さあ、どうだろう。と言いたかったが、どうやら自分には意見が存在するようで、深い思考に陥った。
時が止まるということは、この時間が永遠に続くということ。それは、老いを迎える、否、戦死することさえも出来ないということだ。
それは俺にとって嬉しいはずだ。けれど。
「変化は、するべきだと思う」
言葉に出したものの、それは本心かどうかが分からなかった。こういう時は自分の発言を信じてみようか。
「ほんとかあ?何が変化して欲しいんだよ」
「……考え、とか」
何時も頭が固いと思っていたが、左之助と出会うことが出来て俺は、頭は柔らかくなったと思う。
そういうのは、時が動いているから成長できるのだ。
「だが俺は、……お前と、左之助といれるのなら、時を止めても構わない」
変化できた理由も、成長できた理由も、全ては左之助との出会いなのだ。
左之助は照れているのか、目を逸らして口を小さく開く。
「……そう、か。なら、……時は、止まるだろうな」
「……そんな気はした」
俺も左之助も、お互いに隣にいて一番嬉しい存在なのだろう。
時は動いたって止まっていたって、ずっと信用できる相手だと、俺は信じている。
キンモクセイ
懐かしい香りがする。その香り自体が懐かしい訳ではなくて、抽象的に懐かしい気がした。
懐かしい匂いがする時には、必ずあの花が近くにいるということだ。
「あ、やっぱり」
振り向いてみると、そこには金木犀がいた。甘くて、どこか懐かしい匂いがする。それは、金木犀の特徴なのだ。
自分の物のように金木犀を見ている。金木犀は好きだ。小さい花だが、優美に咲いている。
「……左之助、それ、金木犀か」
「おう、齋藤も嗅いでみるか?」
枝として切られているなんて珍しい、なんて言いながら齋藤は金木犀に近づいた。
手で仰ぐように嗅ぐその姿に、どこか優美な金木犀と重なったような気がした。
きっと俺の勘違いなのだろうが、似ていると思った。
「甘い香りがするな」
「……あ、そう、だな」
魅入ってしまったらしく、不意に話しかけられ反応することが出来なかった。
花に似ている人は羨ましいと思う。儚く、その美しい姿と重なる人は、そうそういない。
「どうした、左之助」
「いや、綺麗だなって思ってよ」
「そうだな。金木犀はこの時期に咲く。だから_」
「違う」
自分でも何を話しているか分からないほど、この美しいという気持ちを齋藤に伝えたいと思った。
そう思っているのに、中々口に出せないのは俺の短所だろうか。
黙って俺の次の発言を待っている齋藤を見て、何か言ってやらないといけないと思った。
コイツは自分から話そうとあまりしないから、何か言ってやらないと何も言わない。
「齋藤が、……綺麗、だと思って」
一生懸命に出した声は、自分でも驚く程に落ち着いていた。
齋藤は目を丸くして俺の胸元辺りを見ている。
俺も齋藤のことが見れなくなって、顔を逸らしてしまった。何故こんなにも俺たちは初々しいのだろうか。
暫くの間、沈黙が漂った。申し訳ないと、そう言いたくなった。
「左之助」
「な、なんだ?」
突然、齋藤が俺の名前を呼ぶ。その瞳は、いつもよりも大きいと感じた。
「……そういう発言は、もっと別の……愛人とかに使え。俺なんかに伝えるには勿体ない」
相変わらずの自己肯定感の低さに、コイツは齋藤なのだと再確認することが出来る。
だが、そういう齋藤だからこそ、俺の隣で馬鹿やっていける仲間なのだ。
「ほんとに、金木犀みてえな奴だ」
「……そう、なのか」
金木犀の花言葉には、謙虚、真実……初恋、陶酔などがある。
齋藤は、そういう人物だ。
俺は、視線を香り漂う金木犀に戻す。
行かないでと、願ったのに
番傘を片手に、きっとアイツが好きな、派手な花を片手に俺は、墓所へと向かう。
時代は大きく変わり、もう俺たちなんて存在しないも同然になった。
人は死ぬ。当たり前のことだ。当たり前すぎて、何も感じないほどに。
けど、お前は。行かないでと、願ったのに。
やっとの思いで辿り着くも、足が重くて思うように歩けなくなってしまった。
これは墓所に来た呪いではなくて、悲しいという感情を抱いているからだろう。
お前がいないと、あんなに騒がしかった日々が来ないと痛感してしまう。どうして、死ぬのがお前なのだろうと何度も自分を憎んだ。
だが、お前が生きて俺が死んでたとしたら、お前だってそう思うだろ。
置いてかれた方は、置いてった方を恨むのではなくて、自分を恨むものだ。
「……左之助」
死人が多く出たせいで、墓は質素だった。若くして死んだからだろうか、知人が多いのかたくさんの花が添えられていた。
いいな。お前は、人気者で。俺は、俺の周りには、何もいなくなってしまったよ。
「なあ、覚えてるかお前。腹減りすぎたからって花食いだしたこと」
そっちでも腹が減った時のために、茎と花を切り離す。
「……行かないでって、言えばよかったか」
今更しても遅い後悔は、その時点では後悔すると微塵も思っていなかった。
左之助が生きているのは当たり前だと思っていたから。
俺だけ生き残ってしまった感覚に陥る。いや、俺以外死んでしまった。
みんな戦って、生涯を刀に捧げて。
俺はその想いが足りなかったのだろうか。俺は、もっと刀に忠誠を誓えばよかっただろうか。
「左之助、お前さえ生きていれば、一緒に皆の墓を廻れたのにな」
不謹慎だと言って、左之助は俺の頭を叩いてくれるだろうか。
あの日とは違って、忌々しいほどに日差しが俺を照らしている。
何故、天は俺を見る。
花を何輪か墓の前に置いて、死者への冒涜をする。いや、元々していたか。
左之助が隣にいた頃は、言葉にしなくても伝わった気がしたが、今は言葉にしないと伝わらない気がして、無口な俺は消えてしまった。
「俺は、もう行くよ。……他の人の墓も廻らないと」
立ち上がって左之助の墓を見ると、いつもよりもさらに低い目線で見つめないと視界に入らなかった。
不意に、喪失感に心が襲われた。左之助は、こんなにも変わってしまったのだと。
「ははっ、左之助お前、そんなに変わったしまったか」
紛らわせるために声に出してみたものの、それは逆効果だったようだ。
目からは涙が零れ落ちる。俺は、俺はどうすればいいのだろう。
「左之助、まだ、俺を見ててくれよ……」
まだ、まだ行かないで。
俺は叶いもしない願いを心の中で、願う。