凍える朝
庭から、素振りをしている音が聞こえる。
こんなに寒い朝からどうしたのだろう、と俺は重い身体を持ち上げ見に行く。
そこにはいつものように袖がない服を着ている左之助がいた。
「……寒くないのか」
どうも気になってしまって、声をかける。
すると左之助は、動きを止めて俺の方向へと走ってくる。
「今日はさみいからな。凍えないようにしてんだ」
「もっと、何かあるだろ。……例えば袖なしをやめるとか」
「うるせえ」
自分の考えが正しいと言うようにコイツは、俺の意見を否定する。
俺が座ると、応えるように左之助も隣に座る。なんだか、素振りという行動は待っていたのだと思えてきた。
「それにしても齋藤は寒がりだよな」
「そうか?」
左之助が言うには、いつも袖に手を入れているからだと言う。しかし、この行動は別に暑かろうが寒かろうが行っている事だ。
だが左之助の言うように寒がりなのかもしれない。この時期になると、どうも人の温もりが欲しくなる。
「はあ……さみい」
先程から、そのような発言を何度を口に出している左之助に違和感を覚える。
なんだか、何かを期待しているように。俺に何かをしてほしそうではあった。
空を見ている左之助を、よく観察してみる。しかしまあ、凍えてしまうのかと思うほど寒そうだった。
「なにかして欲しいのか?」
「だとしたらどうする?」
こう訊いてくるのは、きっと俺の勘が当たったということだろう。
「さあ?……例えば、暖かくして欲しいとかか」
図星だったのか、何か言いたげな表情だけ見せて顔を逸らしてしまった。
全く、子供らしい奴だ。
「暖まるのは大切だからな」
「だ、だろ?だから……」
どうしようもなく分かりやすすぎるコイツに、何処か幼き頃の見覚えのない自分の姿と重なる。
全く味わったことの無いこの日常に、重なる部分があったとは。
そう考えてしまうと、どうも寂しくなって温もりが欲しくなる。
「俺は、お前といるだけで暖かい」
素直になれない左之助を見つめて、少しだけ微笑む。
左之助はどこか悔しそうにして俺を見る。
「はあ、齋藤……お前は」
正直になれないのもまた、日常だ。
この凍える朝というものは、非日常なんかではなくて、日常に少しだけ温もりを足してくれる存在なのだと、俺は感じている。
光と影
「人間というのは、私利私欲にまみれてるなあ」
「熊手も人間だろ?」
「まさか。ほぼ神の俺様にそんなこと言うとはな」
人差し指に指輪を通している右手をギュッと握ると、強い眼差しで彼は拳を見つめる。
彼はどうも、その人間性が掴みにくいため、本当に人間ではなくなってしまったとかと、不安になってしまう時がある。
あんな自信に溢れている彼を、心配するだけ無駄だと思うけれど。
「そうだなあ……百夜陸王。お前はどうだ?」
腕を伸ばし、僕を人差し指で指す。
一体何を訊かれているのか、僕には分からなかった。
けれど、きっと自分の願いというのは、熊手真白の言う私利私欲なのだと、直観的に感じた。
「僕は、神になりたいなんて思ったことがないから。そんな客観的に見ることは出来ないかな」
「そうか。じゃあ質問を変えよう。お前の大切なその『玲さん』とやらは光か影、どっちだと思う?」
玲さん。玲さんは僕の人生において、全てを救ってくれて、全てを狂わせた男だ。
光と影。反対に見えるようで、実は反対ではない。それは、影というものは光によってでしか現れないからだ。
僕は、玲さんによって輝くことが出来たと思う。なら、玲さんはどちらなのだろう。
「僕にとって玲さんは、……僕を照らしてくれる存在だ」
熊手真白はいつものように座って、足を組む。何処か呆れたように、僕を見つめる。
「話が通じない奴だ」
「だけど__」
「いいか。よく聞け」
僕の口の前に人差し指を立てる。彼は片眉を上げて、いつものように偉そうな態度をとっている。
「光というのは影があるから成り立つんだ。その逆も同じこと。どちらかがなければどちらも、名前は付いていないだろう?」
「そう……だね」
「つまり、光と影というのは互いに依存しているんだ。なら、百夜陸王。お前は『玲さん』に依存しているのか?」
きっと僕は、顔を顰めていたと思う。眉間に皺を寄せて、長考していた。
熊手は、僕に一体何を伝えたいのだろうか。そう考えれば考えるほど、僕は玲さんの存在が分からなくなる。
「……分からない。僕には、その答えが」
回転式の椅子を回転させて、僕を視界から外す。
手には彼の大好物の蜂蜜を持って、そのまま直で飲む。
「お前には分からないだろうな」
「じゃあ、……君にはわかるの?」
鼻で笑う声が大きく聞こえる。肩を上げて、なんでも知っていそうに。
「さっきお前も言っていただろう。お前は神じゃないから客観視出来ないんだ。だから、俺様には分かる」
「その自信はどこから来るの……全く」
「お前とは違って、光と影の区別がついているからな」
「さっき互いに依存してるって言ってたよね?」
腕を組んで自信が滲み出ている雰囲気を醸し出す彼に、もしかしたら尊敬を示しているのかもしれない。
だが、一応僕も自分に自信があるつもりだ。ただ、玲さんとの関係に自信が無いだけで。
「ああ。そうだ。だが、今の世界では二つとも独立している。それはお前だってそうだろ」
「……確かに」
「あとな。自分が光になれば、影という仲間や敵が勝手についてくるだろう?」
熊手も、いつも神だと嘆いているだけだと思っていたが、どうやら色々なことを考えているらしい。
少し面白くて、口角を上げる。
「流石、自称神なところだけあるね」
「おいお前、馬鹿にしてるのか?」
勢いに任せてこちらを向く彼は、やはり何処か神になるには足りない気がした。
「さあ?どうだろうね〜」
「おい!……はあ、」
tiny love
抱えきれないほどの愛なんて貰ったことがなくて、ただ欲求が大きくなっていくだけだった。
まず、愛すら貰ったことのないやつが、そんなに大きな欲望を求めている時点で、何かの間違いなんだ。
だから、今、寂しいと思っているのは普通のことであって、適切な罰。
落ち着いて、深呼吸をする。息が少し荒い気がするが、そんなことはどうでもいい。
俺は一体、何を求めればいいのだろう。
「悪夢でも見てんのか?」
「うわっ……さ、左之助……か」
「齋藤お前、冷や汗すげぇぞ」
頬に手を触れてみると、汗が流れているのがよく分かった。
何故俺はこんなにも焦っている?恐怖を感じている?それとも、……いや、一体なんだ。分からない。
「うーん。齋藤、なんか欲しいのか?」
「……え?」
左之助は自慢の馬鹿力で俺の額を弾く。その時、やっと視界が明るくなった。
では俺は、何が欲しいのだろうか。物理的なものではないのは確かだ。
そうか。俺、愛が欲しいのか。
「お前、心当たりあるだろ」
図星。顔を顰めてしまった。
しかし、俺なんかが愛なんて貰っていいのだろうか。
『愛』というととても大きなものを想像する。一人の人から、沢山のものをもらう。そういうのが愛だと思っている。
「愛、……愛が欲しい」
左之助は犬歯を見せながら大きく笑う。
それは馬鹿にしているんじゃなくて、とても嬉しそうだった。
「そうかそうか。齋藤は、愛は貰ったことなかったか?」
「……ああ、貰ったことはない」
渡したことはあるのだろうか。考えたって、俺には覚えていない。
「なんか勘違いしてそうだから言ってやろうか?」
「なんだ」
俺の胸の辺りを強く人差し指で押した。強く、心に訴えているようだった。
「愛はそこまで高いところには居ねえ。小さな愛だって、それは愛なんだ」
そう、そう思っていた。けれど、どうも俺の欲求が邪魔して、それを認めたくなかった。
しかし、左之助がそう言うのなら、俺は小さな愛でも満足できるはずだ。
「……俺は、愛が欲しい」
もう一度、今回は芯のある声で。本気で。
先程よりもより一層明るい笑顔で、齋藤は俺の肩を叩く。
「あげてやるよ。小さいのでも、どデカいのでも」
暫く考えて、口が開く。
「俺は、小さな愛が欲しい」
消えない焔
この道を歩んできてよかったのか、よく疑問に思う。
手を伸ばしたら、握ってくれる相手は現れるのだろうか。
俺は今、一体何を目指しているのだろう。
ただ、自分の心だけを信じて、前に進んできた。
だが、それは果たして正しかったのか。これを否定すれば、俺の人生は無かったことになってしまう。
街が焔で燃え盛っている。一体、何故こうなったかなんて、分からない。
「左之助、早く逃げよう」
不意に、腕を掴まれる。強く握られたその手は、震えていた。
「齋藤……?俺、何して」
「知らない。だが、お前は戦っていたはずだ」
よく自分の姿を見てみると、左手には槍が握られていて、腕には籠手が装備されていた。
そうだ。俺たちは任務で街へと出たんだ。しかし、失敗して今の状況になったというわけか。
街の外れた所へと出る。走りすぎたからか、齋藤の息は上がっていた。
「大丈夫かー?」
「……ああ、大丈夫だ」
先程の街を振り返って見ると、夜だというのにその街だけは栄えているように明るかった。
消える気配のない焔は、まるで自由を求めるように上へと上がっていく。
悪い記憶の方が残りやすいという。それは、まさに今のことを比喩しているに違いない。
「左之助、みたいだな」
「あ?どういうことだ?」
「悪く聞こえたのなら、申し訳ない」
齋藤は街を見るのをやめて、川の方へと向かった。
月夜が反転して見える川の、川辺にしゃがみ込む。そこで齋藤は、刀と籠手を身から外した。
衝動的に俺は隣に行く。いつものような曇った瞳とは違い、何かしらの希望を抱いているようだった。
「お前も、あの焔みたいに消えなくて、燃えている」
「齋藤は一体、俺のことどんな目で見てんだか」
齋藤の隣に座る。
その瞳というのは、俺をそういう想いで見ている時の目なのだろうと、直観的に感じた。
座ると、どっと疲れがやってくる。俺はそんなにも、戦っていたのか。
「そうだなぁ……お前は、俺と真逆だな」
「……真逆?」
「おう。俺とは違って、儚くて冷たい。勿論褒めてるからな」
腕を組んで齋藤を横目で見る。齋藤は、今にも消えてしまいそうな顔で微笑んでいた。
焔だったって、なんだって。きっと消えてしまう時が来る。
だが、消えない焔というものだってあったっていい。
それが、今を生きる俺たちの希望となるはずだから。
「齋藤は、……俺の生きてきた道が正しいと思うか?」
沈黙の時間が続くと、齋藤は口を開いてくれた。
「さあな。俺は知らない。だが、きっと正しいと思える時が来るだろう」
「それ、本音じゃないだろ」
冗談交じりに言うと、齋藤は苦笑いするように口角を少しだけ上げた。
終わらない問い
答えのない問いというものに、人間はどうも答えを示したくなる。それは、好奇心によるものか、そういう使命が何処かにあるのかは、分からない。
その問いに答えようとし、解を探していくうちに、新しい問いが出てくる。
その時、人々は終わらない問いと言うのだろう。
限りなく哲学的なその循環は、自分との対話のみでしか解決することは出来ない。そう、勝手に思っている。
気がつくと、朝になっていたようで、昨日は考えながら寝てしまったらしい。
急いで筆を洗い、外へと向かう。そこには、血だらけの左之助が居た。
「おい、左之助?……起きろ…!」
身体を優しく揺するも、一向に起きる気配のない左之助に、動揺を隠せなくなった。
何故血塗れなのか、何故誰も手当もしていないのか、何処で何をしていたのか、俺には理解ができなかった。
「……っ、」
「左之助!」
目をゆっくりと開ける左之助を見て、思わず大声を上げてしまった。
「齋藤……?」
「お前、大丈夫か……?血だらけ、だぞ……」
本人よりも焦って訊くと、左之助は無理やり笑ってみせた。
しかし、自ら立ち上がろうとしている左之助は、手に力が入らないようで、すぐにバランスが崩れてしまった。
手を貸して立たせると、息が荒かった。
「俺、やらかしちまってよ……はぁ、」
そう言う左之助は、何処か冷静だった。
一方で俺は、知らないうちに左之助が死ぬかもしれなかったという不安と恐怖に駆られていた。
「そうか。……無事なら、なんでもいい」
医務室に向かい、止血をし、血を拭う。左之助が出来ると言っているのに、衝動的に全ての治療を行ってしまった。
きっと目が泳いでいたのだろう。下を向いて左之助を見ないようにしていたのに、どうも落ち着かなかった。
不意に、頬を掴まれて顔を上げられた。左之助の顔を見ると、安心できた。
「齋藤、大丈夫か?」
「俺は大丈夫だ……左之助も、重傷じゃなくて良かった」
「おう、そうだな」
俺を安心させてくれるように、左之助はいつもの表情で笑う。
心配しなければいけないのに、逆に心配されている現状に、自分の弱さを感じた。
左之助は、頬に貼ってある綿紗を手のひらで覆いながら、胡座をかいた。医務室から見える木を見ながら、俺に話しかける。
「……なあ、どうして、争いは無くならないと思う?」
終わらない問い。答えを探そうとすると、きっと争いがまた始まってしまう。
そういう問いには、一つだけ答えに近づくための答えが存在するのを、俺は知っている。
「人々が、左之助のようにその問いについて考えるからだ」
皮肉のつもりで言った訳では無いが、そう聞こえる言い方になってしまった。
いつもなら言い返してくるのに、今回は言い返してこなかった。ただ、木だけを見ていた。
「なるほどな。……分かんねえなぁ、人間ってのは」
今の戦いは、何故起こっているのか分からずに戦っている人もいるはずだ。
循環していくうちに、問いというものは原型を収めなくなる。
左之助は横目で俺を見つめる。その顔は、志があった。
「齋藤」
「……」
「お前は、こんな世界に飲まれんなよ。さっき俺のことを心配してくれたように、純粋に、生きろ」
気づいたら、下を向いていた。
流したことのない涙が、目から流れ落ちてくる。
「俺は……、どうすればいい」
「ずっと、考えるんだ。終わらない問いを。考えて、考えて、答えが出るまで生きれば、俺はそれでいい」
左之助はきっと、先程の問いのように、答えのない問いを考え続けて現実から目を離しているのだろう。
現実を直視するのが、難しくなってきたこの時代は、狭苦しく感じた。