揺れる羽根
雨は嫌いではない。むしろ好きな方である。
だが、外に出るのが億劫になるのが唯一の難点だろうか。
桜が咲いていたはずの木が成っている庭を眺めている。雨のせいか、外は鉛色の空だった。
座る体勢を直そうとすると、内揚げのところからカチャッという音が聞こえてくる。
刀が鞘の中で動く音は、好きではない。こんなに平和な時間に、争いのことを思い出すからだ。
「今日は寒いっつーのに、よくそんなところに居られんなあ……」
こんなに寒いというのに、袖なしで過ごしているような奴に、そんなことを言われても響かない。
だが、確かに今日は一段と寒かった。
「お前も、寒くないのか」
「いや、クソ寒い。だからお前を探していたんだ」
こんなに淀んだ天気が、カラッとなくなるほどに明るい笑顔を放つ左之助は、俺の手を握って何処かへと走っていく。
倉庫に辿り着くと、そこには羽毛が沢山あった。
「左之助、それ、どうしたんだ」
「気になるよなー、俺も分かんねえ。暖まろうって思って布探そうとしたら、こんなんがあったんだ」
そう言うと、左之助は羽毛が入った大きな入れ物に、手を勢いよく入れた。
あったけぇ!大声で笑いながらはしゃいでいる左之助を見て、何故アイツが袖なしで過ごせているか分かった気がする。
「齋藤!お前も入れてみろよ!」
「……いや、俺は」
「はあ、……まあ、そう言うと思ったけどよ」
満足したのか、左之助は手を抜いてこちらを見つめてくる。その表情は、何処か申し訳なさそうだった。
「なんか悪ぃな。俺だけ暖まって」
いや、全くそんなことはない。
「俺も、暖まれた」
「ああ、?本当か?」
コイツが袖なしでも活気が溢れているのは、きっと見えることのない羽根が生えているからだろう。
その羽根が左之助をずっと、ずっと守っている。
「……ああ、本当だ」
どうやら俺の口角は、上がっていたらしい。
それを見て驚いたのか、左之助は穏やかな表情で微笑んでいた。
それに対応するように、左之助から生えた大きな羽根は、ゆっくりと揺れていた。
秘密の箱
最近は物騒なことが起こらなくて、本当に争いが起こっているのかと不安になる。
そんなことを思いながら、屯所の掃除を行っていた。
ふと、見たことのない箱が淋しげに置かれていた。
新しい薬箱なのかと思い、手に取って片付けようとした。すると、見ていたのか、大きな声で箱を取り返しに来た左之助がいた。
「あ!おい!触んじゃねぇ!」
抵抗する理由もなかったので、左之助に素直に返した。
左之助は、その箱が硝子なのかと思えるほどに、丁重に扱っていた。そんなにも大切にするものだから、中身に何が入っているか気になった。
しかし、左之助はその箱にしか意識が向いておらず、こちらの話を聞いてくれる雰囲気ではなかった。
まあ、気になったら訊く他ないが。
「左之助、その箱は何が入っているんだ」
「ああ?この箱が気になんのか?」
「嗚呼。お前がそんなに物を大切に扱うことないだろう」
皮肉れた言葉をかけても、反応してこないほど箱に意識を向けている左之助は、箱を見つめて少し考えていた。
いつものような活力が漲っているあの大きい背中とは違い、今は小さい子供のようだった。背中を小さく丸めて、自信のなさが表れていた。
「……これは、秘密の箱だから」
「秘密?」
「俺の、大切なものが入った、大切な箱」
そう言うと、安堵するように微笑んだ。
「中身は、教えてくれないのか?」
すると左之助は、ゆっくりと俺の方向を向いて、目を瞠いた。
先程のような弱々しい姿はなくなり、いつもの姿に戻っていた左之助は、思いっきり俺を指さした。
「齋藤、普通訊くもんじゃねえだろ。こういうのは」
「……すまない」
左之助は大口を開けて笑ったあと、何処か寂寥感の感じられる表情をして、遠くを見た。
「まあ、いつか見せてやるよ」
「そうか」
「俺が死んだ時は、お前がこの箱を持ってろ」
突如そんなことを言うものだから、俺は唖然としてしまった。
「俺が、……お前より長生きする保証はないだろ」
「だから、長生きしろよって話だ」
俺の肩を強く叩くと、アイツは部屋を出ていった。
無人島に行くならば
きっと、想像力が豊かなのだと、そう思う。
それを話したところで、現実的にはありえないことだ。
無人な島に辿り着くには、どのくらい波に流されればいいのだろう。
いや、行くならば、と言っているのなら、わざと流れにいっているのか。そうしないと、持っていきたいものを持っていけないから。
「馬鹿らしい」
「はあ?お前、今なんつった?」
現実的に考えてしまう俺は、想像力が豊かな人と分かり合えない。
だからといって、今発した言葉は自分でも違う気はした。
「いいだろ、夢があって。齋藤は憧れねえのか?」
不意に質問が回ってきて、思考を巡らせる。無人島に憧れを持つということは、どういうことだろうか。
「……それは、脱走したいということか?」
「馬鹿!……そんなわけねえだろ」
そう言う割には、急いで近づいていて小声で話してくる。
無人島。それは夢のような世界かもしれないし、現実よりも辛いものかもしれない。しかし、不確かなものというのは、希望だけを信じる。
「まあ、希望を持つことはいいことだ」
その言葉を放つと、左之助は間抜けな顔をして固まっていた。
もしかして、そんなに深く考えていなかったのか。
「あ、ああ……それで、齋藤は何持っていきたいんだ?」
こういう場合、基本的には持っていける物はひとつだ。だが、俺の考えだと流れにいっているのなら、便利なものを何個を持っていくのがいい。
そんなことを話して何個も案を出したら、それこそ左之助に馬鹿にされてしまう。
ここは常識というものに従って、ひとつだけ案をあげよう。仕方なく。
「俺は、刀さえ持っていればいい」
「へー、俺とかじゃねえんだ」
「馬鹿言え」
そういえば訓練中だったことを思い出し、木刀を力強く握り半丸頭で鳩尾を狙う。
「いたっ!……齋藤!」
無人島なんて夢のまた夢。
来世に期待して、俺達は今を生きる。
秋風
秋風というものはどうやら、始まりを告げる意味もあれば、終わりを匂わせる意味もあるらしい。
だとしたら、今吹いている風は、俺に対してなんと言っているのだろうか。
秋風というものは物理的には、ただの立秋が過ぎたことを告げる蕭条とした風だ。しかし、それは比喩的なものになると、愛情が冷める、関係が終わってしまうという意味もある。
そんなことを思い出すと、秋風が髪を靡かせる度に、心がざわつく。
書物を書き記していると、そんな風が吹くのを感じた。こんなに風当たりのいい場所にいるのが悪いだろうが、何故か居心地がいいと思ってしまう。
夏が過ぎたあとの風というものは、より一層涼しく感じられる。
「斎藤、こんな夜までそんなもん書いてんのかよ。あ、もしかしてやってなかったのか?」
やっぱお前もそういう性格だよな、と背中を叩きながら微笑んでくる。
そうだ。基準以上の成績があったところで、優等生という訳では無い。ただその学習に得意だったか、数字で現れてしまう時だけ頑張っているかのどちらかだ。
「……左之助は、何故起きているんだ」
「そうだなぁ……寝たくなかったんだよ。秋を感じたかったんだ」
「邪魔はするなよ」
こんな狭苦しい部屋で、二人というだけで空気が狭くなる気がする。
左之助は寝そべって、秋風を感じているのか、爽やかな顔をしている。
ふと、思い出す。秋風は、関係が終わってしまうという比喩もあると。比喩だと分かっているのに、左之助は俺にそんなことを言いに来たのだと勘違いしてしまう。
仲間のうちは、きっと関係は切れることは無い。仲間ではなくなったのなら、俺はそこで関係を割いてもいいと、そう思っている。
……はずなのに。
「…………左之助」
「んあ?なんだよ」
「秋風は、まだ立たないよな」
二人の間には、秋風が穏やかに吹いている。
振り返らず、ただひたすらに書き記している手は、今は止まってしまった。しかし、振り向いて左之助の姿を見ることは出来なかった。
暫くもしないで、返事が返ってくる。
「そうだなあ、俺達の間にゃあ、まだ立たねえよ」
その言葉を聞いて、俺は振り向く。
「……そう、か」
猫だましをするように、俺の目の前で左之助は、思いっきり手を叩く。
「ほら、早く書け。こんな時間まで起きてるから余計なこと考えんだ」
「うるさい。分かってる」
どうも本音が言えなくて、俺はまた手を動かし始めた。
予感
いつもと違うことをすると、きっと何かが起こる。
そんな予感がする。
一段と寒くなってしまった今日は、何もする気が起きなかった。
あんなに満開だった桜の木を見て、今の季節を実感する。あの華やかな春は、一体どこへと行ったのだろう。
そんなやる気がない今日に限って、周りに人が集まってくる。……いや、俺が誘いに乗ったのが悪いのか。
「総司から誘ってくるなんて、珍しい」
「なんだか今日は、自由になりたくて。いつも二人は自由でしょ?」
左之助の言う通り、沖田から盃を交わそうとしてくるのは珍しい。たしか、酒を呑むのは御法度だった気がする。
沖田から見る俺と左之助は、どうやら自由らしい。あまりそんなに自由だと思ったことはないが、この環境では何をしてもいいと、気が許せるということにしとこう。
俺達とは違い、純粋な目を持っている沖田は、盃に酒を入れてくれる。
三人という人数にも関わらず、周りには静寂が漂っていた。ただ布が擦れる音が、五月蝿い程に耳に入ってきた。
「なあ、総司」
静寂を破るように、左之助が沖田に質問を投げかける。
「どうしたの?」
「どうして、自由になりたかったんだ?」
いつもの様に胡座をかき、手に全ての力を預けるようにもたれかかっている左之助は、盃の中に入っている酒を見ながら、そう言った。
何故か沖田は、俺の目を見ていた。
「左之助と斎藤さんが、どこかへ行ってしまいそうな予感がして……」
悪気は無いのは痛い程分かるが、俺達は意味がわからなくて目を丸くしていた。左之助と目が合った時、アイツは本気で信じていたようで、動揺していた。
「そんなに深い意味は無いんだ。……ただ、今日はそんな気分にさせるってだけで」
そんなことを言っている沖田が、一番儚かった。手を伸ばしたらそこにはもう、コイツは居なくなっていてしまいそうだった。
酒を一杯呑んで、一度落ち着こうとした。酒というものは凄まじく、心が安定することが出来た。
「……沖田は、未来を見てしまったんだろう」
予感という言葉は、未来を感じ取る、そんな意味だ。
「そう、なのかな」
確証が持てない沖田に、左之助が話しかける。
「今俺たちが居なくなるわけねえだろ」
「そうだね。二人は、そんな野蛮じゃない」
その予感が、実現されるまで俺達が離れることはない。
俺達はまた、酒を一杯口に入れる。