沈む夕日
「今日は大変でしたね。九条先生」
「ええ。烏丸先生は大丈夫ですか?」
この人は、感情がないようである。僕はそれを知っている。悪徳弁護士だとか呼ばれているが、それは優しさということも、僕は知っている。
「……はい。僕は大丈夫ですよ」
「そうですか。……今日は天気がいいですね」
九条先生が指さしたのは、橙色に染まった夕日だった。ちょうど沈むくらいだろうか。
沈む夕日というのは、今日の行いを表しているように思えた。僕たちは、この夕日を見れる限りは、正しい道へ歩めている。
「ねえ。九条先生」
「はい」
「……今日、母親に会いに行くんですけど、何あげたらいいですかね」
「夕顔という花があるのはご存知ですか?」
夕顔。確かウリ科の花だったな。夕方に咲いて翌朝には萎んでしまう花だ。
「ええ。なんとなくは」
「私は……母親には花が似合うと思うんです。私の母親しかり、烏丸先生の母親しかり」
「でも、なんで夕顔?」
「儚いからです」
ほとんどの場合、僕が九条先生に質問をすると無視される。しかし、今日はそういうことでもないらしい。
儚い、ね。もしかしたら九条先生は、花の美しさよりも花言葉や意味を優先する人なのだろうか。もちろん、夕顔は美しい。今の沈む夕日にピッタリな花だ。
夕顔の花言葉……知らないな。
「じゃあ買っていこうかな……」
「しかし、咲くのは7月から9月、ですけどね」
何が面白いのか分からないが、僕の困惑している顔を見て笑っているのか。とりあえず笑っていた。人をおちょくるのが好きなのか。この人。
「九条先生に聞くのがダメでした」
「開花期間には必ずその花、買ってくださいね。……そうですね。今日は、日本一のたこ焼き……」
「それは嫌です」
九条先生が運転してくれる車が、トンネルに入る。ちょうど夕日が見えなくなり、ライトの光に包まれる。
長いトンネルを抜けると、もう夕日は見えなくなっていた。やはり、夕日というのは儚い。
「あ、着きましたよ。日本一のたこ焼き」
「九条先生……そんなに食べたいんですか?……奢りましょうか?」
「では、お言葉に甘えて」
疲れた足で、行きたくもない店に向かう。別にこの時間は嫌いではない。家族同然だと言ってくれた九条先生には、親孝行をしなければならない。
九条先生の分だけを買おうとすると、九条先生はしょげてしまった。仕方なく、僕は母親の分を買う。九条先生の話をする機会を作るには、ちょうどいいのかもしれない。
「ありがとうございます烏丸先生。持つべきものは部下ですね」
「そうですよ九条先生。……もう少し人手が欲しいです」
「それは……難しいですね」
その儚い横顔を見て分かった。この人は、僕を失うのが怖いのだろう。
いや、そんな訳ないか。
僕たちは車へ戻り、沈みきった夕日に向かって走り出す。
君の目を見つめると
君の目を見つめると、私のしてきたことが悪だと思えてくる。
君の瞳は特別だ。何かしらの闇を抱えておきながら、ずっと前を見ている。後ろを振り返ると亡霊にでも殺されるかのように、彼は目を逸らすことはなかった。
けれどそんな彼も、どうやら私のやり方に飲まれていっている。だが、その瞳だけは相変わらず、断固たる決意を持っていた。
「……」
コーヒーを嗜む時間というのは、無駄ではないと私は思う。それは、ルーティン化してしまったからでも、コーヒーを飲まないとやっていけないという訳でもない。
コーヒーはリセットしてくれる。飲むと、風味を味わいたくて今まで考えていたことを奥底にしまう。そして、その考えをそのままにしておくことができる。そう私は考えている。
「九条先生。流石に飲みすぎじゃないですか?」
「……」
君の瞳のせいだ。とも言えないまま、私はコーヒーを口に入れる。
「私は、弁護士というものは法律に依存しているの考えています」
「そりゃあ、そうですよね」
「それでは烏丸先生は、何に依存していますか?」
「……さあ。分かりませんよ。昔から無頓着なもので」
なるほど。彼は前を向いているのではなくて、前を向いて暇を潰しているのかもしれない。だが、そんな人間私は今までに見たことがない。
家庭では、常に今を見ることで精一杯な自分と、数歩先で私のことを見下すがために後ろを振り返る父と兄。そして亡き母。誰も前を見ている人なんていなかった。
「……どうしたんですか?九条先生」
「君の目を見つめると、私のしてきたことが悪だと思えてくる」
「は、は?」
「私は思想なんて持ち合わせてはいません。まして、法律に組み込むなんてもってのほか。ですが……」
「……それは僕が思想を持っているということですか?」
「いいえ。私は、君の目に惹かれているようですね」
「……え?」
そこに目はあるのに、そこから見つめていないような気がしてままならない。君の目というものは、私にとっては重要な意味を生す。
彼は私から目を逸らさない。彼もまた、私の目を見ている。
「でもその、悪だと思えてくるっていうのは……嘘、ですよね」
「…………烏丸先生。コーヒー、飲みますか?」
「……はい。まあ」
星空の下で
「九条先生、……今日も、コーヒーいただいてもいいですか?」
「……いいですよ。もちろん」
時刻は深夜二時をまわっている。なのに、どうして僕は九条先生のコーヒーを飲みたがっているのだろう。
テントからゆっくりと立ち上がり、いつものように火をつけ豆を煎る。その赤い炎が、僕の目に焼き付く。九条先生は相変わらず、疲れている形相をしている。
「……烏丸先生」
「はい。なんでしょう」
「今日は、空は見ましたか?」
「あ、いえ……見てない、です」
そう言われた瞬間に、空を見上げる。今日は天気が良かったのか、星が眩しいほどに輝いて見える。
九条先生の発言のお陰で、僕は下を見て歩いていることに気づいた。
九条先生はヤクザや訳ありな人達だけを弁護する。それに怖気付いてしまったのか、僕は怯えながら生活しているのか。
「烏丸先生。なにか、困り事でもありましたか?」
「…………」
「……私たちはなぜ、地球という惑星から星を見ているのでしょうか」
九条先生はそう言うと、僕にコーヒーを渡した。感謝をして一杯いただく。柔らかく優しい風味が、口いっぱいに広がった。
「そりゃあ、僕たちが地球で暮らしてるから……」
「そうですね。それが正しい答えです。ですが、それならば宇宙飛行士はなぜ、宇宙に旅立ち星空を見ているのですか?」
「は、はあ?……宇宙飛行士は星空を見るために宇宙に行ったわけではないと思いますけど……」
「そうですか……」
なんなんだこの人。一体僕に、どんな言葉を吐いて欲しいと思っているんだ?
「あの九条先生……つまり、どういうことですか?」
九条先生は右手にコーヒーを持ちながら、空を見上げる。九条先生の瞳に入ってくる星空の光は、僕たちが星空の下、つまり地球で暮らしていることをさらに分からせてくるようだった。
「規模を大きくしても、疑問というのは同じ大きさなんです。今私が抱いている疑問も、烏丸先生が抱いているであろう疑問も、疑問という点で見れば大差はない」
僕が今抱いている疑問。それは、僕でも分からない。だが、明らかに心にざわつきがあるのは確かだ。
「でもね烏丸先生。そう言って他の人と同等だろと笑ってくる人は、許してはいけない」
「……」
「私に対しての疑問ならば申し訳ないです。それはお答えすることは出来ないかもしれない」
「…………元々答える気ないでしょ」
キョトンとした顔で九条先生は僕を見つめた。その後、父親のような優しい顔で笑った。
「そうですね。確かに」
「……肯定しないでください」
僕は星空を見ながら、また一杯、コーヒーを口に入れる。
1000年先も
得た仲間というのは、失うものではないと思っていた。
だから、目の前が真っ暗になってしまった。俺以外、全員いなくなってしまって、また孤独というものを味わう羽目になった。
どこにも行かないで、なんて言ってももうアイツらは居なくなった。じゃあ、俺はなんて言えばいいのだろう。
みんな、俺と一緒にいてくれるのが当たり前だった。一緒の家に住んでる禽次郎を筆頭に、陸王、竜儀、角乃、熊手。みんな敵であったけど、俺はそうとは思えなかった。
戦っていくうちで段々と、俺の心は満たされていった。これが俺が望んでいた、孤独ではない空間。
『吠くん』
なんだよ陸王、そんな悲しそうな顔して。いつもはもっと、自分のこと大好きみたいに自信持ってただろ。
『遠野』
竜儀も、なんだその顔。まるで子供でも見る目だな。俺はもう、20歳は超えてるんだ。
『吠っち』
禽次郎、今そんな呼び方で俺を呼ぶような雰囲気か?まあ、そこも禽次郎らしくていいけど。
『吠』
角乃、いつもみたいになんか話してくれよ。いつもみたいに、俺らをまとめてくれよ。なあ、
『二代目』
おい、熊手。俺にはちゃんと遠野吠っていう名前があるんだよ。俺を認めたくないのか、なんなのか分かんないけどさ。
「陸王」
……誰もいない。
「竜儀?」
……いない。
「角乃、?」
……なんで。
「おい、禽次郎……」
いない、いない。
「熊手……?」
もう、誰もいない。俺を庇って、世界を守ろうとして、みんな、消えていなくなった。
「俺は……」
俺は、みんなの為になにかしたか?世界を守るためになにかしたか?
_バンッ!
机を叩いて、髪の毛を引っ張る。まだ生きてることを実感して、辛くなる。
「…一人は、やだよ……」
もう誰も言い返してくれない現実が存在する。
俺以外のみんなは願いを叶えるために頑張っていた。なのに俺と来たら、願いすらない。あんなに時間があったのに、願いを見つけられていない。
でも、ここまで来たら俺がすべき願いはそこにある。
何年先でも、1000年先でも、なんだって会えるなら待ってやる。
だから俺は、みんなにまた、会いたい。
「俺の願いは……」
遠い日のぬくもり
こんなとき、父ならどうするだろう。
何年も前のことで、顔すら忘れてきている自分に苛立ちが抑えられない。
思い出したくても思い出すことができなくなって、涙が勝手にこぼれ落ちる。
私の大好きな父は、無惨に人生を終えた。私は、父のようになりたいという夢を切り裂かれ、今の道を歩んでいる。
この人生でよかったのか、この道に来て良かったのか、今でさえ自問自答が止まらない。
裁判を終え、法廷から帰ろうとするところで男に話しかけられた。
「御剣」
「ム、どうした?」
声の主は成歩堂だった。彼はいつものように明るい笑顔で私に話しかける。
「この後暇か?」
「まあ、予定は……ない」
成歩堂の横からぴょこっと真宵くんが現れた。私の言葉を聞いて嬉しそうにしていた。
「やったね、なるほどくん!ミツルギ検事さん、ボウネンカイ、しません?」
「真宵ちゃんがどうしても『忘年会』してみたいらしくて。どうだ?」
「ムぅ……別に、構わないが」
今日の夜だけは、独りで過ごすことが難しいと思っていたところだ。とは、2人には言えないな。
彼女は寒さを忘れさせてくれるほどに大きく喜び、私たちは成歩堂の事務所へと向かうことになった。
私もボウネンカイなるものはしたことはない。たしか、一年の苦労を忘れ、ネギラウものであったか。
事務所に到着し、成歩堂がどこからか缶ビールを取り出す。
「成歩堂、真宵くんは飲めないだろう」
「飲ませる気なんてないに決まってるだろ!これは、俺と御剣のだよ」
「ミツルギ検事何言ってるんですか〜!頭が硬いにもホドがありますよ!」
ビールという存在が久々すぎて、自分のものではないと勘違いしてしまった。
ビールを飲んだことがあるだろうか。検事になったから、忙しかったからか。飲んだことは無いかもしれない。
最後にソイツを見たのは、記憶の限りでは父が飲んでいた気がする。父は仕事終わりのビールは特別だとか言っていたっけ。
「もしかして御剣、飲んだことないのか?」
「多分……ないな」
「えっ!は、はあっ!?どんだけ忙しいんだよ!」
「いや、なるほどくん……私たちが暇すぎるのかも」
成歩堂は胸に手を当てて崩れ落ちた。成歩堂の事務所は、いつもこんな感じなのだろうか。私は、ずっと一人だからな。
素直に、憧れという感情が湧き上がってしまった。
二人を見ていると、遠い日のぬくもりを思い出す。父とはこんな会話をしてきた訳では無いが、こんな対等に話せたのは父だけだ。
父亡き後、先生やメイなど、同い年な人はいなかった。だから、どこか狭苦しかった。
父のように、気軽に話せる人が隣にいて欲しかった。
「御剣?」
「あ、ああ。すまない」
「カンパイしましょー!!」
私もこんなふうに好奇心旺盛な子供の方が、父も喜んでくれただろうか。
……考えても、もうムダか。私は、大人になってしまったのだから。
事務所には、彼女たちの楽しそうな声が響き渡る。
「御剣も、だろ?」
どうやら私の考え事は、伝わってしまったらしい。
「……今日は、楽しむとしよう」
二人は私を見た後、二人でハイタッチをしていた。
微笑ましいとは、まさにこの事だろう。
私たちは、存分にボウネンカイというものを満喫した。