祈りの果て
死んだ人に向かって祈ったところで、その人は戻ってこない。仏になれと祈ったところで、仏になったかなんて分からない。
適当な仏教を並べては、浄土宗だの浄土真宗だの。僧侶がやってきて枕経を並べる。
祈りの果てに人は、最期に静かな真実を見つける。願っていた祈りは、きっと最期には叶わないと気づく。
「左之助。お前は、葬式に行ったことはあるか?」
「何だ急に。あるけどよ」
「家族は、どういう気持ちで亡き人を見ているのだろうか」
「斎藤は家族の葬式に参加したことないのか?」
「……いや、ある」
幼き頃から今までで、数年事に身内が三途の川を亘っていった。しかし、どうも自分事として捉えることが出来ずに過ごしてきた。
きっと自分が、無宗教だからだろう。それとも、家族に対して何も考えたことがないから?
左之助は少し驚いたようにした後、考える姿勢をとった。
「俺は……三昧場まで葬列してく時が一番悲しかったな」
「何故?」
「もう、生きてた頃の姿が見れなくなるからな。火葬されて、御骨になって」
生きていた頃の姿が見れないというのは、それほどに悲しいことなのだろうか。
ああ、悲しいだろう。俺は家族だけだと思い込んでいたが、もし左之助が死んだ時も葬式に参加するのか。
左之助が骨になってしまったら、もう生きていないのだとさらに自覚してしまう。
祈ったところで、それは最期に真実になって現れる。
「まあでも、俺は葬式自体は悲しいものだと思ったことはねえな」
「……本当か」
「ああ、亡くなった人が三途の川を亘って、仏様になるんだ。悲しい事じゃねえだろ?」
俺のことを横目で見て左之助は、片眉を上げる。
難しいことは自分にはよく分からない。人に対しての関心が、人一倍なかったから。
しかし、左之助のような奴を見ていると、普通の生活をしてみたかったと心の底から感じてしまう。
これは、祈りというものだろう。
「分からない。それが、悲しいことではないという事が。俺には、」
「いいんじゃねえの?」
そう言って優しく微笑んでくれる左之助は、これから亡くなる可能性のある人間だとは思いたくないほどに輝いていた。
俺は、最期には無意味だと気づいてしまう祈りを、左之助に捧げている。
死んで欲しくないと。消えて欲しくないと。
「斎藤は多分、仏とか信じてねえからだろ」
「……ああ、居るとは、思っていない」
左之助は俺の肩を思いっきり叩いて、真剣な眼差しで俺を見つめる。しかしその目つきは嘘だったようで、すぐにいつもの様になる。
「信じた方がいい。俺が言うんだから間違いねえ」
そう言うのなら、俺はいつものように返す他ないだろう。
「お前が言うのなら、……間違えなのかもな」
苦笑いをして左之助を見つめると、立ち上がって大きく身体を動かす。
「おい!なんでだよ……全く」
そう言う割には、左之助は何処か嬉しそうだった。
心の迷路
「……僕って、なんなんだろう」
珍しく沖田がネガティブな言葉を口に出す。
誰しも迷い苦しむことは来る。それを真に受け止めた時、人はみな死という存在を選んでしまう。
迷路で例えるに、出口を見つけられなくてリタイアしてしまうようなものだろう。
隣に左之助もいないので、俺がその質問の答えを言ってやらないといけない。
「俺には分からん。……だが、自分の身体と心が一緒だと思ったことは無いな」
「斎藤さんも、そう思う時があるの?」
「いつも、だ」
いつも迷っては出口を求めている。だが、一人で探して出口を見つけられなことなんて、一度もない。
そう考えると、俺は孤独ではないのかもしれない。
「……いつも、苦しんでるってこと?」
その無鉄砲な発言に年下らしさを感じるも、迷っている姿はどうも年下とは思えなかった。
きっと沖田は、俺よりももっと先を見据えて、苦しんでいるのだろう。考える必要も全くない、ただの妄想に近い現実に。
「ああ。だが、いつもその時には隣にいるんだ」
「何が?」
隣にいる。否、隣に来てしまっている。行ってしまう。そうじゃないと、不安で仕方がないから。
心の迷路に迷った時、解決する方法としてはその迷路を共に解いてくれる人が隣にいることだ。その人と共に歩めば、必ず出口は見える。
つまりは、一人で抱え込んでしまっているというだけ。
一人で苦しんでいる時、この世で一番苦しいのは自分だと思い込む。それは単なる勘違いであって、本当はみんな苦しいのだと。
「総司と斎藤、珍しいな」
俺と沖田はその声に反応して振り向く。そこには、案の定左之助の姿があった。
「……沖田」
「なに?」
「コイツが、いるんだよ。いつも」
何処か皮肉ったように言ってしまっが、いつも尊敬していて、とても頼りにしている。
直接的に行ったことはないが、いつも共にいるというのがその証拠だろう。
「あ?悪口か?」
「左之助、違うよ。斎藤さんは、左之助を頼りにしてる。そうでしょ?」
「ああ、そうだ」
素直に褒めると顔を逸らしてしまうのが、左之助の面白いところだ。
喧嘩したって、意見が違ったって、それは短所ではなく長所になる。しかしそれはそういうのが短所と自覚して始めて、長所として扱える。
「……確かに、二人ともいつも楽しそうだね」
どういう場面からその言葉がでてきたのか分からず、目を丸くしてしまった。左之助も同じなようで、目が合ってしまった。
気が合う、といえばそうなのだろう。心に介入してきたって、不快感を感じないのが一番いいところだ。
「総司は、楽しくないのか?」
そういえば沖田は、今悩んでいた。俺との相談で、解決の糸口が見つかっていればいいのだが。
沖田は今までとは違い、爽やかな表情で笑みを浮かべる。
「楽しい。ふたりがいるから」
俺と左之助は下を向いて静かに、大きく笑う。
「ふたりは、僕が苦しんでる時に助けてくれる?」
年下らしい甘えた声で、俺たちに尋ねる。だがその表情は志があって、否定できなかった。
否定するつもりは毛頭ない。そう信用できる相手だからだ。
「……勿論」
「総司、心配すんなって。な?」
左之助が沖田の肩に手を回して、気分上々なのか大きな口を開けて笑う。
こんな平和で暖かい日々が続けばいいと、心から思っている。苦しい程に。
寂しくて
夜というものは、自分でも感じたくない感情を浮かび上がらせる。
それは果たして、自分の今感じているものなのか、夜という現実がそうさせているのかは、分からない。
月夜に照らされて、少しばかり空を眺める。
誰もいないこの空間は、嫌いではない。ただ、寂しいだけだ。
この瞬間に誰かが来て欲しいわけではない。だが、隣にいるともっといいのにとは思う。
自分の手を見る。俺は一体、何を気にしているのだろう。
ただ寂しくて。寂しかったら、俺はどうなる?
「……分かんねえ」
こんな夜中に起きている人なんて誰もいない。起きている人がいたとしても、きっと仕事をしていて俺の声に気づいてはくれない。
俺は、それでいいと思っている。独りの方が自分の好きなような自分でいられるから。
でも、それは自分なのだろうか。
考えたくもない思考の話題が、脳内を駆け巡ってしょうがない。
きっと、こんなことを考えなくなって独りな現実は変わらないし、寂しさを埋める何かが現れる訳でもない。
そういう風に、世界はできている。
そういう風に世界はできているから、俺は今寂しいと思っていて、それを埋めてくれるなにかに期待している。
「寒くないのか」
「齋藤……」
「どうしたんだ、こんな夜更けに」
俺を見下すような目線から、同じ目線になるように齋藤は腰掛けた。
「なんか、寂しくて」
きっと寂しいのは、こんな夜更けまで起きているからだろう。なら、さっさと寝ればいい。
なのに何故起きているのか。それは、齋藤が隣に来るって思っていたから。
「……そうか」
俺とは違って齋藤は、どこか鈍感な部分が多い。だから、本音を言わなくてもバレることはあまりない。
そんな性格だからこそ、俺は自由にやっていける。
ああ、俺、やっぱり誰かが隣にいて欲しかったのかな。
寂しさを埋めるのは、隣に誰かがいるのが一番だ。
「齋藤は、どうしてここに?」
「左之助の声がしたんだ。……なんと言っていたかは忘れてしまったが」
きっとこの沈黙は、嘘を言っている時の沈黙だ。
「へえ、聞こえちまったかぁ」
「聞いて欲しくなかったか」
「いや?全然。むしろ嬉しい」
いつもなら俺は、照れながらその発言を口にしているだろう。その為か、齋藤は何処か唖然としていた。
「……月が、綺麗だな」
お前の方が綺麗に見える。なんて言葉は口が裂けても言えない。
「ああ、綺麗だ」
寂しくて独りになるのも、悪くはない。
心の境界線
きっとアイツとの関係性は思ったよりも曖昧なもので、理解できていない。
俺ができていないだけかもしれないが、それでも、だからこそ少し踏み入れるのが怖くなる。
嫌われたくないって思って、曖昧な行動ばっかして。
こんなこと考えているなんてまるで恋をしているみたいだ。そんな自分が、嫌になる。
「なあ、齋藤」
米を頬張りながら左之助は、箸を俺に向けて話しかけてくる。マナーがなっていないと思いつつも、口に出すことは出来なかった。
「お前、こういう時は姿勢悪いよな」
「……うるさい」
「はあ?本音を言ってあげてるだけだ」
『本音』。その言葉は、俺に今足りないものだろう。きっと、誰に対しても本音で話したことがないのだろう。
それは果たして良いことなのか。何が一体俺をそうしたのか。分からなくてもいい事ばかりをかんがえ、どこか苦しくなる。
食事を済まして、稽古の時間になる。教える立場ではあるものの戦う立場である俺達も、日々稽古に取り組んでいる。
左之助は面倒くさそうに胡座をかいて、欠伸をしている。
「なんだよ。こっち見て」
気がついたら、俺は左之助のことを見ていてしまったようだった。
自分でもうんざりするほどの本音を口に出せない瞬間は、消えて欲しいと思う。
「すまない。……なんでもない」
「いやあ?なんかあるだろ」
そう言って勢いよく立ち上がり、俺の方向へと近づいてくる。
俺よりも少しだけ小さい背丈で、左之助は俺の目を見つめる。目が合うことに慣れていないせいで、目が泳いでいたと思う。
「な、なんだ……いきなり」
何故か恐怖すら感じてしまって、声に出さないと耐えられなくなった。
左之助はニヤリといつものように子供っぽく笑って、大きく口を開けた。
「俺に嫌われたくない、とかか?」
どこの文脈からも合わないその発言は、図星だった。
動揺してしまって、冷や汗が出てくるのが分かる。そんなに自分は分かりやすい人間なのだろうか。それとも、コイツが鋭すぎるだけ?
目を細めて笑うその姿は、俺を安心させた。
「お前は理解してないだけだ」
「……なにを」
「心の境界線を」
俺の心臓の辺りを左之助は、優しく叩く。
「俺はお前じゃないし、お前も俺じゃない。だから考えが違ったっていいだろ?」
いつも自分に自信がなくなった時、的確な言葉をくれるのは左之助だけだ。
人並みより少しできるからって、人間関係さえもできる訳ではない。その印象が大きくて、俺は相談できる相手がいなかったのだ。
「嫌われたくないなんて考えなくていい。俺は、お前の発言を間違ってるって思ったことはねえよ」
何故こんなにも明るい言葉が浮かび上がってくるのだろう。
俺も、左之助みたいになれる選択肢がどこかにあったのだろうか。
「ありがとう、左之助」
素直に感謝の気持ちを述べると、左之助は固まってしまった。コイツはきっと、俺に感謝されることに慣れていない。
そういう所が面白い。
「……あ、ああ」
左之助は稽古に参加するのか、置いていた槍を右手に持って、後ろを向く。
俺もあとに続くように木刀を持ち直して、右手に力を強く入れる。
「それに、……俺が、齋藤を嫌いになる時なんて、来ねえよ」
その小さな捨て台詞に、左之助の全てが詰まっているような気がした。
からかうように近づいて、話しかける。
「何か言ったか?」
「何も言ってねえ!……ったく、こういう時は元気になりあがる……」
髪の毛をかいて、照れくさくなっている左之助を見て、俺は初めて人との関わり方がわかったような気がする。
俺達は稽古へと戻る。
時を止めて
「あーあ、割れちまったな」
いつも見ていた砂時計が、何故か割れてしまっていた。
誰のせいとかはどうでもいいが、何となく心に深く刺さった。
「そうだな。新しいの、買うか」
「齋藤、そんなに欲しいのか?砂時計」
自分でも何故欲しいのか分からないが、左之助に言われて少し考えてみる。
時が進んでいる姿が好きなのかもしれない。その逆で、時が止まっているのが怖いのだろうか。
自分でも分からない物事というのは、恐怖を自分に植え付けてくる。
「……まあ、欲しい」
そう俺が言うと、左之助は手を頭の後ろで組み、そうなのかと柔らかい口調で呟いていた。
「たしかに、ずっと動いてたものが止まるのはなんか嫌だな」
きっとこの気持ちを言葉に表現出来るのは、松尾芭蕉などの俳人や詩人のような語彙が詰まっている人達だけだろう。
言葉というものは、人生を経験した分だけ募っていくものだと思っている。
俺たちは、人生の全てを戦いに捧げている。それは、人生を経験していると言えるのだろうか。
「だが、これもこれでいいかもな」
「どうして?」
「俺が時を止めてるみたいでかっこいいからだ」
馬鹿馬鹿しい。だが、そういう所が左之助のいいところと言える。
「馬鹿だな」
「うっせ」
左之助は、割れてしまった砂時計の片付けを始める。片付けている最中に鳴ってしまう硝子の音が、終わりを迎えているように感じた。
俺たちは、きっとこの砂時計のように壊されてしまう時が来るだろう。
その時に、左之助のような丁寧に壊れた自分を扱ってくれる人がいれば、どれだけ嬉しいことか。
ハッとして、自分も左之助の手伝いを始める。
「なあ、齋藤」
「……なんだ?」
「お前は、……時が止まるのが怖いのか?」
さあ、どうだろう。と言いたかったが、どうやら自分には意見が存在するようで、深い思考に陥った。
時が止まるということは、この時間が永遠に続くということ。それは、老いを迎える、否、戦死することさえも出来ないということだ。
それは俺にとって嬉しいはずだ。けれど。
「変化は、するべきだと思う」
言葉に出したものの、それは本心かどうかが分からなかった。こういう時は自分の発言を信じてみようか。
「ほんとかあ?何が変化して欲しいんだよ」
「……考え、とか」
何時も頭が固いと思っていたが、左之助と出会うことが出来て俺は、頭は柔らかくなったと思う。
そういうのは、時が動いているから成長できるのだ。
「だが俺は、……お前と、左之助といれるのなら、時を止めても構わない」
変化できた理由も、成長できた理由も、全ては左之助との出会いなのだ。
左之助は照れているのか、目を逸らして口を小さく開く。
「……そう、か。なら、……時は、止まるだろうな」
「……そんな気はした」
俺も左之助も、お互いに隣にいて一番嬉しい存在なのだろう。
時は動いたって止まっていたって、ずっと信用できる相手だと、俺は信じている。