キンモクセイ
懐かしい香りがする。その香り自体が懐かしい訳ではなくて、抽象的に懐かしい気がした。
懐かしい匂いがする時には、必ずあの花が近くにいるということだ。
「あ、やっぱり」
振り向いてみると、そこには金木犀がいた。甘くて、どこか懐かしい匂いがする。それは、金木犀の特徴なのだ。
自分の物のように金木犀を見ている。金木犀は好きだ。小さい花だが、優美に咲いている。
「……左之助、それ、金木犀か」
「おう、齋藤も嗅いでみるか?」
枝として切られているなんて珍しい、なんて言いながら齋藤は金木犀に近づいた。
手で仰ぐように嗅ぐその姿に、どこか優美な金木犀と重なったような気がした。
きっと俺の勘違いなのだろうが、似ていると思った。
「甘い香りがするな」
「……あ、そう、だな」
魅入ってしまったらしく、不意に話しかけられ反応することが出来なかった。
花に似ている人は羨ましいと思う。儚く、その美しい姿と重なる人は、そうそういない。
「どうした、左之助」
「いや、綺麗だなって思ってよ」
「そうだな。金木犀はこの時期に咲く。だから_」
「違う」
自分でも何を話しているか分からないほど、この美しいという気持ちを齋藤に伝えたいと思った。
そう思っているのに、中々口に出せないのは俺の短所だろうか。
黙って俺の次の発言を待っている齋藤を見て、何か言ってやらないといけないと思った。
コイツは自分から話そうとあまりしないから、何か言ってやらないと何も言わない。
「齋藤が、……綺麗、だと思って」
一生懸命に出した声は、自分でも驚く程に落ち着いていた。
齋藤は目を丸くして俺の胸元辺りを見ている。
俺も齋藤のことが見れなくなって、顔を逸らしてしまった。何故こんなにも俺たちは初々しいのだろうか。
暫くの間、沈黙が漂った。申し訳ないと、そう言いたくなった。
「左之助」
「な、なんだ?」
突然、齋藤が俺の名前を呼ぶ。その瞳は、いつもよりも大きいと感じた。
「……そういう発言は、もっと別の……愛人とかに使え。俺なんかに伝えるには勿体ない」
相変わらずの自己肯定感の低さに、コイツは齋藤なのだと再確認することが出来る。
だが、そういう齋藤だからこそ、俺の隣で馬鹿やっていける仲間なのだ。
「ほんとに、金木犀みてえな奴だ」
「……そう、なのか」
金木犀の花言葉には、謙虚、真実……初恋、陶酔などがある。
齋藤は、そういう人物だ。
俺は、視線を香り漂う金木犀に戻す。
行かないでと、願ったのに
番傘を片手に、きっとアイツが好きな、派手な花を片手に俺は、墓所へと向かう。
時代は大きく変わり、もう俺たちなんて存在しないも同然になった。
人は死ぬ。当たり前のことだ。当たり前すぎて、何も感じないほどに。
けど、お前は。行かないでと、願ったのに。
やっとの思いで辿り着くも、足が重くて思うように歩けなくなってしまった。
これは墓所に来た呪いではなくて、悲しいという感情を抱いているからだろう。
お前がいないと、あんなに騒がしかった日々が来ないと痛感してしまう。どうして、死ぬのがお前なのだろうと何度も自分を憎んだ。
だが、お前が生きて俺が死んでたとしたら、お前だってそう思うだろ。
置いてかれた方は、置いてった方を恨むのではなくて、自分を恨むものだ。
「……左之助」
死人が多く出たせいで、墓は質素だった。若くして死んだからだろうか、知人が多いのかたくさんの花が添えられていた。
いいな。お前は、人気者で。俺は、俺の周りには、何もいなくなってしまったよ。
「なあ、覚えてるかお前。腹減りすぎたからって花食いだしたこと」
そっちでも腹が減った時のために、茎と花を切り離す。
「……行かないでって、言えばよかったか」
今更しても遅い後悔は、その時点では後悔すると微塵も思っていなかった。
左之助が生きているのは当たり前だと思っていたから。
俺だけ生き残ってしまった感覚に陥る。いや、俺以外死んでしまった。
みんな戦って、生涯を刀に捧げて。
俺はその想いが足りなかったのだろうか。俺は、もっと刀に忠誠を誓えばよかっただろうか。
「左之助、お前さえ生きていれば、一緒に皆の墓を廻れたのにな」
不謹慎だと言って、左之助は俺の頭を叩いてくれるだろうか。
あの日とは違って、忌々しいほどに日差しが俺を照らしている。
何故、天は俺を見る。
花を何輪か墓の前に置いて、死者への冒涜をする。いや、元々していたか。
左之助が隣にいた頃は、言葉にしなくても伝わった気がしたが、今は言葉にしないと伝わらない気がして、無口な俺は消えてしまった。
「俺は、もう行くよ。……他の人の墓も廻らないと」
立ち上がって左之助の墓を見ると、いつもよりもさらに低い目線で見つめないと視界に入らなかった。
不意に、喪失感に心が襲われた。左之助は、こんなにも変わってしまったのだと。
「ははっ、左之助お前、そんなに変わったしまったか」
紛らわせるために声に出してみたものの、それは逆効果だったようだ。
目からは涙が零れ落ちる。俺は、俺はどうすればいいのだろう。
「左之助、まだ、俺を見ててくれよ……」
まだ、まだ行かないで。
俺は叶いもしない願いを心の中で、願う。
凍える朝
庭から、素振りをしている音が聞こえる。
こんなに寒い朝からどうしたのだろう、と俺は重い身体を持ち上げ見に行く。
そこにはいつものように袖がない服を着ている左之助がいた。
「……寒くないのか」
どうも気になってしまって、声をかける。
すると左之助は、動きを止めて俺の方向へと走ってくる。
「今日はさみいからな。凍えないようにしてんだ」
「もっと、何かあるだろ。……例えば袖なしをやめるとか」
「うるせえ」
自分の考えが正しいと言うようにコイツは、俺の意見を否定する。
俺が座ると、応えるように左之助も隣に座る。なんだか、素振りという行動は待っていたのだと思えてきた。
「それにしても齋藤は寒がりだよな」
「そうか?」
左之助が言うには、いつも袖に手を入れているからだと言う。しかし、この行動は別に暑かろうが寒かろうが行っている事だ。
だが左之助の言うように寒がりなのかもしれない。この時期になると、どうも人の温もりが欲しくなる。
「はあ……さみい」
先程から、そのような発言を何度を口に出している左之助に違和感を覚える。
なんだか、何かを期待しているように。俺に何かをしてほしそうではあった。
空を見ている左之助を、よく観察してみる。しかしまあ、凍えてしまうのかと思うほど寒そうだった。
「なにかして欲しいのか?」
「だとしたらどうする?」
こう訊いてくるのは、きっと俺の勘が当たったということだろう。
「さあ?……例えば、暖かくして欲しいとかか」
図星だったのか、何か言いたげな表情だけ見せて顔を逸らしてしまった。
全く、子供らしい奴だ。
「暖まるのは大切だからな」
「だ、だろ?だから……」
どうしようもなく分かりやすすぎるコイツに、何処か幼き頃の見覚えのない自分の姿と重なる。
全く味わったことの無いこの日常に、重なる部分があったとは。
そう考えてしまうと、どうも寂しくなって温もりが欲しくなる。
「俺は、お前といるだけで暖かい」
素直になれない左之助を見つめて、少しだけ微笑む。
左之助はどこか悔しそうにして俺を見る。
「はあ、齋藤……お前は」
正直になれないのもまた、日常だ。
この凍える朝というものは、非日常なんかではなくて、日常に少しだけ温もりを足してくれる存在なのだと、俺は感じている。
光と影
「人間というのは、私利私欲にまみれてるなあ」
「熊手も人間だろ?」
「まさか。ほぼ神の俺様にそんなこと言うとはな」
人差し指に指輪を通している右手をギュッと握ると、強い眼差しで彼は拳を見つめる。
彼はどうも、その人間性が掴みにくいため、本当に人間ではなくなってしまったとかと、不安になってしまう時がある。
あんな自信に溢れている彼を、心配するだけ無駄だと思うけれど。
「そうだなあ……百夜陸王。お前はどうだ?」
腕を伸ばし、僕を人差し指で指す。
一体何を訊かれているのか、僕には分からなかった。
けれど、きっと自分の願いというのは、熊手真白の言う私利私欲なのだと、直観的に感じた。
「僕は、神になりたいなんて思ったことがないから。そんな客観的に見ることは出来ないかな」
「そうか。じゃあ質問を変えよう。お前の大切なその『玲さん』とやらは光か影、どっちだと思う?」
玲さん。玲さんは僕の人生において、全てを救ってくれて、全てを狂わせた男だ。
光と影。反対に見えるようで、実は反対ではない。それは、影というものは光によってでしか現れないからだ。
僕は、玲さんによって輝くことが出来たと思う。なら、玲さんはどちらなのだろう。
「僕にとって玲さんは、……僕を照らしてくれる存在だ」
熊手真白はいつものように座って、足を組む。何処か呆れたように、僕を見つめる。
「話が通じない奴だ」
「だけど__」
「いいか。よく聞け」
僕の口の前に人差し指を立てる。彼は片眉を上げて、いつものように偉そうな態度をとっている。
「光というのは影があるから成り立つんだ。その逆も同じこと。どちらかがなければどちらも、名前は付いていないだろう?」
「そう……だね」
「つまり、光と影というのは互いに依存しているんだ。なら、百夜陸王。お前は『玲さん』に依存しているのか?」
きっと僕は、顔を顰めていたと思う。眉間に皺を寄せて、長考していた。
熊手は、僕に一体何を伝えたいのだろうか。そう考えれば考えるほど、僕は玲さんの存在が分からなくなる。
「……分からない。僕には、その答えが」
回転式の椅子を回転させて、僕を視界から外す。
手には彼の大好物の蜂蜜を持って、そのまま直で飲む。
「お前には分からないだろうな」
「じゃあ、……君にはわかるの?」
鼻で笑う声が大きく聞こえる。肩を上げて、なんでも知っていそうに。
「さっきお前も言っていただろう。お前は神じゃないから客観視出来ないんだ。だから、俺様には分かる」
「その自信はどこから来るの……全く」
「お前とは違って、光と影の区別がついているからな」
「さっき互いに依存してるって言ってたよね?」
腕を組んで自信が滲み出ている雰囲気を醸し出す彼に、もしかしたら尊敬を示しているのかもしれない。
だが、一応僕も自分に自信があるつもりだ。ただ、玲さんとの関係に自信が無いだけで。
「ああ。そうだ。だが、今の世界では二つとも独立している。それはお前だってそうだろ」
「……確かに」
「あとな。自分が光になれば、影という仲間や敵が勝手についてくるだろう?」
熊手も、いつも神だと嘆いているだけだと思っていたが、どうやら色々なことを考えているらしい。
少し面白くて、口角を上げる。
「流石、自称神なところだけあるね」
「おいお前、馬鹿にしてるのか?」
勢いに任せてこちらを向く彼は、やはり何処か神になるには足りない気がした。
「さあ?どうだろうね〜」
「おい!……はあ、」
tiny love
抱えきれないほどの愛なんて貰ったことがなくて、ただ欲求が大きくなっていくだけだった。
まず、愛すら貰ったことのないやつが、そんなに大きな欲望を求めている時点で、何かの間違いなんだ。
だから、今、寂しいと思っているのは普通のことであって、適切な罰。
落ち着いて、深呼吸をする。息が少し荒い気がするが、そんなことはどうでもいい。
俺は一体、何を求めればいいのだろう。
「悪夢でも見てんのか?」
「うわっ……さ、左之助……か」
「齋藤お前、冷や汗すげぇぞ」
頬に手を触れてみると、汗が流れているのがよく分かった。
何故俺はこんなにも焦っている?恐怖を感じている?それとも、……いや、一体なんだ。分からない。
「うーん。齋藤、なんか欲しいのか?」
「……え?」
左之助は自慢の馬鹿力で俺の額を弾く。その時、やっと視界が明るくなった。
では俺は、何が欲しいのだろうか。物理的なものではないのは確かだ。
そうか。俺、愛が欲しいのか。
「お前、心当たりあるだろ」
図星。顔を顰めてしまった。
しかし、俺なんかが愛なんて貰っていいのだろうか。
『愛』というととても大きなものを想像する。一人の人から、沢山のものをもらう。そういうのが愛だと思っている。
「愛、……愛が欲しい」
左之助は犬歯を見せながら大きく笑う。
それは馬鹿にしているんじゃなくて、とても嬉しそうだった。
「そうかそうか。齋藤は、愛は貰ったことなかったか?」
「……ああ、貰ったことはない」
渡したことはあるのだろうか。考えたって、俺には覚えていない。
「なんか勘違いしてそうだから言ってやろうか?」
「なんだ」
俺の胸の辺りを強く人差し指で押した。強く、心に訴えているようだった。
「愛はそこまで高いところには居ねえ。小さな愛だって、それは愛なんだ」
そう、そう思っていた。けれど、どうも俺の欲求が邪魔して、それを認めたくなかった。
しかし、左之助がそう言うのなら、俺は小さな愛でも満足できるはずだ。
「……俺は、愛が欲しい」
もう一度、今回は芯のある声で。本気で。
先程よりもより一層明るい笑顔で、齋藤は俺の肩を叩く。
「あげてやるよ。小さいのでも、どデカいのでも」
暫く考えて、口が開く。
「俺は、小さな愛が欲しい」