夕食を食べた後に一時間ほどの復習を終わらせればウィルは教育係の務めを果たして部屋に帰っていく。
そこから眠るまでの時間がサルサの自由時間となり得るわけであった。
が、サルサはウィルが帰っていくのを見送るタイミングの時にはもう既に眠過ぎて目が閉じかけていた。
「昨日は夜更かしでもしたんですか?」
「……してないです」
その言葉は強い否定の意味を込めていたはずではあったが、彼の眠気は取り繕えるようなとこにはもう既に存在しておらず、随分ふわふわした口調で紡がれた。
「……自由時間を満喫したい気持ちは貴方にもあるかもしれませんが、今日は早く寝るといいですよ」
「そのつもりです……」
視界が半分ほど暗転してるのを無理やり開いてサルサはそう返事した。
「…………おやすみなさい、サルサさん」
そう呟いてウィルが去っていくのを小さく手を振りながら見送ったサルサは見えなくなったのを確認してから扉を閉めた。
大きく欠伸をしながら洗面所へ向かって、やたらすっきりした顔で部屋に戻ってきたサルサは目を見開いてから小さく呟いた。
「……歯磨きしたら目冴えちゃったな」
このところいつもこうであった。歯を磨けば、それまで自分のことを脅かしていたはずの眠気は立ち去ってしまい、もう一度訪れるまで待っていれば夜更かしに強制的に移行してしまう。目が覚めやすい成分が入っているというのは重々承知であり、それが朝一の目覚めをシャッキリさせる目的であることも分かってはいたのだが、眠い夜に目を覚ましていいなんて誰も言ってないんだよなぁ、とサルサは思った。
だが、起きてる訳にもいかない。仕方なく布団に潜って瞳を閉じる。全く眠気が来なくても目は開けないようにする。
……結局サルサが眠れたのは二時頃であり、五時頃に目を覚ますサルサにとって睡眠時間が足りなかったのは言うまでもなかった。
※二日分のお題を掲載しております
お題「羅針盤」
静かな書庫の机が並ぶスペースで、今日もサルサはウィルから教育を受けていた。
「今日はこの世界の話でもしましょう。常識、というより歴史ですね」
「……歴史」
「はい。今のこの世界の縮図はもうお分かりですか」
優しく聞いたウィルに対して若干を目を泳がせながらゆっくりとサルサは呟いた。
「デウス様がいて、アリアさんたちみたいに直接人間界にお触れを出したりする人たちがいて、人間界にはかからないこの世界を守るための職員達がいて、街の人達が職員たちや他の人達に娯楽を提供する施設を経営している……でしたっけ」
「はい、その通りです。誰もが娯楽を楽しめるように、娯楽施設の人たちも週休二日制が取られていて、必ず全ての娯楽施設へ一ヶ月の中で一回はいけるように対策が取られています」
ウィルは補足をしつつ微笑んだ。サルサは正解していたという安堵から小さくため息をつく。
「さて、この制度になったのは結構前なのですが……その前はどんなものだったと思いますか?」
「…………街の人が娯楽施設を経営してなかった……とか」
困惑しながら答えを捻り出したサルサに向かってウィルは少し驚いたような顔をした。
「……正解です。ご存知でしたか? それとも簡単すぎましたかね」
「そんな……。当てずっぽうですから……」
「当てずっぽうで答えが分かるなら大したものですよ。さて、その通りです」
ウィルは微笑んでから説明を始めた。
むかしむかしこの世界が生まれた時、デウスは真っ先に城を作った。その時は今のように大きなものではなく、一般的な城と言われて想像が出来るような二階建て程度の代物だった。
そこの玉座にデウスは座って、人間界を眺めるだけだった。
でも、いつしかどこからか街の人間が生まれた。その人間たちはデウスと一緒にこの世界の文明を作り上げていった。
デウスの城がある方向を『北』とした羅針盤を制作し、西を工業地帯、東を農業地帯、そして南を娯楽施設の場所としたのだった。
「……しかし、それは失敗に終わったんですよ」
ウィルが目を伏せながらそう呟いた。
「…………失敗?」
「はい。そもそも、西も東も十分な土地が無かったのです。それに加えてまったく何も知識がなかったのですから」
「…………じゃあどうしたのですか」
「……人間界から捧げて貰うことにしました。何せ、『神様』ですから」
ウィルは含みのある笑い方をしたが、サルサは目をキラキラと輝かせた。
「つまり、すっごい前からボクが住んでた場所と関わりがあるってことですよね……! すごい……!」
ウィルは彼のことを見たあとに眉を少し下げて呟いた。
「………………それは、本当に喜ばしいことなんですかね」
その言葉はまったくサルサには届かなかった。
「この城が北になるような羅針盤を作った、というのも神様らしい発想ですね」
「……そうですね。人間界は方角を弄ることは出来ないんでしたっけ」
「はい……」
「なるほど、じゃあ驚くのも無理はないでしょうが、わりと容易いことなんですよ。なにせ、そういうのを決める物がないので」
「……決めるものがない?」
「はい、方角も方向も。それは外からは基本的に干渉できない概念なので。要するに、自分次第ってことです」
ウィルは当たり前のことのように言って微笑んだが、サルサにはまったく理解出来ずじまいであった。
そんなサルサを置いてけぼりにして、時間も説明も進んでいくのであった。
お題「あなたへの贈り物」
「大事にしてる? 私があげた例のアレは…………」
サルサの部屋を訪れたアリアはそんな言葉と共に部屋に入ったところで、ウィルの姿を視界に入れて言葉を止めた。だが、しかし時すでに遅し。もう既にウィルが不審に思ってしまうサビは彼女の口から漏れてしまっていたため、アリアはウィルの怪訝な顔を拝むこととなってしまった。
「何の話ですか、アリア」
「いやいや、ウィルいたんだね〜。じゃあ、勉強中の邪魔とかしちゃダメか〜」
アリアはそう呟きながらそっと扉から外へと出ていこうとしたが、ウィルが彼女の手を掴んだことで彼女の思惑もダメになってしまう。
「……何の、話ですか」
口調こそは丁寧なものの、言葉の発し方に圧があるのはウィルが若干怒ってるからに違いなく、アリアは観念したようにため息をついた。
「大したものでは無いよ。サルサ、キミの頭でっかちな教育係くんに見せてあげて」
サルサは小さく一回瞬きをした後、ベッド横の小さなサイドテーブルの引き出しを開けて『未来の鍵』だとアリアに渡された黒い星のキーホルダーをウィルに見せた。
「……キーホルダーじゃないですか」
「そうだよ。黒い星なんてどう考えてもレアなんだから、星のかけらを知らない彼にプレゼントしたんだよ」
「……期待はずれと言いますか…………要するに、紛らわしい言い方をしないでください」
ウィルはぶっきらぼうにそう言いながら、サルサにキーホルダーを返した。
「はいはい。教育係くんが言うなら仕方ないなぁ」
アリアはそう言うとヒラヒラと手を振ってサルサの部屋を出ていった。
扉が完全に閉まって、サルサの部屋から離れたアリアはゆっくりと息をついた。
「…………良かった、知らなくて。無知というものは時に大きな脅威となるけど、大抵は騙しやすいただのカモだからね」
アリアはニコニコと微笑みながらエレベーターへと向かう。
「黒い星のキーホルダーには特別な意味があるんだよ、ちゃんと勉強済ませとかないとね。『教育係』なんだから♪」
アリアは意地悪そうに呟いた。
「今日はここまでです」
そんな言葉と共にウィルは本を閉じた。サルサはその言葉を聞いて息をついた。
「…………疲れた」
「昨日は休んでたんですから、別に大丈夫でしょう」
ウィルは微笑みながらそう言ったがサルサは首を振った。
そもそも昨日熟睡してたのはオフになったからとかそういう理由ではなく、単純に魔法の使いすぎであった。
「まぁ、使えるようになってはしゃぐ理由は分かりますけどね、貴方が使えるのは本当に初歩的なものを少しだけ、なんですよ? 力を増やす、ということにだって貴方の力は使うんですよ? 貴方自身の力を別の物体に変換させてるだけなんですから」
ウィルは若干咎めるように言った。
「……わ、分かってるんですけど…………」
サルサは俯きながらそう呟いた。
「勉強したくないんで…………」
「勉強しなきゃ、ここにはいられませんが」
「そうなんですけどね……」
サルサは困ったような顔で言う。
「……毎日勉強してるけど、意味あるのかなって。明日の為に努力してても、本当に報われてるのかなって思ってしまって……」
その言葉に少し驚いたような顔でウィルは言った。
「…………報われますよ。報われる為にやってるんですから」
「……そう、ですよね」
そう言ったサルサの顔は少し嬉しそうだった。
「…………だいぶ遊んだようですね」
朝、サルサの部屋へと訪れたウィルはため息をつきながらそう呟いた。
「…………す、すみません」
「別に大丈夫です。はしゃぎたくなる気持ちもまぁ、分かりますし」
そう言いつつも若干サルサに目は合わせなかった。ちょっとビックリしてるというより、予想外だった、という感じの顔をしている。
「…………じゃあ、今日は何をしますか!」
明るくサルサが言ったのに対してウィルはニコッと微笑んで刃物を彼の首に当てた。
「う、ウィルさん……?」
そうサルサが言ってもウィルはニコニコと微笑むだけ。しばらくしてから、サルサは小さくため息をついた。
「バレるね〜、ウィル」
そう言った声はアリアの物で、ウィルが瞬きをした瞬間にサルサの姿から本来の彼女の姿に戻っていた。
「当たり前でしょう。逆に何故バレないと思ってるんですか」
「いや〜、私は案外天才ですからね。サルサに変化すればキミのことくらい簡単にだまくらかせると思ったけど上手くいかないね〜、やっぱり」
「サルサさんのことを見分けられなければ教育係は失格だと思いますよ。だいたい、彼はただひとりですから」
「彼は、ってまるで自分や他の奴らには代わりがいるみたいじゃない」
アリアの言葉に対してウィルは何も返さなかった。アリアもゆっくりと瞬きをしてから言った。
「……そうだね、否定も肯定もまぁできないよね。しかも、キミだけじゃない。私も、他のみんなも」
「個々を見られるような場所ではありませんからね」
ウィルは小さくそう呟いた。
「ところでサルサさん本人はどこへ?」
「魔法使いすぎて熟睡中。あと7時間は起きない」
「ですよね」
「できておりますわ」
一日経って『星野加工店』にサルサとウィルが訪れれば、ミアはウインクと共にそう言った。サルサの手の上に置かれたのは少し大きめのキーホルダーだった。星のかけらと同じ色をしたプレートには文字が書かれていた。
「…………これは」
「お城に働いてますよ、っていう示しの物で、そうね、サルサくんのタイプならちょっとだけ『秘密』が隠れてるわ」
「…………秘密?」
サルサが首を傾げると、ミアはウィルの方を見つめた。ウィルがゆっくりと瞬きをすれば、ミアは少しだけため息をつく。
「…………悪い子。貴方はサルサくんの教育係なんじゃないの?」
「……作った人が説明した方が分かりやすいものなんですよ、ミアさん」
「……まったくもう。理屈がちゃんと理解できてない、って言えばそれで終わるのに」
もう一度ため息をついたミアはサルサの手をとった。
「これはね、他のみんなが使える『魔法のようなもの』が使えるようになる道具なの」
「……え?」
サルサはキーホルダーをもう一度見つめた。店内の照明を反射するプレートは神秘的な輝きを纏っていて、ミアの言葉を真実らしい、と思わせるだけの力があった。
「…………どうやって」
「持ちながら、あるいはどこか身体に触れる状態にして、したいことを祈るだけ」
「なるほど」
サルサはギュッとキーホルダーを握ろうとしたが、ミアが彼の手の甲を撫でた。
「ダメ。ここじゃだめなの。ここには星のかけらが多すぎるから、お店で使うと大変なことになっちゃうわ」
「わ、分かりました……」
サルサが申し訳なさそうに呟くとミアは笑った。
「そんな顔しなくていいのよ。お城で試してみてちょうだいね」
城下町から帰ってきたサルサはウィルから『試してみたくて仕方ないようですので、この後はオフにしましょうか』と言われたのも相まって嬉しそうな顔でスキップなんかをしながら部屋に戻ってきた。
どんなことをやろうか、と気持ちを昂らせながらサルサは星のかけらを見つめた。
物を、そして力を増やすことができるのならば、とサルサが新品のノートと共にキーホルダーに向かって祈れば、ノートは二つに増える。大きさやページ数なども全く変わっていなかった。
「本当に魔法みたい……」
サルサはそう呟いた。
キーホルダーの星のかけらは相変わらず光を反射していて、黄色ではなく、カラフルに見える。まるで、彼の手の中に宇宙がすっぽり入ってしまったかのような全能感を抱いたサルサは色んなものを増やしてみようと意気込んで、次の対象を選び始めたのだった。