部室の扉を開ければ薫さんが窓辺で本を読んでいた。その姿は絵になる美しさ、とも言えたけどこちらを見やったこの人はそんな雰囲気をぶち壊すニヤニヤとした顔で言った。
「……さては、何か嬉しいことがあったね?」
「…………はい!」
大きく頷けば薫さんは笑った。
「勢いが酷いよ、キミ」
「僕は今日知りました。不幸が身にかかったら、同じくらいの幸運を得ることができるんです」
「……やじろべえの法則、だったかい?」
それは知らない。法則名なんて分からない。僕は今日人生で身をもって知っただけだ。若干首を傾げた僕に対して薫さんはため息をついた。
「……もう少し勉強した方がいいんじゃないかい?」
「友達が出来たんで。正直あんまり僕にとっては関係ありません」
「あるよ。キミは学生なのだから」
「…………薫さんもそうでしょう?」
そう返すと薫さんの顔から表情が失われた。
「……嫌だよ、ワタシは。これ以上の勉強はゴメンだ」
「二年生のくせに…………」
そんなふうに返せば、薫さんは大きくため息をついた。
「じゃあ、今日の議題はそれにするかい?」
「……それ?」
「『勉強とはどこまでが勉強なのか』。さぁ、キミの意見は?」
どこまで? よく分からない問いに脳内が上手く回らない。
「……学校で勉強することは全部勉強ですよね。それ以外だと……職人の技、とか」
「うんうん」
そこで意見は止まっているのに、薫さんは『他には?』と言いたげな表情で僕を見つめる。
数分無言の時が流れた後、薫さんは言った。
「……もしかして、終わりかい?」
「え、あ、はい……」
そう答えれば薫さんはため息をついた。
「キミは議論する気があるかい?」
「あります、ありますけど……」
「ワタシはそんな話じゃなくて、勉強か趣味かのギリギリみたいな話がしたいんだ。例えばね、英単語の暗記が勉強なら、キャラクターを覚えるのは勉強なのか、とかだよ」
そう話す薫さんの目はひどく冷たかった。
「えっと……」
「ううん。今日はいい。キミはひどく浮かれてるようだし、また明日から切り替えてくれれば構わない。ワタシはもう少しここで本を読むからキミは帰りたまえ」
そう言うと僕のことを廊下まで押し出して扉を閉められてしまった。
……悪いことをしたな、なんて思いながら、僕は昇降口の方に足を向けた。
第十話 勉強はどこまでが勉強か?
お題に添えてない………………
「……大丈夫かい?」
そんな声が聞こえて顔を上げた。薫さんが心配そうな顔でこちらを見つめている。
今日から授業が始まって六限まで存在することになって迎えた昼休み。仲のいいもの同士で席をくっつけたりしてる姿を見て一旦トイレに逃げ込んだ後戻ったら、知らない奴に席が取られてるのに気づいてしまって、逃げ込むように部室に来たんだっけか。
もう戻らないと五限に遅刻してしまう。十三時二十分頃からだったよな、と薫さんに尋ねる。
「今……何時ですか?」
「…………十五時十五分だけど」
「ああ、十五時…………十五時!?」
ガバッと上体を起こせば呆れたような顔をした薫さんと目が合う。
「……『高校生活三日目で授業をすっぽかした者はどんな末路か?』。キミはどう思うんだい?」
淡々と言いながら薫さんは席に座った。
「………………」
未だ唖然として言葉が紡げない僕をたっぷり一分ほど待ってから薫さんは言った。
「……ちなみにワタシはね、不良としての断定がついたと思う。優しい何人かは『昨日いなかったけど』みたいな話を明日掛けてくれる可能性はあるが、言葉を選ばないと信用は落ちる。教師なんかはキミの言い訳も聞かないレベルに不良と決められただろう」
言ってることは正論だった。
「……失敗した」
戯言のように呟くが、薫さんは小さくため息をついた。
「昨日の約束を守る気はないのかい? このままじゃ他の部活に入ってもムダだと断定せざるを得ないけども」
「……こんなはずじゃなかったんで…………」
「どうだか」
今日の薫さんはいつもより厳しい。目を伏せて諦めたような顔をしている。
「昼食を食べたあとの残りの時間を寝て過ごすならアラームはかけるべきだ。ここは部室棟だからさして迷惑にはならない。また、友人を作る気があるなら誰かに声をかけてみるべきだと思うよ。撃沈したなら話は別だけどね」
言ってることは正しい。酷く正しく、だからこそ図星である僕にとってはナイフのように突き刺さる。
「…………ごめんなさい」
「謝られても困るよ。というより謝罪は教師にしてくるべきだ」
薫さんはそう言いながらカバンから本を取り出した。『青い春の夢物語』と書かれたタイトルが見える。
「何をモタモタしてるんだい?」
そう声を掛けられて、さっきの提案は今すぐやらなきゃいけないのか、と思いながら立ち上がった。教師の名前は分からないから、一旦教室に戻って教科を確認してこなくてはいけない。
一つ息をついてから僕は部室の扉を開いた。
「……言い訳をしないと教師の話は早く終わる」
薫さんの言葉に振り返ると、彼女はニヤリと笑った。
「ワタシからの有益なアドバイスだ」
「…………はい」
まるで何回も怒られ慣れてるみたいだな、という気持ちと共に僕は頷いた。
第九話 昼休みの熟睡は危険か?
「………………はぁ」
ため息をつきながら部室の扉を開いたが、薫さんはいなかった。今日は始業式ならしいということを聞いたから、きっとHRかなんかでまだ来れてないだけだろうか。
それにしても、クラスに馴染める気が到底しない。部活選びというのは思ったより重要だったらしく、比較的どんな学校にでもある、例えば野球部、サッカー部、ダンス部なんかが派遣を握っている。普通の学校ではないがしろにされやすい卓球部も、知名度があるという点でクラスカーストの上の方にいやがるのだ。
反して、特に知名度がなかったり、何をしてるかよく分からん部活に入った人間はクラスカーストでは下の方に落とされやすかった。
うちのクラスにそういう同士がいないわけではないのだが、そいつらはクラスの友人は諦めて、他クラスにいる部活の友人と絡んでいることが多く、つまりは同級生が部員にいない僕は完全なる詰み状態という訳だった。
「……やっぱり、他の部活入ればよかったかなぁ」
いくら面白そうに、魅力的に写ったとはいえ、間違いだったのかもしれない。学校生活を円滑に進める一歩目を誤ったな……という思考が脳裏に浮かんだ。
「やれやれ、酷いことを言うんだねキミは」
「……薫さん」
部室に入ってきた薫さんは若干重そうにスクールバックを持ったまま入ってくると、乱暴に床に投げ捨ててから扉を閉めた。
「ワタシはキミが入ってくれて嬉しかったのに、キミはそれを後悔している。それに関しては異論はないけども、言葉にするものではないよ」
「まぁ……はい」
聞かれないと思ったというのは流石に言い訳になりえてしまう。大人しく口を噤むことにした。
「だがね……ワタシはキミの退部を止められないこともまた事実。ということで約束をしよう」
「…………約束?」
薫さんは小指を僕の小指に絡めて言った。
「一ヶ月経っても友達が出来そうになかったら有名どこに入るといい。兼部は許可されてるからね。もちろん入った方の部活がない日に顔を出してくれるだけでいい」
その言葉は僕にとってはとても甘美な言葉に聞こえた。自分にしか都合の良くない言葉に若干の困惑と期待を持って口を開こうとすれば薫さんは続けた。
「ただし。キミが他の部活に兼部して一週間友達と言える関係が出来なかったら、キミはワタシのところに戻っておいで。わかったね?」
若干目を細められてそう言われれば頷くことしか出来ず、ゆっくりと首を縦に振ると薫さんは口元に軽い笑みを浮かべた。
「さて、約束ができた。まぁ、まだまだ先の話、言うなれば遠い約束とも言える」
そう言いながら指を離した薫さんにさっきまでの面影なんてなくて、いつもの雰囲気に戻っていた。
「さて、今日の議題はどうするかい? 『友達を作るには何をしたらいいか?』にするかい?」
「……今日は、ちょっともういっぱいいっぱいです」
「何もしてないのに? 全く、そんなんじゃ困るよ」
ちょっとテンションがウザくて、議論することは楽しいけど全然そうしか思ってなかったのに。細められた目でこちらを見られた時に不覚にも若干心が跳ねたのは、きっとギャップがあったからってだけなはずなんだ。これは決して、そういう話ではないはずだから。
心を誤魔化すようにそう思っても、誤魔化しきれない気持ちがそっと頭を持ち上げようとしていた。
第八話 人のギャップでときめくのは正常か?
「どうだったんだい? 『入学式』は」
四月最初の月曜日、つまりは今日が高校生活最初の日、と一般的にはなっている。
退屈だった入学式と担任の話を終えて半ば走るように部室に駆け込めば、薫さんにそう言われた。
「…………何も面白いことはありませんよ」
「……友達が出来そうになかった。または既に部活仲間で輪が出来ていてどうにもなりそうもなかった」
「……! や、やめてください」
誤魔化そうとしたのに、見事に心中を暴かれてつい声が大きくなってしまった。
「かわいそうに。まぁ、大抵はそうだろうけどね。こんな狂った学校だ。むしろ『それ』を目的としているのかもしれないよ?」
薫さんは言葉では憐れむ癖に、喋り方に哀れみは一切含まれていなかった。
「……貴女は」
「ん?」
「貴女は入学式、どうだったんですか?」
「……あぁ」
自分ばっかりバカにされてる気がして、聞き返せば薫さんは片眉を上げた。
「ワタシはね、こう見えて一年の時は演劇部に入っていたからね。キミも知っているだろう、演劇部の知名度くらいは」
「…………チッ」
知っているなんて話ではない。部活動パンフレットでも大々的に描かれていたし、演劇部に入っているというだけで箔がつく、なんてことを隣の席のやつが前の席のやつに向かって言ってるのも聞いた。
全国大会に毎年出るほどの実力で、毎年では無いが優勝経験も何回もあるという、百は超えそうな数の部活動の中で一番目立つ部活である、らしい。
自分とは全く違うスタートを切った薫さんのことが気に食わなくて、つい舌打ちを鳴らしてしまった。
「フフフ。だがね、そんなワタシでも入学式には退屈さしか感じない。校長の話も生活指導の話も、さして代わり映えのしない定型文の羅列。それを聞くだけに十数分取られるのはハッキリ言って時間の無駄だね」
「……それが今回の議題ですか?」
「ああ。『入学式は必要か?』だな。キミはどう思うんだい、ミオくん」
「……儀式的なものとしてやった方がいい、という意見はたしかに納得できる面もありますが、今の形態としてはやらなくていいのでは。話を聞くだけなら他でもできるので」
「たしかにね」
薫さんはそう言って窓の外を見た。
この教室からだと校門が見える。『入学式』と書かれた看板と横に置いてあるフラワースタンドの間で写真を撮ってるヒトが目に移った。
「……フラワースタンドは綺麗だ。あれは入学式か卒業式でしか見れないからね」
「………………じゃあ、それ以外の点を排除した入学式でも開催しましょう」
「……一つ、デメリットを上げるとね。入学式をやらないと初日から授業かもしれない」
「入学式って一週間くらいあっても良くないですか?」
「手のひらがクルクルだ」
薫さんはそう言って微笑んだ。
今日から始まったのだ、高校生活は。友人は全く出来そうになく、クラスに馴染める気もしないけれど、部室の空気だけは心地が良かった。
第七話 『入学式は必要か?』
今日は土曜日。土曜日に登校するというのは大してイカれてるように思えないのは、きっと中学時代に土曜授業という概念があったからに過ぎず、部活にただ登校するだけ、というのもさして悪いことのように思えないのはもはや常識がねじ曲がってる可能性があるだけだった。
「やぁ、ミオくん。いい日だね」
「休日だということを除けばとてもいい日ですが」
嫌味ったらしくそう言えば、薫さんは目を細めた。
「やだねぇ、キミは。そんなこと言ったって来てるという事実にはなにも変わらないんだよ?」
「……最悪です、はっきり言って」
「はいはい。では、そんなキミに魔法の言葉を授けよう」
もったいぶって人差し指を立てられる。一体何を言われるのかと、少しだけドキドキしながら待てば、薫さんは意味ありげに口を開いた。
「……『好きだよ』ミオくん」
「……は? …………は? ………………はぁ!?」
三段階活用された『は?』という言葉が出てくる。先から順に何を言われたか理解できないの『は?』、好きだと半ば告白のような言葉を掛けられたことに関する『は?』、最後が、それの何が魔法なのか、という呆れの感情を含んだ『は?』だ。
「ふふふ。やはり成功だね」
「…………何が」
睨むようにそう問いかければ薫さんは微笑んで言った。
「人は好意を伝えると困惑するんじゃないか、という仮説を立てていたんだよ。恋愛マンガじゃ好意を伝えられれば赤面したり、意識したりということが一般的になっている。でもね、それじゃあつまらないだろ?」
「……人を、実験体にしたと……?」
恨みを込めてそう呟けば、薫さんはカラカラと笑った。どうも反省の色は見えやしない。
「実験体とは人聞きが悪いよ、ミオくん。ワタシはあくまで仮説を立証できるかを試しただけだ」
「それを実験体と言うんでしょうが……」
これじゃあ議論にもなりやしない。一方的に搾取されたと言っても過言じゃないような気がしてくる。
「キミは? 人から好意を伝えられたら人はどんな反応をすると思う?」
「……人に、よります」
かと言って、いざ僕の意見を問われてもそんな陳腐な答えしか返せなかった。
「……それは、どっちの?」
「…………好意を伝えた人の事をどう思ってるか……みたいな」
しどろもどろになって答えてしまうのは、きっと恋愛の話をしてるから。好きな人と話してるわけでもないのに、なんだか緊張してきた。
「なるほどね。好きな人に言われたら嬉しい、そうじゃなかったらどうでもいいorドン引きといったところか。…………おや、可愛い乙女のように顔がなっているよ?」
どうやら緊張だけでなく赤面までしてしまったらしく、唇を噛みながら『なんでもないです』とうわ言のように呟いた。
第五話 「好意はいつでも受け入れられるか?」