演奏者くんがいなくなった。
実は天使で天界で過ごさなきゃいけない、なんて話を彼がいなくなった翌日に来た神秘的な空気を纏った人から聞いた。
「やっと見つかって良かった。彼は天界に必要だからね」
教えてくれた人はそんなふうに言ってから大きな白い羽根を広げて去っていった。
ボクが適わないようなそんな感じはしてたけど、天使様だとは思わなかった。天使様だからピアノを弾くだけで迷い子のことを帰すことができるんだ。
結局のところ、恋心なんて抱いてはいけなかった。だって生きている世界は違う。
ユートピアで二人きりのような気がしてたから、だからうっかり同じような立場だと、恋をしてもいい相手だと、そんなふうに思ってしまったけれど。
…………二人でいた時は楽しかったな。もう二度と迷い子は元の世界に帰るという選択肢を持てなくて、この世界でボクのせいで死んじゃうんだな、なんて気持ちが湧き上がってきて、彼が来る前はずっと一人だったのにやけに寂しくて、目から涙が零れた。
「星座って知ってるかい?」
「…………バカに、してる?」
ボクがそう返すと、彼は焦ったような顔をした。
「…………ごめん」
「怒ってはないけど。……で?」
演奏者くんが見れる範囲に星はない。星座を見れるような環境なのは権力者タワーの近くだけ。
それなのに突然そんなことを言ってきたのはなんだ、という顔で彼のことを見つめる。
「……なんとなく、かな」
「…………なんとなくって」
「『星座』という概念は知っていてもあんまり見たことは無いから。きみもそうかと思って」
「…………最初の質問、そういう意味か…………ごめん」
「いいや。言葉足らずだったからね、僕も」
とはいえ、ボクだってそんなには知らない。星の並びをむりやり動物とかに当てはめただけだったような気がする。
「…………ボクもあんまり知らないけどさ、ああいうのってただのこじつけだからさ、分かってて見たってそうは見えないこと多いよ」
「…………だろうね」
「二つの点が並んでるから、あれは犬ですみたいなレベル」
「………………マジで」
彼は目を見開いてそう言った。
いつもいつも敬語なわけじゃないけど、落ち着いた喋り方しかしないから、急に出てきた砕けた言葉に少しだけ面食らってしまう。
「……そうか、そんなレベルか……。じゃあ、知らなくてもいいかもしれないね」
彼はそう言って、笑った。
「記念日だね」
「もう二度と反芻はできないけれどね」
迷い子のことを今まで完全なる操り人形にしかできなかった彼女が、初めて意思疎通が簡単な会話なら取れるような状態にすることに成功した。挨拶や名前、天気などの最低知識しか残らず、難しい言い回しをすると固まってしまうレベルではあるけれど、彼女にとって大きな変化であっただろう。
「祝わなきゃいけないね」
「……君的にこれは祝っていいことなの?」
「……なんで?」
困惑したような顔で彼女は僕に向かってそう言った。僕には彼女の意思が分からず問い返すと、若干呆れたような表情で口を開く。
「……君にとっては迷い子を元の世界に返すのが目標なんじゃないの?」
「…………前はそうだったけどね。この世界に残るという選択が迷い子にとって最善だったこともあった。だから今は、なるべく不自由なく生きれる方がいいと思ってる。だから、今日は記念日なんだよ」
「……ふーん」
「ってことで記念日らしいことでもしようか」
「……記念日らしいことって何なの」
「…………じゃあ、踊りませんか」
僕が手を伸ばすと、跳ね除けられると予想していた手は取られる。
「…………あんまり踊れないけどいい?」
「ちょっとでも踊れるなら上出来じゃないかい?」
「そっか」
そのまま彼女と一緒に踊り出す。
誘ったのも唐突で、音楽もかかってなくて、なのになぜだか息があっていて、多分傍から見たらひどく滑稽な姿ではあっただろうが、とても楽しかった。
「死んでも巡り会えたらいいね」
「…………重い」
そんな言葉がつい口から出た。
「重くないよ。恋人の儚い願い事じゃないか」
「儚くない。重い」
「なんで」
「…………だって死なないんでしょ、君は」
天使様ならしいのだ、演奏者くんは。天使様は死なない。だから彼の言葉は正確には『君が死んだら会いに行くね』である。重すぎる。
「……そんなこと言ったら、多分この世界は死と生の狭間だと思ってるよ」
「じゃあもう死んでるね」
「巡り会えたってことか」
「…………それだとボクが生きてた時に会ってたみたいだよ」
「……それは、ないな…………」
彼は酷く困ったような顔をした。なんでそんな顔をするのか、全く意味不明だったけれど。
「……まぁ、また会えるよ。死んでも、例えばユートピアで生きられなくなっても」
「…………なんでそんな断言するの」
「愛が、あるから」
「…………重い」
「ふふふ、嫌いじゃないくせに」
ぼーっとした感じで権力者が地面に座っていた。周りにベンチがあるわけではないけれど、地面に座ってると少し不安になってくる。
「権力者」
「…………ん?」
隣に座りながら話しかけると少しだけぽやぽやしたような顔でこちらを向いた彼女は頭にはてなマークを浮かべている。
「……大丈夫かい? 何か、疲れていたりするのかい」
「……んーん、へーき」
言葉と裏腹に発言が全部ひらがなのような気がする。ふわふわしすぎじゃないか。
「…………本当に大丈夫かい?」
「ちょっとつかれちゃっただけ」
「疲れてるじゃないか」
「…………え〜?」
本格的にダメそうだった。
「こんな場所でたそがれてないで家に戻った方がいいんじゃないか」
「いえにいるとばれちゃう。ここならね、わかんないんだ」
何の話だ、バレるとは。住人に意思なんかないだろう。ほかの場所は他の人が管轄してると言っていたしそういうことか、他の人にバレるってことなのか。
「…………せめて横になれるところにいたらどうだい」
「わかった」
大きく、大袈裟に頷いたと思ったらこちらに思い切り倒れ込んできた。意図せず膝枕の状態になる。
「……な!?」
「ちょっとだけだからね?」
「なんでそっちが『やってあげてる感』を出してるんだ」
僕の声に彼女は返事しなかった。目をつぶっているから寝てしまったかもしれないし、正気を取り戻してどうやってここから挽回しようかと思考を巡らせてるのかもしれない。
まぁ、甘えてくるのは珍しいからと少しの間こうしてあげることにした。