「お話の初めはいつだって自己紹介から始まらなくてはならないね。キミもそう思うだろう?」
もったいぶった表情のその人はあからさまな笑顔を作った。
「……『お話の初め』じゃないでしょう。まるで僕らの初対面が小説か何かに描かれていたみたいじゃないですか」
「そういう視点もあるし、実際にそうかもしれない。ワタシたちの人生を誰かが見てるかなんて、結局のところ確認はできないのだからね」
あからさまな笑顔は崩れない。頭の中に『失敗』の二文字が浮かんだのを慌ててかき消した。まだ何も始まっていないのに、そんなことを考えたくはない。
「……自己紹介、したらいいんですか」
「そうだね。正直なところ、ワタシはキミが突然この部屋に入ってきて非常に困惑している。その理由が自己紹介で明らかになるように願っているよ」
うさんくさい、とも言えるような言い方で言葉を紡いだその人は、机に肘を着いた。そのまま何かを値踏みするような顔で僕のことを真っ直ぐ見つめる。
「…………一年A組、天月澪(あまつきみお)です。部活動紹介パンフレットに『文芸部』があったからここに来たんですけど」
「……ミオくん、だね? さてさて、ワタシは文芸部なんて部活には所属していない。キミは来る教室を間違えたんじゃないかい?」
そんな言葉を投げかけられて、もう一度部活動紹介パンフレットを開く。一番後ろのページには確かに『文芸部』という文字とここの教室の名前が記されていた。
「……合ってるじゃないですか、ほら」
そう言いながらパンフレットを見せれば、受け取って冷たい瞳でそれを見つめたあと、パンフレットを閉じた。表紙を一瞥したあと、軽く微笑んで言った。
「なるほど、全て理解した。ここは確かに文芸部ではないけれど、せっかくなら毎日来てくれると大変助かる」
「…………は?」
「冗談じゃないという顔をしたね。だが、毎日だ。学校が休みの日も来てくれ。昇降口は年中空いているからね」
訳が分からないことを言い出したこの人を怪訝な瞳で見つめれば、相手は少しだけ眉を下げた。
「……キミがワタシのことを訝しむのは分かる。だがね、ワタシはキミのことを気に入ったんだ。あと文芸部は全然良くない。大学で言うところの『テニサー』と一緒だ」
「…………マジか……」
マジメに本を読んだり、小説やら詩やらを書いたりする部活だと、そう信じ込んでいたのに。どうやらお門違いというやつらしい。
ため息をついてから目の前の人を見る。名乗りもしないこの人の言うことを信じる気にはなれないが、なんとなくこの人の言うことを聞いたら、今までの僕とは違う人間になれる気がした。少しの思案の末に僕は口を開いた。
「……分かりました。貴女の言うことを聞いてあげますから、貴女も自己紹介、してくれますか」
「……ああ、失礼。ワタシは秋山薫(あきやまかおる)だ。よろしくな、ミオくん」
「……はい、よろしくお願いします。秋山先輩」
「ああ、そうじゃなく下の名前で呼んでくれるかい。そして出来れば先輩も無くしてほしい」
要望が多くてめんどくさい先輩だ。
「……薫、さん?」
「よろしい。それじゃあよろしくな、ミオくん。そして『議論部』へようこそ」
「…………は?」
知らない部活の名前が出てきた。そんなものはなかったはずだ。信じたのは間違いだったのかもしれない。僕の信頼が崩れたことに気付かぬような涼しい顔で薫さんは言った。
「おや、言ってなかったかい? ワタシが今年設立した部活だ。キミが初めての新入部員ってやつだな」
そういうことはもっと早く言えよという気持ちで僕は大きくため息をついた。
【活動日誌】
4月1日
真っ暗な部屋でカタンと音がなり、扉が開いた。
外からの光と共に誰かが入ってきてまた閉じる。
部屋の中は暗闇に支配された。
部屋の真ん中にある水晶玉に淡い光が灯り、人物の顔が映された。
黒髪で凛々しい瞳をした男が真顔で立っていた。
「……今んとこは平気、みたいな」
部屋の人物はニコニコと微笑んだ。
「未来の記憶は今のとこは平気、なのかな」
その言葉とワンテンポずれて水晶の光は消える。
部屋の扉が開いて、人物は去っていった。
「……この世界には、動物とかはいないんですか?」
今日はこの世界での文学でもさらっておきましょう、と書庫でとんでもないことを言ってのけたウィルにこの世界で伝わる一般的な物語をいくつか紹介されてたサルサは四つ目の物語が終わったタイミングでそう聞いた。ウィルは若干困ったような顔で口を開く。
「……我々も動物ですよ。デウス様は……ちょっと判断難しいかもしれませんが」
「…………違くて、その、人型以外の動物は」
「……あぁ。いないというと違うんですけど、貴方にとってはいないも同然と言いますか……」
サルサが首を傾げた様子を見てウィルは苦笑いした後に『昼ごはんを食べたあとに紹介しますよ』と呟いた。
昼ごはんを終えた後、食堂を出たサルサは恐る恐る口を開いた。
「…………その、朝言ってた」
「大丈夫です、覚えてますよ。それに、食堂から近いので」
そう言って微笑むと食堂の隣の部屋の扉を開いた。
「ここですから」
「……ここ?」
そっと中に足を踏み入れば、二人の足元の方で歩いている何かを見つけた。
それは十〜十五センチくらいのサイズのくまやら兎やらであった。しかし、人間界と違って二足歩行をしている上に、ふわふわとした見た目をしていた。簡単に言えばぬいぐるみだった。
「…………ぬい、ぐるみ……?」
「そうですね。ぬいぐるみとも言います」
「……なんで、動いて…………?」
「ココロが宿ってるんです。なんで、と言われても何とも言えませんけど」
ウィルは微笑んだ。サルサが手を差し伸べると嬉しそうに擦り寄ってくるふわふわした感触が彼の手に伝わった。
「……可愛いね」
「ウン」
「…………え?」
甲高い声で返事が返ってきたことにサルサが驚いた顔をしたが相手は首をかしげた。
「ドウシタノ? ツラクナッチャッタ?」
「…………ううん、平気……」
「ヨカッタ! ナンカヤッチャッタカトオモッタ」
目を見開いてウィルの方を見つめれば、ウィルは柔らかく微笑んで言った。
「ココロが、ありますから」
サルサは勉強帰りにふと見た本に『星に願えば、どんなことでも叶う』なんてタイトルがついてるのを見つけてしまった。
そんなことを言われて無視できる性格では残念ながらなかったサルサは、眠ろうと目を瞑ったときに思い返してしまった。
俗説ではあろう、と思う一方でもしかしたら本当かもしれないという気持ちも湧いてくる。なにせ、星の欠片が落ちてくる世界なのだ。何が起こっても対して驚きはしない。
そんな気持ちと共にちょっとした好奇心で彼はベットから起き上がってカーテンを開いて、キラキラと輝く星に向かって『明日は何かいい事が起こりますように』と願ってから眠りについた。
次の日。さして何か特別なことが起こったわけではなかったサルサは勉強終わりに小さくため息をついた。隣にいたウィルが首をかしげながら尋ねる。
「どうか、しましたか?」
サルサは慌てたような声で弁明をする。
「いや、別に……! 昨日『星に願えばどんなことでも叶う』って書いてあるのを見て『何かいいことがあったらいいな』とか願ったりしただけで……」
「ふふ。それは子供だましの俗説のようなものですが……。私が星の代わりに願いを叶えてあげましょうか。何がいいですか?」
ウィルは優しい笑顔でそう言った。
「じゃあ……何かお菓子が食べたいです」
サルサは星を宿したようなキラキラした瞳でそう言った。
ウィルとは一緒にいないことを確認すれば、先日の図書館での出来事がフラッシュバックし、彼女の心をざわめき立てた。
図書館の一件はもう二度とあってはならないことであり、受付係はデウスから重たい罰を与えられた。それは決してたった一回の無断欠勤という目で見れば酷く重たいように見えるかもしれないが、彼の職場が奥にいけば行くほど自我も記憶も失う終身刑よりも重たい罰の為の施設だとすれば、むしろそこまで重くないかもしれない、と考えられる罰だった。
もちろん、そうそうあることではない。もちろんそうそうあっては困ることなのだが。
それでもアリアはなんとなく悪いことが起こりそうな予感を捨てきれずに後ろからそっと着いていくことにした。
そうして、予感は的中してしまったのだ。
サルサはトイレを済ませて書庫に戻るところだったが、今度は道に迷っていなかった。その足取りは確実なもので正しい戻り道を辿っていた。
だがしかしサルサが一本の分かれ道を通り過ぎたあと、そこから飛び出してきた男がいた。男はサルサの背中目掛けてナイフを振りおろそうとする。
アリアが小さく何かの言葉をつぶやけば、男は光の糸でぐるぐる巻きに巻かれてしまった。ナイフが彼の手から零れて地面にキズを作った。
「ちっ……」
「随分と偉そうな態度だな」
サルサの方を向きながら舌打ちした男に対してアリアが厳しい口調で言えば、男は顔を真っ青にした。
「あ、アリアさま…………」
「あの者はデウスさまのお気に入り。それを傷つけようなど言語道断だが……どうやら貴様はデウス様から直々に叱られたいようだな」
「い、いえ……」
「うるさい」
アリアは口答えをしようとした男の言葉を一蹴すると指をくるんと回した。途端に男はアリアの目の前から消えた。
「行き着く先は牢屋の中……なんてね」
アリアはそう言うとポケットから手鏡を出した。鏡面に触れながら何かをつぶやけば、瞬く間に書庫を映し出す。
「うんうん。無事に着いたようでなにより。守れてよかったよ、君の背中」
アリアは明るく呟いてその場を後にした。