「記念日だね」
「もう二度と反芻はできないけれどね」
迷い子のことを今まで完全なる操り人形にしかできなかった彼女が、初めて意思疎通が簡単な会話なら取れるような状態にすることに成功した。挨拶や名前、天気などの最低知識しか残らず、難しい言い回しをすると固まってしまうレベルではあるけれど、彼女にとって大きな変化であっただろう。
「祝わなきゃいけないね」
「……君的にこれは祝っていいことなの?」
「……なんで?」
困惑したような顔で彼女は僕に向かってそう言った。僕には彼女の意思が分からず問い返すと、若干呆れたような表情で口を開く。
「……君にとっては迷い子を元の世界に返すのが目標なんじゃないの?」
「…………前はそうだったけどね。この世界に残るという選択が迷い子にとって最善だったこともあった。だから今は、なるべく不自由なく生きれる方がいいと思ってる。だから、今日は記念日なんだよ」
「……ふーん」
「ってことで記念日らしいことでもしようか」
「……記念日らしいことって何なの」
「…………じゃあ、踊りませんか」
僕が手を伸ばすと、跳ね除けられると予想していた手は取られる。
「…………あんまり踊れないけどいい?」
「ちょっとでも踊れるなら上出来じゃないかい?」
「そっか」
そのまま彼女と一緒に踊り出す。
誘ったのも唐突で、音楽もかかってなくて、なのになぜだか息があっていて、多分傍から見たらひどく滑稽な姿ではあっただろうが、とても楽しかった。
「死んでも巡り会えたらいいね」
「…………重い」
そんな言葉がつい口から出た。
「重くないよ。恋人の儚い願い事じゃないか」
「儚くない。重い」
「なんで」
「…………だって死なないんでしょ、君は」
天使様ならしいのだ、演奏者くんは。天使様は死なない。だから彼の言葉は正確には『君が死んだら会いに行くね』である。重すぎる。
「……そんなこと言ったら、多分この世界は死と生の狭間だと思ってるよ」
「じゃあもう死んでるね」
「巡り会えたってことか」
「…………それだとボクが生きてた時に会ってたみたいだよ」
「……それは、ないな…………」
彼は酷く困ったような顔をした。なんでそんな顔をするのか、全く意味不明だったけれど。
「……まぁ、また会えるよ。死んでも、例えばユートピアで生きられなくなっても」
「…………なんでそんな断言するの」
「愛が、あるから」
「…………重い」
「ふふふ、嫌いじゃないくせに」
ぼーっとした感じで権力者が地面に座っていた。周りにベンチがあるわけではないけれど、地面に座ってると少し不安になってくる。
「権力者」
「…………ん?」
隣に座りながら話しかけると少しだけぽやぽやしたような顔でこちらを向いた彼女は頭にはてなマークを浮かべている。
「……大丈夫かい? 何か、疲れていたりするのかい」
「……んーん、へーき」
言葉と裏腹に発言が全部ひらがなのような気がする。ふわふわしすぎじゃないか。
「…………本当に大丈夫かい?」
「ちょっとつかれちゃっただけ」
「疲れてるじゃないか」
「…………え〜?」
本格的にダメそうだった。
「こんな場所でたそがれてないで家に戻った方がいいんじゃないか」
「いえにいるとばれちゃう。ここならね、わかんないんだ」
何の話だ、バレるとは。住人に意思なんかないだろう。ほかの場所は他の人が管轄してると言っていたしそういうことか、他の人にバレるってことなのか。
「…………せめて横になれるところにいたらどうだい」
「わかった」
大きく、大袈裟に頷いたと思ったらこちらに思い切り倒れ込んできた。意図せず膝枕の状態になる。
「……な!?」
「ちょっとだけだからね?」
「なんでそっちが『やってあげてる感』を出してるんだ」
僕の声に彼女は返事しなかった。目をつぶっているから寝てしまったかもしれないし、正気を取り戻してどうやってここから挽回しようかと思考を巡らせてるのかもしれない。
まぁ、甘えてくるのは珍しいからと少しの間こうしてあげることにした。
「プレゼントっていいよね」
演奏者くんの話はいつもいつも突拍子もない。さっきまで演奏してくれた曲について話してくれてたというのに、なんだ急に。
「…………どういうこと」
「誰かが自分のこと考えて選んでくれたという事実がいい」
「………………欲しいってこと?」
「くれるなら」
いつも一呼吸だけ間を開けるのに急に即答してきた。なんなんだ、本当に。
「……でも、なんもないよ」
「どういうことだい?」
「あんまりユートピアには物ないから、プレゼントって言えるもの、用意できないかも」
「…………ああ、その話か」
ボクはわりと真剣にそのことを出したというのに、他愛もない話のように扱われると少しだけムッとする。
「形のないものが欲しい。……どっちかっていうと」
「形のないもの……?」
形がないものというと、思い出とか経験とかってことなのか…………?
「……形あるものだとさ、いつか壊れたり無くなったり、そこまでいかなくても劣化する。きみから貰ったものが色褪せるのは嫌だから」
「…………分かった。すぐには思いつかないかもだけど、きっと渡すよ、プレゼント」
「楽しみに待ってる」
彼はそう言って笑った。あんまり彼が見せることがない無邪気な笑顔だった。
(権力者が下の方だとバレたあと)
ある日突然、鉄格子の四角い明るい単色の何かができた。
偉い人たちができた原因知ってるかと、報告書提出ついでに尋ねようとしたら、全く分からず調査中だからと、そもそも会えなかった。
これだけの大きさが自然発生するわけもなく、ついでにボクの管轄にあるせいで原因が一人に絞れてしまった。
溜息をつきながら犯人を探せば、できた何かの上に座っていた。
「…………演奏者くん」
「やぁ、権力者」
いつもの調子で彼はそう応じた。
「登っておいでよ」
「…………なんでこんなの作ったの」
「登ってきたら教えてあげるよ」
頑なに言ってくる。ひとつため息をついて、正方形のとこに足をかけながら、一段ずつ登ってどうにか彼の方まで行く。下を見ると格子状なせいで下が見えて、少しだけ怖気付いてしまうけど、どうにか平静を装って彼の隣に座った。
「……来たよ」
「きみが『ジャングルジム』知らないかと思って」
「………………それだけ?」
「あとは……高いとこからユートピアを見渡したかったのもある。やっぱり端までは見えないけど」
「…………ボクの管轄くらいなら見渡せるよ」
「……なんで、僕が犯人だと分かったんだい?」
「………………他の人の管轄の住人は別の管轄の場所までいけないの」
偉い人はどういう根拠か分からないけれど、自然発生を軸に調査してるらしい。…………こんなものが自然発生なんてするわけもないのに。
「……きみのこと、もう少し知りたいよ」
「………………ボクは君の方が気になるけどね」
寂しそうに言った彼に、若干冷たく返すと彼は笑った。