そういえば、ユートピアに来る人間は全員現実世界で適合できない、上手く生きられないと感じて『死んでしまいたい』なんて思った時にこの世界に来るんだったな、と思い出した。
目の前が真っ暗だった。何も見えず、ついでに何も聞こえない。
たまに起きる現象…………とはいえ、ユートピアに来てからなったのはこれでまだ二回目だった。
完治したわけではないけれど、ほぼ無くなったとしかいえなかったところから、急に症状が起こるとやっぱりパニックになるわけで。
目が覚めたのだから家にいるのは明確で、だから動かずにその場にいればいいというのに、どうしてか手探りで外に出て歩いてしまった。
おかげで今、どこにいるか全く分からない。
視覚、聴覚以外の感覚があるから、今へたりこんでしまっていることは分かる。このままじゃ、危ないかもしれないな、なんて本能が告げた時、声が聞こえた。
「…………者? …………力者?」
演奏者くんの声のような気がして、頑張って目を開けば、急激に明るい光が目に飛び込んでくる。
「……大丈夫かい!?」
慌てたような大きい声が耳に届く。恐る恐る彼の顔を見れば心配そうな顔を浮かべていた。
「……大丈夫、たまにある」
「たまにあるから大丈夫なわけないだろう」
怒ったような声だったけれど、心配してくれていたことが痛いほど分かって、申し訳ないと同時に少し嬉しかった。
「大事にしたいんだ、きみのこと」
彼はボクに対して真っ直ぐな瞳でそう言った。
「…………は?」
「そのまんまの意味だよ」
訳が分からなかった。いつものことながら突拍子すぎる言葉と行動。それが伝わっているかのように、当たり前に話してくる。
「……わかんないよ」
「………………未来の話だよ」
「……何が」
付き合っているのに、いや付き合ったからこそ、伝わらないことが増えてしまった。きっと、ボクと彼の恋愛観が違うんだろう。
「…………きみは、何歳なんだい?」
「……え」
急になんなんだ。
「…………十……八とかじゃない?」
日付とか数えられてないから分からないけど、成長した感じも歳とった感じもないから、きっとずっと十八だろう。
当たり前に言ったボクに対して、彼は酷く驚いたようだった。
「…………十八……」
彼はゴクリとこちらまで聞こえるような音で唾を飲んでから言った。
「……大事に、するから」
結局意味を教えてはくれないらしい。
ユートピアには時間も日付も何も無い。
けれど、存在はしているんだ、きっと。ただボクらが認識できてないだけで。
だって、花の種を植えて水をあげれば成長する。成長には時間が必要だからきっとこの世界には時間が流れているんだ。
ボクも演奏者くんも多分死ぬことはないけれど、時間という概念はある。それは、いつかこの世界が変わってしまうかもしれないそういう危険性を持っている。
認識できないからないわけじゃない、なんてのは生きていた時に宇宙人だとか異世界だとか神様だとかそういうものの類いの話の時に決まって出てきた。居ない証明も居る証明もできない。そういう話だ。
でも、この世界に時間があるという証明はできてしまう。
「嫌だな」
口から言葉が漏れる。
演奏者くんみたいに誰かが来ることが嫌なわけじゃない。演奏者くんとボク以上に仲良くなられたらまぁそれはそれで嫌だけど。でもそうじゃない。
いつか演奏者くんがどこかに居なくなってしまうのが嫌なんだ。
時間が無ければ、止まっていれば変わらぬ日常を過ごすだろう。ボクらが毎日やることを変えても、もし演奏者くんが居なくなってしまおうとしても次目が覚めた時にはこの世界に同じように居るだけなんだ。
それが良かった。そっちの方が良かった。
「時間なんて、止まっちゃえ」
全く神様も何も信じてないけれど、ボクは祈るようにそう呟いた。
「家に帰りたくないんだけど」
学校が終わって、一緒に帰ろうと誘ってくれたフォルテに対してボクはそう答えた。
家が嫌だとか、親が嫌いとかそういう訳ではなく、ただなんとなく家に帰りたくなくてもう少し外にいたくて、フォルテとも一緒にいたい…………とは口には出せないけれど。
でも、彼がボクのワガママに付き合ってくれる見込みもない。真面目な彼はきっとボクをおいて一人で帰ってしまうことだろう。
そんなボクの思いと裏腹に、いたずらっ子のような笑みを浮かべて彼は言った。
「じゃあ、夜景が見れる時間まで一緒にいようか」
学校にずっとはいられないからと、カフェに行ったりショッピングモールでお店を回ったりしていたらあっという間に夜になってしまった。
夏の終わりがけだから、少しずつ日没が早くなっているのが原因なのか、彼との時間が楽しかったからかボクには分からないけれど。
高い建物の最上階から外を見渡せば、店やビルの明かりが綺麗な夜景を作り上げていた。
イルミネーションとかとは違う毎日見れる普通の光景だけれど、フォルテと二人で見ているという事実が夜景をより綺麗にしていた。
夜までいられて幸せだけど、今から帰るのは憂鬱だな……。
「ところでメゾ」
フォルテがそう口を開いたから彼の方を見つめれば少しだけ意地悪な顔で言った。
「僕と一緒にいたいからってワガママを言っていたみたいだけど、これじゃあ逆効果になってないかい?」
「…………え」
「顔、赤くなってる」
彼は余裕そうにそう言ったけど、ボクの頭は大混乱で。最初の思惑も、今の気持ちも全部全部彼にお見通しだったらしい。
「…………フォルテは、楽しくなかった?」
「きみと一緒にいて、楽しくなかったことがないよ」
彼はそんなキザなセリフを吐きながら笑った。
ユートピアには花畑がある。
一面、カラフルな花が風に揺られている風景は圧巻で、その奥に権力者タワーがある。
でも、前はそんな光景じゃなかった。演奏者くんが来た時は花畑なんてなかった。
殺風景な明るい明るい何も無い広場。
そんなのはつまらないからって、頑張って花を育てた。時がないこの世界も、花だけは育ったり枯れたりするから、毎日欠かさず水をあげた。何故か毎日水をあげてれば枯れることはなかった。
最初は簡単だった。二本、三本しかない花に水をあげるのは楽だった。
でも、いつの間にか花畑になってしまった。ううん、自分で新しく植えたり、花からどうにか種とかとったり交配させたりして花を増やしたのだ。
今は一体何本あるんだろうか。殺風景だった広場を埋めつくしている花畑。あまりにも広かったここに花がビッシリ生えている。
水あげ作業が少しだけ憂鬱だけれども、花を枯らしたいわけじゃないから、端から水をあげていくことにしている。
時間はめちゃくちゃかかる。でも、欠かしたことはない。
演奏者くんがこの花畑を好きだって言ってくれたから。そして、迷い子たちもここを気に入ってくれることが多いから。
ボクが統治している場所はユートピアの一区画に過ぎないけれど、多分一番迷い子たちにとって過ごしやすい環境なんじゃないかと自負している。
だからその評価を維持するために頑張っている。
決して無駄じゃないはずのこの行為。ボクがもし権力者じゃなくなったら、きっと無くなってしまう気がして、小さなため息が口から漏れた。