「なんだい、これは」
団地の近くにある咲いていた花は、普段生えているのとは全然様子が違くて思わず僕はそんな独り言を言ってしまった。
いつもはパステルカラーの色とりどりな花が咲いている花壇が、別の種類と思われる青色の花で覆われていた。
一本一本咲いている、というよりも沢山の花が集合で咲いているようなもの。どこでも見たことがなかった。
「⋯⋯あれ? 演奏者くんじゃん」
軽快な声が彼女のものであることは確認しなくとも明らかで、だから僕は尋ねたのだ。
「⋯⋯これは、なんだい?」
「あじさい」
そのままこちらに歩いてきたのか、隣に立った彼女はそう言った。
「⋯⋯あじさい」
「地面の成分? とかによって花の色が変わるんだって」
「なるほど」
「アルカリ性だとピンク、酸性だと青だっけ。よく知らないけど」
彼女はそう言って笑った。
「⋯⋯じゃあ、ここの地面は酸性なんだね」
「まぁ死体って酸性らしいしね」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯は?」
「じゃ、ボク、住人の見回り行ってくるね」
彼女は平然と言って僕の目の前から去っていく。
『死体って酸性らしいしね』って言ったか? 死体って何の話だ?
まさか彼女はこの下に死体が埋まってるとでも言いたいのか⋯⋯?
権力者のタワーでは大体の時間が定められている。ユートピアにはない時間を大体推定で計っているらしい。人間界と同じような時間の流れにしているらしいと誰かが言っていた。
そして、七と十二と十九の時にご飯が出る。別に食べなくてもこの世界では生きていけるが、食べたいのなら食べてもいい、そんな娯楽的な扱いだった。
さて、そんなこんなでご飯を食べたボクは、デザートにあったプリンを持って演奏者くんを探していた。
ボクはプリンが嫌いなのだ。黄色いところは甘すぎるし、黒い部分は苦すぎる。中間ぐらいが欲しい。
「⋯⋯⋯⋯権力者?」
後ろから声がかかり、振り向くと演奏者くんが立っていた。ボクのことをまるで何か変なものを見るような目で見ている。
「演奏者くん」
「⋯⋯⋯⋯どうしたんだい、その格好」
彼に言われて、そういえば着替えたんだっけ、と気づいた。
いつもの格好とはほど遠い、とまではいかないが、白色のTシャツに、黒色の長ズボン。靴だけがいつもと同じもので少しばかり浮いている。
「あ〜、えっとね。もうそろそろ寝ようと思って」
「違う」
彼はボクの方に来ると、首の辺りに触れた。
「なんだい、これは」
その時にようやっと識別番号が刻まれている首輪が襟で隠せず丸見えであることに気がついた。
しまった、なんてことが瞬時に頭に浮かぶ。とんだ大失態だ、これは。ボクが偉い立場ではないことが分かってしまう。慌てるようにボクは言った。
「⋯⋯権力者であるという証明だよ。君とボクが立場が違うことを示すためのやつ」
「⋯⋯⋯⋯首輪、じゃないかい?」
「チョーカーだよ!! 全くもう、君ってやつは」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯そう、なのか」
全く納得してなさそうな顔で彼は呟いた。
「あ〜、もう! これ、君にあげる! じゃあね!」
ボクは彼の手にプリンカップを握らせて、さっさと退散した。
それにしても、彼が首輪に触れた時、心臓が大きく鼓動した。
⋯⋯⋯⋯好きな人にあんな近い距離で触られたら、そうなるのも当然だけど。
気まぐれで降り立った場所に広がっているのは街とかそういうものよりも廃墟と言った方が正しそうだった。
コンクリートでできた団地がたくさんある。でもそこに生活感というものは一ミリも存在しない。
そもそもここの住人は全員生きているのか、存在するのかすら不明だった。
しばらくそんな廃墟街を進めば開けた場所に出た。
そこまでは灰色コンクリートの地面だったところが、突然色がついているコンクリートに変わり、カラフルな屋根がついた一軒家が五軒ほど立ち並んでいて、中央に少し高くなった木の地面、そしてそこにグランドピアノが置かれていた。
高くなった場所を囲うように花壇がそんざいしていた。花は流石に生えてなかったが、かつては住人たちの憩いの場だったことが伺える。
グランドピアノに触れれば綺麗な音が流れた。
と、同時に急に暖かな風がふいて、僕の髪を揺らした。何も生えてなかったはずの花壇に色とりどりの花が咲いた。
まるで廃墟が目を覚ましたかのような感覚に少しだけ楽しい気分になりながら僕は演奏を続けた。
同時刻、別の場所で元の世界に帰りたがっていたのに洗脳されかけていた男の子がこの世界から突然消えたことも、この世界の理が壊れてしまったこともまだ何も知らなかったのだ。
「人生でやりたい10のこと、なんて文言があるらしいよ」
「⋯⋯⋯⋯ふーん?」
興味のないボクがその気持ちを全面に出して言葉を紡ぐと演奏者くんは呆れたような顔で言った。
「もう少し興味を持ってくれてもいいんじゃないかい?」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯やりたいこと、あんまりないし」
「僕はあるよ」
間髪をいれずに返ってきた言葉に少しだけ驚いた。
この世界にいて、やりたいことが見つかるなんてなんと呑気な性格なのか、なんて思ってしまう。
「⋯⋯例えば、迷い子の思う道を歩ませてあげたい、だとかもっとピアノの演奏が上手くなりたい、だとか」
「⋯⋯それって継続じゃん。やりたいこと、って言えなくない?」
「⋯⋯きみのことを知りたい」
真顔で言われた。脈絡はない、気がした。
「⋯⋯ボクのこと?」
「ああ、きみのこと。なんでここにいるのか、なんでここに迷い子たちが呼ばれるのか、とかとりあえず全部」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯知って、どうすんの」
「きみの正義と僕の正義に折り合いをつけて、ここをもう少しいい世界にしたい」
「⋯⋯⋯⋯何それ」
訳が分からない。
だいたいボクは偉い立場では到底ないからそんなこと聞かれても一ミリも分からない。だけど、分かんないとは言えないボクは悪態をつくしか無かった。
(現パロ)
ぼーっと空を見上げていると、太陽が登る様が見えた。
そうか、もうそんな時間か。
オールしたことにそれで気づいてしまったのは愚かな話だ。もっと前から時計を見るチャンスなんて山ほどあったのに。
今日は特に予定はない。だからやけに冴えてしまったままの目を閉じるにたる気持ちがなく、なんとなく窓の外を見あげながら考え事をするなんてことをしてしまった。
「⋯⋯⋯⋯綺麗だ」
そんな声が漏れる。
「ユートピア」では見られなかったな、なんて思ったのは人生で何回目なのか。
僕が死んだ、なんて言い方は正しくないが、とりあえず転生したのだ。
ユートピアで過ごしていたある日、権力者がいなくなった。何故だかは知らない。僕はそれを知る術はどこにもなかった。ただ、消えたと意識してから少し経ったあとに、新しい『権力者』を名乗る人物が現れたからだいたいの察しはついた。
彼女がいなくなってからの世界は退屈だった。新しい『権力者』は前の権力者と違って、僕に対してどこか機械的な様子で接する。談笑をすることも、僕の演奏を聴きたがることもなかった。
だから僕は天界に戻って、どうか転生させてくれ、と頼んだ。死んだ彼女も共に、と。
僕は謀反者だから、彼女と同じところかは運でしかない、なんて言いながら神は転生させてくれた。そしてその世界で人生をちゃんと生きられたら、彼女と共に天使に戻してやる、とも。
ちゃんと生きてると言えるのか、この体たらくは。
人間は夜眠る生き物なのに、朝まで起きてしまっていては天使に戻れないかもしれない。
朝日が窓から差し込んできた。
暖かな朝日に当たって、身体が少しだけポカポカしてきて。
今日こそは権力者を見つけることができる、なんて気がした。