「人生でやりたい10のこと、なんて文言があるらしいよ」
「⋯⋯⋯⋯ふーん?」
興味のないボクがその気持ちを全面に出して言葉を紡ぐと演奏者くんは呆れたような顔で言った。
「もう少し興味を持ってくれてもいいんじゃないかい?」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯やりたいこと、あんまりないし」
「僕はあるよ」
間髪をいれずに返ってきた言葉に少しだけ驚いた。
この世界にいて、やりたいことが見つかるなんてなんと呑気な性格なのか、なんて思ってしまう。
「⋯⋯例えば、迷い子の思う道を歩ませてあげたい、だとかもっとピアノの演奏が上手くなりたい、だとか」
「⋯⋯それって継続じゃん。やりたいこと、って言えなくない?」
「⋯⋯きみのことを知りたい」
真顔で言われた。脈絡はない、気がした。
「⋯⋯ボクのこと?」
「ああ、きみのこと。なんでここにいるのか、なんでここに迷い子たちが呼ばれるのか、とかとりあえず全部」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯知って、どうすんの」
「きみの正義と僕の正義に折り合いをつけて、ここをもう少しいい世界にしたい」
「⋯⋯⋯⋯何それ」
訳が分からない。
だいたいボクは偉い立場では到底ないからそんなこと聞かれても一ミリも分からない。だけど、分かんないとは言えないボクは悪態をつくしか無かった。
(現パロ)
ぼーっと空を見上げていると、太陽が登る様が見えた。
そうか、もうそんな時間か。
オールしたことにそれで気づいてしまったのは愚かな話だ。もっと前から時計を見るチャンスなんて山ほどあったのに。
今日は特に予定はない。だからやけに冴えてしまったままの目を閉じるにたる気持ちがなく、なんとなく窓の外を見あげながら考え事をするなんてことをしてしまった。
「⋯⋯⋯⋯綺麗だ」
そんな声が漏れる。
「ユートピア」では見られなかったな、なんて思ったのは人生で何回目なのか。
僕が死んだ、なんて言い方は正しくないが、とりあえず転生したのだ。
ユートピアで過ごしていたある日、権力者がいなくなった。何故だかは知らない。僕はそれを知る術はどこにもなかった。ただ、消えたと意識してから少し経ったあとに、新しい『権力者』を名乗る人物が現れたからだいたいの察しはついた。
彼女がいなくなってからの世界は退屈だった。新しい『権力者』は前の権力者と違って、僕に対してどこか機械的な様子で接する。談笑をすることも、僕の演奏を聴きたがることもなかった。
だから僕は天界に戻って、どうか転生させてくれ、と頼んだ。死んだ彼女も共に、と。
僕は謀反者だから、彼女と同じところかは運でしかない、なんて言いながら神は転生させてくれた。そしてその世界で人生をちゃんと生きられたら、彼女と共に天使に戻してやる、とも。
ちゃんと生きてると言えるのか、この体たらくは。
人間は夜眠る生き物なのに、朝まで起きてしまっていては天使に戻れないかもしれない。
朝日が窓から差し込んできた。
暖かな朝日に当たって、身体が少しだけポカポカしてきて。
今日こそは権力者を見つけることができる、なんて気がした。
「人生にはいくつかの岐路がある」
「⋯⋯⋯⋯なんの話? 急に」
意味ありげに、なんだか深いようなことを言った彼に対してボクはそう返した。
「⋯⋯⋯⋯分かれ道がこれまでに沢山あっただろう? きみにとって一番大きな分岐点だったのはなんだい?」
到底ここに来るまでに分かれ道なんてない。ということは彼が言っているのは『人生の分岐点』の話だ。
ところでボクにとって一番大きかった分岐点は『この世界に来たこと』で間違いないのだけど、ボクはそんなことを到底口に出せない。
なぜならボクは、この世界を統治してる存在、いわゆるトップだと思われており、そんな人間が『この世界に来る』なんて事実はありえないものになる。そうしたらボクが下っ端だとバレて、ボクが演奏者くんに対して強気に出れなくなる。それはとても不都合なのだ。
ボクは考えた末に言った。
「⋯⋯君と会ったことかも」
「僕と」
「うん。君と会わなかったらボクは淡々と迷い子を気持ちなんて考えずに住人にしてただろうし」
「おや、それは怖いね」
彼は笑った。言葉と表情が乖離しすぎてる。
「⋯⋯⋯⋯演奏者くんは?」
逆に問いかけてみると、彼はすぐに答えた。
「この世界に来たこと」
こいつとボクが同じ答えなのがムカつく感じである。なんて同じなんだ。
「⋯⋯⋯⋯なんで?」
「僕はこの世界に来ずに元いた場所へ帰ってればそこそこの地位には付けたからね。それを全て捨ててこの生活を取ったんだから大きな分岐点だったと言えるだろう」
この世界に来なくても君は幸せなんだね。
そう思ったけど、口には出さずに心の奥底へとしまい込む。
ボクは違った。ここが救いだった。ここしか救いじゃなかった。元の世界で生きていたらきっともうとっくに死んでいる。だから幸せの道を歩むことを選択できたことが大きな分岐点だった。
でも彼は違う。
ここにいなくても、また別の幸せがあったのだ。
同じところが分岐点なのに、えらく選択理由が違う、なんてボクは心の中で嘲笑った。
「終わるよ」
彼女は言った。
なんのこと、などと声をあげる前に彼女は続けて言った。
「世界、終わるよ」
そのまま前方を指さしたから指の方向を辿っていくと、まるでデジタル世界が消えるように、遠くの景色が無数の四角となって消えていく様子が見えた。
「⋯⋯⋯⋯終わるのかい」
「うん、終わるよ」
彼女は淡々と言った。まるでいつもあるルーティンの話をしてるかのように。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯なんでだか分かってるのかい?」
「ん〜ん。でも終わる。多分、管轄できなくなったとかそんな感じでしょ」
彼女にとって唯一の場所なはずなのに、ここが消えたら行く末がなくなることは分かってるのに、もしかしたら僕らも景色と同じように分解されて消えるかもしれないのに、彼女は世間話のように言った。
「あと、どのくらいで」
「もう、そんなにもたないと思う」
目の前の景色はどんどん分解されながらこちらに迫ってきていて、それはとても恐ろしい光景のはずなのに何故だかとても綺麗だった。
「⋯⋯⋯⋯綺麗、だな」
「そーだね」
「⋯⋯⋯⋯きみは、怖くないのかい」
「全然」
なんで、とは聞けなかった。聞いちゃいけない気がしたし、嘘のようにも聞こえたから。
「演奏者くんは?」
「⋯⋯⋯⋯僕はきっと死ねないから」
堕天使なのだ、僕は。きっと天界に戻るなり、他の異世界に行くなりしなくてはならないだけで、死にはしない。
「そっか。じゃあボクだけか」
「⋯⋯⋯⋯きみは、悪魔とかじゃ」
「ないよ。ただの人間」
きみはそう言った。
パラパラと少しばかりしか遠くない木々が分解されていく。きっと後数秒で僕らもあの餌食になる。
「⋯⋯⋯⋯好きだよ、きみのこと」
飲み込れる寸前、そう呟いた。
本当は自分のものにしたかったけど、そんなことはもうできなさそうだから。
返答はなかった。
当たりを見回せば、僕が立ってる大地を除いて全ての場所がなくなっていた。
目が覚めた。いつもの通り、僕の部屋で。
布団を剥がし、ベッドから降りて、扉を開いて外に飛び出したら、ピアノの近くのベンチで彼女が座っていた。
「あ、演奏者くんじゃ〜ん。今日、ちょっと起きるの遅くない? 怠惰だな〜」
夢だったらしい。夢だった、のだ。
そう実感すると安心して、僕は思わず彼女を抱きしめた。
「!? ど、どうしたの!?」
「⋯⋯⋯⋯生きていてくれよ。ずっと」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯な、なんの話? とりあえず離れてくんない!?」
怪訝そうにきみは言ったけど、僕はもう少しの間、きみを離せそうになかった。
ああ、最悪の日だ、なんて思ってしまった。
迷い子が迷いこんできたのが分かったボクは、いつもの通りこの世界の勧誘をするために接触をしようとした。
だいたい現実世界で十五、六くらいの男子。彼はここが異世界だと分かった瞬間に『すきる』だとか『ちーと』だとか、ボクにはちょっとよく分からない単語を言い出した。分からない、そんなものはない、なんてボクが言っても聞かない。「異世界なんだから絶対あるはずだ」なんて言って一歩も譲ろうとしなかった。
そんな問答をしているうちに演奏者くんもやって来て、二人でどうにかなだめてこの世界に留まるか、それとも帰るかみたいな話をしようとしたら迷い子くんは言ったのだ。
「つっかえねー異世界! まぁこんな冴えないお前らがいるなら当然か!」
それで、ボクは思ってしまった。手に負えないな、って。
そう思ったのは演奏者くんもおなじだったようで呆れたような顔で迷い子くんを見たのだ。
「本当に本当に、心の底からそう思ってるのかい?」
「そーだよ! だいたい女の方なんて『ボク』とか言ってて気持ち悪いじゃねぇか」
迷い子くんに向かって拳が振り下ろされた。演奏者くんはニコニコ笑顔で笑っていた。まるで、何もしてないかのように。
「ってぇ⋯⋯。なんだよ!」
「いいや、別に。ただ、頭も回ってないようなお前に権力者のことをバカにされるのは少々気に食わなくてね。最悪だって気持ちが手に出てしまったかもしれない」
当たり前のことのように演奏者くんは言うと、迷い子くんを軽々しく持ち上げた。
「え、演奏者くん」
「⋯⋯⋯⋯今回は不問ってことにしてくれるかい?」
ボクの返事を待たずに彼は行ってしまった。
何にも分からなかったけど、そこから二度と迷い子くんの姿を見ることはなかった。
⋯⋯⋯⋯⋯⋯現実に返すためのピアノの演奏も聴こえなかったけれど。