「秘密ってある?」
演奏を終え、彼女から拍手を貰ったあとに、突然言われた。
「⋯⋯秘密?」
「うん。誰かに言ったことない、何なら誰にも言えない秘密」
「⋯⋯言ったことないものはないけど、言えないものは無いよ」
「ないの?」
意外、なんて言いそうなトーンで彼女が問うてきたが、もちろんない。
誰にも『言えない』なんて、そんな罪深いことをしたような覚えはないのだ。
「逆にその反応だときみはあるのかい?」
「うん、あるよ。誰にも言えない秘密」
⋯⋯あるのか。でも、誰にも言えないんだから、それを確認する術はない。どんなものか、なんていうことさえも聞けない。なんだか見えないものを見せると言われたような、その秘密自体がシュレディンガーの猫のようなものに見えてきた。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯そうかい」
追求はできないことをよく分かった僕はそう流した。彼女は笑った。
「興味ないのかって感じの返事だけど、さては諦めたな?」
「そうだよ。誰にも言えない秘密、それは僕にも知る権利がないからね」
「まぁそーだね」
そうなら話を広げるな、などと言うつもりはないけれど。文句の代わりに僕は疑問を口にした。
「⋯⋯⋯⋯急に話題にしたのはどうしてだい」
「なんかね、そういうことを急に考えついたから」
「それは、僕の演奏を聴いてて?」
「うん、そう」
そんなことを思いつくようなほど、秘密があるように聴こえる曲だっただろうか。わりと明るめのテンポと音で楽しげに聴こえるような曲にしたつもりだったのに。
「なんかね、ボクにはたくさん持ってる秘密を誰にも明かさないように頑張って隠して取り繕ってるように聴こえちゃったんだ」
「なるほど」
「だから、作った演奏者くんが何か誰にも言えない秘密、持ってるのかなって」
「⋯⋯ないよ。本当にね」
確かにない。『誰にも言えない秘密』は。
ただ『権力者には言いたくない秘密』ならある。
僕はきみのことが好きだとか、どんな手を使っても自分のものにしたいと考えているとか。そんなことを口に出したらきっときみを警戒させてしまうから。
だからきみには言えない秘密を悟られないようにしてるのがバレてしまったのかも、しれないね。
権力者用に用意されてる部屋ってのがある。
めちゃくちゃ狭い。
ベッドがあって、机と椅子があって。それで終わり。
お腹も減らない、のども乾かない。寝る時間だって必要はない。必要ないんだけど寝たいから寝てる。そういうのだっていっぱいいる。
とにかく権力者用の部屋というのはとにかく狭い。家具が少ないんじゃなくてとにかく置けない。
本棚とか置きたかったけど全然置くとこがなかった。そのレベル。
そんなわけで部屋で出来ることが全然ない。寝るか報告書を書くかの二択。
でも、ボクは結構な頻度で机に座って真正面にある窓に目を向ける。めちゃくちゃ明るい陽の光がさんさんと差し込んでくるけどボクは演奏者くんのことを考えて微妙に憂鬱になってる時しかそんなことをしない。
彼のことが好きという気持ちがある。それは一目惚れから始まって、彼のことをどんどん知ってくうちに更に好きになった。
でも同時にボクは彼のことを全く読めてない。何を考えてるのかも、なんでここにいるのかも、ボクといる時にどんな気分なのかも。だからそれが少し怖い。
ボクと話して彼はどう感じたのかを表情とかから予想して、ボクへの好意がないことを再確認する。それによってボクの恋心を無理やり消そうとする。
それが、いつものルーティンだった。
失恋をした。
正確には『そういう目で見れるようなほど対等じゃないから恋愛なんてできない』なんて言われた。
訳が分からない。
僕と彼女が対等じゃないという言い分も、恋愛なんて『できない』なんて言葉のわけも。
どういう事なのか、と首を傾げることしか出来なかった。全く訳が分からない。
ただ一つ腹が立ったのはそんな曖昧な言葉で誤魔化されたことだ。
好き、とか嫌い、とかそういう言葉ではなく、かと言って『恋愛的な目で見たことない』でもなく、『対等じゃない』なんて言われてしまったこと。
そんな言い方をされるとは思ってなくて、だからそもそもこれを失恋と称していいかすら不明で。
だからまずは彼女をこちらに向かせなきゃいけない。対等とかそんな変な言葉も隔たりも作らず、ただ一人と一人の感情の話がしたいから。
これは少々面倒な感じもする一方でわくわくしてる自分がいた。
ものすごく正直に言うと、演奏者くんのことが好きだ。もちろん本人の前で言ってやるつもりはないけども。
ピアノの演奏が上手いところが好き。
頼んだらいつでも演奏してくれるとこが好き。
いつも邪魔してるボクを煙たがらないとこが好き。
ボクのこと対等に見てるとこが好き。
敵対してるのに姿が見えなかったから心配したって言ってくるとこが好き。
全部、全部好きだ。
本人には本当に言うつもりはないけども。
「たまには雨が降ってほしいものだね」
演奏者くんが空を見上げながらそういった。
「雨⋯⋯?」
「雨、知らないかい?」
「いやさすがに⋯⋯」
「じゃあなんでそんな反応を⋯⋯?」
「ほら、雨ってやな事ばっかだから」
ボクがそうぼやくと彼は笑った。
「確かに『人間』にとっては雨というものはけして心地いいものとは言えない。でもね、他のものにとってはそんなことはないんだよ」
「例えば?」
「最たる例は植物だろ。手作業で水をかけるのもいいかもしれないがやはり限度がある。やはり広範囲にかかる雨の方が有難いんだよ」
「ふーん」
「興味無さそうだね」
降らない雨の話をして興味がある方がおかしいんじゃない? なんて言わずにボクは曖昧に微笑んだ。
「梅雨はね、いいよ」
「なんで」
「雨が沢山降る、夏の準備をする⋯⋯⋯⋯いい事だらけだ」
「そんなに言うなら人間界に住んだら?」
「あはは、冗談だよ」
「何が?」
彼は答えなかった。
明るく笑った彼はなんだか晴天というよりも、雲から覗いた一筋の光をもたらすそんな時の太陽のような顔をしていた。