(権力者が集団であることがバレたあと)
「『今日』で終わりだから」
彼女はそう言った。特に何も弊害が無いかのように、まるで今回でこの曲の練習を終わりにしようなんて言うかのように。
「⋯⋯⋯⋯何がだい」
「ボクの担当。『明日』ってかボクがやってるルーティン終わったら交代」
「ルーティンはいつ終わるんだい」
「もう終わった」
あっけらかんと言った。なんでもないことのように。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯終わった」
「うん」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯じゃあ、もう」
「うん、そうだね」
「別れの挨拶をしに来てくれたのかい?」
「うん」
前会った時はこんなんじゃなかった。今までみたいな時間の流れ方がずっと続くんだろうなんて、そんなことを考えてた。
「⋯⋯⋯⋯別れの、挨拶」
それが突然に失われた。もう二度と彼女に演奏を聴いてもらうことも、『演奏者くん』なんて明るく呼ばれることも、迷い子を取り合って小競り合いすることもなくなってしまう。
「うん。だって、次の『権力者』は絶対融通効かないから。ボクみたいにちょろくなんかないしね」
「⋯⋯⋯⋯そうか」
自分でいうのか、なんていつもなら返したかもしれないが今の僕は到底そんな返事はできそうになかった。
「だからさ、その忠告と、あと」
「⋯⋯あと?」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯ボクの名前、メゾね。じゃ」
ひらひらと手を振って去っていった。
メゾ。
楽譜記号の一種で『少し』を意味する表現。
僕の名前は『フォルテ』
なんかの関連性が見いだせそうで、その意味合いで彼女の記憶を残しておきたくて。
彼女の思い出を一つ一つ思い返して忘れないようにしたところで、彼女のことが好きだったことに気づいた。
「恋バナしよう」
「何でだい?」
権力者がどこからかやってきてベンチに座ったかと思えばそんなことを呟いた。ちなみにどこから来たか検討がつかない。あっちは行き止まりだったはずだ。
「ん。なんか、うん」
「何が」
「恋、したことある?」
何も答えてくれず一方的に質問をしてきた。今日は機嫌が悪いのかなんなのか。
「ないな」
「⋯⋯⋯⋯ふーん」
「なんだい」
「⋯⋯⋯⋯ボクは、あるよ」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯だれ、と」
言葉がカタコトになる。
ない、なんて完全なる嘘で、本当はあって。
でも『ある』なんて答えたら今の僕のように『誰』と聞かれて、そこで体のいい嘘をつけない僕は恋心を暴露してしまうかもしれないからと口を噤んだのだ。
だから、権力者が恋をしたことあるのは気になってしまって。
「⋯⋯⋯⋯いいね」
「何が」
「困ってるみたいな、驚いてるみたいなその顔」
「は」
「⋯⋯⋯⋯ふふ。元気でた。住人の様子見てくる」
立ち上がって去っていく。
なんだったんだ? 本当に。
構って欲しかっただけか??
見送り終えてから解答を誤魔化されたことに気づいて軽く舌打ちを鳴らした。
ユートピアの表世界を『昼』と称するなら、権力者集団がいる場所は『夜』、それも『真夜中』だろう。
光が一切当たらない場所。
光を生み出そうとしても無理だった場所。
施設を別の場所に建てようとしたとき、建設予定地だった場所が、光が当たる暖かな地から、暗闇に飲み込まれた冷たい地へと変化した、なんて言われてる。
要するに、ボクら権力者はそもそも日の目を見ることさえ禁じられている、なんて解釈もできる。
権力者は寝る場所さえも暗闇に包まれるらしい。つくづく面倒だな、って思う。
⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯他人事だな。
そりゃ、そうなんだけど。
だって、ボクの寝る場所は暗くなったりしない。ずっとユートピアの表世界の明るさを保ってる。
理由は分かる。
ボクが元々権力者じゃなかったから。成り上がり権力者だから。
だから、明るい。多分、きっと。
ボクの寝る場所が暗くなった時、ボクは演奏者くんのことを敵としか見れなくなる気がする。
目が覚めて、明るいことを確認して、いつもほっとする。
彼に恋してる自分が、自分によって消えるんじゃなくて、いつの間にか他人に消されるのが嫌なんだ。
ワガママなことはわかってるけれど。
明るい空を部屋から見上げながらボクはそうおもった。
「ひとつ思ったんだけどさ⋯⋯⋯⋯」
僕の演奏を聴いていた彼女が口を開いた。
「なんだい?」
「これがあったら何でもできる、みたいなのってあるの?」
「愛だよ」
そう答えたら彼女は黙った後、言った。
「は?」
「え?」
「は?」
「⋯⋯⋯⋯どうしたの?」
「いや、意味わかんない。愛があったら何でもできる? え、え??」
彼女は首を傾げながら呆れたように言った。
「⋯⋯できない?」
「できないことだってあるでしょ」
「例えば?」
「⋯⋯⋯⋯ん〜、この世界からの脱出?」
「できるよ、君への愛があれば」
「⋯⋯は!?!?」
顔を真っ赤にして動揺する彼女。可愛いな、なんて思った。
「な、何それ!? 意味わかんないんだけど!?」
僕は立ち上がって権力者の手を取って目線を合わせながら言った。
「できるよ。愛さえあればね」
「な、なにそれ⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
僕の気迫に押されたのか、若干仰け反りながら君は言った。
もしもボクが後悔していることを無くすことができるのなら、ボクはきっとこの世界で多分もう生きてない。
悔やんでることがある。後悔してる事がある。残念なことにたくさんあるんだ。
一つ、ボクだけが助かろうとしたこと。
どうしてもどうしても死にたくなくて、どうしてもどうしても暴力を受けたくなくて、痛くても笑って誤魔化して1人だけ権力者になったこと。
もしあの場に戻って暴力に耐え抜いてたら多分死んでた。命なんて儚いから。
二つ、仲間を自我のない人形にしたこと。
権力者になって、暴力支配から洗脳支配に切り替わった時、ボクが担当することになったのはかつて住んでた場所で。ボクが久しぶりに顔を見せたことを喜ぶ仲間の良心につけ込んで、一人ずつ洗脳していったこと。気づいてしまった子がボクをまるで化け物を見るような目で見てたのが目に焼き付いて離れない。
もしあの場に戻れたら、ボクはきっと洗脳なんてできないなどと偉い人に言って殺されてた。立場が弱い権力者の命は、あんまり住人と変わらない重さを持ってる。
三つ、演奏者くんに恋しちゃったこと。
好きになっちゃったのが一番の悪。
権力者だから敵対する者に好意を持っちゃいけないし、そうじゃなくたって身分違いだから恋なんてしちゃダメ。ダメの合わせ技なのだ。
もしあの頃に戻れたら⋯⋯⋯⋯⋯⋯。
もど、れたら⋯⋯⋯⋯??
戻れたら、どうするの。
ボクは、好意を消せない。じゃあ、偉い人のとこに戻るの?
違う、違う。
ボクは、ボクは、絶対ありっこないから死ぬなんて言えてるだけ。実際戻ったとこでどうせ、ボクは。
「やぁ、権力者」
「⋯⋯!」
演奏者くんがニコニコしながらボクの座ってるベンチの前に立っていた。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯大丈夫かい? ずっと僕に気づかないようだったから」
「⋯⋯⋯⋯ずっと⋯⋯?」
「ああ、ずっと」
ということはバカみたいな絵空事を考えていたのとがバレているのかもしれない。
「後悔ってね、しない方がいい。過去には戻れないから」
「⋯⋯⋯⋯えん、そうしゃ⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯ふふ。独り言」
彼はそう言ってボクの手を取った。
「⋯⋯なに」
「ピアノ、弾くからおいで。好きだろう?」
そういうことをさらっとするから好きの気持ちが消せないのだ。
「⋯⋯うん、分かった」
消せないなら、向き合うしかないから。
せめて、今の二人での交流を楽しむしかない。
ボクはそう思いながら立ち上がった。