風が吹いていた。
いつもの数倍は強い風だった。
そういえば天使だったころは、みんなが強風に乗れるかチャレンジをしてたっけ。
どのくらい風に乗れたとか、どのくらい遠くまで飛べたとかそういう子供の遊び。
風に身体を任していけるとこまでいって、うっかり天界から堕ちたやつも沢山いた。
大人は笑って見過ごして、堕ちても特に気にしなかった。
天使は堕ちても死なないから大丈夫だって、そう言ってた。
今はそんなことできない。羽がないから、そしてそんなことをできないから。
バカみたいなことをしてる暇はない。
迷い子を元の世界に返すことが必要なのだ、今この世界にいるためには。
もう天使じゃない僕が生きるためには。
(権力者が集団だとバレた上に演奏者が元天使だと分からされた後)
「⋯⋯要するに演奏者くんは天使様として生きてたのにわざわざこの世界に来て、理をねじ曲げたからって怒られたからってブチ切れて帰ってないの?」
「いや、堕天させられたよ」
「だ、だてん⋯⋯?」
「ん⋯⋯天使じゃなくなったって感じ」
「へぇ、じゃあ今の君は何」
「あくま?」
「あ、あ、あ、あくま!?!?!?!?」
「うん、あくま」
天使がだてん⋯⋯? とやらをすると、悪魔になるの? やばいな、すごい、真逆じゃん。
「それにしても、天使のままで生きてた世界もあったかもしれないんだ」
「それは、そうだけど」
「その世界はさ、なくなっちゃったわけじゃん? 天使の仲間とかと楽しく過ごしたはずの時間も失われちゃったんでしょ? 悲しくないわけ?」
「いや、ぜんぜん。楽しくなかったし」
本当に思っているんだろうな、みたいな顔でサラッと言ってのける演奏者くんに少しだけ戸惑う。
「⋯⋯ホントに?」
「本当に。それに、天使のままだったらきみに出会えなかったからね」
本気でボクのことが好きならしい、この男は。
でも、ダメなのだ。
ボクは権力者の中でもめちゃくちゃ下っ端で、例えば演奏者くんなんかと協力する素振りを見せただけで簡単に首が吹っ飛ぶようなそんな立ち位置なのだ。
だから、ボクと付き合う世界だって『失われた世界』のひとつに含まれるっていうのに、演奏者くんは全く考えてないらしい。
まぁ、ボクがもうとっくに演奏者くんのことが好き、なんてバレなきゃ言いから簡単だと思うけどね。
(権力者が集団であることがバレた後)
「この世界って、みんなこんな感じで洗脳されている訳じゃないんだろう?」
「ん、あぁ⋯⋯うん」
相変わらず話の切り出し方が唐突で、前後のつながりがミリもないなぁ、なんて思いながらそう答えた。だいたいさっきまでは、花が綺麗だが誰が育ててるのかみたいな話してなかった?
「じゃあ、他の場所にいる住人は違ったりするかい?」
「ああ、うん」
「よかったら教えてくれないかい?」
ヤダって言ったら引き下がるみたいな言い方をしてるがこいつに引き下がる気は一切ない。そういうズルい奴なのだ、こいつは。
「子供、みたいな人になっちゃうとか」
「⋯⋯⋯⋯子供、みたいな人?」
「ん。なんか性格とか、場合によっては見た目まで」
「へぇ。子供」
自分で聞いたわりに興味無さそうだな、お前!
まぁ、ボクは半分子供みたいなもんだし、演奏者くんもワガママな性格があったりして、わりと子供っぽいからあんまりよく分かんないのかもしれない。
「子供になったら、何も出来ないね」
「⋯⋯⋯⋯例えば?」
「きみを口説いてみるとか」
またか、演奏者。
ココ最近君はそんな話しかしないけれども、ボクは正直呆れてんだよ。
「ボクは君に口説き落とされたりしないよ」
「⋯⋯⋯⋯僕が頑張ればできない話じゃない」
そんな話し方しかできないのか、演奏者くんは。
だいたいボクは本当に口説き落とされたりしない。なぜならもう、君のことを好きだから。ここでさらに落ちるなんて馬鹿な話はないんだ。
風が吹いて、君の短い髪がなびいて、ボクはその横顔にまた、好きだななんて思ってしまった。
好きだと気づいてしまった。
権力者のことが好きだと。
そうしたら止まれないのは明確なのだ。
何がなんでも手に入れたし、何がなんでもこちら側まで落としてしまいたい。
それができなきゃ、好きになった意味がないのだ。
どうすればいいのか。
そこだけが一ミリも分からない
彼女に愛を叫んだって、意識させようと努力したって手に入らないような気がする。
だから、頑張るしかない。
頑張るんだ、彼女を手に入れるためには。
僕は彼女を手に入れる決心をグランドピアノの前でした。
ひらひらと舞う何かを見つけたとき、ボクは首を傾げることしかできなかった。
ほこりとか、花びらとかそういうものの類ではない、まるで自分の意思をもって飛んでいるような白いその姿をボクはこの世界で見たことがなかった。
なんだろうこれは、と手を伸ばしかけた時、それの上から何かが覆いかぶさってそのまま下へと落ちた。
「⋯⋯生き物がこの世界に入り込むとはね」
声も言い方も演奏者くんとは全く違うその人の声を聞いた時、背筋が伸びるような心地がした。
黒いワイシャツに黒いベスト、少し厚手で身体のラインを隠すようなズボンに黒い革靴。
権力者集団の中でも特に偉い人が立っていた。
「お疲れ様です⋯⋯」
「やぁお疲れ。『メゾ』、どうだいやつは」
「え⋯⋯⋯⋯『ピアノ弾き』は今の所、特に目立ったことはしてない、かと」
「なるほど。住人も少しばかり増加量は減ったものの当初の予定よりはいい水準だ」
上機嫌で微笑んだのを見て、ボクは心の中で安堵した。正直演奏者くんと仲良くしているということがバレているかもしれない、なんて不安がずっとあったけど、とりあえず救われたらしい。よかった。
「⋯⋯⋯⋯『ピアノ弾き』はなぜここに来たのかは分かったか?」
「いいえ。相手からも敵対意識を持たれてしまってる面があるので、まずは少し親睦を深めてから聞き出すつもりです」
「敵対意識か。確かに彼の心意気とは相反するからな。敵対意識を持たれるのは当然のこと、想定の範囲内だ」
「はい⋯⋯」
「そういえばお前、これはモンシロチョウという。教養がおまえは著しく欠けていたからな。いい機会だし教えておこう」
「あ、ありがとうございます!」
「ふ。どうってことはない。それでは引き続き頼んだぞ」
偉い人はそう言うと去っていった。
今の所は対等なのだ、演奏者くんとボクは。
でも、偉い人の集団から外れた時、その時は。
叩き落とされたモンシロチョウを見ながらボクはため息をついた。
演奏者くんが来なければ先にこうなってたのはボクの方だったのだ。
モンシロチョウもボクも大きさは全然違うのに命の軽さは同じ。絶対的な弱者。
「⋯⋯ボクももう少し何かすごいとこがあったらな」
そんな呟きは虚空へと消えた。