「ひとつ思ったんだけどさ⋯⋯⋯⋯」
僕の演奏を聴いていた彼女が口を開いた。
「なんだい?」
「これがあったら何でもできる、みたいなのってあるの?」
「愛だよ」
そう答えたら彼女は黙った後、言った。
「は?」
「え?」
「は?」
「⋯⋯⋯⋯どうしたの?」
「いや、意味わかんない。愛があったら何でもできる? え、え??」
彼女は首を傾げながら呆れたように言った。
「⋯⋯できない?」
「できないことだってあるでしょ」
「例えば?」
「⋯⋯⋯⋯ん〜、この世界からの脱出?」
「できるよ、君への愛があれば」
「⋯⋯は!?!?」
顔を真っ赤にして動揺する彼女。可愛いな、なんて思った。
「な、何それ!? 意味わかんないんだけど!?」
僕は立ち上がって権力者の手を取って目線を合わせながら言った。
「できるよ。愛さえあればね」
「な、なにそれ⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
僕の気迫に押されたのか、若干仰け反りながら君は言った。
もしもボクが後悔していることを無くすことができるのなら、ボクはきっとこの世界で多分もう生きてない。
悔やんでることがある。後悔してる事がある。残念なことにたくさんあるんだ。
一つ、ボクだけが助かろうとしたこと。
どうしてもどうしても死にたくなくて、どうしてもどうしても暴力を受けたくなくて、痛くても笑って誤魔化して1人だけ権力者になったこと。
もしあの場に戻って暴力に耐え抜いてたら多分死んでた。命なんて儚いから。
二つ、仲間を自我のない人形にしたこと。
権力者になって、暴力支配から洗脳支配に切り替わった時、ボクが担当することになったのはかつて住んでた場所で。ボクが久しぶりに顔を見せたことを喜ぶ仲間の良心につけ込んで、一人ずつ洗脳していったこと。気づいてしまった子がボクをまるで化け物を見るような目で見てたのが目に焼き付いて離れない。
もしあの場に戻れたら、ボクはきっと洗脳なんてできないなどと偉い人に言って殺されてた。立場が弱い権力者の命は、あんまり住人と変わらない重さを持ってる。
三つ、演奏者くんに恋しちゃったこと。
好きになっちゃったのが一番の悪。
権力者だから敵対する者に好意を持っちゃいけないし、そうじゃなくたって身分違いだから恋なんてしちゃダメ。ダメの合わせ技なのだ。
もしあの頃に戻れたら⋯⋯⋯⋯⋯⋯。
もど、れたら⋯⋯⋯⋯??
戻れたら、どうするの。
ボクは、好意を消せない。じゃあ、偉い人のとこに戻るの?
違う、違う。
ボクは、ボクは、絶対ありっこないから死ぬなんて言えてるだけ。実際戻ったとこでどうせ、ボクは。
「やぁ、権力者」
「⋯⋯!」
演奏者くんがニコニコしながらボクの座ってるベンチの前に立っていた。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯大丈夫かい? ずっと僕に気づかないようだったから」
「⋯⋯⋯⋯ずっと⋯⋯?」
「ああ、ずっと」
ということはバカみたいな絵空事を考えていたのとがバレているのかもしれない。
「後悔ってね、しない方がいい。過去には戻れないから」
「⋯⋯⋯⋯えん、そうしゃ⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯ふふ。独り言」
彼はそう言ってボクの手を取った。
「⋯⋯なに」
「ピアノ、弾くからおいで。好きだろう?」
そういうことをさらっとするから好きの気持ちが消せないのだ。
「⋯⋯うん、分かった」
消せないなら、向き合うしかないから。
せめて、今の二人での交流を楽しむしかない。
ボクはそう思いながら立ち上がった。
風が吹いていた。
いつもの数倍は強い風だった。
そういえば天使だったころは、みんなが強風に乗れるかチャレンジをしてたっけ。
どのくらい風に乗れたとか、どのくらい遠くまで飛べたとかそういう子供の遊び。
風に身体を任していけるとこまでいって、うっかり天界から堕ちたやつも沢山いた。
大人は笑って見過ごして、堕ちても特に気にしなかった。
天使は堕ちても死なないから大丈夫だって、そう言ってた。
今はそんなことできない。羽がないから、そしてそんなことをできないから。
バカみたいなことをしてる暇はない。
迷い子を元の世界に返すことが必要なのだ、今この世界にいるためには。
もう天使じゃない僕が生きるためには。
(権力者が集団だとバレた上に演奏者が元天使だと分からされた後)
「⋯⋯要するに演奏者くんは天使様として生きてたのにわざわざこの世界に来て、理をねじ曲げたからって怒られたからってブチ切れて帰ってないの?」
「いや、堕天させられたよ」
「だ、だてん⋯⋯?」
「ん⋯⋯天使じゃなくなったって感じ」
「へぇ、じゃあ今の君は何」
「あくま?」
「あ、あ、あ、あくま!?!?!?!?」
「うん、あくま」
天使がだてん⋯⋯? とやらをすると、悪魔になるの? やばいな、すごい、真逆じゃん。
「それにしても、天使のままで生きてた世界もあったかもしれないんだ」
「それは、そうだけど」
「その世界はさ、なくなっちゃったわけじゃん? 天使の仲間とかと楽しく過ごしたはずの時間も失われちゃったんでしょ? 悲しくないわけ?」
「いや、ぜんぜん。楽しくなかったし」
本当に思っているんだろうな、みたいな顔でサラッと言ってのける演奏者くんに少しだけ戸惑う。
「⋯⋯ホントに?」
「本当に。それに、天使のままだったらきみに出会えなかったからね」
本気でボクのことが好きならしい、この男は。
でも、ダメなのだ。
ボクは権力者の中でもめちゃくちゃ下っ端で、例えば演奏者くんなんかと協力する素振りを見せただけで簡単に首が吹っ飛ぶようなそんな立ち位置なのだ。
だから、ボクと付き合う世界だって『失われた世界』のひとつに含まれるっていうのに、演奏者くんは全く考えてないらしい。
まぁ、ボクがもうとっくに演奏者くんのことが好き、なんてバレなきゃ言いから簡単だと思うけどね。
(権力者が集団であることがバレた後)
「この世界って、みんなこんな感じで洗脳されている訳じゃないんだろう?」
「ん、あぁ⋯⋯うん」
相変わらず話の切り出し方が唐突で、前後のつながりがミリもないなぁ、なんて思いながらそう答えた。だいたいさっきまでは、花が綺麗だが誰が育ててるのかみたいな話してなかった?
「じゃあ、他の場所にいる住人は違ったりするかい?」
「ああ、うん」
「よかったら教えてくれないかい?」
ヤダって言ったら引き下がるみたいな言い方をしてるがこいつに引き下がる気は一切ない。そういうズルい奴なのだ、こいつは。
「子供、みたいな人になっちゃうとか」
「⋯⋯⋯⋯子供、みたいな人?」
「ん。なんか性格とか、場合によっては見た目まで」
「へぇ。子供」
自分で聞いたわりに興味無さそうだな、お前!
まぁ、ボクは半分子供みたいなもんだし、演奏者くんもワガママな性格があったりして、わりと子供っぽいからあんまりよく分かんないのかもしれない。
「子供になったら、何も出来ないね」
「⋯⋯⋯⋯例えば?」
「きみを口説いてみるとか」
またか、演奏者。
ココ最近君はそんな話しかしないけれども、ボクは正直呆れてんだよ。
「ボクは君に口説き落とされたりしないよ」
「⋯⋯⋯⋯僕が頑張ればできない話じゃない」
そんな話し方しかできないのか、演奏者くんは。
だいたいボクは本当に口説き落とされたりしない。なぜならもう、君のことを好きだから。ここでさらに落ちるなんて馬鹿な話はないんだ。
風が吹いて、君の短い髪がなびいて、ボクはその横顔にまた、好きだななんて思ってしまった。