好きだと気づいてしまった。
権力者のことが好きだと。
そうしたら止まれないのは明確なのだ。
何がなんでも手に入れたし、何がなんでもこちら側まで落としてしまいたい。
それができなきゃ、好きになった意味がないのだ。
どうすればいいのか。
そこだけが一ミリも分からない
彼女に愛を叫んだって、意識させようと努力したって手に入らないような気がする。
だから、頑張るしかない。
頑張るんだ、彼女を手に入れるためには。
僕は彼女を手に入れる決心をグランドピアノの前でした。
ひらひらと舞う何かを見つけたとき、ボクは首を傾げることしかできなかった。
ほこりとか、花びらとかそういうものの類ではない、まるで自分の意思をもって飛んでいるような白いその姿をボクはこの世界で見たことがなかった。
なんだろうこれは、と手を伸ばしかけた時、それの上から何かが覆いかぶさってそのまま下へと落ちた。
「⋯⋯生き物がこの世界に入り込むとはね」
声も言い方も演奏者くんとは全く違うその人の声を聞いた時、背筋が伸びるような心地がした。
黒いワイシャツに黒いベスト、少し厚手で身体のラインを隠すようなズボンに黒い革靴。
権力者集団の中でも特に偉い人が立っていた。
「お疲れ様です⋯⋯」
「やぁお疲れ。『メゾ』、どうだいやつは」
「え⋯⋯⋯⋯『ピアノ弾き』は今の所、特に目立ったことはしてない、かと」
「なるほど。住人も少しばかり増加量は減ったものの当初の予定よりはいい水準だ」
上機嫌で微笑んだのを見て、ボクは心の中で安堵した。正直演奏者くんと仲良くしているということがバレているかもしれない、なんて不安がずっとあったけど、とりあえず救われたらしい。よかった。
「⋯⋯⋯⋯『ピアノ弾き』はなぜここに来たのかは分かったか?」
「いいえ。相手からも敵対意識を持たれてしまってる面があるので、まずは少し親睦を深めてから聞き出すつもりです」
「敵対意識か。確かに彼の心意気とは相反するからな。敵対意識を持たれるのは当然のこと、想定の範囲内だ」
「はい⋯⋯」
「そういえばお前、これはモンシロチョウという。教養がおまえは著しく欠けていたからな。いい機会だし教えておこう」
「あ、ありがとうございます!」
「ふ。どうってことはない。それでは引き続き頼んだぞ」
偉い人はそう言うと去っていった。
今の所は対等なのだ、演奏者くんとボクは。
でも、偉い人の集団から外れた時、その時は。
叩き落とされたモンシロチョウを見ながらボクはため息をついた。
演奏者くんが来なければ先にこうなってたのはボクの方だったのだ。
モンシロチョウもボクも大きさは全然違うのに命の軽さは同じ。絶対的な弱者。
「⋯⋯ボクももう少し何かすごいとこがあったらな」
そんな呟きは虚空へと消えた。
権力者がいなくなった。
死んでしまったのか、それともどこかに連れ去られたのか、僕には皆目見当もつかない。
僕というのはこの世界でそれなりに強いとは思う。迷い子を元の世界に返せるという能力を持っているんだから。
でも、同時に僕はとてつもなく弱い。この世界について何も知らない、ただの一介の住人なのだ。
だから僕は結局彼女がいなくなった理由も知らない。そっちの方が良かった。
次の日、彼女が付けていたリボンが見つかった。
手に取ってよく見て、そして気づいてしまった。
元々赤かったそのリボン、端の方が少しだけ違う赤色をしていた。そう、例えるなら血の色。
そういうことなのかもしれない。
そんなことは思いたくないけれども。
もう彼女はこの世界にも、どこを探しても見つからないのかもしれない。
僕は彼女にとって何か特別な人間じゃあない。だから悲しむ権利も惜しむ権利もありゃしない。
ただ、彼女と同じ世界で生きていたというその証を忘れたくない、いつまでも。
それくらいは許してくれてもいいんじゃないだろうか。
そんなことを思いながら、僕は彼女のリボンを腕に巻き付けた。
僕がこの世界に来た頃の話だ。
「一年経ったら死んじゃうかも」
いつも通り穏やかな風が吹いていた。迷い子を返すための演奏をし終えたと同時にやってきた権力者は僕の方を見ながら何気ない表情でそう言った。
「⋯⋯。なぜ」
「ん〜、君に負けっぱなしだから」
死んじゃうかもしれない、なんて話をしてるのにやけにいつも通りの声色だった。だがしかし、平気な顔で冗談を言う君が言っていることは、中々僕には見分けがつかないからもしかしたら嘘じゃないのかもしれない。
「⋯⋯⋯⋯負けると、まずいのか」
「まずいに決まってるじゃん? 住人候補がいなくなっちゃうんだから」
一定数住人はいるのだから大丈夫なんじゃないか、などとは言えない。僕はこの世界の仕組みなんて知らないから。
「死んじゃったら、どう思うの」
僕の方を見ずにきみは言った。
権力者が、死んじゃったら。
「寂しく、なるよ」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯あはは、つまんな」
権力者はそう言って去っていってしまった。
事実を述べるだけじゃダメだったらしい。なんて掴みどころのない人間なのか、彼女は。
「死なないじゃないか」
あれから一年後とカッコつけて言いたいが、残念ながら昼も夜もないこの世界で一年などいう期間を数えられる訳もなく。大体推定一年後にきみにそう言った。
「⋯⋯⋯⋯何が?」
きみはやけに怪訝な顔で言った。
「きみが。一年後に死ぬかも、なんて言ってたのに」
「あ〜⋯⋯」
死んで欲しかった訳では無いが、死んでしまうかもしれないと慌ててた時期を返して欲しい気はする。きみに心を乱されて演奏が身に入らなかった日も。
「一年経ってないから」
「いやでも、多分⋯⋯」
「ん〜ん。経ってない。多分、一日も」
そんなわけが無い。この世界に来てから随分経った。それなのに、一日も経ってないなんて⋯⋯。
「だってさ、一日って何? どういう基準で一日を測るの? 時間なんてないのに」
ああ、そういうことか。
四季も時間もないのに、一日も一年も一分さえも測れない。基準が存在しないから。
「だからきみは死なないのか。良かった」
一年後に死ぬかも、と言ったのは、冗談だったらしい。よく考えたら突拍子もなかったしな。
「⋯⋯⋯⋯それにしてもさ」
「なんだい?」
「よくそんな前に言ったこと覚えてるね。ボクのこと好きなの?」
いたずらっ子のような顔で言われて僕はため息がでる。
「⋯⋯⋯⋯権力者」
「はいはい、黙りますよ」
仕方ないな〜なんて呟きながら、彼女は黙った。
「⋯⋯⋯⋯なんか弾いてよ」
きみがそう言ったから広場へと行くことにした。歩き出せばきみも隣をついてくる。
最初の頃はこんなことしなかった。僕は権力者のことが嫌いだったし、権力者だって僕に冗談以外では話しかけてすら来なかった。
だから少しは仲良くなって、少しは好きになったのだ、きっと。
一年とも一日とも数えられないこの世界で、それでもきみと過ごした『年月』があるのならそれで良い気もして、数えられる『年月』がないからきみが生きてることに感謝してしまうのも悪いことではないだろう。
ボクはその『日』も権力者集団の部屋にいた。
ボクの洗脳する日が明後日に決まって、ボクは何もかもに絶望しちゃって。
だからコロコロとベッドで無駄に時間を過ごしていた。
ガン、という音と共に扉が開いて、少し苛立った偉い人が言ったんだ。
「今すぐD-3エリアに行け。お前は今日からそこの管轄しろ。『ピアノ弾き』から迷い子を守れ」
その言葉を吐きながら、ボクに服を投げつけてきた。権力者の服、権力者の服だった。
つまりボクは救われたのだ。また住人に戻らずに済んだのだ。
ボクの洗脳能力が他人よりも劣ってることが気にならないくらい、ボクのことが大事だったのだ。
そうして着替えて外に出て、管轄のとこまで行ったとこで見つけてしまった。
風にたなびく白銀の髪。憂いを帯びた顔。
その全てがボクの鼓動を早くした。
と、同時に彼がピアノを弾いてるという事実がボクの心を否定した。
彼が『ピアノ弾き』なんだ。彼がボクたちの敵なんだ。
恋心は生まれると同時に消さなきゃならないものとなってしまった。