彼女は僕のことが好きじゃないかもしれない。
ふと、そんなことを思った。
敵対している、というものはもちろんのことで、それを要因として冷たい態度を取られるのも当たり前のことで。
でもなぜだか最近本当に本心からそう思ってるんじゃないかと危惧する事態が増えてきた。
僕の演奏は好きだけど、僕自身のことが嫌いだ、なんて言われたことがある。その時は僕が敵だからある程度敵対心を出すために言っているのか、などと可愛らしく思っていたけど。
今よくよく考えてみれば全く違いそうで。
そもそも僕の演奏というものは、迷い子を元の世界に返せる能力を持っている。つまり、その演奏が好き、というのは『迷い子を元の世界に返せる能力』を容認している羽目になる。それは彼女の立場上全くもっておかしい。
つまり、彼女がわざわざそれを口に出したということはそれは紛れもない本心ということになる。
ということは『僕自身のことが嫌い』というのは本心なわけで。
と、そこまで考えた時、手の甲に雫が落ちた。
視界が滲み出す。
この世界に雨は降らない。僕は汗をかくほど疲れてないから、この雫の発生源は一つしかなくて。
あるかどうかも分からない妄想みたいなものでこんなにも心が動かされるなんて思ってなかった僕は少し動揺した。
普通の人間だった頃は欲しいものがいっぱいあった。
富、声明、権力。ありとあらゆるものが欲しかった。そして、何も手に入らなかった。
結局のところ、ボクは『ボク』という一人称を使っているという理由だけで周りから異端だと思われて、女の子なのに男の子になりたいのか、なんて言われて、『ボク』という人間自身を蔑まれた。
この世界に来た最初の頃は欲しい物は信頼の一つだった。
とにかく二度と蔑まれたくなくて、富とか永遠の命とか欲しかったそういうものが全てどうでもよくなった世界だったから、権力者の集団に気に入られようとした。
今はどうだろう。
何が欲しいんだろう。
ボクは、今。
⋯⋯⋯⋯欲しい物、ではなく望みならある。
彼に振り向いてほしいし、彼と対等な者になりたい。
洗脳しないでみんなが幸せに望んでこの世界に住めるようにしたい。
でも、欲しい『物』と聞かれるなら。
欲しい物なんて、ない。
何も、いらない。
基本的に僕らに未来はない。
この世界は永久に同じような時が流れ続ける。だからそこに希望とか絶望とかそういったものが僕ら自身に生まれることは無い。
もちろん、この世界に来る迷い子たちや、下界に住んでる普通の人間たちには『死』という概念があって、そういう面で言うなれば未来に何があるか知りたいという感情を持つのはごく一般的な感情だろう、と以前の僕は踏んでいた。なぜなら天使だったからだ。
天使というものは基本的に寿命とかそういう概念は存在せず、あるのは永遠。つまり、未来に何が起こるだなんてあまり気にしたところで、そこまで必ず生きられるのだ。
この世界もそんな感じで時間とかの流れとは隔絶されているもんだと思ってた。
でもよく見ると違う。
未来はあっても過去がないらしい。
覚えてない、というよりなんらかによって消されたような。そう、まるで迷い子たちのように。
もしかしたらいつか、彼女は消えてしまうかもしれない。権力者ではなく、住人として戻ってしまって新しい人が『権力者』として来てしまうのかもしれない。
そしたら、そしたら、僕と彼女の未来はどうなるんだろうか。
僕は彼女に想いを伝えられずに終わってしまうのかもしれない。
だったら、未来を変えられるように努力しながらも、少しだけそうなるかどうかの未来を覗いてみたい、なんて思ったりした。
視界から色が消えた⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯らしかった。
らしい、なんて曖昧な表現を使った理由はごく簡単で、『ユートピア』というこの世界自体にそこまで色はなかったからだ。
だけどもよくよく見てみれば、そこら辺に咲いている花に色がない。濃淡が辛うじて分かる、そんなレベルならまぁそういうことだろうと思うしか無かった。
色がなくなってもまぁあんまり不自由しないだろうなんて思った時、彼を見かけた。
なんてことない顔で演奏者くんが歩いていて。
彼はそもそも灰色の服しか着てないから特に何も無くて。
なのになぜだかとてつもなく寂しくなってふと近づいて裾を掴んでしまった。
「⋯⋯! ⋯⋯⋯⋯⋯⋯けん、りょく、しゃ」
たどたどしく言葉が紡がれ、驚いているのが分かる。
「⋯⋯⋯⋯何を」
「いや、うん、なんか」
そう言いながら慌てて手を離して微笑んだ時、顔に手を当てられた。
そのままじっとボクの方を見つめる。
距離感やら手の置き方やら色々と心を乱す要素が多すぎる中、彼は口を開いた。
「⋯⋯⋯⋯色が判別できないのかい?」
「⋯⋯⋯⋯え!?」
なんで分かったのか、なんて思ったボクの心を察したのか彼は笑いながら言った。
「目を見れば分かるよ。一日程度で治る。心配なら今日はなるべく早く寝るといい」
優しく微笑みながら彼は手を離して去っていった。
少しだけ彼に触れられて色が戻ったような感じがしたのはきっと気の所為だろう。
(現代転生)
春になった。
ここ最近暑かったり寒かったりして冬なんだが初夏なんだか分からない、そんな季節感だったけど、暦の上ではもうとっくに春だった。
桜が気温変動に耐えきれず、葉っぱと一緒に出てきてはいたが、綺麗なことに変わりはない。
「ってことで花見をしようか」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯どういうわけで」
やたら不機嫌な彼女に微笑みだけを返すと、軽い舌打ちが送られる。
「まぁ、幼なじみなんだからいいじゃないか」
「⋯⋯⋯⋯関係ないです」
記憶がないらしい元『権力者』の彼女は、僕のことを幼なじみの一個上としか見てないらしいが、僕はバッチリ覚えてる。
「見たいんだよ、きみと」
「⋯⋯⋯⋯仕方ない人ですね。ボクなんかで良ければ」
彼女も渋々了承してくれて、ボクの隣に座った。
桜がハラハラと舞い落ちて、彼女の髪に乗った。
「きれいだね」
「⋯⋯⋯⋯ありがとう、ございます」
彼女も微笑んで笑った。