夢を見た。
寝てる時に見る方の『夢』。
ボクは夢の世界で演奏者くんと一緒に色んなところに出かけた。彼が話してくれた『夕焼け』も『星空』も見た。
⋯⋯⋯⋯夢、だった。
起きてこれ程後悔した試しがなかった。
どうして夢なのだとベッドを叩こうとして、音が響いたらめんどくさいからと辞めた。権力者という集団で一番弱いボクはあまり下手なことで目立ってはいけない。目立ったら最悪簡単に消されるか、住人に戻される。
ボクは元々この世界の住人だった。
前は洗脳なんてなかったから、殴って叩いて時には死にそうになりながら言うことを聞かせていた。ボクはそんなの嫌だったからどんな事でも素直に聞いた。例えそれが、どれだけ理不尽な事でも。
そしたら褒められた。で、権力者の末端に入れてくれた。
なってすぐは元仲間を殴ったりしなきゃいけなかったけど、上の人たちが洗脳という能力を手に入れられる薬を作ってくれて、住人を洗脳することで言うことを聞かせられるようになった。
嬉しかった。もう二度と元仲間を殴らなくて済むんだって。
そして、これはボクの生涯をかける仕事だと思った。思ったのに⋯⋯⋯⋯。
ボクはいつの間にか演奏者くんに惹かれて、この仕事を辞めたがっている。
⋯⋯⋯⋯せめて、夢見る心は消したくないから。
ボクは今日も誰かに目をつけられないように行儀よく過ごすことにした。
好きだ、なんて言えたらどれだけいいのか。
または、いっそう諦められたら。
ボクは彼のことが、演奏者くんのことが好きだった。でも、彼は、この世界の住人じゃない。
要するにいつか帰ってしまう。
そんな人に向かって、敵対してるボクなんかが好意を向けたところで何か伝わるわけがない。要するに届かない思いなんだ、これは。
⋯⋯⋯⋯だから、ボクは君の好意を諦めたい。
そう決心してから約一ヶ月たって、全然まだダメだけど諦める気は、ない。
『拝啓 神様へ
下界、もしくは人間界などと呼ばれる世界ではそろそろ花が芽吹きうららかな光が大地に降り注ぐ季節となりました。
そちらはいかがお過ごしでしょうか。
到底貴方様に手紙などをしたためたところで、貴方様のお手元に届くかどうかすら、僕には皆目検討もつかない次第ですが、こうして書いてみております。
貴方様から見放され『堕天使』などという者になってしまった次第ですが、僕は貴方様のお心にある、僕が反省して詫びて欲しいという気持ちと裏腹に幸せな日々を送っています。
僕は天使になって初めての仕事である下界研修をわずか一日足らず(正確には一晩)で終え、その後僕が今いる『ユートピア』にやってきました。
素晴らしいところです。
天界のように腑抜けている訳ではなく、かと言って死ぬほど忙しい訳でもない。うららかな日常が主として流れ、たまに仕事をする、なんて調子のいい世界でございます。
ここで僕は『ユートピア』に来てしまった迷い子を元の世界に返す仕事をしていますが、なかなか大変ではあります。人間、というものの思考回路は非常に千差万別であり、どうも上手くは行きません。ですが、非常に楽しい仕事です。
ところで僕が貴方様に文をしたためた理由というのは、僕が恋をしてしまったからです。
天使、そしてそれに準ずるものは原則として恋愛というものが禁止されていますね。あまり神が増えたりせぬように現神様のみが子孫繁栄をできるというシステムだった気がします。
ですが、僕は天使から外れた身。
ということは僕が恋愛をすることは許されるのでしょうか。
僕の恋した相手はこの世界の『権力者』と呼ばれている子です。本名はメゾ、ですね。
ピアノの音色を聴いているのが好きなようで、でも僕のことは嫌いみたいです。彼女は『権力者』などという大層な名前をしておりますが、実質のところ下っ端のようです。そして、とても、弱い。
僕はそんな彼女がたまらなく可愛い。だから付き合いたいのです。
許可をくれ、なんて言っておりません。神様には『はい』、または『関係ない』と言ってもらいます。
それでは。
敬具 フォルテ、もとい演奏者より』
「⋯⋯⋯⋯くだらないな」
出さぬつもりの手紙を書いた。
そもそも天界に届ける術がない。
つまり、そういうことなのだ。なんとなく気持ちを整理したくて、それだけの為に書いた代物。
⋯⋯⋯⋯早く、彼女を手に入れてしまいたい、なんてのが本心であるかを確かめるための代物で、実際的に本心であった。
さて、それなら、彼女を手に入れなくてはならない。
「どうやって手に入れるか⋯⋯⋯⋯」
零れる笑みを抑えられるわけがなかった。
快晴だった。
いつも通りの快晴。
そんな空模様で弾くピアノはそもそもピアノが屋外にあることもあって、弾き心地は最高なのだが、こう毎日こうでも飽きるというのはある。
要するに刺激がないのだ。
確かに権力者との話は刺激がある。彼女の機嫌を損ねないように話そうとする、とかそういう点でもわりとハラハラはする。
だが、そういうんじゃない、なんというか気分転換が欲しい。
もっとこう、心躍る何かが欲しい。
殺伐としたこの世界に何か楽しさが欲しい。
「やぁ、演奏者くん♪」
僕のそんな気持ちとは裏腹に彼女はやたら上機嫌で現れた。
「どうしたんだい、今日は」
「いや、特に」
上機嫌で笑顔だった顔を真顔に戻して彼女は応じた。
「⋯⋯どうしたんだい」
「同じことしか言わないじゃん。やっぱり退屈なんだよ」
「⋯⋯⋯⋯きみもか」
「『も』ってことは演奏者くんも?」
「ああ」
「あはは、こんなに綺麗な空でこんなに天気いいのに2人とも退屈してるってめちゃくちゃ面白いね」
権力者はそう言って笑って、なんだかその顔を見れただけで今日は満足できた気がした。
⋯⋯⋯⋯刺激、こっちの方向性もいいのかもしれない。
『紙飛行機』なんてものがある。
どこまでも飛んでいく、なんてのは言い難いけど、ある程度は風に乗って飛んでいく。
普通のごく一般的な折り方ならせいぜい飛んでも数メートルいくかいかないかくらいかもしれないけど、もしすっごく頑張ってめちゃくちゃ飛ぶ折り方をしたら、めちゃくちゃ飛んでいくかもしれない。
今日会った迷い子の話はそんな感じだった。
その子も他の皆の例に漏れず演奏者くんに心を動かされて元の世界に帰ってしまったけど、ボクにとってはその話が少しだけ心に残ったのだ。
多分、ないのだろう。はちゃめちゃに飛ぶ紙飛行機なんて。遠くても十メートル行ったらとても良い方なんじゃないかってボクは思う。
でも、夢がある。
そう思っているうちは、そうかもしれないと思い込んでいるうちは、それに向かって努力ができる。
いいな、綺麗だなと思った。
思ってしまったからボクは、あの迷い子に一回しか合わなかった。なるべくあの子にとってここの世界が良くない場所に見えるように振舞ってしまった。
だってボクがあの子をこの世界の住人にしてしまったら、あの子の夢はなくなってしまう。
消えてなくなって、もう二度とあの子が努力する術すらもなくなってしまう。
そんなことをしたくない。でも住人になる洗脳をボクがする限り、失われない選択肢なんてどこにもないから。だからボクはあの子に接触しなかった。
いつか、いつか、あの子が折ったはちゃめちゃに飛ぶ紙飛行機が、遠くの空へ飛んでいくところが見てみたい、なんて叶わぬ願いを思いながら、ボクはあの子が元の場所に帰るために奏でられるはなむけの演奏を聴いていた。