弓道場脇の藤棚の下。ここがいつもの待ち合わせ場所だ。薄紫の花びらが降り注ぐ今の時期はとても心地いい。
目の前をちらほらと部員らしき生徒が横切る。真澄が来るのももうそろそろだろうか。
「俺思ったんだけどさ、真澄ってマジでキレーな顔してるよな。イケメンとは別ベクトルのさ」
「わかるわ、てか時々同じ性別か疑いたくなる。指先まで綺麗とか何事?」
そう各々に話しながら通り過ぎていき、我が彼氏ながら鼻が高くなる。しかし…コロコロと変わる表情も愛嬌のある笑い方もするのにそれを知らないとは。知って欲しいような知って欲しく無いような、複雑な心境ではある。
「柊真(しゅうま)?ぼーっとしてどした?眼鏡もそのままにして」
「んぇ真澄?!いつの間に……」
別になんでもないと言えば、それ以上深堀はしてこなかった。
ただ、どんなに愛らしくても自分の唇を奪われるとは思ってもいなくて。今後も油断ならない真澄には気をつけなければ、いずれ手に負えなくなるかもしれない。
お題:『ただし、ご注意を』
『明後日会いに行く時、夜桜も見に行こう』そう連絡があった二日前。元々会う予定ではあったがもっと長く過ごせる事が嬉しくて、いつも以上に張り切ってしまった。そのツケが回ってくるとはつゆ知らずに。
彼-晴也(はるや)が来る日の朝、いつもより少し早く起きて部屋の片付けでもしようとしたが、なんだか体が重い。でも、そんなまさか。まだ間に合うだろうと軽く朝食を済ませ薬を飲み、再びベッドで一人うずくまる。軋むような痛みと秒針の音しかない中、罪悪感と情けなさに包まれる。
「……い、……なた、……ひなた」
焦った声で意識が浮上する。焦点の定まらない視界を動かせば晴也がいた。あぁ、そういえば合鍵を持っているからこちらから開けずとも入って来れるんだった。
「はる、や?ごめん、寝てた…」
そう言って起き上がっても、上手く体重を支えられず寄りかかる形になってしまった。
「動くな、でもって無理もするなよ、冷蔵庫の中にポカリがあって助かった…飲めるか?」
何か言っている事はわかるが、回らない頭では理解ができない。
「桜、行けなくなって…ごめん」
雫がこぼれ落ちていた。折角来てくれたのに何も出来なくて、約束まで狂わせた自分に嫌気がさしてどうしようもなくなって。
「謝らなくて良い、一人でよく頑張ったな」
そう言ってさする手が、匂いが、声が暖かくて。数日会っていなかっただけなのに無性に懐かしくて安心した。
その後は結局お互い月曜だけ欠勤し、半分程散ってしまった夜桜を見に行った。少し物足りなさはあったが、二人で過ごせたことが何より幸せだった。
お題:『桜と頭痛』
転居を済ませて何度目かの夜。部屋はあらかた片付きつつあり、畳まれたダンボール箱が隅に追いやられている。今はそんな自分を労わろうとベランダで一人月見酒を楽しんでいる所だ。
眼下にはちらほらと人の行き交う姿と、所々で咲き誇る桜が見える。この頃桜まつりが行われているそうだが、桜どころか人を見に行くような気がしてならない。また去年のように夜に行こうかとも考えたが、隣にあの温もりが無い事に虚しさを覚える。
自分より少しだけ小さな陽だまりのような手。もう何度も繋いで感覚も覚えているのに、握っても握っても手は知らない虚空を掴むばかり。
ふと、手に何かがかすった。見ると桜の花びらだった。まだ、全て落ち切るのは先だろうか。明後日の夜まで、持ってくれるだろうか。
お題:『手は虚空を切る』
帰り道、いつもの川路を歩く。犬の散歩をする人、買い物に行く人、幼い子を自転車に乗せて走る母。それから-何やら騒々しい声。あまり関わらずに帰ろう、そう思っていた。群衆の中心に碧月を見つけるまでは。
団を抜け出してランドセルを放り傍に近付くと「覚えてろよな!」と捨て台詞を吐き、去っていった。
「大丈夫?」
「別に、いつもの事だしキッチリやり返したし。どうせ、アイツが最近気になる女子とオレが仲良くしてるのが気に食わなかったんだろ」
ま、オレ女子力あるし?そう言って"いつも通り"に振る舞うが、本当は。少し震えた声、ぐしゃぐしゃになった髪、所々汚れたお気に入りの服、擦り傷。強がっている事は目に見えている。そもそもここは碧月の通学路とは大きく外れているし、ここまで来るのも随分気を張っただろうに。しかしそれを指摘すれば余計に隠そうとする訳で。
「な、すぐそこの商店街寄り道しない?お使い頼まれてるから手伝って」
「えー、けが人をこき使う気?」
「その程度じゃ大したことないんでしょ」
絆創膏を渡し、髪を整えて、服を叩く。少しはマシになったかな。そして仕上げに……
「行かないの?」
手をにぎって問う。不安な人には信頼できる人の体温が効くって本に書いてあった。
「行くし!」
ようやっと、本当の"いつも通り"に戻った。嘘と強がりを解く方法は、俺だけが知っている。
お題:『嘘を掬いとる』
ぱらぱらと降っては止みを繰り返し、もう何度目だろうか。小雨が降る今日みたいな日は微睡みの海に漂うのが特に心地いい。カーテンと窓を開け涼しい風と雨音を誘い込むと、眠気が再びやってきた。もうすこしだけ、と意識をさざ波に手放した。
ふと、ベッドが少し沈んだ気がして意識が浮上する。頭に……何か触れているような。気だるげな瞼を持ち上げると、どういう訳か視界いっぱいに虹介がいた。寝顔を思いっきり見られた事が、何故だか気恥しい。
「青にいおはよ」
「ん、おはよ。起こしてくれても良かったのに」
「んーん、きれいだったから起こしたくなかった」
花嫁さんみたい。そう言われて頭に触れているのがレースカーテンだということに気づく。
「そういう事は将来の大事な人に言いな?」
軽く頭を小突いてそう言う。
「さて、今日は何をしようか」
「一緒にお昼寝する!」
額に柔らかいものが触れた。え、まさか。
その後小雨のヴェールに包まれた中すやすやと眠る虹介の横で、与えられた祝福について一人悶々と悩むのであった。
お題:『祝福と小雨』