あいつの事は、大体分かっているつもりだ。ずーっと昔から家族ぐるみの付き合いがあるのもそうだが、それ以前に分かりやすすぎる。
好きなお弁当は卵焼きである事、物理が何より苦手な事、そして、多分俺の事が好きな事。
試しに聞けばほら、また時計の針が止まったかのように固まる。そして段々と朝焼けの空の如く紅く染まる。分かりきっていることを聞くのは中々にタチが悪いと我ながらに思うが、この反応ばかりは可愛くて仕方がないので許して貰いたい。
固まってしまった手を引いて、いつもとは少し違う眺めの中帰路に着く。
お題:『時計がとまったかのように』
きっかけは本当に些細なことだった。それが、こんな結果になるとは思いもしなかった。
結論から言えば、喧嘩をしてしまったのだ。それも、同居中のアイツと初めて。アイツが飛び出して行ってから全身が凍りつくように血の気が引き、自分が口走った内容だけが鮮明に蘇る。
元はと言えば自分の勘違いが原因だった。明日が記念日であることはお互いに分かっていたし、アイツが口下手な事は分かりきっていたはずなのに。だと言うのに、なぜ捲し立てる様な事を。
気づけばもう空が紅く染まっていた。夕飯、用意しないと。冷蔵庫の中には明日使う予定の食材達が鎮座しているが、使い道は変わってしまうかもしれない。二人を繋ぐものは、切れてしまったかもしれないのだから。
手をかけたのと同時に、部屋にアイツの「ごめんっ!」と言う声が木霊する。その声にひどく安堵し、へたりこんでしまった。
お題: 『悔ゆるものと昏』
桜祭りの縁日が畳まれた道を、1人歩く。川沿いで毎年行われる祭りは例年通り賑やかで。でもそんな中行く気には到底なれない僕は、こうして夜に一人桜祭りを実行している。
去年は彼と一緒に歩いて、花灯を満喫して、他愛のない話をして。懐かしいな。左手を桜を乗せた風がなぞり、少し寂しくなる。遠距離にさえならなければ、こんな思いはしないはずだったのになぁ。ま、仕方ない仕方ない。
満月がよく映える今宵はこの世の情景とは思えないほど美しく、ふわりと外界と境界ができる。
彼奴の元にも、この桜風が届けばいい。そして、少しくらい寂しい思いをすればいいと八つ当たりをする。
お題:『桜風を貴方に』
体温が海に溶け、意識も段々と薄れていく。月明かりに飲まれていく泡がとても綺麗で、凍えるような寒さも苦しさもどうでも良かった。これで彼らと同じ場所に行けるのなら、尚更だ。
ふと、沈むだけだった体と意識が横に流され始め、在りし日が蘇る。あぁ、これはまだあの子-虹介(こうすけ)が7歳の時のものだ。
「ねぇ青にい、いなくならないでね」
そう、泣きそうな顔で言った。泣き虫さんなのは相変わらずだなぁ。僕の容体について話したのはもう少し先だったけれど、この時点で彼なりに察していたのだろう。
「大丈夫、まだいなくならないよ」
「また、まだって言った」
まだ、時間はある。その間に思い出を作れば、きっと後悔はない。そう思って、そう信じて今日まで生きてきた。けれど…
僕もまだ、もっと普通に、生きていたかった。
やっと出た本音は空に届くことなく、水の音にかき消された。
お題:『水の音と本音』
暖かな午後、昼食後の古文、窓際。
これだけ条件が揃ってしまえば、眠くなってしまうのも仕方がない。何度も閉じかける重たい瞼を、何とかしてこじ開けるのを繰り返して何度目だろうか。
この心地良さは、数年前に居なくなった彼-もとい、青波(あおば)さんを彷彿とさせる。
もう10年以上前だろうか、青波さんの家に初めて泊まった時よりにもよって悪夢を見て夜中に泣きじゃくってしまった。そんな僕を痩躯で抱き寄せて暖めてくれたあの体温も、『だいじょうぶ、ここにいるから、あんしんして』と眠たげな声も、髪を梳いた手の大きさも、今でも鮮明に覚えている。
あの時間が、とても幸せだった。
聞き慣れた音が耳をつんざき、暖かな白昼夢は終わりを告げた。
お題:『暖かな白昼夢』
-------ここからは余談です-------
前作、前々作と読み合わせていただけると、全体の雰囲気や繋がりが分かりやすいかと思います。何卒。