桜祭りの縁日が畳まれた道を、1人歩く。川沿いで毎年行われる祭りは例年通り賑やかで。でもそんな中行く気には到底なれない僕は、こうして夜に一人桜祭りを実行している。
去年は彼と一緒に歩いて、花灯を満喫して、他愛のない話をして。懐かしいな。左手を桜を乗せた風がなぞり、少し寂しくなる。遠距離にさえならなければ、こんな思いはしないはずだったのになぁ。ま、仕方ない仕方ない。
満月がよく映える今宵はこの世の情景とは思えないほど美しく、ふわりと外界と境界ができる。
彼奴の元にも、この桜風が届けばいい。そして、少しくらい寂しい思いをすればいいと八つ当たりをする。
お題:『桜風を貴方に』
体温が海に溶け、意識も段々と薄れていく。月明かりに飲まれていく泡がとても綺麗で、凍えるような寒さも苦しさもどうでも良かった。これで彼らと同じ場所に行けるのなら、尚更だ。
ふと、沈むだけだった体と意識が横に流され始め、在りし日が蘇る。あぁ、これはまだあの子-虹介(こうすけ)が7歳の時のものだ。
「ねぇ青にい、いなくならないでね」
そう、泣きそうな顔で言った。泣き虫さんなのは相変わらずだなぁ。僕の容体について話したのはもう少し先だったけれど、この時点で彼なりに察していたのだろう。
「大丈夫、まだいなくならないよ」
「また、まだって言った」
まだ、時間はある。その間に思い出を作れば、きっと後悔はない。そう思って、そう信じて今日まで生きてきた。けれど…
僕もまだ、もっと普通に、生きていたかった。
やっと出た本音は空に届くことなく、水の音にかき消された。
お題:『水の音と本音』
暖かな午後、昼食後の古文、窓際。
これだけ条件が揃ってしまえば、眠くなってしまうのも仕方がない。何度も閉じかける重たい瞼を、何とかしてこじ開けるのを繰り返して何度目だろうか。
この心地良さは、数年前に居なくなった彼-もとい、青波(あおば)さんを彷彿とさせる。
もう10年以上前だろうか、青波さんの家に初めて泊まった時よりにもよって悪夢を見て夜中に泣きじゃくってしまった。そんな僕を痩躯で抱き寄せて暖めてくれたあの体温も、『だいじょうぶ、ここにいるから、あんしんして』と眠たげな声も、髪を梳いた手の大きさも、今でも鮮明に覚えている。
あの時間が、とても幸せだった。
聞き慣れた音が耳をつんざき、暖かな白昼夢は終わりを告げた。
お題:『暖かな白昼夢』
-------ここからは余談です-------
前作、前々作と読み合わせていただけると、全体の雰囲気や繋がりが分かりやすいかと思います。何卒。
気づけばもう、「時間」が来てしまった。
それくらいに、あっという間だった。
昔から僕の体を蝕み続ける病は、予告された時間きっかりにやってきた。
けれど、あの子がいる間はそれすら忘れられた。夜空が続く一日、光のカーテンが揺れる空、氷の下に広がるクジラたちの楽園。世界にはこんな場所があるんだと、二人で目を輝かせていたっけ。
そんな思い出たちを連れていくには勿体なくて、出発の前に彼に託した。これを見てどうするかは、彼に任せよう。選ぶ権利は彼にあるのだから。
闇に包まれた世界で、クジラ達と共にそんな事を思い出す。懐かしいな、もう何年前だっけ。
ふと、雪明かりが輝いた気がした。彼が近くにいるのだろうか。氷の世界は美しいけれど、そんな世界に一人ぼっちは彼に似合わない。
どうか、そばに。そんな思いを波に乗せた。
お題:『氷の世界に一人』
-------ここからは余談です-------
潮風(前作)で出された3つの景色は病弱お兄さんが昔「死ぬならここかな」と何気なく言った場所を、氷の世界(今作)で出された3つの景色は少年が「いつか一緒に住みたい」と無邪気に言った場所となっております。
悶えて頂けたら幸いです。
気づいた時には、もういなかった。
それくらいに呆気なかった。
まるで実の兄のように慕っていた彼は昔から体が弱く、けれど読書を通じて得た知識で僕に色々なことを教えてくれた。太陽の沈まぬ日、海底に降り積もる雪、そしてそこに眠る大好きな鯨たち。
そんな思い出の数々を僕の家の玄関に残して、いなくなっていた。探して。とでも言うかのように。
異国の桟橋に腰掛けながら、そんな事を思い出す。片手には緑青、足元には彼が眠る海。また会えると思ってしまえば、不思議と怖くもなんともなかった。
誘うように潮風が頬を撫で、翠を呷った。
お題:『潮風が頬を撫でる』