たぬたぬちゃがま

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8/9/2025, 2:48:11 AM

ふわり、と紫煙をくゆらす。
もう何本目かわからないタバコを地面に押し付け、ポケットから箱を取り出し口に加える。ボックスに入れておいたライターで火をつけ、ため息と共に煙を吐き出した。
自分の周りは煙だらけだ。昔読んだお伽話では、火をつけたらご馳走が出てきておばあさんが迎えに来るんだっけか、とぼんやり考える。
———会いたい。
こんなもので会えるのなら肺でも舌でも喉でも癌という名のもとに神に捧げるのに。
「頼むから出てきてくれよ……。」
幻でもいい、夢でもいい。いや、今の状況こそ夢であってほしい。

冷たくなった彼女をみた時、泥濘に足をとられずぶずぶと沈んでいくようだった。
どんなに叫んでも、懇願しても、彼女の目が開くことはなかった。
女性でも抱えることができる重さと大きさになった彼女とどうしても離れたくなくて、骨を一欠片だけポケットに忍ばせた。ご両親には悪いと思ったが、籍を入れていない婚約者という立場では彼女と同じ場所に眠れないと思うと耐えられなかった。
からり、と瓶の中で彼女が鳴る。その音が、彼女の鈴のような声を思い出させた。
ああ、夢じゃない。
彼女はここにいる。それがひどく安堵感と絶望感を感じさせ、腹の奥に泥のように溜まっていく。
少しでも吐き出したくて、またタバコに口をつけ、肺に煙を充満させた。


【夢じゃない】

8/8/2025, 8:20:34 AM

「好きです。」
シンプルな告白をした。
それまではあれこれ考えた。どこに誘って、雰囲気よくして、あれこれあれこれ。
結果。何も言い出せず、仲の良い同僚に終わり、撃沈。君はそんなこともつゆ知らず家でお酒を楽しんでいるんだろう。
もうそういった場面は懲り懲りだった。

彼に電話をするのは初めてだった。職場の連絡網を使うのは職権濫用だか、越権行為になるのだろうか。
でも、この気持ちはどうしても伝えたかった。
羅針盤の指す方向に従え。その言葉に背中を押された。
「どうしても、好きなんです。」
さらに言葉を重ねてみた。沈黙が長い。飽きられただろうか。嫌われただろうか。
長い沈黙のあと、彼はそっと話し始めた。
「……あのさ、いま俺、酒飲みながらゲームしてたんだよね。」
「はい。」
「……そっちも飲んでる?」
「……はい。」
深いため息が聞こえた。あぁ、これはもうだめかもしれない。
「今週末、金曜日。仕事終わったら飲みに行こう。」
「え?」
「返事を電話でするのは、その、あれかなって。美味い店だから。うん。」
「は、はい!ぜひ!」
ぷつりと電話は切れた。切れてから、好きと言う感情に肯定も否定もされていないことに気づき、私は頭を抱えた。


プレイしていたゲームを一旦中断し、俺は頭を抱えた。
全く意識はしていなかった。いなかったからこそ、よくわからない感情がぶわっと湧き上がる。
かっこつけてしまったが、店のアテなどなにも思いつかない。男同士で行く飲み屋でいいはずがないことだけはわかるが、それ以外は全くノープランだった。
「マジかぁああああ……。」
嫌い、ではない。好き、はわからない。
それでも真剣さは伝わってきた。酒飲んでたけど。
「シラフの時はどんな顔して話すんのかな……。」
羅針盤の針の向きが変わったのをどこかで感じた。


【心の羅針盤】

8/7/2025, 7:34:35 AM

「おーーーーい!!!!」
外から絶叫が聞こえる。
「まーーたーーねーー!!!!」
小学生独特の甲高い声が、布団から引っ張り出してくれた。あぁ、もう昼近いのか。
じりじりと外から熱気が伝わる。よくこんな暑い日に外で遊べるものだ。
そう考えてふと、歳をとったと自嘲する。自分だって幼い頃は夏休みは毎日が日曜日で、早朝から夕暮れまで外で走り回っていたはずなのに。
「またあそぼうなーーーー!!!!」
窓の反対側から声がする。覗き込むと、ちょうど我が家を中心にそれぞれ左右に20mくらい離れたところに小学生2人がいた。腹から出す声とは、こういうことを言うんだろう。
「きょうのひるめしはー!!らーめん!!!」
「いーなー!!おれんち、ハンバーグ!!!」
おい、飯テロやめろ。腹減ってきた。
朝どころか昨日の夜もろくに食べておらず、昼直近だからか、ぐぅ、と腹が鳴った。
そろそろ飯にするか。ラーメンを作るか、冷凍のハンバーグにするか。いっそ外に食べにいくか?
「まーーたーーねーー!!!!」
絶叫が続く。お前ら今生の別をする兄弟かなにかか。袂を分つのか。ずっと叫んでるな。
「じゃあ、午後は1時集合なーーー!!!!午後もSwitch持ってこいよーーー!!!!!」
午後も遊ぶのかよ。
「わかったーーー!!!!ところで宿題終わったーーー!!!????」
お、まともな返しをした。
もう1人はなんで答える?
「うーつーさーせーてーーー!!!!!!!」
このやり取りの中で1番でかい声だった。
「ばいばーい!!!!!!」
こっちもでかかった。
「はくじょーものーーー!!!!!!!」

俺はとうとう笑いを堪えることができず、大笑いした。そうしたら小学生どもが通報したらしく、しばらくしたら家に警察が来た。『子供をゲラゲラ笑う不審者がいる』ですか。ご苦労様です。はい、笑いました。いや、不審者じゃないです、本当です。本当ですって。信じてください。


【またね】

8/6/2025, 9:40:26 AM

「泡になって溶けたい。」
「どうした。二酸化炭素になりたいのか?」
「そうそう、シュワーッと一杯……んなわけあるかあ!」

今日は失敗した。なにをしてもだめな日だった。仕事はうまく進まず、報連相で注意され、同僚は自分の二歩三歩先を行く。そんな日だった。
目の前で茶化してくる彼もそんな同僚の1人だった。
「コーラかサイダーか、好みを聞いてやるよ。」
「じゃあコーラ……。」
「おにーさん、コークハイふたつ!」
「酒じゃねぇか……。」
少し愚痴ったのが悪かったのか、飲みに行こうという誘いに乗ったからなのか。気付いたら最寄りのチェーン居酒屋で飲むことになっていた。
「居酒屋きて飲まないでどうするんだよ、ほらカンパーイ。」
「かんぱーい……。シュワシュワだぁ……。」
泡になって溶けて、このままいなくなりたい。
労働なんか滅べばいいのに。
「ほら、愚痴言えよ。酒の席だから言えることもあるだろ?」
「優しい……怪しい……対価に1週間分の昼弁当代とか言われそう……怖い……。」
「飲みの誘い乗ったのお前だからな?わかってる?」
コークハイをジュースのように飲む彼につられ、自分のグラスも傾ける。
「わからない……泡になりたい……溶けたい……二酸化炭素の溶けた水溶液になりたい……。」
「コーラもサイダーも砂糖がかなり入ってるらしいぞ。飲め飲め。酒という名の糖類を飲み込め。」
「酒はでんぷんを糖に変えてアルコールになってるから糖類は含まれてない、これはオリゼーとセルビシエという菌が作用していて麹という」
「なんかスイッチ入ったな。」
彼が少し引いてる気がする。でも気にしない。泡になるにはこの溜まり切った煮凝りのような気分を口にしないと気が済まない。
「酒は米から作られるがコシヒカリやササニシキなどの食用に用いられる品種ではなく、主にヤマダニシキが使われる。米の水と酒の水は同じが良いと考える杜氏も多い。ヤマダニシキとサトウニシキは似てるけど全くの別物。」
「なんかWikipediaみたいなこと言い出した。おにーさん、カルーアミルクと日本酒!」
こくり、と勧められるがまま飲んだカルーアミルクはとても美味しかった。
「おにーさん、おかわり!!」


朝、起きたらなぜか同僚の彼が隣にいた。
というか、家が我が家ではなかった。
ここはどこ?なんで同じ布団で寝てるの?
しばらく考えて、何も考えたくなくなって、一つの結論に達した。

いっそ、泡になりたい。


【泡になりたい】

8/5/2025, 7:55:35 AM

「夏が来てしまいました!!」
「去年秋の、来年の夏までに痩せる宣言はなんだったんだろうな。」
「うっさい!!!」
ぼふり、と音を立てて彼に顔面へぶつける。
こんなはずではなかった。計画では今頃ダイエットに成功し、目の前のこいつが頭を下げるところを想像してニヤけていたはずなのに。
食べ物の秋が悪い。クリスマスが悪い。鍋が悪い。お餅が悪い。花見のお団子が悪い。どうしてみんな揃いも揃って美味しいんだ。美味しかったです。
「いっぱいたべるきみがすき。」
「一昔前のフレーズで慰めてくんな、YouTubeで見たのか。」
悔しい。とても悔しい。だが夏は楽しい。
夏ほど朝と夕方が楽しい時期はない。昼間は地獄だが。
「おかえり、夏。」
巡り巡って帰ってきた季節。
「よし!ただいま、夏!!」
そしてこれから共に過ごす季節。
気持ちを春に置いてきて、もしくは秋に任せるとして、楽しむしかない。
「アイス食べる?」
「……食べる。」
餌付けしてくる彼に恨めしい気持ちが湧いたが、アイスに罪はないと思い直した。



【ただいま、夏】

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