たぬたぬちゃがま

Open App
8/2/2025, 4:57:05 AM

8月、君に会いたい。
そんな題名のホラーを、彼女は友人から借りてきた。
「まだ配信されてないんだって。」
晩ご飯を食べ、お風呂に入り、ソファで落ち着いたところで彼女はいそいそとパソコンにDVDを入れる。テレビに映し出すケーブルは自分が接続した。

昭和初期が舞台。出征した恋人を待つ主人公。
無言の帰宅をした恋人に、会えるのはお盆の短い期間だけ。
「怖いっていうより、切ない話だったね。」
初めは年に1度の逢瀬に喜んだ主人公だが、年を追うごとに考えが変わり、容姿が変わり、環境が変わり。変わらないのは愛おしいはずの恋人だけ。その恋人に、主人公は何を思うのか。
「愛って変わっちゃうのかなあ。」
「まぁ、生きている限りは変わるんじゃねーか?」
その言葉を聞き、彼女は納得がいかないような顔をした。少女漫画のような永遠の恋など存在しない、と思いたくないのだろう。
「会わなければ変わらねぇよ。」
そう、男は主人公に会いにいかなければよかったのだ。そうすれば、彼女の心の中でずっと生き続けられた。『死んだ恋人』という、誰にも敵わない、犯されることのない、彼女の心の奥深くに居座る存在になることができたのだ。
会いたいと欲を出した結果、男は女を逃してしまうのだ。前を向いた彼女を、死人はどうしたって止めることはできない。

「愛の種類が変わるって切ないね。あー泣けた。」
「種類?」
彼女の言っている意味がわからず問いかけた。
「だって主人公はわかってるもの。どうして8月に会いにきたのか。その後も会い続けるのか。それでも主人公は会いたかったんだね。」
老い続ける自分を見ても、あなたは愛を貫けるのか?と。
「だから君に会いたいなんだね〜。」
ハンカチで涙を拭きつつDVDをしまう彼女。その後ろ姿がやけに儚げに見えた。
そんな考えがあるなんて、思わなかった。

そっと手を引き、後ろから抱きしめる。
「どうしたの?」
あぁ、きっと恋人の男もこんな気持ちだったのか。
問いかけに返さず、抱きしめる腕に力を込めた。

【8月、君に会いたい】

8/1/2025, 4:30:49 AM

眩しかったんだ。
きらきらとしたベールに身を包んで、エメラルドのような瞳を細めてこちらに微笑む。
あぁ、自分が隣に立つ人間でいいのだろうか、と。
とりたえて見栄えがいいわけでない。地位が高かったわけでもない。
ただ、がむしゃらに戦場に立っていたら武勲がついてきて、彼女も共につれてこられただけだ。
輝くあなたがいる寝室へ行くのはひどく緊張した。戦場の前線で走れと言われた方がマシなくらいだ。
「旦那様。」
ちりん、と鈴の鳴くような声が愛おしくて。
「靴とコルセット、脱いでもいいですか?」
鈴のような声で、とんでもないことを言い出した。


「つらかったー!!」
ガバッと外したかと思うと侍女が回収しやすいようにかカゴにポンポンといれ、ベッドにダイブした。最初の顔合わせの頃とずいぶん様子が違う。
「……元気ですね。」
「お父様に猫に猫を被って猫の真似をしろと言われたので。」
いそいそと掛け布団に潜ると幸せそうに顔を綻ばせる。肌触りが気に入ったようでよかったです。
「旦那様。」
猫が被り物を脱いでもやはり鈴の鳴声のような声で、自身の隣をポンポンと手のひらで叩く。
「いや、その、私たちは結婚したとはいえ……」
「私寒いの嫌いなんですよ。体温ください。」
ぐいっと引っ張られたと思ったら布団を被せられ、背中にピトッとくっついてきた。背中に2、3回頬擦りしたかと思うと寝息が聞こえてくる。

なんだこの娘は。一回りは下だからと割れ物に触るようにしていたらあっという間にペースに飲まれてしまった。
彼女の方を向けない。見てしまったら、眩しくて直視できる自信がなかったから。


【眩しくて】

7/31/2025, 3:47:30 AM

走る 走る 走る 走る
口の中から心臓が出てきそうだ。内臓全てが腹の皮を破り出てきそうな、熱いマグマを飲み込んだかのような錯覚が襲ってきた。
ゴールに辿り着いた瞬間、ふらふらと日陰に転がり込んで空を見た。
ばくばくと心臓がうるさい。足も痛い。全身が痛い。血が沸騰してそうだ。
「おーい、もうへばったのか?」
陸上部の、幼馴染。来たなこの状況の元凶。百聞は一見にしかずとかいって私をジャージ姿にして走らせた。文句が言いたいのに言葉にはできない。全ての血液は脳ではなく足や内臓に行っているから。
「あのなぁ、陸上部はこれの10倍は走ってるぜ?男子じゃなくて女子な。」
さいですか。でもそもそも私は文芸部だ。文章を書くのが部活内容だ。
「お前だろ?物語の登場人物は陸上部にするからどんなもんなんだって聞いたの。」
聞いてない。そんなこと聞いてない。言ったとすれば登場人物の下りまでだ。なんだったらべつにテニス部にしてもよかった。
「たかだか1周でヒューヒュー言ってんの、体力大丈夫か?」
体力より、私の身体の心配をして欲しい。声が出ないんだ。私の口は今、発声するより酸素補給に忙しい。
「あ、水か。水分補給してるか?スポドリのほうがいいぞ。熱中症は怖いからな。」
口にスポーツドリンクを持ってくる。優しい。美味しい。あ、保冷剤を脇の下に。身体の心配どうも。いや、そういうことじゃなくて。
「……焦点合ってないけど聞こえてるか?おーい。」
ひらひらと手のひらを目の前で振る。
うるさい。聞こえてる。疲れたから休ませてほしい。暑苦しい。
「口元からスポドリ溢れて……汗の匂いも……」
おい、なんだその喉の動き。見えてるからな。聞こえているからな。反論も身動きも取れないだけだからな。これで手を出したら最低だぞお前。
「触られたことあるし、触っていい、よな……」
駄目だよ。触られたことあるって許可取ってから触っただろ。あれは部作成の冊子の挿絵用資料って説明しただろ。脳みそまで筋肉でできてんのかふざけんな。許可出してねぇぞ。マジでやめろ独り言マン。
「うっわ……やわらか……」
やめろっての!ほっぺでよかった!!いやよくない!!やめろ!!やめろ!!!ぷにぷにつつくな!!やめろ!!!!
運動不足の身体はまだどくどくと音を立てて言うことを聞かない。耳元に心臓があるみたいだ。
体力を回復し「やめろ馬鹿!」とやつの頭を引っ叩くまでの間、私のほっぺはやつに遊ばれ続けた。


【熱い鼓動】

7/30/2025, 4:53:40 AM

いない。いない。いない!!!
「っだー!!!どこにいるんだあいつは!!!」
何度目になるかわからないと思いながら社内電話をガチャリと切った。
「また捕まらなかったんすか〜。」
後輩ののんびりとした口調すらも腹が立つ。
「あいつ総務課行くって言ってたよね!?総務に電話したら営業1課に行くって言われて、営業1課にかけたら保全保守課に行くって言われて……!!タイミングが悪い!!!」
わなわなと手が震える。元はといえばやつが書類の山を説明なしに「あとはよろしく」とだけ書いたふせんを貼って私の机の上に放置したのが発端なのだ。
「確認の電話をするたびに仕事内容が肥大していく……!!」
電話する先々で『そういえば彼には言い忘れたんだけど、』と仕事を振られまくった。なぜ。
「わらしべ長者みたいっすね。」
「こんなおしごと長者がいてたまるかァ!!」
いらいらしながらまとめた文章を企画ごとに分類し、ふせんで「お前の分だ馬鹿」と大きく書いて貼り付ける。もう腹が立って仕方ない。
「コーヒー休憩してくる!」
「俺もコーヒー欲しいっす〜。」
「先輩をパシるな!しばくぞ!!!」
ドスドスと音を立てているのも気にせず、別フロアにある自販機に向けて歩いていった。


「……静かだねぇ。」
「あ、せんぱーい。タイミング最高?最悪?かわからないけど、お怒りっすよ。」
先ほどまで探されていた先輩がひょっこり帰ってきた。狙っているのか、いないのか。彼女があんなに血眼になって探していたのはなんだったのか。
「文字からも怒りが伝わってくるねぇ。」
呪いでも込めたのかと言わんばかりの文字。それでも先輩は嬉しそうにニコニコ笑っている。
「わざとだったら性格悪いっすよ。」
「大丈夫、もう知られてるからぁ。」
それ大丈夫とは言わないのでは。それを言わない自分は後輩の鏡である。
「コーヒー休憩行くって言ってましたよ。」
「りょーかーい。じゃあお茶請けを渡してやるかぁ。」
ポケットから、いろんな課からもらってきたであろうお菓子を置いていく。
「まーたそういうことする。」
思わず呆れてしまう。わかっててやってる、この人。
「いやー、俺ってばタイミングがいいなぁ。」
鼻歌を歌いながら買ってきていたコーヒーを飲む先輩を尻目に、この後フロアに響く怒号を想像した。


【タイミング】

7/29/2025, 3:56:21 AM

昔見た漫画にあったんだ。
とある彫刻家が切り株を虹の根元に見立ててカンカンと加工したら、勘違いした虹が切り株にくっついて、それを使って空に登って。雲を橋や階段にしたらまた登っていく。
『そんなに登ってどうするの?』
『なぁに、天使様に会うためさ。』
『天使に会ってどうするの?』
『俺の彫刻のモデルになってもらうのさ。』


「———なんて話があってだな。」
「ずいぶん昔の漫画だよね、それ。」
図書館で夏休みの課題をやっていたら、急に漫画の話を始めた。余裕あるなこいつ。
「そのあとモデルの天使に魔王の息子が惚れるんでしょ。でも天使は主人公に惚れててさ。」
「ずいぶん昔と言いつつよく覚えてるな。そうそう、魔王の息子は作ってもらった彫刻をずーっと見てんだよな。」
天使と悪魔の恋。いや、この場合は片思いか。昔からの不変のテーマなのかもしれない。
「で、それと宿題なにか関係あるの?」
彼がくるくるとペンを回す。器用なもんだ。
「虹のかけらって名前で切り株彫ったら自由研究出したらウケるかなって。」
「どうやって切り株持ち運ぶのかまで考えてたら素晴らしいと思う。」
どうせなにも考えてないんだろ、という言葉は飲み込んでやった。私ってば優しいなあ。
「勘違いした虹が目の前に出てきたら君が喜ぶかなと。んで、俺は虹の麓で天使に会う。」
なんでもないように言った言葉に、思わず回してもいないペンを落とした。
「え?」
「ん?」
こっちの固まった表情に気づかず、転がっていったペンを目の前に戻してくれた。意外と優しい。
「あぁ、せっかくだからワンピース着てくれよ。その方がより天使っぽい。」
顔色ひとつ変えず、彼はそう言った。
「え?」
「ん?」
相変わらず固まった表情には気付いていないようだった。


【虹の始まりを探して】

Next