魔女の強欲
彼を一目見た時、可愛らしく何よりも尊い存在だと感じた。話しかけると警戒しているのか、つんとした態度。けれど、それでも愛おしいと感じた。
ーーあの子が欲しい。
そう思った時は、深海の中では小さな命の一つに過ぎない彼に話しかけていた。何が何でも私の手元に置いておきたくて、私を見て欲しくて。
「君、セイレーンでしょ。どうしてここにいるの」
「うーん……そうだなぁ。寂しそうに見えたから。それでは理由にならない?」
手のひらの中にある小さな命は、ひらひらと舞うように泳いでいた。この子に人魚の姿を与えたら、誰もが見惚れるほど美しいのだろう。
彼は少し考えているようだった。つい先ほど、私が水面の上にある空について話していたから、それが彼の好奇心を擽ったのだろう。
さぁ、私の手の中へおいで。
どうか私の手をとって。
私の側にいたら、退屈はさせない。色んなものを見せてあげるし、一緒にいると約束する。それから誰よりも大事に深く愛してあげる。
だって、君に一目惚れにしたんだから。
「寂しそうだったとしても、僕はそう長く生きていられない。君とお別れをしたら、多分直にこの暗い海と一つになる」
「なら、私と契約を交わしてよ。君に人魚の姿をあげる。代わりに君はずっと私の側にいるんだ」
「どうして……」
戸惑う彼の頭を指先で優しく撫でた。
「私が寂しいんだよ。君みたいな子が側にいてくれたら、この先の命も楽しめると思う」
そんな優しいものじゃない。君が死ぬのが嫌だ。
どうか私の手を取ると言って。
すると、彼は私の目の前までふよふよと泳いでくるとこう言った。
「なら、君がさっき言った空を見せて。セイレーンなら水面まで泳げるでしょ?」
「その空を見せてくれたら側にいてくれる?」
「……約束は守る」
彼を水面へと連れて行き、空を見せた時の彼の驚いた声は今でも覚えている。
「これが……空」
驚きながら空を眺める彼に呪文を唱え、頭に口付けを落とすと、彼は私と同じ青い尾鰭を持った美しい青年の人魚へと姿を変えた。
驚いているのか、その赤褐色の目を大きく見開いて初めて見る自分の手を何度も手のひらと手の甲を返して見ていた。そして、その指先が顔に触れ、不思議そうに首を捻っている。
「君はその姿でも綺麗だね。人魚の姿を与えて正解だったよ。今はセイレーンだけれど、私は近いうちにこの海で最も力を持つ魔女として名を馳せる。その時に君が側にいてくれると嬉しいんだけど」
心の内で思ったことを溢せば、彼は私のことを抱きしめてきた。今度は私が驚く方だった。
「側にいるよ。そういう約束だから。だから、魔女様も僕の側にずっといてよね」
「……うん、約束するよ」
私も彼のことを抱きしめ返した。ふと、あることを思い出す。
「そうだ。君、名前は?契約を交わすなら、名前がいるよね」
「持っているわけないでしょ。今の今まで、無名の海の精霊だったんだから」
少しいじけたように彼がそう言った。
「それもそうか……なら、君の名前は……」
これでようやく彼は私のもの。
誰にも渡さない私だけの。
前を
「エレナ。お前は二ヶ月後にルビリオ公爵家に嫁ぐことになった」
それは寝耳に水の話だった。突然、執務室に呼び出されお父様から聞かされたのは縁談の話。
「お父様……なぜ、急に」
「決まっているだろう。政略結婚というものだ。最近、南部の背教者の動きが鈍くなっている。我らが背教者の筆頭格ではあるが、このままでは教会を打倒することは厳しい。そこでだ。同じ反教会派であるルビリオ公爵家と手を組むことにした。お前はその架け橋となるのだ」
「………」
話が終わった後、私は目の前の現状に絶望していた。私は元より身体が強く無い。お母様も私を産んですぐに亡くなってしまった。お父様は娘である私を道具としてしかみていなかった。これまでに縁談の話が一つも上がってこなかったのは、私という道具を最も重要な場面で使いたかったからなのだろう。
(……でも、ルビリオ公爵のご子息は……もう三十になるお方よ。私とは十五歳の差があるというのに)
何処にも逃げ場が無い。身体が強く無い私では、何処へ逃げようとも必ず連れ戻されてしまう。逃げたい。逃げたい。この現実から。
思わずペンダントを握りしめる。お母様が遺してくれた唯一の形見。今までもこのペンダントには何度も助けられた。でも、今回ばかりは……。
(お母様……私は一体、どうしたら……)
その後も結婚の話が頭の中を駆け巡った。何をするにもそのことばかりが頭から離れなくて、碌に食事も喉を通らなかった。
ベッドに入った後も、何度も寝返りを打つけれど。眠れない。どうしようもなく不安だった。
(誰か、誰でもいいから……助けて)
その時だった。廊下の奥から何かが割れる音が響いた。
「え……?」
遠くから屋敷の騎士たちの怒号が響く。しかし、それはすぐに金属がぶつかり合う音と断末魔へと変わった。そして、こちらに近づいてくる足音。
「この向こうかな?」
「開けてみれば……分かるかも」
男女の声だった。私は慌てて起き上がり、サイドチェストに入れた短剣を取り出す。扉が開くと、黒い外套に身を包んだ一組の男女がいた。
赤と青のオッドアイをした男性が小さく頷く。
「金の髪と緑色の目……うん、この子だ」
「スピカの情報が当たったね〜」
「な、何ですか……あなたたちは!」
「あぁ、ごめんごめん。そう警戒しないでよ」
そう気さくに話しかけながら、気がつくと女性は私の側まで来ていて短剣を取り上げられる。髪と同じ色をした目が、優しく私を見ていた。
「大丈夫。私たちは君の味方だよ。君のことを助けに来たんだ。私はミル。こっちはスピカ」
「み、かた……?」
「そう。あなたのことを保護するのが、俺たちの役目」
「なら、お父様は……?」
私の問いにスピカさんは少しだけ眉を下げた。
「残念だけど、彼は、背教者の筆頭格の一人。俺たちとは別の部隊が彼を処断しに向かった」
「!」
「……どうする?今行っても、きっと亡骸の状態だと思う。お別れでもしておく?」
「その必要はない。我が娘は、この手で殺してから私も死ぬからな」
ミルさんの言葉に答えたのは、扉の前に立つ血まみれのお父様だった。
「お父様……!」
「……リーファス公爵。よくもその血塗れでここまで来たね」
ミルさんが私を引き寄せ、冷めた視線をお父様に向ける。私とミルさんを庇うように、スピカさんが短剣を構えて前に出る。
「どうして、実の娘を手にかける必要がある?彼女はあなたの活動に手は貸していない」
「貸していなくとも、そいつは計画を知っている。口外されては困るからだ」
「それはルビリオ公爵と手を組むっていう話?」
「な……」
「残念だけど、君たちの計画はこっちに筒抜けなんだよね。だから、エレナを殺しても何もならないよ。それに、ルビリオ公爵家も反逆罪で別の騎士団が弾圧に向かっている。どちらにしろ君たちは詰みだ」
淡々とミルさんはそう言った。お父様は顔を真っ赤にして、何か叫んでいたけれど、スピカさんに胸を深く突き刺されてその場に倒れてしまった。
「……もう息は無い。心臓を刺したから」
「いつの時代も実の子を道具のように扱う酷い親はいるんだね。気分が悪いよ、まったく」
私はそのままミルさんとスピカさんに保護された。そして、聖光教会の本拠地であるガルシア大修道院にて、心身ともに療養を受けることになった。
私は、あの日お父様が目の前で殺されるのを見た。でも、スピカさんとミルさんは私の恩人。殺されたお父様に対して何も思わない訳ではないけれど、私はここにいる間はせめてお二人に何か恩返しが出来ればと考えている。
「エレナ!」
「調子は……どう?」
「はい!もうかなり良くなりました!」
現実逃避はしない。辛いことはあったけれど、前を向いて生きていかないと。
海の底で
僕は、海の中に漂う精霊の一人だった。クリオネのような小さな姿をしていて、いつ消えてもおかしくない深海を生きていく小さな命の一つ。何も思うことなく水底で、ゆらゆらと海月のように、眼前を泳いでいく魚たちを見つめていた。
「君は知っているかな。この暗い海の上、水面の向こうには暖かな橙と暗い青を混ぜ合わせたような物憂を帯びた美しい空があることを」
「……知らない」
ある時、とても綺麗な人がそんなことを言ってきた。長い水色の髪にシンプルな白いドレス。澄んだ青い瞳を持った彼女は、後に海の魔女と呼ばれる彼女は当時、セイレーンという海の魔物だった。
「君、セイレーンでしょ。どうしてここにいるの。僕のような精霊を気にかけてどうしたいの」
「うーん……そうだなぁ。寂しそうに見えたから、それでは理由にならない?」
僕を手のひらに乗せて、指先で頭を撫でてくる。その青い瞳はとても優しそうに、愛おしいものを見るように細められていた。
「……寂しそうだったとしても、僕はそう長くは生きていられない。君とお別れをしたら、多分直にこの暗い海と一つになる」
僕の言葉に彼女は優しく笑った。
「なら、私と契約を交わしてよ。君に人魚の姿をあげる。代わりに君はずっと私の側にいるんだ」
「どうして……」
「私が寂しいんだよ。君みたいな子が側にいてくれたら、この先の命も楽しめると思う」
「……」
僕は少し考えた後、ふよふよと泳いで彼女の眼前に立つ。
「なら、君がさっき言った空を見せて」
「空?」
「セイレーンなら水面まで泳げるでしょ?僕たち精霊は移動するだけでエネルギーを使うんだ。その分、寿命も短くなる。だから、生まれたら生まれた場所から動くことはまず無いよ」
「その空を見せたら、側にいてくれるの?」
「……約束は守る」
僕の言葉に彼女はふわりと笑った。あどけなさの残る可愛らしい笑顔だった。彼女は両手で僕のことを包み込む。
「こっちだよ」
彼女の足が美しい青色の尾鰭へと変化し、水面へ向かって上へ上へと泳いでいく。しばらくして、ざばりと水が消えた。僕の頭上には、深海とはまた違った暗い青が広がっている。そして、その中にぽかりと丸い何かが浮かんでいる。
「君の上にあるのは夜の空。深海とはまた違った暗いものだよね。そして、そこにぽかりと浮かぶのは月と呼ばれるものだよ」
「これが……空」
その時の衝撃は今でも覚えている。とても綺麗なものだった。どんな言葉にも形容しがたい、見ていると物悲しくなり、幻想的で美しい空が。
「……綺麗」
「そうでしょ?それからね」
彼女は呪文を唱え、僕の頭に再度口付けを落とした。すると、僕の身体に変化が起こる。視線を落とせば彼女と同じ青い尾鰭を持ち、彼女よりもしっかりした手と腕があって、胴体がある。手で顔と思しき場所を触れば、感触があった。
僕の姿を見た彼女は恍惚とした表情で呟く。
「君はその姿でも綺麗だね。人魚の姿を与えて正解だったよ」
「僕が……人魚に?」
信じられなかったけれど、僕の姿は彼女と似ていた。ほんの少しだけ違うのは体格と髪と瞳の色。
「今はセイレーンだけれど、私は近いうちにこの海で最も力を持つ魔女として名を馳せる。その時にずっと君が側にいてくれたら、嬉しいんだけど」
はにかんだ様子の彼女を僕は気がついたら抱きしめていた。この手で彼女を抱きしめることが出来る。彼女はとてもあたたかった。心臓の音が聞こえた。
彼女の為に、尽くしたいとそう思った。
「側にいるよ。そういう約束だから。だから、魔女様も僕の側にずっといてよね」
それが、海の小さな命の一つだった僕と魔女様のはじまりだったんだ。
僕の魔女様、私の人魚
今回の依頼者は男性の人魚だった。彼は、恋人である女性の人魚に贈り物をしたかったらしく、その為に魔女様の力を借りた。本当に恋人のことを愛しているのだろう。依頼したものを渡した後、彼はずっと恋人の惚気話を語っていた。それはもう耳にタコが出来るくらいに。
人の惚気話を聞いても何も面白くないよ。話に飽きて去ろうとする僕に、男性の人魚が魔女様にあることを言っていた。
「魔女様。彼は随分と素っ気ないですね。あの様子だと、魔女様の従属と言っても貴方様のことを慕ってはいないのでは?」
頭の中が真っ白になった。
僕が、魔女様を慕っていないだって?
人魚が誰かの従属になるには、仕える主に相応の敬意と愛情、そして命を捧げなくてはいけない。そして主は従属の敬意と愛情、命を預かり、そこで初めて契約が成立する。
誰かの従属になるということは、自分の命を相手に握らせるというものだ。簡単に出来ることじゃない。
振り返って反論しようとしたその時だった。依頼主の向かい側に座っていた魔女様の気配が、冷たいものへと変化する。
「……ほう。我が従属に、そのような言葉を浴びせるか」
暗い深海の底から、這い出るような低い声だった。僕は魔女様の後ろにいたから顔を見ることはできなかったけど、向かいに座っている人魚の表情が引き攣っている。
「人魚の契約は命を懸ける。だから、そう容易いものではないと、人魚であるお前なら知っていると思ったが……そうか。知らないのか」
「い、いえ……魔女様、私は……」
「発言を許可した覚えは無いぞ」
「………」
魔女様の威圧に負けて、人魚は俯く。魔女様の表情は分からないけど、気配や口調で分かる。
物凄く怒っている。けれど、僕はその魔女様を怖いとは思わなかった。
「我が従属は、私を慕ってくれている。私を愛してくれている。態度は素っ気ないかもしれない。だがな、視線や口調、声で分かる。何より、命懸けの契約で私への愛情を示してくれた」
魔女様は立ち上がって、出口を指差した。
「それを持ってさっさと立ち去れ。そして、二度とここへ来るな。次にここへ来たら……そうだな。お前の恋人に呪いをかけてやろう。お前のことを忘れ、二度と思い出せない呪いをな」
「……!」
男性の人魚は素早く立ち去った。魔女様は深く息を吐くと、僕の方へと振り返る。その顔は僕が知っている優しい魔女様だった。
「いやぁ、珍しくカッとなってしまったよ」
「……魔女様」
「ん?あぁ、もしかして怖かった?」
「いや……」
むしろ逆だ。僕の想いが一方通行では無かったことを知り、胸が高鳴るのを感じる。冷たい海の中にいるのに、頬が熱くなるのを感じる。
僕の顔を見て、魔女様が笑った。
「その様子だと、怖い。じゃなくて惚れ直した感じだね」
「……うるさいよ」
「ふふ。私の従属は、素直でかわいいね」
にこにこと笑う魔女様に言われっぱなしというのも何だか癪だ。
僕は魔女様の手を取ると素早く指先を絡め、手首を捻り、魔女様の手の甲に口付ける。ちゅ、と小さくリップ音が鳴る。魔女様の顔を見ると魔女様は少し驚いた様子で、そして頬を赤く染めていた。
「何で魔女様が照れるの?」
「……」
もう一度、口付けると魔女様の手が逃げようとする。逃がさないように少し強く握って、もう一度口付けた。
「魔女様。僕の愛はこんなものじゃないよ?」
「……離して」
「嫌だよ」
初な反応が可愛い。もっとその顔が見たい。
僕の命を握っているその手が、その目が、その声が、その性格が何もかも愛おしい。
「君のことを、愛しているんだ。いっそのこと君に殺されても良いくらいだよ」
「……それは、駄目だよ。私も君のことを愛しているんだもの。君がいなくなったら生きていけないよ」
魔女様のもう片方の手が僕の頰を撫でる。くすぐったくて、心地良くて擦り寄ると魔女様がくすくすと笑った。
「誰よりも美しくて愛おしい私の人魚」
「誰よりも強くて愛おしい僕の魔女様」
こつんと額が触れ合う。目と目を見つめて、僕たちは同時に言葉を口にする。
「「愛しているよ」」
協力
聖光教会の騎士団のには、彼らをまとめ上げる執行官と呼ばれる四人の幹部がいる。
厳格の執行官・サリエル。
理知の執行官・エミール。
慈悲の執行官・ラファエル。
冷酷の執行官・ヴァシリー。
執行官たちは教会から依頼を聞き、それらを他の騎士たちに伝え導くのが主な役目だ。執行官たちは月に一度、ガルシア大修道院にある騎士の間で一ヶ月の報告と今後の方針について議題する日を設けている。
ちょうど、この日が執行官たちの会議の日だ。
「やぁ、サリエル殿。待っていたよ」
青いローブに身を包み、リムレス眼鏡をかけた女性……サリエルを出迎えたのは、黒いマスクで顔を隠し、黒装束に身を包んだ青年。彼が慈悲の執行官・ラファエルだ。
「あなたが一番だったのですね、ラファエル」
「今回はたまたまね。あの二人はまだのようだけど」
「遅くなってしまってすまない。サリエル、ラファエル」
「いえ、問題ありませんよ。時間には間に合っています」
サリエルの言葉にエミールは微笑みで返す。そして、騎士の間に二人しかいないことを確認すると、小さく息を吐いた。
「やれやれ、まだあの子は来ていないのか」
「ヴァシリー殿が時間通りに来ること自体、珍しいことじゃないか。遅刻したって僕たちは何も思わないよ」
「誰が、時間通りに来ることが珍しいと?」
その声に三人は振り返ると、不敵な笑みを浮かべたヴァシリーが部屋の入り口に立っていた。しかし、その目は笑っていない。しかし、三人はヴァシリーの放つ刃のような鋭い殺気に全く怯んでいなかった。
「時間通りに来たならそれで良いのです。さて、これで全員揃いましたね。それでは始めましょう」
各々が席に着く。それぞれが一ヶ月の報告をした後、ラファエルが軽く咳払いをした。
「失礼。本来なら今後の方針について話し合うべきなのだろうけど……昨日、司教様より騎士団に依頼が来たんだ。南の国にある南方教会が背教者の連中に乗っ取られたと。討伐は今週中に終わらせて欲しいと」
「その背教者の討伐……というわけか。しかし、それならわざわざ私たち執行官四人に伝える必要も無いのでは?私たちのうち、誰か一人にでも伝えれば如何様にも出来るはずだろう?」
エミールの発言にラファエルは「ところが、そう簡単にはいかないようなんだ」と肩を竦める。
「それはどういうことだい?ラファエル」
「簡単だよ。南方教会にいる背教者たちの被害が甚大なものだからだ。背教者を討伐する部隊と彼らに虐げられた者たちの救護部隊の二部隊を率いる必要がある」
ラファエルの発言にサリエルは頷く。
「救護ならラファエルの部隊が適任ですね。あなたの育ててきた騎士たちは皆、応急措置に長けていますから討伐は……そうですね。今回はヴァシリーに任せましょう」
「……ふん」
「こら、ヴァシリー。返事」
「うるさいぞ、エミール。別に行かないとは言っていない」
「相変わらずお前は私に反抗的だね……」
呆れたように呟くエミールを他所に、ヴァシリーはサリエルを見る。
「その背教者は皆、殺していいのか?」
「いえ、出来れば何人か捕虜にしてください。残党がいるなら居場所を吐かせなくては。女や子供であっても同情や容赦は必要ありません」
「当然だ。教会に刃向かうのだから、それはもう徹底的に倒さなくては、な?」
楽しげに笑うヴァシリーにサリエルは表情一つ動かさずにラファエルに視線を向けた。
「ラファエルはなるべく人々を救護出来るよう尽力を。敵に同情も慈悲も与えないヴァシリーの部隊なら、あなたも救護に集中出来るでしょう?」
「ああ、問題ないよ。サリエル殿とエミール殿はどうするんだい?」
「私たちは後処理ですね。ヴァシリーの方で捕まえた捕虜の拷問や残党の行方を追います。エミール、手伝ってくれますね?」
「もちろん。私で良ければ力になろう」
「話はまとまりましたね。討伐は今週末に行います。各自準備を行い、南方教会の救援に向かいます!」
会議が終わった後、ラファエルとヴァシリーは一足先に騎士の間を後にしていた。
「ヴァシリー殿と共同作戦は久しぶりだね。よろしく頼むよ」
「ああ、こちらこそよろしく頼む。ラファエル」
「……君は変わったね。今までは誰かに対して同情を寄せたり、協力するような人では無かったのに。それも君が教え子を持つようになったからかい?」
ラファエルの口調は丁寧だったが、その焦げ赤色の瞳はヴァシリーの真意を知る為に鋭く細められていた。
「誰かに対して同情したり、協力をした覚えは今でもない。あの娘に対してもだ。あいつの悲しみや苦しみは俺には理解できない」
「……そう。少しでも人らしいと思ったけれど、どうやら思い過ごしのようだ」
「だが」
「?」
「お前のように、人の苦しみや悲しみを理解出来たらと思うことは、ある。あの娘が悲しい顔をしていると、俺はどうにも落ち着かない」
戸惑ったように視線を彷徨わせるヴァシリーにラファエルは目を丸くした。
(……これは、驚いたね。あのヴァシリー殿が、ならこの機会を逃すわけにはいかないな)
「なら、次の討伐戦の後、僕たち救護部隊の手伝いをしてくれるかな?きっとかなりの負傷者がいる。君たちの部隊も力を貸してくれたら、とても助かるんだ」
「……ああ、分かった。手を貸そう」
「感謝するよ、ヴァシリー殿」
(僕の考えが彼に理解出来たなら、執行官の均衡ももっと良いものになる。誰かの苦しみを、悲しみの心を理解できるのは、とても素敵なことだよ)
マスクの下でラファエルはヴァシリーの心の成長を密かに喜んだのだった。