前を
「エレナ。お前は二ヶ月後にルビリオ公爵家に嫁ぐことになった」
それは寝耳に水の話だった。突然、執務室に呼び出されお父様から聞かされたのは縁談の話。
「お父様……なぜ、急に」
「決まっているだろう。政略結婚というものだ。最近、南部の背教者の動きが鈍くなっている。我らが背教者の筆頭格ではあるが、このままでは教会を打倒することは厳しい。そこでだ。同じ反教会派であるルビリオ公爵家と手を組むことにした。お前はその架け橋となるのだ」
「………」
話が終わった後、私は目の前の現状に絶望していた。私は元より身体が強く無い。お母様も私を産んですぐに亡くなってしまった。お父様は娘である私を道具としてしかみていなかった。これまでに縁談の話が一つも上がってこなかったのは、私という道具を最も重要な場面で使いたかったからなのだろう。
(……でも、ルビリオ公爵のご子息は……もう三十になるお方よ。私とは十五歳の差があるというのに)
何処にも逃げ場が無い。身体が強く無い私では、何処へ逃げようとも必ず連れ戻されてしまう。逃げたい。逃げたい。この現実から。
思わずペンダントを握りしめる。お母様が遺してくれた唯一の形見。今までもこのペンダントには何度も助けられた。でも、今回ばかりは……。
(お母様……私は一体、どうしたら……)
その後も結婚の話が頭の中を駆け巡った。何をするにもそのことばかりが頭から離れなくて、碌に食事も喉を通らなかった。
ベッドに入った後も、何度も寝返りを打つけれど。眠れない。どうしようもなく不安だった。
(誰か、誰でもいいから……助けて)
その時だった。廊下の奥から何かが割れる音が響いた。
「え……?」
遠くから屋敷の騎士たちの怒号が響く。しかし、それはすぐに金属がぶつかり合う音と断末魔へと変わった。そして、こちらに近づいてくる足音。
「この向こうかな?」
「開けてみれば……分かるかも」
男女の声だった。私は慌てて起き上がり、サイドチェストに入れた短剣を取り出す。扉が開くと、黒い外套に身を包んだ一組の男女がいた。
赤と青のオッドアイをした男性が小さく頷く。
「金の髪と緑色の目……うん、この子だ」
「スピカの情報が当たったね〜」
「な、何ですか……あなたたちは!」
「あぁ、ごめんごめん。そう警戒しないでよ」
そう気さくに話しかけながら、気がつくと女性は私の側まで来ていて短剣を取り上げられる。髪と同じ色をした目が、優しく私を見ていた。
「大丈夫。私たちは君の味方だよ。君のことを助けに来たんだ。私はミル。こっちはスピカ」
「み、かた……?」
「そう。あなたのことを保護するのが、俺たちの役目」
「なら、お父様は……?」
私の問いにスピカさんは少しだけ眉を下げた。
「残念だけど、彼は、背教者の筆頭格の一人。俺たちとは別の部隊が彼を処断しに向かった」
「!」
「……どうする?今行っても、きっと亡骸の状態だと思う。お別れでもしておく?」
「その必要はない。我が娘は、この手で殺してから私も死ぬからな」
ミルさんの言葉に答えたのは、扉の前に立つ血まみれのお父様だった。
「お父様……!」
「……リーファス公爵。よくもその血塗れでここまで来たね」
ミルさんが私を引き寄せ、冷めた視線をお父様に向ける。私とミルさんを庇うように、スピカさんが短剣を構えて前に出る。
「どうして、実の娘を手にかける必要がある?彼女はあなたの活動に手は貸していない」
「貸していなくとも、そいつは計画を知っている。口外されては困るからだ」
「それはルビリオ公爵と手を組むっていう話?」
「な……」
「残念だけど、君たちの計画はこっちに筒抜けなんだよね。だから、エレナを殺しても何もならないよ。それに、ルビリオ公爵家も反逆罪で別の騎士団が弾圧に向かっている。どちらにしろ君たちは詰みだ」
淡々とミルさんはそう言った。お父様は顔を真っ赤にして、何か叫んでいたけれど、スピカさんに胸を深く突き刺されてその場に倒れてしまった。
「……もう息は無い。心臓を刺したから」
「いつの時代も実の子を道具のように扱う酷い親はいるんだね。気分が悪いよ、まったく」
私はそのままミルさんとスピカさんに保護された。そして、聖光教会の本拠地であるガルシア大修道院にて、心身ともに療養を受けることになった。
私は、あの日お父様が目の前で殺されるのを見た。でも、スピカさんとミルさんは私の恩人。殺されたお父様に対して何も思わない訳ではないけれど、私はここにいる間はせめてお二人に何か恩返しが出来ればと考えている。
「エレナ!」
「調子は……どう?」
「はい!もうかなり良くなりました!」
現実逃避はしない。辛いことはあったけれど、前を向いて生きていかないと。
2/27/2024, 1:01:09 PM