僕の魔女様、私の人魚
今回の依頼者は男性の人魚だった。彼は、恋人である女性の人魚に贈り物をしたかったらしく、その為に魔女様の力を借りた。本当に恋人のことを愛しているのだろう。依頼したものを渡した後、彼はずっと恋人の惚気話を語っていた。それはもう耳にタコが出来るくらいに。
人の惚気話を聞いても何も面白くないよ。話に飽きて去ろうとする僕に、男性の人魚が魔女様にあることを言っていた。
「魔女様。彼は随分と素っ気ないですね。あの様子だと、魔女様の従属と言っても貴方様のことを慕ってはいないのでは?」
頭の中が真っ白になった。
僕が、魔女様を慕っていないだって?
人魚が誰かの従属になるには、仕える主に相応の敬意と愛情、そして命を捧げなくてはいけない。そして主は従属の敬意と愛情、命を預かり、そこで初めて契約が成立する。
誰かの従属になるということは、自分の命を相手に握らせるというものだ。簡単に出来ることじゃない。
振り返って反論しようとしたその時だった。依頼主の向かい側に座っていた魔女様の気配が、冷たいものへと変化する。
「……ほう。我が従属に、そのような言葉を浴びせるか」
暗い深海の底から、這い出るような低い声だった。僕は魔女様の後ろにいたから顔を見ることはできなかったけど、向かいに座っている人魚の表情が引き攣っている。
「人魚の契約は命を懸ける。だから、そう容易いものではないと、人魚であるお前なら知っていると思ったが……そうか。知らないのか」
「い、いえ……魔女様、私は……」
「発言を許可した覚えは無いぞ」
「………」
魔女様の威圧に負けて、人魚は俯く。魔女様の表情は分からないけど、気配や口調で分かる。
物凄く怒っている。けれど、僕はその魔女様を怖いとは思わなかった。
「我が従属は、私を慕ってくれている。私を愛してくれている。態度は素っ気ないかもしれない。だがな、視線や口調、声で分かる。何より、命懸けの契約で私への愛情を示してくれた」
魔女様は立ち上がって、出口を指差した。
「それを持ってさっさと立ち去れ。そして、二度とここへ来るな。次にここへ来たら……そうだな。お前の恋人に呪いをかけてやろう。お前のことを忘れ、二度と思い出せない呪いをな」
「……!」
男性の人魚は素早く立ち去った。魔女様は深く息を吐くと、僕の方へと振り返る。その顔は僕が知っている優しい魔女様だった。
「いやぁ、珍しくカッとなってしまったよ」
「……魔女様」
「ん?あぁ、もしかして怖かった?」
「いや……」
むしろ逆だ。僕の想いが一方通行では無かったことを知り、胸が高鳴るのを感じる。冷たい海の中にいるのに、頬が熱くなるのを感じる。
僕の顔を見て、魔女様が笑った。
「その様子だと、怖い。じゃなくて惚れ直した感じだね」
「……うるさいよ」
「ふふ。私の従属は、素直でかわいいね」
にこにこと笑う魔女様に言われっぱなしというのも何だか癪だ。
僕は魔女様の手を取ると素早く指先を絡め、手首を捻り、魔女様の手の甲に口付ける。ちゅ、と小さくリップ音が鳴る。魔女様の顔を見ると魔女様は少し驚いた様子で、そして頬を赤く染めていた。
「何で魔女様が照れるの?」
「……」
もう一度、口付けると魔女様の手が逃げようとする。逃がさないように少し強く握って、もう一度口付けた。
「魔女様。僕の愛はこんなものじゃないよ?」
「……離して」
「嫌だよ」
初な反応が可愛い。もっとその顔が見たい。
僕の命を握っているその手が、その目が、その声が、その性格が何もかも愛おしい。
「君のことを、愛しているんだ。いっそのこと君に殺されても良いくらいだよ」
「……それは、駄目だよ。私も君のことを愛しているんだもの。君がいなくなったら生きていけないよ」
魔女様のもう片方の手が僕の頰を撫でる。くすぐったくて、心地良くて擦り寄ると魔女様がくすくすと笑った。
「誰よりも美しくて愛おしい私の人魚」
「誰よりも強くて愛おしい僕の魔女様」
こつんと額が触れ合う。目と目を見つめて、僕たちは同時に言葉を口にする。
「「愛しているよ」」
2/23/2024, 11:53:44 AM