気まぐれに
「随分、あの暗殺者を気に入っているみたいだな。ヴァシリー?気まぐれなお前にしては長く手元に置いている」
背後から耳障りな声がした。視線だけ振り返れば、口元に微笑みを貼り付けた髪の色から服まで真っ白な、俺の殺すべき男がそこにいた。その金の瞳は相変わらず何を考えているかあまり読み取れん。
「だから、どうした?貴様には関係の無い話だろう。エミール」
「ただの興味だよ。少しくらい教えてくれてもいいじゃないか」
「断る。貴様に教えたとて、貴様があの娘に近づこうとしていることくらい分かる」
「あの娘に、私が触れられるのは嫌かい?」
「………」
答えなど、とうに分かっているくせに。この男は本当に俺の神経を逆撫でをするのが上手だ。いっそのこと、殺してやりたくなる。
「まあいい。気まぐれなお前が誰かに執着した。それだけでも喜ばしい成長だ。ではね、私はまたここを離れて、北の支部へ戻るよ」
ひらりと手を振ってエミールは俺の横を通り過ぎる。
あの男のせいで、すっかり興醒めだ。
「……ヴァシリー」
「何だ」
「……機嫌、悪い?」
「………」
エミールと別れた直後の任務にて、俺とミルは二人だけで背教者の残党狩りをしていた。森の中、並んで歩いていた時に娘は言った。
この娘は、俺と共に過ごす時間が長いからか、些細な空気の変化でも俺の状態を見抜くようになった。暗殺者として役立てるよう、場の空気と人の些細な変化を読み取れるよう仕込んでやったその結果だろう。
「……じゃあ、仮にそうだとして、その理由は分かるか?」
「……」
俺の問いにミルは少し考えたのち答える。
「あなたを探していた時、遠くで知らない男の人を見た。真っ白な男の人。その後に見つけたあなたはとても不機嫌だったよ。その前は、そうじゃなかったのに。……もしかして、その人が原因?」
「ミルも、あの男を見ていたか。なら、話は早い。あれには近寄るな。見てもすぐに離れろ」
「そんなに危ない人?」
「あれは、俺の……育て親だ。だが、俺はあいつを殺してやりたいほど憎いと感じている」
「どうして?」
「……あいつの全てが気に食わんからだ」
ミルは不思議そうにしていたが、近くの残党の気配に気づいたのだろう。すぐに短剣を構え、真剣な顔になる。
「数は、10人か。残党、という割には数が少ないな」
「………」
すぐ近くの茂みから飛び出してきた黒装束。ミルは間髪入れずに、喉元を掻き切った。背後からミルを狙う黒装束のナイフを俺は弾き、レイピアを突き刺す。
「ぅがっ……」
「よくも……!」
仲間の仇をとろうと、俺の背後に回った黒装束を俺はもう片方のレイピアで頭を刺し貫く。
「骨の無い奴らだ」
ふとミルの方を見れば、奴は高い木々の間を縫うように飛翔し、敵を翻弄していた。
木の上からミルは短剣を投げる。それは敵の胸や脳天を刺し貫き、あっという間に屍の山が積まれていく。それを見て、気分が高揚するのを感じる。
(あの娘は、本当に高く飛ぶな……)
ミルが殺した人数は五人。俺の手で殺したのは、二人。残りの三人は俺の眼前にいた。
緊張した面持ちの男たちに俺は冷めた気持ちで見ていた。
「……お前たちの相手をしているよりも、あの娘と手合わせをしている方が余程有意義だ」
一気に距離を詰め、手前にいた二人をレイピアで胸を深く貫く。剣を引き抜き、その奥にいた一人の首を刎ねた。
「ヴァシリー」
振り返ると返り血に塗れたミルがいた。
(頰に血がついているな……)
その頰に付いた血を服の袖で拭う。ミルは不思議そうに首を傾げる。
「……血を拭ってくれたの?」
「ああ」
「ありがとう」
にこりと笑うミルを抱き上げ、その場を後にする。
「高いところは好きか?」
「うん。好き」
「そうか。なら、こうして俺が抱き上げていれば、お前の好きな高いところにいることが出来るな?」
「……ヴァシリー」
「?」
「私、もう十九だよ。子供じゃないし、重くないの?」
「お前を抱えることは造作も無いことだ。俺がやりたいからやっている。それだけだ」
「……」
何を言っても無駄だと判断したのか、ミルはそれ以降黙ったままだった。
戻ったら、まずはこの血を落とす為の入浴と洗濯をしなければ。その後に偶にはこの娘の髪の毛の手入れでもしてやろう。
「ヴァシリー」
「何だ」
「機嫌は、良くなった?」
俺は口元に笑みを浮かべ、ミルのこめかみに口を寄せた。
「悪くはないな」
片割れ
窓から差し込む夕日の光。誰もいない教室の一席で、俺は静かに本を読んでいた。
「リーゲル」
ジャスミンの香りと軽やかな声に顔をあげると、気配も音もなく彼女は俺の目の前にいた。楽しげに細められた金の瞳には、難しい顔をする俺の顔が映っている。
「……マリア。気配を消すのはやめろと言ったはずだ」
「あら、ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったの」
「……言葉と表情が一致していないぞ。それで、例の話はどうなった?」
にこにこと笑う彼女にそう問い掛ければ、マリアは静かに言う。
「あなたの読み通りよ。この魔法学園で、対の魔法使いである私たちを倒そうと、画策している輩がいるのを見つけたわ。それも、これから襲撃をするみたいね」
「数は」
「ざっと数えて30くらい」
「……」
俺は静かに息を吐くと、読みかけの本を閉じた。椅子に立てかけていた銀の杖を手に取る。
「舐められたものだな。金華の魔女と銀葉の魔法使いも」
「ええ。そうね。悪い子には仕置きが必要かしら?」
そう言ったマリアの手には俺と揃いの金の杖が握られている。
この魔法学園では、入学時に占星術で共に卒業まで過ごすパートナーを決める風習がある。片割れと共に腕を磨き、魔法学園で勝ち残る。負ければ即退学だ。
その中で俺とマリアは、銀葉の魔法使いと金華の魔女として名を馳せていた。その由来は俺たちの杖にある。俺は、銀の杖にしなやかな葉の模様がついていること。マリアは金の杖に華やかな花の模様がついていることから。
と、ここまで聞けば、俺たちが強い所以は互いを想い合う息ぴったりのパートナーだから、となるだろう。しかし、実際はその逆だ。
「あ、私の足を引っ張らないでね?リゲル。じゃないと、敵さんごとあなたのことを燃やしてしまいそう」
「それはこちらの台詞だな、マリア。お前も前に出過ぎて、凍りつかないように」
俺たちは出会った時から反りが合わなかった。目が合った瞬間からこの有様だ。渡された杖も似たようなものだと知った時は、危うく殺し合いになるところだった。
……それくらい、互いをよく思っていない。
「私はね、あなたのその毅然とした態度が気に食わない。その銀の髪も瞳も気に食わない。何故、私の炎と真反対の氷の力を持っているのかしら?」
ニコリと微笑むマリアに俺は言い返す。
「……随分とお喋りだな。容姿なんて、持って生まれたものだろう。お前の場合はその意地の悪い性格をどうにかしろ。振り回されるこちらの身にもなれ」
「あなたの事情なんて知ったことじゃない。こっちはしたいことがあるからするの」
「それはただの我儘だ」
と、その時。窓の外から雷が飛んでくる。しかし、マリアは杖で受け止めた。そうして窓の外を睨む。
「今は取り込み中よ。割り込むなんて、そんなに私たちとお話したいの?」
窓の外には箒に乗った魔法使いたちが30人ほどいる。マリアは窓の外へ飛び出すと、箒に乗った。
(……少しは冷静になれないのか)
俺はため息を吐きながら、外に飛び出す。俺たちと向かい合った魔法使いの一人が笑った。
「流石の銀葉の魔法使いも金華の魔女も、この人数には勝てないだろ?お前たちを倒して、俺たちがこの学園のトップになる!」
げらげらと笑いながら、魔法使いたちは杖を構える。
俺は深く息を吐き、目の前の奴らを見る。心だけを冷たく、頭が冴え渡らせるように深く息をする。くだらない真似で俺たちの首を狙おうとする奴らには、相応の目に遭わせてやらないとな。
ちらりとマリアの方を見れば、彼女も同じことを考えているようで、楽しげに笑いながら俺のことを見ていた。真っ赤な長い髪がゆらゆらと風に揺れるその様はまるで炎のようだ。
「少しお前たちは勘違いをしているようだ」
「何?」
「少なくとも私たちはお前たちの思うようなパートナー同士では無いわ。その気になれば、片割れを殺すことも厭わない。……お前たちにその覚悟はある?」
「俺たちはある。その内に、お互いを殺すつもりだからな」
「だから、お前たちに構う暇なんて無いの」
こういう時にだけどうして息が合うのだろうな。それだけ互いを嫌い合っているから、なのか。
真っ赤な髪も金の瞳も。刹那主義で、自身の楽しみにしか興味のない魔女。俺とは真逆だ。
俺はお前が嫌いだ。そして、お前も俺が嫌いだ。お互いを嫌い合い、殺し合う。それ以外に興味は無い。だが、この放課後の有意義な時間を奪う奴らに、くれてやる命も名誉も何も無い。
それはきっと奴も同じだ。
俺たちにあるのは、互いを嫌い合う気持ちだけ。
それでも、誰よりも互いをよく知っている片割れだ。
「「邪魔をするな。さっさと失せろ」」
揶揄い
その日は雲一つない快晴。教会の任務もヴァシリーの鍛錬も無い完全な休日。起きてすぐに部屋の窓を開けて、私はカーテンを取り外す。
「今日は部屋の掃除!まずはカーテンの洗濯!」
カーテンを持って、洗い場に向かう。用意した桶に洗剤が溶けた水でしっかり洗っていると……。
「ミル?」
その声に振り返れば、同期のスピカがいた。彼は色違いの赤と青の瞳を不思議そうに瞬かせてこちらを見ていた。
「おはよう、スピカ」
「おはよう……何してるの?」
「今日は休日だから、部屋の掃除しようと。その前にカーテン洗っておきたいんだ〜。スピカは?」
「俺は……これから、朝ごはん。その後に任務に向かう」
「……どんな任務?」
「西の国へ行って、潜入捜査。あそこも背教者たちの動きは活発だから。大司教様が内情を調べてって」
無表情で淡々とそう言った彼に私は「そっか」と返す。
彼も私と同じ暗殺者であり、そういった潜入捜査はお手のもの。しかし、単身で敵地に向かうのだから相応の危険は伴う。
「君のことだから、大丈夫だと信じているけど……気をつけてね」
「うん。ありがとう。……良かったら、一緒に朝ごはん食べてくれる?そうしたら頑張れる」
「もちろん!」
「……ありがとう」
彼は言葉少なだけど、とても敬虔で純粋な子。私の数少ない友人の一人だ。その願いを無碍にするわけにはいかなかった。
彼と別れたのち、私は半日をかけて部屋の掃除を進めた。部屋にある数少ないテーブルや椅子を少しずらして、床に水を広げてブラシで擦る。しばらくしてから、布巾で拭っての繰り返し。
終わったら、窓枠の縁を濡らした布巾で拭えば、埃やら砂が沢山取れた。それを見て顔を顰めつつ、バケツで洗う。水が汚くなったら、洗い場まで行って水を入れ替える。
掃除が終わったのは、夕暮れ時。そろそろカーテンが乾いている頃だと思い、中庭の片隅にある干場に向かう。
干場に向かうと、カーテンの前にいたのはヴァシリーだ。風にゆらゆらと揺れる真っ白なカーテンを表情の読めない顔で見つめている。
「ミル」
こちらに顔を向けずにヴァシリーは私の名前を呼んだ。
「ヴァシリー。何でカーテンの前にいるの?」
「庭の片隅にこんなものがあれば、気になるだろう?これはお前のか?」
「うん。今日はお休みだったから、部屋の掃除していたの」
「……そうか」
彼は徐に真っ白なカーテンを取ると、そのまま私のことをカーテンごと抱き上げる。
「わっ!?急に何!?」
「……」
真っ白なカーテンからはお日様の匂いがした。カーテンに包まれた私をヴァシリーは無表情のまま見つめる。
「ヴァシリー?何で急に抱き上げるの?というより、降ろして?」
「……こうして見ると、赤子みたいだな」
「……?」
私が首を傾げていると、ヴァシリーはその口元に笑みを浮かべる。しかし、それは敵に見せる酷薄なものではなく、穏やかなものに見えた。
「私、もう子供じゃないよ」
「そうか?俺からすればまだまだだが?」
……前言撤回。さっきの笑顔は気のせいだと思う。私の目の前にあるヴァシリーはいつもの揶揄うような意地の悪い笑みを浮かべている。
「……ヴァシリーって、幾つだっけ?」
「今年で二十九だ」
「……とりあえず、降ろして」
「断る」
「何で!?」
温もり
「進めておけ。いいな?」
「うん、分かった」
私の部屋に訪れ、ヴァシリーは次の任務の資料を渡してから言葉少なにそう言って立ち去った。
机に向かい、資料に目を通す。内容は数日後に、西の国にある背教者たちの拠点一つを殲滅するというものだった。その指揮官にヴァシリーの名前があった。
(そういえば、ヴァシリーとの付き合いは十年くらいになるんだっけ……)
ふと、私は十年前の出来事を思い出す。
私の故郷は、教会と対立している背教者たちによって滅ぼされた。両親は目の前で殺され、私も同様に殺されかけていた。
地に倒れ、抵抗する私に馬乗りになった男が高くナイフを振り翳した時だった。
「邪魔だ」
瞬間、男の胸が細剣に貫かれる。男はナイフを落とし、細剣が引き抜かれるとその身体が横に倒れる。返り血が全身に飛び散り、呆然とする私。
「娘、名は?」
「……ミル」
「そうか」
その人は無表情で剣をしまうと、私のことを抱き上げた。そうして、間近で目を覗き込まれる。その青い瞳は綺麗だったけど、何処までも冷たくて私のことは見えていないような気がした。
私のことを値踏みするように見つめた後、その人は小さく口角をあげた。そうして彼は近くにいた騎士に声をかける。
「先に戻る。後は片付けておけ」
「はっ」
そして、私を抱えたまま彼は歩き出す。殺された両親にお別れも言えないまま。
「ミル。お前は今日から俺が面倒を見てやろう」
「……」
「どうして黙る?嬉しくないのか?」
「保護するなら、別に教会に預けるだけでいいはず。なのに、何であなたが私の面倒を見るの?」
「ほう。俺がただの聖職者だとは思わんのだな」
楽しげに笑うその人を私は静かに見つめる。視線に気づいたのか、青い瞳がこちらを見た。
「思わない。それなら、こうも簡単に人を殺すはずが無いから。仮に聖職者だったとしても、あなたはきっと神様なんて信じていないでしょう?」
すると、それまで笑っていた彼はふっと笑みを消した。そうして、私を抱きかかえる腕に力がこもり、私は彼の胸に頭を密着させる形になる。
「随分と強気だな、ミル。親が殺されて、悲しくないわけでもあるまいに。何故、泣かない?」
「……多分、心が追いついてないから。本当にお父さんとお母さんは死んじゃったんだって……まだ、実感が無いから」
「だが、お前は親を殺したあの男に殺されかけていた」
どくり、と心臓が大きく跳ねる。目の奥が急に熱くなって視界が滲む。今になって死の恐怖がすぐそこにあったことを実感したから。
「……」
「ミル。俺は決して優しくは無い。このような戦いの場を好み、気の向くままに行動する。お前を拾ったのもただの気分だ」
「それでも」
私は涙声になりながら、訴えた。
「あなたは私の命の恩人。だから、着いていく」
その後にヴァシリーから手当を受け、彼が騎士団の中では幹部にあたる執行官の名を持っていることを知るのはすぐだった。
それからというもの、彼の下で武器の扱いを学び、私に合う得物を見繕ってくれた。何やかんやで彼は面倒見の良い人では無いかと思ってしまうのは、私だけかもしれないけど。
(……あの時は本当に気紛れだったのかもしれないけど、本当に感謝しているんだ)
資料に最後まで目を通し、ページを閉じる。そうしてヴァシリーに任された任務に向かうために支度をする。
少しでも彼の役に立てるように。救われた恩返しをするために。
高揚
聖光教会の本拠地・ガルシア大修道院に併設された教会騎士団の生活棟。
俺は騎士団の中では、教会では執行官と呼ばれる幹部の立場にある。気がついたら手に入っていた地位だが、さして興味は無い。
「ねぇ、ヴァシリー」
「何だ」
「今日は稽古つけてくれないの?」
俺の部屋で、近くにあった椅子に座り不思議そうに首を傾げる赤い髪の娘。名前はミル。数年前に、戦地として赴いた街で死にかけていた娘。いつもなら弱い者は捨て置くが、何を思ったのか俺は今日まで、この娘の面倒を見ている。
しかし、今ではこの娘を拾って正解だったと思うことがある。
「お前は、したいのか?」
「もちろん。この前みたいに怪我して、ヴァシリーに怒られるのも嫌だし」
拗ねたように口を尖らせながら、ミルはそう言った。この前……というのは、先日の反逆者掃討の時のことだろう。こいつは右腕を怪我していたのにも関わらず、戦いを続けようとした。それを俺が止めたことにより懲りたらしい。
(……事実を述べたまでだが)
それをどうやら、俺に怒られたと判断したようだ。何も言わない俺にミルは「それと」と続ける。
「早く強くなって、ヴァシリーの隣に立てるようになりたい」
「……俺の隣に?」
「うん。だって、ヴァシリーは今までの執行官の中で一番強いんでしょう?なら、それに並び立てるようになれば、私がヴァシリーを支えられるようになる」
(それが本当に出来ると思っているのか?)
俺の思っていることなど露知らず、ミルはどうかな?と笑う。
(しかし……ミルの言ったことが現実になったなら、それはそれで面白いのかもしれん)
思わず口元に笑みが浮かぶと、ミルは怪訝そうな顔で聞いてくる。
「何で笑っているの?」
「いや、なかなか面白いことを言うと思っただけだ。俺の隣に立つ……か。なら、その為には俺から一本取れ。来い。訓練場に行くぞ」
「!分かった!」
訓練場に着き、俺はミルと向かい合う。俺の両手には銀のレイピア。ミルはその手に短剣を握っている。
俺は正面から戦うのを得意とし、ミルはその小柄な身体を活かした奇襲を得意としていた。これまでに手合わせを何度かしたから分かる。この娘は暗殺者としての才能が少なからずある。
故に正面からの力のぶつかり合いは当然ミルには向かない。が、訓練時にはこいつは敢えてそれを望むのだ。
(だから、こいつの面倒を見るのかもしれんな)
これから始まる戦いに気分が高揚する。自然と口元に笑みが浮かんでいた。対してミルは無表情で此方を見据えている。
「来い」
「っ!」
ミルは姿勢を低くし、一気に地を蹴る。そして、俺の喉元を狙った正確な一突きを放った。俺はその突きを片方のレイピアで弾く。が、ミルは弾かれた反動を利用して、俺の腹部に蹴りを叩き込んだ。俺が少し怯んだ隙に、娘は一度俺から距離を取る。
「どうした?その程度か?」
「………」
ミルは再度地を蹴ると、今度は俺の腹部を狙った一突きを繰り出す。当然それは俺のレイピアに阻まれる。が、空っぽだったミルの左手に鈍く光る何かがあった。
「……急所が狙えないなら、こうするだけ」
その手には短剣。そして、それは俺の左太腿を貫く。血が流れ、身体が傾いた。
(得物を隠し持っていたか。面白い)
「だが、至近距離で敵を仕留められないなら、返り討ちに遭うぞ?」
俺は笑いながら、ミルの両側からレイピアを振るう。片方は首を薙ぐように、もう片方は腹部を貫くように。
(俺の動きはさぞわかりやすいだろう。さぁ、どうする?)
「………」
ミルは腹部を狙った剣撃を短剣で受け流し、もう片方は姿勢を低くすることで回避した。
獲物の喉元に食らいつく獣のように、ミルは低い姿勢から短剣を鋭く繰り出す。
(この感覚を待っていた)
明確な殺意を持った目。間近に迫る死の気配。そして、この手で相手を殺せるという確信。その感覚が、俺の気分を高揚させる。今、この瞬間がとても愉しいと感じる。
次にはミルの短剣は俺の喉元に。俺のレイピアはミルの首筋にあった。僅かに刃が触れたのか、ミルの細い首筋に赤い線が走る。俺の喉元からも何かが伝う気配がした。
「……引き分け、だね」
「ああ、そうだな」
互いに武器を下ろす。すぐにミルは「ごめんなさい」と言った。
「何故謝る?」
「あなたに怪我をさせたから」
「左太腿なら大したことない。止血すれば、すぐ良くなる」
「なら、早く戻ろうよ。ね?」
「……」
先の高揚はもう無い。心配そうな顔をするミルの手に引かれ、訓練場を後にする。
「ミル」
「?」
「さっきお前の言っていたことは、もしかするとそう遠くない日に叶うやもしれん」
それは俺からすれば何でもない一言なのに、ミルは嬉しそうに笑うのだった。