新緑が風にさわさわと揺られる。花は散り見物客もいなくなり、並木通りは平穏な週末を取り戻していた。隣で一緒に歩くこの人と、少し前に花見に来たのだ。今回はたまたま通りがかっただけだが、何故だろう。あのときと同じくらい嬉しそうにそわそわしている。どうしたのか尋ねたら「今日はずっと手を繋いでくれているから」だそう。別に手くらい普通に繋ぐのだが、改めて言われると何だか無性に恥ずかしい。他に人通りもないのに振り解きたくなって、しかしがっちり掴んで離してくれない。意味もなく頬が熱い。赤面を隠してくれそうな花もとっくにない。覗き込もうとする顔を何とかして避けながら、並木通りを早足で駆け抜けていった。
(題:桜散る)
好き勝手に生きてきた。何度他人と衝突したかわからない。この歳になってようやく分別というものが身についた、と自分では思っていたのだけれど。「晩ご飯用意してます」なんてメッセージがふいに届く。ああ、家に来ているのか、合鍵を渡したからそれはそうか、でも来てくれたのか、というかこちらの都合も聞かずに食事まで。たった九文字の伝言に頭は混乱、心臓は大暴れ。もう、全部壊す勢いで踏み込んで捕らえてしまいたい。擡げる欲を心の奥に押し込もうと、しばし深呼吸でやり過ごす。
(題:夢見る心)
聞き分け良くこちらの手を離すくせに、名残惜しげに見つめて後ろ髪は引きまくる。会える時間も頻度も限られるなか、別れ際までそうやって執着をあらわにする。とっくに覚悟は決まっているのだろう。自分も、おそらくこの人も。それでも好きに生きてきた大人二人、懐に潜り込むには覚悟の他に足りないものが多すぎた。この手の中にあるその手を思いっきり引き寄せ、全てを捨てて連れ出したらどうなるだろう。そんな空想を宙に飛ばし、今日も離れていく指先をただ見送っていた。
(題:届かぬ思い)
「明日は大事な用があるから」などと言って彼は大盛りのカツ丼をとても美味しそうに掻き込んでいる。験担ぎといえばそうなのだろうが、ただ単に食べたいだけにしか見えなかった。しかし、腹が減っては何とやら。図らずしも成就に最も近い道を採っている。勝利の神がもしいるとすれば、今頃きっと苦笑いだろう。その強さに少しだけあやかるような気持ちで、自分も運ばれてきた膳に手を合わせる。食べて生きていなければ、神にもできることがない。
(題:神様へ)
覚めきらない目に光が刺さる。隣にあるはずの体温は消えて空白だった。そういえばあの人は仕事、自分は休日だったか。呼ぶ声も気配もない、むやみに明るい家の中をのそのそと移動する。台所にはラップにくるまれた朝食とメモ書き。仕事前に、忙しいだろうに一人でこんな。大変申し訳ない、と同時になぜか無性に腹が立ってきた。まずは片付けと掃除、それから買い出しに行って調理。せっかくの天気だ。盛大に出迎えてやるためまずは目の前の手料理をありがたく頂戴する。
(題:快晴)