袖振り合うも多生の縁とは言うが、まさか恋人の地位を手に入れてまでその細い縁に縋るとは思わなかった。自分で自分に感心する。それほどに彼という存在は、得難く手放し難い幸運だった。こうして固く結んでおけば、来世でもきっと出会うことになるだろう。だから今は今しかできないことをする。指先で輪郭をなぞって捉える。熱を暴く。生まれ変わればそれらは違う姿形をとってしまう。向かい合う自分も次には別のもの。しがみつく腕を殊更に引き寄せ、その場限りの戯れに興じる。夜が終わるまで何度も、飽きもせず。
(題:あなたとわたし)
外で何か食べるたび、あの人が好きそうな味だとか。テレビでニュースを見るたび、あの人が怒りそうな話だとか。そういうことがふと頭をよぎる。ひとりでいても、ひとりでいなければならなくても変わらない。影のように付き纏うのだ。あの人のいない人生を、今から練習する必要があった。どのみち人間は死ぬときにはひとりだ。そう何度も説いたというのにまだあの人は言う。ずっと一緒、だと。失くしたものと共に生きていけとはご無体な。冷酷なくせに眩しくて、おまけにひどく温かくてかなわなかった。この影になら食い殺されてもいいか、と少しだけ思ってしまったくらいには。
(題:喪失感)
本人は無個性を装っているが、その実非常に我が強く心も強い。雑踏に埋もれながらも自らを見失わず、他者に理解を求めることすらない。彼の拠り所はいつもその身一つだけらしかった。彼自身が彼の住み処であるなら、きっと終わりもそこで迎えることになる。その中に自分も入れてほしかった、なんて言ったらどんな反応をしただろう。ソファでうたた寝している彼と、その手に嵌った指輪をそっと見遣る。自分と同じように彼も、自分という住み処で羽を休めてくれたら。これ以上の幸せなど他にありはしなかった。
(題:鳥かご)
他人が嫌いというわけではないが、基本的に一人が好きだった。たとえば誰かに疎まれたとして、離れていくなら無視して追わず、悪意を向けるなら同じものを相手に返す。そうやって一人で折り合いをつけ始末をつけ生きてきた。だから自分という他人の、しかも過去のことをまるで我がごとのように泣いて抱きしめてくるこの人に困惑しきりである。不毛だからもうやめろ、などと水を差しても聞きやしない。この人は今までずっとこうして生きてきたのだろう。そういう人なのだ。本当に泣き止まなくて若干引いているが、温もりは正直悪いものではなかった。体の境目が溶けて、感情を直接流されている気さえする。もらい泣きなんて柄でもないのに。心の中でぼやきながら、何も言わずにその胸に顔を埋めた。
(題:私の当たり前)
付き合う前の友達期間が短かったから、あなたのことをこれから知っていきたい。最近できた恋人にそう話したら「友達だと思っていたのか」と驚かれてしまって逆にこっちが驚いた。友達だと思われていなかったのか。確かに趣味や嗜好に接点はないが。確かにかなり駆け足で距離を詰めていたが。「押しが強いから相手は引くし、うんざりさせて逃げられる」かつて親友に指摘されたことを思い出す。もしかして今回もまた。「じゃあこれから友達になってほしい」考えるより先に言葉が口をついて出ていた。何を言っているのかと自分でも思う。焦るやら恥ずかしいやらで顔が熱くて仕方ない。そんな自分をどこか愉快そうに笑って「恋人と両方で良ければどうぞ」なんて言うのだからもうお手上げだった。この少し意地悪な友達と一緒に、これから何をしていこうか。
(題:友だちの思い出)