hashiba

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9/11/2024, 4:49:28 AM

外で何か食べるたび、あの人が好きそうな味だとか。テレビでニュースを見るたび、あの人が怒りそうな話だとか。そういうことがふと頭をよぎる。ひとりでいても、ひとりでいなければならなくても変わらない。影のように付き纏うのだ。あの人のいない人生を、今から練習する必要があった。どのみち人間は死ぬときにはひとりだ。そう何度も説いたというのにまだあの人は言う。ずっと一緒、だと。失くしたものと共に生きていけとはご無体な。冷酷なくせに眩しくて、おまけにひどく温かくてかなわなかった。この影になら食い殺されてもいいか、と少しだけ思ってしまったくらいには。


(題:喪失感)

7/26/2024, 9:59:02 AM

本人は無個性を装っているが、その実非常に我が強く心も強い。雑踏に埋もれながらも自らを見失わず、他者に理解を求めることすらない。彼の拠り所はいつもその身一つだけらしかった。彼自身が彼の住み処であるなら、きっと終わりもそこで迎えることになる。その中に自分も入れてほしかった、なんて言ったらどんな反応をしただろう。ソファでうたた寝している彼と、その手に嵌った指輪をそっと見遣る。自分と同じように彼も、自分という住み処で羽を休めてくれたら。これ以上の幸せなど他にありはしなかった。


(題:鳥かご)

7/10/2024, 7:33:03 AM

他人が嫌いというわけではないが、基本的に一人が好きだった。たとえば誰かに疎まれたとして、離れていくなら無視して追わず、悪意を向けるなら同じものを相手に返す。そうやって一人で折り合いをつけ始末をつけ生きてきた。だから自分という他人の、しかも過去のことをまるで我がごとのように泣いて抱きしめてくるこの人に困惑しきりである。不毛だからもうやめろ、などと水を差しても聞きやしない。この人は今までずっとこうして生きてきたのだろう。そういう人なのだ。本当に泣き止まなくて若干引いているが、温もりは正直悪いものではなかった。体の境目が溶けて、感情を直接流されている気さえする。もらい泣きなんて柄でもないのに。心の中でぼやきながら、何も言わずにその胸に顔を埋めた。


(題:私の当たり前)

7/7/2024, 10:21:32 AM

付き合う前の友達期間が短かったから、あなたのことをこれから知っていきたい。最近できた恋人にそう話したら「友達だと思っていたのか」と驚かれてしまって逆にこっちが驚いた。友達だと思われていなかったのか。確かに趣味や嗜好に接点はないが。確かにかなり駆け足で距離を詰めていたが。「押しが強いから相手は引くし、うんざりさせて逃げられる」かつて親友に指摘されたことを思い出す。もしかして今回もまた。「じゃあこれから友達になってほしい」考えるより先に言葉が口をついて出ていた。何を言っているのかと自分でも思う。焦るやら恥ずかしいやらで顔が熱くて仕方ない。そんな自分をどこか愉快そうに笑って「恋人と両方で良ければどうぞ」なんて言うのだからもうお手上げだった。この少し意地悪な友達と一緒に、これから何をしていこうか。


(題:友だちの思い出)

7/4/2024, 7:50:48 AM

敷かれたレールからはみ出さずに歩ける人間は世の中そう多くない。良い子でも良い大人でもなかったけれど、それでも何となく軌道に沿って生きてこれた。そんな自分の隣に何故今、レールの方を捻じ曲げて走ってきた人がいるのだろう。普通に歩いていれば、あるいは多少横に逸れたところで自分の軌道にこの人が突っ込んでくることはなかったはずだ。道理の通らない衝突事故。この人曰く奇跡らしいが、おかげでこっちのレールはひしゃげて行先もわからないのだから迷惑極まりない。そんなわけで今日も肩を借りながら貸しながら、ボコボコに荒れた道を歩く。隣には確かに体温。地に足ついている、生きている実感がある。そう思ったのはもしかすると人生で今が初めてかもしれなかった。


(題:この道の先に)

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