敷かれたレールからはみ出さずに歩ける人間は世の中そう多くない。良い子でも良い大人でもなかったけれど、それでも何となく軌道に沿って生きてこれた。そんな自分の隣に何故今、レールの方を捻じ曲げて走ってきた人がいるのだろう。普通に歩いていれば、あるいは多少横に逸れたところで自分の軌道にこの人が突っ込んでくることはなかったはずだ。道理の通らない衝突事故。この人曰く奇跡らしいが、おかげでこっちのレールはひしゃげて行先もわからないのだから迷惑極まりない。そんなわけで今日も肩を借りながら貸しながら、ボコボコに荒れた道を歩く。隣には確かに体温。地に足ついている、生きている実感がある。そう思ったのはもしかすると人生で今が初めてかもしれなかった。
(題:この道の先に)
自分が置かれている状況を「しがらみ」と表してしまうと、係る言葉に「断つ」が連想されてよろしくない。断たないという選択がまるで不本意なもののように思われかねないからだ。傍から見れば理不尽であっても、自分にとって憎い相手など一人もいなかった。言い換えれば断捨離の失敗、でもある。何も捨てられないままこの歳まで来て今更、全てを捨ててでも結ばれたい相手と出会った。愚かで浅はかだとわかっていても、手放すことはついにできなかった。縋りついて胸の中で懺悔すれば、その相手はまるで「知ってた」と言わんばかりにため息をつく。自分の背中、心臓の裏から突き出た無数の線を指先が恭しくなぞる。たった一本垂らされた糸があまりに頑強で、そうして大人しく抱かれている以外何もできなかった。
(題:赤い糸)
少し変わった部分はあるが、基本的には良識と理性を備えた人格者である。見た目も世間一般には良い部類に入るらしい。そんな人がこの歳まで独りでいたのには、相応の理由がある。承知の上で告白に乗った。こっちもいい歳をして独り。失うものも少なく、泥舟に乗るにはちょうど良かった。そうやって助手席を陣取っても未だに、この人を望む誰かが周囲にいる。やわなくせに無駄に絢爛で目を引くのだ。舟はこの人の向く方へしか進まない。立ちはだかるものたちを想定し、心の中で銃を磨く。この人が選んだのは自分。どこへ行きどこで沈むにせよ、その事実だけは否定させる気などなかった。
(題:ここではないどこか)
生命力がとても強く、人に依存する必要がない。掘り起こせない地下深く、こちらの届かない場所までその根は伸びる。水がなくなれば枯れる前に首を落とし、違う根の先で枝葉をつけてまた花を咲かせる。彼が自分の傍にいるのは、特別に手を掛け仕向けた結果でしかなかった。一度、どこにも行かないように頼んだことがある。いつまで続くと知らぬ関係、時々は不安になるのだ。しばらく目を白黒させたあと「どこかに行きそうに見えるのか」と不思議そうに首を傾げていた。素知らぬ顔で今日も隣で美しく咲き誇り、温い風にふわふわと揺れる。あの言葉を額面通りに受け取るには、自分はこの花に入れ込みすぎてしまっていた。
(題:繊細な花)
晴れていると聞けば傘を持たずに外へ出る。普通のことだ。自分も以前はそうしていた。しかしこの頃、日が差すなかでよく雨が降る。いつどこでそれが訪れるかいまだに予測がつかない。この人と付き合い始めてからだ。些細なことで喜んで舞い上がって、決まってぼたぼたと涙を流す。すぐ隣で急速に雨雲が発達。自分と一緒の世界はどうやら気候が相当不安定らしい。だから備えをする。晴れているのに傘を差すのも妙な話だから、水滴を拭うハンカチ。本音を言えばこの身に直接降らせても別に構わないのだけど、照れくさいからバレるまでは黙っていようと思う。
(題:あいまいな空)