もし君が、一途だったら。なんて、意味のない考えが過る。
「ねぇ。私たちって、どんな関係だと思う?」
「チョコレート」
「は?」
意味がわからないと言いたげな幼馴染み。しかし、俺から詳しく説明する気もない。
彼女から発せられる声も、ベビーフェイスであることも、フリルをあしらったその服も。少なからず俺にとって、甘い存在である。
一定の間隔で街灯がぽつりと灯る田舎道で、幼馴染みと二人きりになる。決まって夜中の三時に呼び出されるが、何をしようというのか。
互いの近況を報告するでもなく、世間話もしない。無難と称される天気の話が、幼馴染みの口から出てくる筈もない。俺たちの間にあるのは、むせ返るほど甘ったるい、香水の匂いだけ。
幼馴染みとの時間は、その日のうちに溶けて消える。明日には何も残ってない。その場のノリを楽しみたい幼馴染みは、誰とも深く関わらない。本音を語ることもせず、欲求だけを満たそうとする。
愛されたいという飢えを凌ぐように、飽きることなく男を食い漁る。それが幼馴染みの生き方だ。俺には理解できない。
「呼び出す相手を間違えてないか?」
「そう思うくせに毎回応じるわよね」
事実なので否定はできない。
幼馴染みは親友の彼女で、俺は親友が大切で。でも、今こうして、裏切るようなことをしている。肉体関係を持たなかったらセーフなのか? 夜中の逢瀬を親友に話したことはない。やはり、アウトな気がする。
幼馴染みとの関係がチョコレートのように感じるのは、俺がこの逢瀬を明日に持ち越したくないからだ。親友への後ろめたい気持ちも、何も成さない無意味な時間も、毎回誘いに応じる自分の下心も、捨て去りたい。
どうして俺たちは一途にいられないのだろうか。
帰ろうと思うのだ。静かなる森へ。
都会にいた時間が長すぎたのかもしれない。
雑踏の中は疲れるが、きらびやかな魅力も備わっている。離れようとも簡単にはいかない場所。
私は疲れたのだ。何度声をあげても、人の声で消えてしまう私の思いは、風に吹かれて飛んで行くゴミのように軽く、都会の雑音に溶けて消えた。
静かな森で今一度、自分の鼓動を聞き返さないと、都会ではもう、なにも聞こえない。
テオの夢って、なぁに?
無邪気に聞くシャルに、僕は何も答えられなかった。だって、夢を見る暇のない人生だったから。
母星を離れた今、自由の身を手に入れた。だからこそ、見たい夢がある。そう気づかせてくれる質問だった。
地球に行く。
それは僕が描いたものではない。母星を出ることさえ許されない親友の、一生かかっても叶わない夢。僕が代わりに叶えても、いいんじゃないかな?
そうと決まれば、早速準備に取りかかろう。先ずは宇宙船の手配から。僕が乗ってきたものは壊れている。修理……というか、リサイクルになるのかな。一から作る可能性も想定して、早めに製作を開始した方がよさそう。一人旅になるから、操縦も学ぶ必要があるか。整備士のノウハウも必要だな。
とにかく、僕だけでどうにか出来ることではない。この星一番のメカニックに事情を説明した。
「なんだって!? お前、地球に行きたいのか?」
「はい」
「まあ、お前が乗ってきた宇宙船を修理すりゃあ、行けるかもな」
「それをゲンさんに頼みたいんです」
「やなこった。アイツに見つかったら、俺が処刑されちまう」
アイツとは、所長のことだろう。異様に頭が大きい容姿とは裏腹に、脳ミソはめちゃくちゃ小さいって噂だ。その小さな脳に詰まっているのは、規律と礼儀のみなんだとか。実際のところはわからないけど、所長がルールに厳しいのは確かだ。
「所長の許可を取れば、やってくれますか?」
「ムダムダ! 賭けてもいいぜ」
ゲンさんは取れない方に賭けるらしい。でも、僕は取れる方に賭ける。
「もし許可が取れたら、修理費を無料にしてください」
「おう。修理費だろうが、部品だろうが、なんでも無料にしてやるよ。許可が取れたら、の話だけどな!」
ガハハと笑うゲンさんに、少しだけイラッとした。まあ、いいさ。今は笑わせておけ。
「約束ですよ?」
「もしお前が負けたら、一ヶ月分の酒を寄越せよ」
「……いいでしょう」
問題は山積みだが、ひとつずつ片付けるしかない。地道な作業が結果に繋がると信じて、第一歩を踏み出す。いざ、夢へ!
きっと壊れてしまったのだろう。俺は涙が流せなくなってしまった。
飼っていた魚がこの世から去ったときも、丁寧に育てていた花が枯れたときも、俺の目から涙がこぼれることはなかった。
失ってしまったと理解したその瞬間、感情が停止したように心から色が消える。そのときの状況や他者からかけられた言葉は、ちゃんと理解できるのに。ただ、なにを感じればよいのか、それだけがわからなかった。
彼女に別れを告げられたその日も、俺はただ了承するだけだった。惜しむわけでもなく。引き留めたりもせず。ここで自分の思いをぶちまけても、彼女の決意が変わるわけでもなし。本当に愛しているのなら、相手の意思を尊重するべきだと、自分に言い聞かせた。別れに対してなにも感じていない、それを認めたくなかったから。
別れたはずの彼女は、いつも傍にいた。親友を挟んで隣に立つその神経を疑う。
俺が好意を抱いた相手や恋仲になった相手は、早い段階で親友に奪われてきた。手の早い親友に呆れているけれど、たぶん、表情には出ていない。元から感情の色は薄い方だから。略奪の復讐に動かす心も持ち合わせていない。
度々「僕を恨んだりする?」と訊ねてくる親友に、なんと答えるのが正解なんだろう。「変な虫がつくより安心」と、定型文を用意した。だが、本当は、どう感じているのだろう? 自分で自分がわからない。
親友と幼馴染みが交際を始めたと聞いて、胸の奥がチリチリと熱くなった。高い熱を持ったこの感情は、一体なんなのだろう? わからないまま、数年のときを過ごした。
親友と幼馴染みの間に娘が生まれた。天使のように愛くるしい。目に入れても痛くないとは、まさにこのことだ。「パパとママのお友達だよ」と、挨拶をしたら、笑ってくれた。
嬉しいことのはずなのに、心に影がさすのも感じていて。やっぱり俺は、壊れているのかもしれない。
娘が生まれて数年が経った頃、親友夫婦の関係は冷めきっていた。幼馴染みは母親としての責務を投げ出し、町をフラフラと彷徨い始めた。帰ってくる方が稀。親友は仕事にかまけて、娘をほとんど放置している。娘が自ら父と母の話をすることはなかった。
親友が仕事に出ている間、娘の面倒を任されていた俺は、何故か気持ちが高揚していた。壊れかけた親友の家庭を見て、喜びを感じていたのだ。そのとき、ふと思った。本当は恨んでいたのではないか、と。その可能性に気づいただけで、本心はまだ謎に包まれている。
積み木遊びをしていた。娘の手によって高く高く積まれていく。無性に腹が立った。俺は近場にあったトラックの玩具を手に取り、「ぶーん」と言いながら動かした。目的地に向かって走るトラックは、躊躇なくそこに突っ込んだ。ガシャンと音を立てて崩れた積み木。
泣くかと思った娘は、笑っていた。ああ、そうか。この子は俺の背中を見て育っている。泣くわけがない。崩れた積み木になにかを重ねて見て、壊れることを願っているのだ。
「崩れちゃったねー」
娘はそう言いながら、積み木を綺麗に片付ける。親友と幼馴染みはそんな風に片付けない。やはり、俺に似ている。
「崩れた方がいいものもある」
例えば、親友夫婦の関係とか。
親友が求めた『家族』は、今、ちゃんと手に入れられているのだろうか?
誰よりもあたたかい家庭に憧れを抱いた親友の思いを、幼馴染みも知っていたはずだ。でも、壊してしまった。幼馴染みは無限の愛を求めているから。与えるより受け取りたい女だ。
「なにを崩したいの?」
真ん丸で漆黒の瞳が俺を捉えた。まるで、全て見えていると言われているような、刺すような視線。光の反射のせいか、瞳孔が真っ白に見える。とても不思議で、少しだけ怖い目。
「なんだと思う?」
答えを持たないから、逆に聞いてみる。俺にだけ見えていないものが、娘には見えているかもしれない。
「お父さんとお母さん」
「どうしてそう思うの?」
「おじさんが寂しそうだから」
否定はできない。
二人を見ていると、胸に怒りの熱を帯びる。そこから離れるだけで解決するのに、目が離せないでいた。親友がはじめて俺から奪わなかった人、それが幼馴染み。自分の意思で決めた相手。それが寂しかったのかも。常に親友の一番でありたかった。俺が家族になってあげたかった。
自分の感情に気づいた今、目からたくさんの涙がこぼれてくる。ボロボロと。
きつめの詮をしていただけで、壊れているわけではなかった。
「雨が降りそう」
「洗濯物、しまっておかないとね」
「手伝う」
そうは言っても、わたしが手伝う必要はなかった。彼の手際がよすぎる。
「朝から干して乾いてるから、畳むのを手伝ってくれないか?」
三つある籠に詰まった洗濯物から、シャツを取り出す。お店のディスプレイのように、綺麗に畳んだ。我ながら上出来。
わたしが自画自賛している間に、彼の手元には畳まれたシャツの山ができていた。
「家事はできるのに、なんで溜めちゃうのかなぁ」
「面倒だから、かな」
申し訳なさそうに笑う彼の手元に、次々とシャツが置かれていく。
「溜めるから面倒になるんでしょ」
「そうだね。でも、溜め込むと君が手伝ってくれる」
「最初からアテにされてるんだ?」
「それもあるけど、二人でやったほうが楽しいだろう?」
確かに、楽しそうに畳んでいる。口では面倒と言うが、その手は軽やかだ。
こうして楽しい時間が過ごせるのなら、曇りも悪くない。そう思った矢先、窓から光が射し込んだ。
「外、晴れてる」
わたしが指差すと、彼も窓越しに空を見上げた。
「君との細やかな時間を、天候がプレゼントしてくれたんだね」
普段は無口な彼から出るキザな台詞に、どこか違和感を覚える。それだけじゃない。今日はなんだかおしゃべりだ。
「……もしかして、口説いてる?」
「それはどうだろうね」
「否定はしないんだ」
「否定してほしい?」
そう言われたら、なにも言えなくなる。本音を伝えたら困らせるだろう。でも、質問に対して肯定したくもない。
「君の答えは沈黙か。かわいいね」
彼のことを狡いと思うのに、胸は高鳴る一方だ。
激しくなる鼓動を誤魔化すように、洗濯物に手を伸ばした。