あお

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8/30/2025, 8:15:39 AM

※この物語の登場人物は1990年代に生まれた設定なので、成年年齢は二十歳です。

 ◆◇◆
 
 光が反射してキラキラと輝く海のように、俺の記憶は色褪せないままでいる。
 俺より二つ年上の相沢さんは、自由奔放という言葉が似合うと思う。子供の頃から協調性が皆無だったから、俺が振り回され続けた。相手をするのは面倒だし疲れるけど、相沢さんのストッパー役が俺以外にいないのもわかってる。
 兄弟みたいに育った俺たちは、友達を越えた絆で結ばれていると信じていた。ずっと一緒だと疑ってなかった。

 俺と相沢さんはいつも通りニートを謳歌している。
 社長の息子ってやつは、欲しいものを意のままに出来る。と、まるで王様にでもなったかのように、相沢さんは得意気に話すのだ。それが事実かはさておき、相沢さんの部屋には新作ゲームや漫画といった、インドア派に優しい娯楽が揃っている。それらのお供にお菓子とジュースを持ち寄れば、俺たちの楽園に早変わりだ。
 夢のような部屋で好きに過ごしていたら、急に稔さんが現れてこう言った。
「お前たち、仕事を探す気がないならウチの工場で働け」
 断る余地はなかった。だって、俺はお金がほしい。俺の趣味のひとつにはコスプレがある。その衣裳の材料は安くない。相沢さんの部屋がどれだけ天国みたいだとしても、それはぬるま湯でしかないのだ。
 コネにあやかろうとする俺の横で、相沢さんが声を荒くして言った。
「嫌だね。金持ちの家に生まれたんだ。親の脛をかじるのが最高だぜ」
 親不孝の最低発言に思わずドン引きしたが、相沢さんがそう言う理由を知らない訳じゃない。
 相沢さんの父親こと稔さんは、仕事が多忙で家を空けやすい人だった。相沢さんは子供時代に子供らしいことをせず、母親を精神的に支えながら、弟と妹の面倒もみていた。少なからず俺には決して弱音を吐かなかったが、その心は泣いているようにも思えた。
 大人の烙印を押されて一年しか経ってない相沢さんは、稔さんから見ればまだまだ尻の青い子供でしかない。最低発言は当然のように流され、俺たちは明日から工場勤務を命じられた。

 早起きして重い足取りで工場へ向かう。バックレるかと思っていた相沢さんも、ちゃんと来ていた。それに驚きつつ、先を行く相沢さんの背中を追う。
 進むにつれて廊下の明かりがどんどん減り、窓からの光だけが頼りとなってきた。相沢さんが躊躇なく開く扉には、雑務だとか倉庫だとか、そんな文字が書かれたプレートがついていた。
「おはよーございまーす。今日からの相沢と来須でーす」
 怠そうに挨拶をする相沢さんの横で、俺はペコリと頭を下げた。
「あらぁ、生意気そうなのと大人しそうなのが来たわねぇ」
 いたずらっぽい笑みでくつくつと笑う女性。金髪というか、まっ黄色の髪が一番に目を引く。ブロンドとは程遠い、目が痛くなる色をしている。その髪を頭頂部でまとめた、いわゆるお団子ヘアの彼女は、スタスタと早歩きで俺たちの方に寄ってくる。名札にはリーダーとしか書かれていない。
「結ちゃん、俺たちは何したらいい?」
 相沢さんがリーダーさんに軽口を叩く。知り合いなのだろうか。まあ、社長の息子なら面識があってもおかしくないか。
「その辺の空いてる席について、ダンボールに詰められた備品をチェックしてほしいのよね」
「はーい」
 従順な相沢さんに違和感を覚えた。昨日まで親の脛をかじりたがっていた男とは思えない。
 相沢さんが座る横に腰を下ろして、気になっていたことを聞く。
「あの人、知り合いなの?」
「それマジで言ってる?」
「うん」
「影が薄い女で有名な新橋結子。知らないとは言わせないぞ」
「えっ! あの人が結ちゃん!?」
 相沢さんの言う通り、結ちゃんは影が薄かった。すっごく真面目な優等生で、成績も優秀だったと記憶している。髪だって真っ黒だった。
 俺より五つ年上の結ちゃんと、共に学園生活を過ごしたことはないが、閉鎖的な田舎町では筒抜けの情報というものがある。
 結ちゃんが近所の空き地でいじめられていたのを何度も見かけた。俺や相沢さんが助けに入ろうとすると、いつも先約がいて、出る幕はなかった。結ちゃんにも属しているグループがあるのだと、少しばかり安心していたのだが。まさか髪を黄色に染めているなんて、思わないじゃないか。
 結ちゃんのいるところに奴の姿有り。そんな噂が流れるほどピッタリくっついていた男――坂本がここにいるような気がした。
 辺りを見渡すと、ハンドリフトを怠そうに動かす男が視界に留まる。茶髪の天パに加えて、背中に可愛らしいブルドックの絵柄が印刷されたジャージを着ている。それは坂本が常に愛用していたブランドのものだ。
「あのハンドリフト動かしてる人、坂本さんだよね?」
 思わず相沢さんに確認をとるが、首を縦に振るだけだった。幼い頃は坂本を見ただけで嫌そうな顔をしていたのに。
 チラリと坂本に視線を向けると、目と目があった。しかし、すぐに逸らされてしまう。
 色んなことが変化していると、外に出て初めて気づいた。
 ご近所さんの情報は母親の口から絶えず入ってくる。それに耳を塞ぐ術を、この町の子供なら習得しているはず。斯く言う俺は、耳どころか心を塞いできたのだが。

 記憶の中でキラキラと色褪せずに輝いていた思い出が、次々と目に映し出されていく情景に塗り替えられていく。心の中の風景はあっという間に現実にフォーカスしてしまった。

6/30/2025, 2:28:13 PM

 窓から差し込む光が眩しい。夏は特にそう思う。遮光カーテンを買うべきか、脳内で検討を繰り返す。しかし、買わないまま半年が過ぎた。
「おはよう、陽向」
 俺の挨拶に返事はない。それもそのはず。この部屋に陽向はいないから。
 陽の光のように明るくて、一緒にいると心がぽかぽかと温まる存在。陽向の眩しい笑顔なら、脳裏に焼き付いている。
 朝の光を甘んじて受け入れているのは、陽向を想うから。

 今日は昼までバイトして、それから図書館で勉強する。なんてことのない、学生の休日だ。
 陽向が一緒だったら、うるさくて勉強にならない。それどころか、図書館を追い出されそうだ。
 隣にいない友達を思って、クスっと笑った。
「いってきます」
 癖のような挨拶をして、家を後にした。 
「ねぇねぇ青司くん。今日空いてる?」
「すみません。これからバイトです」
 隣の部屋に住むお姉さんに声をかけられて、誘いを断る。これも、今では生活のルーティンだ。何度断ってもめげない姿勢は尊敬するが、こちらの迷惑も少しは考えてほしい。
「えー、残念。青司くんと予定合わなくて寂しいなぁ。次の休みがいつか、そろそろ教えてよぉ」
「急ぐんで、もう行きますね」

 綺麗なお姉さんからのアプローチは、健全な男子なら嬉しいのだろう。フィクションにもよくあるシチュエーションだ。そのまま良い関係になって、絆が深まっていく。そういうことに興味がない訳じゃない。ただ、俺が選ぶ相手が決まっているだけの話。
 陽向との将来のために、安定した職に就きたい。その一心で進学を決めた。だけど俺たちは、いまだに友達のままだ。それどころか、都会に出てきて以降は連絡もしてない。
 なんとなく、陽向のほうから連絡を寄越すと思っていた。
 ――そろそろ、遮光カーテンを買うか。
 ふと、そんな考えが過る。
 朝の光に飛び込めば、いつだって会える気がしていた。眩しくて暖かい光の、その黄色の中で陽向を思い出していたのだ。
 告白はおろか、連絡する勇気もないなら、明日からは朝の光を遮断した方がいいのかもしれない。

6/29/2025, 8:49:07 PM

 青を司ると書いてセイジ。いつ聞いても落ち着く名前だと思う。本人は気に入ってないみたいだけど。
「どうせ司るなら星とかの方がカッコイイだろ」って、頬をかきながら、照れくさそうに言っていた。自分の中にある“カッコイイ像”を語るのが恥ずかしいのか、私から目を逸らした。
 どんな青司だって、私にはカッコイイ。田舎の緑の中に、一際映える青を感じさせる人だ。

 ずっと隣にいた青司は、都会の大学に進学した。私は地元のコンビニでアルバイトをしている。
 青司と違って勉強は苦手だし、夢も抱かなかった。それだけ、青司の隣がしっくりきてたとも言う。疑うことさえしなかった。私の隣に青司がいない景色なんて。

 青司が進学する前に告白しておけばよかった。
 青司なら絶対にオーケーしてくれるって自信があった。だけど、チャンスを逃した今は、断られる未来しか見えない。
 青司が都会に出てから、一度も連絡がとれていない。忙しいかもしれないし、勉強の邪魔もしたくない。建前の理由はそんな感じだけど、本当のところは今の青司を知るのが怖いだけ。
 恋人ができた。その一言を告げられたら、私はこの先を生きていけるの?

 アパートの前に青司が立っている。二度見してしまった。
 少し髪が伸びたような気がする。別れる前は短髪だったのに、今は前髪が目にかかるくらい。それと、かなり痩せたように見える。
「青司、だよね。久しぶり」
「うん。久しぶり」
「痩せたね」
「お前のために痩せた。って言ったらどうする?」
「……頼んでないよ」
「そうだな」
 頬をかきながら目を逸らす。別れる前と変わらない仕草に、思わず笑みがこぼれた。
「何しに来たの?」
「呼びに来た」
「えっ」
 ――それって、都会に? 青司が住む街に、私も行っていいの?
 喉まで出かかる本音を飲み込む。沈黙を選択したのは、言ってはいけない気がしたから。
 私の腕を強い力で引く青司の背中が、何故だか怖くて、手を振りほどきたい。
「ねぇ青司。どこに行くの?」
「ついて来ればわかる」
「そうかもしれないけど、先に目的地を知りたいよ」
「俺を疑うのか?」
 青司はこちらに振り向かず、ただ歩き続ける。恐怖が場の空気を支配した。私は青司の力に逆らえず、どうすることもできない。でも、言わなければいけない。
「離して。私は行かない」
「そっか」
 するりと抜ける青司の手は、泣きそうになるほど冷たくて、寂しさを帯びていた。
 青司の背中が少しずつ小さくなる。一度も振り返ることのない体が、私の視界を滲ませる。こうしてまた、私に青を刻み込むのだ。悲しみの青を。

 頬にあたたかいものが伝う。触ると指先が濡れた。これは……涙か。
 青司と会う夢を見ていたようだ。その証拠に、私は自室のベッドで仰向けに寝ている。視界に映る天井の白は、青司の濃さとは違う。だけど、記憶の海に飛び込めば、いつだって会える。青く深く、青司を思い出せるのだ。

6/15/2025, 2:32:54 PM

「お母さん、出掛けちゃった」
 少女は今にも泣き出しそうな顔をしている。スカートの裾をキュッと握りしめる様が、悲しみを物語るようだ。
 この子が俺を頼るのはいつものことで、詳しい事情は聞かなくてもわかる。
 十にも満たない年頃の子を放って、母親は遊び呆ける。父親は夜の町へ稼ぎに出掛けている時間だ。
 静まり返る部屋に一人きり。それは想像を絶する孤独なのだろう。大人にもなれば平気なことでも、子供には耐え難い苦痛になることもある。特にこの少女は、独りが苦手なタイプと見える。
「オレンジジュースでいい?」
「うん」
 少女の目の前にマグカップを置いた。トポポと音を立てて注がれるジュースを、少女は真ん丸な目で見つめる。
「どうぞ」
「ありがとう」
 少女がマグカップを持つ。小さな手で包むように持つ仕草が、小動物のように愛らしい。
 オレンジジュースは、可愛らしい口へどんどん流れ行く。一気飲みとは、見かけによらず豪快な一面もあるんだな。
 コトリと置かれた空のマグカップに、継ぎ足すことは可能だ。しかし、頼まれていないのにそうするのは、接待のようで気が引ける。
「いつもこのマグカップだね。おじさんが大切にしているものなの?」
「君のために買ったものだよ」
「わたしの?」
「そう。おじさんのと色違いは嫌だった?」
「ううん。嬉しい。仲良しのお友達みたい」
「仲良しのお友達だから、おじさんもオレンジジュースを飲んじゃおうかな」
「お揃いだね!」
 頬を真っ赤に染めて笑う少女は、とても嬉しそうにしている。
 いつか「おじさんが友達なんて嫌」と離れていく日が訪れても、今日の幸せが色褪せることはない。
 色違いのマグカップで飲んだ、とても甘いオレンジジュース。それが記憶と結び付いて、掛け替えのないひとときを、度々俺に思い出させてくれるだろう。

6/15/2025, 1:54:12 AM

 もし君が、一途だったら。なんて、意味のない考えが過る。
「ねぇ。私たちって、どんな関係だと思う?」
「チョコレート」
「は?」
 意味がわからないと言いたげな幼馴染み。しかし、俺から詳しく説明する気もない。
 彼女から発せられる声も、ベビーフェイスであることも、フリルをあしらったその服も。少なからず俺にとって、甘い存在である。
 一定の間隔で街灯がぽつりと灯る田舎道で、幼馴染みと二人きりになる。決まって夜中の三時に呼び出されるが、何をしようというのか。
 互いの近況を報告するでもなく、世間話もしない。無難と称される天気の話が、幼馴染みの口から出てくる筈もない。俺たちの間にあるのは、むせ返るほど甘ったるい、香水の匂いだけ。
 幼馴染みとの時間は、その日のうちに溶けて消える。明日には何も残ってない。その場のノリを楽しみたい幼馴染みは、誰とも深く関わらない。本音を語ることもせず、欲求だけを満たそうとする。
 愛されたいという飢えを凌ぐように、飽きることなく男を食い漁る。それが幼馴染みの生き方だ。俺には理解できない。
「呼び出す相手を間違えてないか?」
「そう思うくせに毎回応じるわよね」
 事実なので否定はできない。
 幼馴染みは親友の彼女で、俺は親友が大切で。でも、今こうして、裏切るようなことをしている。肉体関係を持たなかったらセーフなのか? 夜中の逢瀬を親友に話したことはない。やはり、アウトな気がする。
 幼馴染みとの関係がチョコレートのように感じるのは、俺がこの逢瀬を明日に持ち越したくないからだ。親友への後ろめたい気持ちも、何も成さない無意味な時間も、毎回誘いに応じる自分の下心も、捨て去りたい。
 どうして俺たちは一途にいられないのだろうか。

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