あお

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1/27/2026, 2:28:42 PM

「本日は大変お日柄もよく……」
 言いかけてやめた。イチカさんもこんな堅苦しい挨拶は望んでいないはず。
 俺たちはお互いの親の紹介で、結婚を前提にお付き合いすることになった。お見合いに近い出会い方だが、今いる場所は料亭ではない。服装も私服だ。
 晴れた日の午後に、付き合っている二人が河川敷を歩く。紛れもなくデートだろう。
「あの、この後、行きたい場所とかありますか?」
「特にありません。丹羽さんの好きな場所に行きましょう。私は合わせますから」
 イチカさんとのデートは、今日で二十回目。週末に必ず会っていても、毎回こうなる。彼女は頑なに行きたい場所を言わない。それだけではなく、彼女はデートに消極的だ。俺が誘わなければ、こうして会うこともない。恋人同士って、こんなに一方的な関係なのか?
「俺の好きな場所って、自分の家なんですよね」
 賭けに出てみる。来るか、来ないか。後者なら脈はないだろう。
「丹羽さんの家へは行けません」
「そうですか」
 落胆も憤怒もしない。あくまでも冷静を装う。横目で見たイチカさんも、表情ひとつ変えていない。
 不思議な関係だと思う。お互いの言葉には温度があるのに、表情だけは仮面を被ったように動かない。
「それ以外なら、どこでも大丈夫ですから」
「つまり、ホテルでも大丈夫ということですか?」
 今度は目線だけではなく、顔をイチカさんに向けた。
「……なんだか、今日は意地悪ですね」
 イチカさんは変わらず、俺を見ない。
「不快にさせてすみません。ただ、確認したかったんです。俺たちはちゃんと恋人なのかなって」
「肉体関係を持つことが恋人なんですか?」
 イチカさんの無表情は、さらに無表情になった。おかしな例えだが、そうとしか言えない。落ち着いた声色からは、微かに怒りを感じる。
「いいえ。肉体関係がなくても恋人です。個人的には、二人きりの空間で過ごすことを拒まないのが『親密な関係』だと思っています。俺はイチカさんと今よりも仲良しになりたいだけです」
「そうでしたか。すみません。私は丹羽さんを誤解していたようです」
「誤解と言いますと?」
「男運がなくて、酷い恋愛をしてきました。でも、警戒しすぎでしたね」
「あなたの警戒は正しいですよ」
 もうすぐで半年になる付き合いだとしても、イチカさんが俺を信用していないなら、警戒はごもっともだ。
 結婚を前提にと言えば聞こえはいいが、それは体裁を保つ言い訳だ。孫見たさに親同士が一致団結している。親孝行するのであれば、破局の二文字はあり得ない。そして、俺は別れるつもりがない。少なくとも、イチカさんが別れを言い出さなければ、だが。
 運がないのは俺も同じだ。過去に恋が実った試しはない。イチカさんへの想いが恋ではなくても、愛は育めるはずだが……。
「丹羽さんって、優しいですよね」
「いえ、そんなことないです」
「謙遜なさって。そういうところが優しいんですよ」
 イチカさんがやっと俺を見る。さっきまで無表情だったのに、今は控えめにだが笑っている。この瞬間は楽しんでいるということだろうか。
 破局の未来ばかり見てきたが、イチカさんの柔らかな日差しのような笑顔を、信じてみたいと思う。

1/22/2026, 11:03:14 PM

 シャルが引っ張り出してきた鉄屑は、まるでタイムマシーンのようだった。
 タイムマシーンは、セオドアが目を輝かせて語るもののひとつでもあった。僕自身は現物さえ見たことがない。どんな乗り物かも、わかっていないのだ。
 地球に興味津々なセオドアは、地球の文化や科学をよく知っていて、タイムマシーンを作ろうとしていた。完成したら一緒に乗ろうって約束もした。その約束を叶える前に、僕は母星から追放されたわけだが。まさか、セオドアが追って来た?
「ねぇ、この鉄も宇宙船の修理に使えそう?」
 シャルは無邪気な笑顔で僕を見た。肯定してほしそうな眼差しが眩しい。
「ゲンさんに見せないとわからないなぁ」
 答えを濁す理由は三つ。
 ひとつ、セオドアの物かもしれない鉄屑だから、今は壊したくない。
 ふたつ、もし鉄屑を再利用する場合、鉄の加工に詳しいエンピツさんを頼ることになる。彼は今、めちゃくちゃ機嫌が悪いから話しかけたくない。
 みっつ、鉄屑が不要だった場合、シャルのご機嫌取りをしなくてはならない。それが一番の面倒事だ。
「早くゲンさんに見せに行こうよ」
 急かすシャルを横目に、どうしたものかと考える。言い訳しても、正直に話しても、結果は同じに思える。ならば本当のことを言おう。
「ゲンさんは仕事中だよ。サボると所長に怒られちゃう」
 シャルは頬を大きく膨らませた。リスみたいで可愛いと言えば、即座に雷が落ちてくる。ここは沈黙でやり過ごそう。
「なんだ、なんだ? 鉄臭いぞ、オマエ」
 噂をすればなんとやら。エンピツさんがやってきた。この星で最も鉄を触っている相手に、鉄臭いだなんて言われたくない。
「ちょっと。テオの悪口はやめてよね。鉄の塊のアンタに臭いなんて言われたくないのよ」
 シャルが間に入って僕を庇う。気持ちは嬉しいが、エンピツさんに喧嘩を売るのはやめてほしい。
「チッ。プラズマ娘か。キサマとは相性が悪いのでな。アタシはこれで失礼するヨ」
「待ってください」
「なんなのヨ! 鉄が雷を通すって、オマエも知ってるでしょ! アタシを引き留めないで!」
 足早に退場しようとするエンピツさんを呼び止めたのは、聞くべきことを聞いておきたいからだ。
「これを見てほしいんですけど」
 シャルが引っ張り出してきた鉄屑を、エンピツさんに見せる。
「鉄臭さの原因はコレか」
「これって、タイムマシーンですか?」
「それはアタシの専門外ヨ。ゲンにでも聞きなさいな。まあ、違うと思うけどね」
「違うんですか?」
「アタシも専門じゃないから詳しくは知らんけど、タイムマシーンは時間を行き来するもの。これはどう見ても宇宙空間を移動する乗り物。見た目は違えど、オマエの宇宙船と作りは同じ」
「そうですか」
「何をガッカリする。この星に宇宙船が流れてくるのは日常茶飯事でしょ。オマエの宇宙船より壊れてるから使い物にはならんがね」
 くつくつと笑うエンピツさんの態度に、シャルが機嫌を悪くする。我慢しているのか、まだ放電はしていない。しかし、既にピリピリしてきている。
 シャルは不機嫌になると電気をまとう。その性質が危険に繋がるのは誰だって怖い。
 宇宙に存在する様々な惑星から、わけありで流れてきた者が集まるのがこの星だ。電気が主成分の生命体がいても不思議ではないが、つきあい方には気を遣う。
 それはエンピツさんも同じだ。皆はエンピツさんを鉄と呼ぶが、僕にはグラファイトにしか見えない。確証がないから黙っているが、セオドアが見せてくれた本で見たものとそっくりだ。
 もし、エンピツさんがグラファイトなら、本当は脆いのだろう。それを隠すために鉄のふりをしているのか? この星の住人は鉄に疎いから気づいてないし、隠さなくてもいい気がする。更に言えば、グラファイトのことを知っている者の方が少ないと思う。
 何より、エンピツさんがグラファイトなら、シャルの電気を上手く制御できるはずだ。相性が悪いなんてとんでもない。むしろ逆だ。
「それじゃ、今度こそアタシは失礼するヨ」
「エンピツさん、まだ話は終わってません」
「アタシの名前は『エンピッツァーノシン』だ」
「鉛筆の芯?」
「……もうエンピツでいいヨ。で、話って何。なるはやで済ませてくれたまえ」
「エンピツさん、本当はグラファイトですよね」
 僕が言い終わるより少し前に、エンピツさんは逃げ出してしまった。それが答えと受け取っていいのだろうか?
「おうおう。テオくんはお仕事サボりかぁ? 所長にチクられたくなかったら酒を寄越せ」
 エンピツさんと入れ替わるように、ゲンさんがやってきた。
「そんなことより、ゲンさんもこれを見てください」
「なんだ、この鉄屑」
「タイムマシーンかもしれません」
「そりゃあねぇだろ。タイムマシーンは物理法則的に作れねぇんだ」
「作れないって、何故です?」
「あー、簡単に言うとだな、光速での移動と、高重力環境が必要になる。高重力環境ってのは、まあ、ブラックホールと同じだと思ってくれ。タイムマシーンを作るってのは、想像を絶するエネルギーを使うんだな、これが。あと、過去に戻ると因果律を破ることになるんだ。つまり、矛盾が生じる」
「なるほど」
 エンピツさんから話を聞いたときも思ったが、セオドアは本当にタイムマシーンを作っていたのだろうか? タイムマシーンが作れない事実を、セオドアが知らなかったとは思えない。たくさんの理想を抱くことはあっても、地に足のつかない夢想はしなかった。
 最初から宇宙船を作っていたとしたら、目の前の鉄屑で僕を追って来たと説明がつく。
 僕が星を追放されることを、セオドアは早い段階で知っていたのかもしれない。
 もし、本当にセオドアの宇宙船だとしたら、セオドアはどこに行った? この鉄屑からセオドアが脱出できる可能性はどれくらいある?
「おーい。珍しく考え込んじゃってるけど、俺の話ちゃんと聞いてるかー?」
「ゲンさん、この鉄屑は宇宙船なんでしょうか?」
「十中八九そうだろうな」
「これ、母星で友達が作ってたものにそっくりなんです」
「つまり、お前の友達も流されて来たってか?」
「それはないです。友達はいわゆる王子様なので、誰かを流す立場ですよ」
「ふーん。じゃあ、これがたまたま友達の宇宙船と似てたか、友達が地位を捨ててこれに乗って来たか、だな」
 セオドアがこの星にいるとして、今はどこにいるのか。既に仕事が与えられているのか。配属の基準はどうなっているのか。
 ゲンさんが何でも知っているとは思えないが、ひとつずつ確認していくしかない。
「この星に流れて来たら最初にやることって、何でしたっけ?」
「宇宙船の着陸は上に報告する義務がある。誰が発見しても、だ。部隊に連行されて尋問されたあと、仕事が与えられる。お前もそうだっただろ。まさか忘れたのか?」
「ああ、そうでしたね」
 ゲンさんに言うべきか悩むが、僕は尋問されていない。着陸した場所の近くにシャルがいて、ずっと放電していたからだ。部隊は僕の宇宙船をシャルの物だと思ったらしい。僕の代わりにシャルが連行される姿を見て、呆気にとられたのは今でも覚えている。そのあと所長に見つかって、何故かお仕置きを受ける羽目になったんだ。その流れで、今の職場に紛れている。この星の管理体制はわりとガバガバだ。加えて、所長が従業員の顔を把握していないこともわかった。
「ところでお前、あの堅物な所長をどう説得したんだ? 宇宙船の修理が許可された前例はないんだぞ」
「それは企業秘密ということで」
「いつから企業始めたんだよ」
 ゲンさんはガハハと笑いながら、仕事に戻った。サボってたのはゲンさんの方じゃないか。
 エンピツさんとゲンさんの話でわかったことは、鉄屑が宇宙船だったこと。タイムマシーンは作れないこと。
 そして、未だにわかってないのは、この宇宙船の持ち主。セオドアなのか、そうじゃないのか。
 もし叶うのであれば、タイムマシーンでこの宇宙船が着陸した瞬間に戻りたい。

1/21/2026, 8:28:18 PM

「なぁ、まだ怒ってるのか?」
 お父さんが呆れたように言うから、わたしの気持ちは一気に冷めた。
 お父さんに期待しても無駄だと、何度も自分に言い聞かせてきた。どんな約束をしても、必ず破られる。どれだけ信じても、裏切られる。
 わたしの人生で起こった様々なイベントに、お父さんは最低限しか参加していない。
 入学と卒業は学校に来ただけ。用事が終わればそそくさと帰る。お祝いの食事をとったりもしない。
 小、中学校の運動会は一度も来なかった。クラスメイトは、親が作るお弁当を楽しみにしていた。みんなが『家族』を語る中、わたしだけが何も言えなかった。
 ひな祭りにお雛様を飾ったことはない。七五三は写真がある。わたし自身に七五三の記憶はないけど、忘れてしまうほど、虚しいものだったのだろう。
 親族で集まったりもしないし、わたしは親戚とまともに顔を合わせたことがない。
 わたしの人生を彩るのは、オジサンという存在。
 オジサンはお父さんの親友で、わたしと血の繋がりはない。だけど、誰よりもわたしの味方でいてくれる。居場所を与えてくれる。わたしの帰る場所は、いつだってオジサンのもとなのだ。
 わたしとお父さんにも、月に一度の特別な日がある。二人で決めた『家族の日』だ。晩御飯だけは必ず家族で食べる決まりで、この日ばかりはオジサンにも席を外してもらう。……という話だった。
 家族で過ごす時間は、故意に設定しても訪れない。
 最後に二人で過ごしたのがいつかなんて、思い出せない。
 昨日も『家族の日』だったのに、お父さんは『家族の日』に限って、朝から家を空ける。
 朝、お父さんの背中を無言で見送ってから、オジサンが焼いてくれたホットサンドを食べた。
 昼は近場の公園を歩きながら、オジサンと雑談した。夕方には帰宅して、もつ鍋を一緒に作って食べた。
 これは、オジサンが考えた『家族の日』のプラン。丸一日かけて、何気ない時間をわたしと共有してくれた。
 日付をまたいだ頃、お父さんが帰ってきた。電話中だったから、声はかけなかった。
 玄関に座り込んで話すお父さんの背中を、わたしは無言でじっと見つめていた。
 ――キミと濃厚な時間を過ごせて、僕も楽しかったよ。
 通話相手に、お父さんが言った言葉だ。職業柄、営業トークをしていたのかもしれない。「それは仕事の電話なの?」と、聞くことだってできる。でも、わたしは確認しなかった。仕事かどうかなんて、どうでもいい。わたしたちの特別な日を忘れて、お父さんは外で楽しんでいた。それが全てだ。
 あたたかい家庭を羨望するくせに、自分で築くことをしない。そんなお父さんに、わたしはもう、何も感じなくなった。“気持ちが一気に冷めた”とは、そういうことなのだ。
 わたしとお父さんに『特別な夜』は訪れない。

1/20/2026, 7:30:00 AM

「オジサン、今日も海へ行くの?」
 その問いに、俺は静かに頷いて肯定した。
 俺が海に行くと言うと、親友の娘は必ず悲しそうな顔をした。しかし、今日は違うみたいだ。
「わたしも一緒に行っていい?」
「いいけど、今日は少し遠くまで行くよ。帰りが深夜になっちゃうかも」
「うん!」
 娘は行く気満々だ。既に準備はできているらしい。
 父親と同い年の男と、深夜まで二人きりなんて。年頃の女の子は嫌がるものだと思うが。
 髭を剃ったり、寝癖を直したり。一人だったら、髭は剃らなかったと思う。寝癖も、帽子を被って隠しただろう。身形の関心はその程度だったのに、俺も随分と変わったな。
 娘はリビングのソファにちょこんと座って、静かに待っている。わがまますぎても良くないが、いい子すぎるのも心配だ。
「お待たせ」
 声をかけながら見た娘の鞄は、何故かパンパンに膨らんでいる。
「海に行くだけなのに、大荷物だね」
「遠出するならお菓子も持っていかなきゃ!」
 バイト代をお菓子に注ぎ込んでいるのは知っていたが、俺と食べるためだったとは。途中で飲み物を買って、車内でプチパーティーでもするか。

 予想に反して、車内は静かだった。海に着くまで、お菓子も口にしていない。
「オジサンは人探しをしているんだよね?」
 停車と同時に娘が言った。少しだけ空気がピリピリしている。不貞行為を問い詰められるような気分だ。
「見つからないと思うけどね」
 諦めを隠さずに答えた。探している人が見つからないなんて、最初からわかっていることだ。
「だったら、探すのやめちゃおうよ」
 俯いたままこちらを見ない娘は、弱々しい声で言葉を続ける。
「お父さんから聞いたよ。オジサンが中学生の頃から探してるんでしょ」
「うん」
「自分から探すように言ったのに、どこにいるかも教えないなんて、その人はオジサンと会う気はあるの?」
「……夢の中で言われたんだ。だから、実在するかもわからない。俺が勝手に予知夢だと信じて探してるだけだよ」
 娘はポカンとした顔で俺を見た。「はぁ?」とでも言いたそうに。
 俺の独り善がりに娘を付き合わせたことを、申し訳なく思う。しかし、やっと決心がついた。夢の中で会った彼女を、これ以上探すのはやめよう。
 ――私を探して。あなたの幸福のために。
 夢の中でそう言われて、彼女を探していた。だけど、彼女に会うよりも先に、俺は幸せを手にしていた。
 架空の人物に対して、俺のために真剣に怒ってくれる。そんな女の子が、俺の傍にいる。
 親友の娘が俺に向ける愛情が、俺にとっての幸せだと再確認できた。
「君に会いたくて彷徨った日々も、無駄ではなかったね。夢に出てきてくれて、ありがとう」
 海に向かって、静かにそう呟いた。

1/15/2026, 7:53:41 AM

 両親はほとんど家にいない。
 お母さんは帰ってこない。お父さんは仕事で家を空ける。
 子供の頃はお父さんを信じていた。でも、今は真実を知っている。シングルマザーのお友達と、ファミレスで何を思いながら食事を摂るのか。実の娘を放置して、他人の子供に何を思うのか。
 わたしはお父さんとファミレスに行ったことなどない。
 どうして。そればかりが頭を駆け巡った。大学生になった今、ようやく一つの答えにたどり着いたのだ。
 お父さんがほしいのは子供じゃない。家庭を守ってくれる『妻』が必要なのだ。
 お父さんの親友であるオジサンが、いつもわたしに言っていた。
「帰ってこないお母さんを、待っているだけではダメだ。お父さんが外で働く間、君が家を支えるんだよ」
 この言葉は正しいと思う。二人きりの家族なんだから、手を取り合って生きていかなきゃ。
 料理もオジサンに教わった。お父さんの好みだって把握している。あたたかい家庭を築くための努力が、実ったことは一度もない。
 いつもわたしの傍にいるのは、お父さんではなくオジサンだった。
 今日もわたしはオジサンの家に帰宅した。
「おかえり」
 柔らかい笑顔でわたしを迎えてくれるオジサンは、太陽のようにあたたかい人だ。
 良好な家族関係に憧れているのは、お父さんだけじゃない。わたしだって、笑顔で出迎えられたいのだ。食卓に並んだ料理を頬張りたい。作る側じゃなくて、食べる側になりたい。家族の帰りを待つのではなく、家族に帰りを待たれたい。
 贅沢を言っているのかもしれない。だけど、一年のうちの一度くらい、お父さんが待つ側になってもいいじゃないか。
「今日はビーフシチューだよ。ワインが合いそうだね」
 オジサンはそう言って、ワイングラスに葡萄ジュースを注ぐ。前はロックグラスに麦茶を注いでいた。
 お酒を飲んだ気になりたいのだろう。お父さんと同い年なのに、子供みたいなことをする。
「ねえ。わたし、もうお酒飲める年齢だよ」
「知ってるよ」
「だったら、ワイン入れようよ。お父さんに出してるやつがあるでしょ」
「それはできない」
 オジサンは眉尻を下げて言った。寂しそう。いや、悲しそう?
 表情からは真意が読めない。わたしは言葉を続けた。
「子供扱いしてるんだ?」
「違うよ。お酒は人の判断を鈍らせる。大切な人と過ごすときは、特に飲みたくない」
「わたしはオジサンの大切な人ってこと?」
「そうだよ」
 真っ直ぐに見つめられて、悪い気はしなかった。子供扱いでもいいや。そんな気さえする。
「君はもう大人だから、ちゃんと話しておかないとね」
 オジサンは姿勢を正して、深呼吸をした。そして、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「本来なら、ここへはもう来ないように言うべきだが、俺はこれからも君と良き友人でいたい。だから、俺が君の前でお酒を飲むことはないし、君にお酒を出すこともない」
 オジサンの話を聞きながら、お母さんのことを思い出した。お母さんは、男友達にお酒を飲ませていた。きっと判断を鈍らせるためだろう。一夜の過ちを意図的に作ったんだ。心で繋がるよりも、早く繋がれるから。
 オジサンはお母さんと同じ手は使わない。わたしのことを、わたし以上に大切に思ってくれる。
 わたしもオジサンとは良き友人でいたい。
「でも、ワイングラスで葡萄ジュースを飲むのはやめるよ。かっこわるいもんね」
 オジサンは名残惜しそうにワイングラスをくるくると回した。中身はジュースでも、その仕草はかっこいい。真実を言わなければ、ワインを嗜む紳士にしか見えない。
「そんなことないよ。こんなにかっこよくジュースを飲める人、オジサンしか知らない」
「ふふ。おだてても何も出ないぞ」
 オジサンは満足そうに微笑んだ。その頬はほんのり赤い。まるで、お酒に酔ったみたいに。

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