あお

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4/10/2025, 6:16:26 PM

 テオの夢って、なぁに?
 無邪気に聞くシャルに、僕は何も答えられなかった。だって、夢を見る暇のない人生だったから。
 母星を離れた今、自由の身を手に入れた。だからこそ、見たい夢がある。そう気づかせてくれる質問だった。
 地球に行く。
 それは僕が描いたものではない。母星を出ることさえ許されない親友の、一生かかっても叶わない夢。僕が代わりに叶えても、いいんじゃないかな?
 そうと決まれば、早速準備に取りかかろう。先ずは宇宙船の手配から。僕が乗ってきたものは壊れている。修理……というか、リサイクルになるのかな。一から作る可能性も想定して、早めに製作を開始した方がよさそう。一人旅になるから、操縦も学ぶ必要があるか。整備士のノウハウも必要だな。
 とにかく、僕だけでどうにか出来ることではない。この星一番のメカニックに事情を説明した。
「なんだって!? お前、地球に行きたいのか?」
「はい」
「まあ、お前が乗ってきた宇宙船を修理すりゃあ、行けるかもな」
「それをゲンさんに頼みたいんです」
「やなこった。アイツに見つかったら、俺が処刑されちまう」
 アイツとは、所長のことだろう。異様に頭が大きい容姿とは裏腹に、脳ミソはめちゃくちゃ小さいって噂だ。その小さな脳に詰まっているのは、規律と礼儀のみなんだとか。実際のところはわからないけど、所長がルールに厳しいのは確かだ。
「所長の許可を取れば、やってくれますか?」
「ムダムダ! 賭けてもいいぜ」
 ゲンさんは取れない方に賭けるらしい。でも、僕は取れる方に賭ける。
「もし許可が取れたら、修理費を無料にしてください」
「おう。修理費だろうが、部品だろうが、なんでも無料にしてやるよ。許可が取れたら、の話だけどな!」
 ガハハと笑うゲンさんに、少しだけイラッとした。まあ、いいさ。今は笑わせておけ。
「約束ですよ?」
「もしお前が負けたら、一ヶ月分の酒を寄越せよ」
「……いいでしょう」
 問題は山積みだが、ひとつずつ片付けるしかない。地道な作業が結果に繋がると信じて、第一歩を踏み出す。いざ、夢へ!

3/30/2025, 5:37:37 AM

 きっと壊れてしまったのだろう。俺は涙が流せなくなってしまった。
 飼っていた魚がこの世から去ったときも、丁寧に育てていた花が枯れたときも、俺の目から涙がこぼれることはなかった。
 失ってしまったと理解したその瞬間、感情が停止したように心から色が消える。そのときの状況や他者からかけられた言葉は、ちゃんと理解できるのに。ただ、なにを感じればよいのか、それだけがわからなかった。
 彼女に別れを告げられたその日も、俺はただ了承するだけだった。惜しむわけでもなく。引き留めたりもせず。ここで自分の思いをぶちまけても、彼女の決意が変わるわけでもなし。本当に愛しているのなら、相手の意思を尊重するべきだと、自分に言い聞かせた。別れに対してなにも感じていない、それを認めたくなかったから。
 別れたはずの彼女は、いつも傍にいた。親友を挟んで隣に立つその神経を疑う。
 俺が好意を抱いた相手や恋仲になった相手は、早い段階で親友に奪われてきた。手の早い親友に呆れているけれど、たぶん、表情には出ていない。元から感情の色は薄い方だから。略奪の復讐に動かす心も持ち合わせていない。
 度々「僕を恨んだりする?」と訊ねてくる親友に、なんと答えるのが正解なんだろう。「変な虫がつくより安心」と、定型文を用意した。だが、本当は、どう感じているのだろう? 自分で自分がわからない。
 親友と幼馴染みが交際を始めたと聞いて、胸の奥がチリチリと熱くなった。高い熱を持ったこの感情は、一体なんなのだろう? わからないまま、数年のときを過ごした。
 親友と幼馴染みの間に娘が生まれた。天使のように愛くるしい。目に入れても痛くないとは、まさにこのことだ。「パパとママのお友達だよ」と、挨拶をしたら、笑ってくれた。
 嬉しいことのはずなのに、心に影がさすのも感じていて。やっぱり俺は、壊れているのかもしれない。
 娘が生まれて数年が経った頃、親友夫婦の関係は冷めきっていた。幼馴染みは母親としての責務を投げ出し、町をフラフラと彷徨い始めた。帰ってくる方が稀。親友は仕事にかまけて、娘をほとんど放置している。娘が自ら父と母の話をすることはなかった。
 親友が仕事に出ている間、娘の面倒を任されていた俺は、何故か気持ちが高揚していた。壊れかけた親友の家庭を見て、喜びを感じていたのだ。そのとき、ふと思った。本当は恨んでいたのではないか、と。その可能性に気づいただけで、本心はまだ謎に包まれている。

 積み木遊びをしていた。娘の手によって高く高く積まれていく。無性に腹が立った。俺は近場にあったトラックの玩具を手に取り、「ぶーん」と言いながら動かした。目的地に向かって走るトラックは、躊躇なくそこに突っ込んだ。ガシャンと音を立てて崩れた積み木。
 泣くかと思った娘は、笑っていた。ああ、そうか。この子は俺の背中を見て育っている。泣くわけがない。崩れた積み木になにかを重ねて見て、壊れることを願っているのだ。
「崩れちゃったねー」
 娘はそう言いながら、積み木を綺麗に片付ける。親友と幼馴染みはそんな風に片付けない。やはり、俺に似ている。
「崩れた方がいいものもある」
 例えば、親友夫婦の関係とか。
 親友が求めた『家族』は、今、ちゃんと手に入れられているのだろうか?
 誰よりもあたたかい家庭に憧れを抱いた親友の思いを、幼馴染みも知っていたはずだ。でも、壊してしまった。幼馴染みは無限の愛を求めているから。与えるより受け取りたい女だ。
「なにを崩したいの?」
 真ん丸で漆黒の瞳が俺を捉えた。まるで、全て見えていると言われているような、刺すような視線。光の反射のせいか、瞳孔が真っ白に見える。とても不思議で、少しだけ怖い目。
「なんだと思う?」
 答えを持たないから、逆に聞いてみる。俺にだけ見えていないものが、娘には見えているかもしれない。
「お父さんとお母さん」
「どうしてそう思うの?」
「おじさんが寂しそうだから」
 否定はできない。
 二人を見ていると、胸に怒りの熱を帯びる。そこから離れるだけで解決するのに、目が離せないでいた。親友がはじめて俺から奪わなかった人、それが幼馴染み。自分の意思で決めた相手。それが寂しかったのかも。常に親友の一番でありたかった。俺が家族になってあげたかった。
 自分の感情に気づいた今、目からたくさんの涙がこぼれてくる。ボロボロと。
 きつめの詮をしていただけで、壊れているわけではなかった。

3/23/2025, 4:31:58 PM

「雨が降りそう」
「洗濯物、しまっておかないとね」
「手伝う」
 そうは言っても、わたしが手伝う必要はなかった。彼の手際がよすぎる。
「朝から干して乾いてるから、畳むのを手伝ってくれないか?」
 三つある籠に詰まった洗濯物から、シャツを取り出す。お店のディスプレイのように、綺麗に畳んだ。我ながら上出来。
 わたしが自画自賛している間に、彼の手元には畳まれたシャツの山ができていた。
「家事はできるのに、なんで溜めちゃうのかなぁ」
「面倒だから、かな」
 申し訳なさそうに笑う彼の手元に、次々とシャツが置かれていく。
「溜めるから面倒になるんでしょ」
「そうだね。でも、溜め込むと君が手伝ってくれる」
「最初からアテにされてるんだ?」
「それもあるけど、二人でやったほうが楽しいだろう?」
 確かに、楽しそうに畳んでいる。口では面倒と言うが、その手は軽やかだ。
 こうして楽しい時間が過ごせるのなら、曇りも悪くない。そう思った矢先、窓から光が射し込んだ。
「外、晴れてる」
 わたしが指差すと、彼も窓越しに空を見上げた。
「君との細やかな時間を、天候がプレゼントしてくれたんだね」
 普段は無口な彼から出るキザな台詞に、どこか違和感を覚える。それだけじゃない。今日はなんだかおしゃべりだ。
「……もしかして、口説いてる?」
「それはどうだろうね」
「否定はしないんだ」
「否定してほしい?」
 そう言われたら、なにも言えなくなる。本音を伝えたら困らせるだろう。でも、質問に対して肯定したくもない。
「君の答えは沈黙か。かわいいね」
 彼のことを狡いと思うのに、胸は高鳴る一方だ。
 激しくなる鼓動を誤魔化すように、洗濯物に手を伸ばした。

3/22/2025, 11:53:36 AM

 カラオケに行くと、妻が必ず歌っていた曲がある。

 Say goodbye to the irreplaceable time we spent together. bye bye

 この部分が妙に印象的だが、意味はわからない。
 文脈がさっぱりでも伝わるもの、それは妻の声だ。本当に悲しそうに歌う。誰かに向けて歌っているようだった。
 妻は僕に何かを伝えたかったのかも。そう気づいたのは、たった今だ。
「お母さんがいつも歌ってた曲、覚えてる?」
 高校生になった娘に訪ねた。
「知らない」
 不機嫌にさせるのはわかっていた。でも、僕は向き合わなければならない。妻の思いを知る必要がある。
「Say goodbye to the irreplaceable time we spent together. bye bye」
 流暢な発音で親友が呟いた。それを聞いて、娘は鼻で笑う。秀才同士だけが理解し、僕はおいてけぼり。なるほど。だから妻は洋楽を選んだのか。恐らく、僕に向けたメッセージではない。
「翻訳してくれない?」
「共に過ごしたかけがえのない時間に別れを告げる。バイバイ」
 随分と綺麗な言葉が並んでいる。娘が鼻で笑うわけだ。妻にとっての『かけがえのない時間』とは?
 僕と親友は、幼い頃から妻にパシリにされてきた。娘に至っては、思い出さえ残っていないだろう。フラフラと出歩いて、気が向いたら帰る。そんな女だった。

 妻の親は資産家で、派手好きだ。パーティーを主催するのが好きらしい。妻は長女で、いわゆる跡継ぎだった。しかし、責任感をどこかに捨て置いた振る舞いをする。会場をフラフラと抜け出すから、僕たちは護衛も予て追いかけた。
 僕は弱いけど、親友は喧嘩も強い。本当に隙がない奴だと思う。 
 当時の記憶で鮮明に浮かぶのは、夜の闇に映えるスパンコールのドレス。街頭の光をキラキラと反射するそれは、妻の美貌を引き立てた。追いかける僕らに気づいた妻の、妖艶な笑みを忘れることができない。こうやって男を誑かすのか。そう思ったんだ。

「あのときのスパンコールドレス、綺麗だったよな」
「そだね」
 脈絡もなく話したのに、すぐに当時の話だと理解する。それだけの回数、この話を親友にしているのだ。決まって感情の乗らない相槌だけど、毎回ちゃんと聞いてくれる。
 真面目に話すのが恥ずかしくて、今まではどこを見てたかの話しをしてきた。僕は二の腕で、親友は耳朶。譲れないフェチを語り合った。だが、娘の手前、そんなおふざけもできない。
「あいつがあの顔で他の男を誑かすのが、耐えられなかった」
「そうだよな。でも、あいつは誑かすんだよ。配偶者がいても」
「うん」
「それがあいつの生き方なんだ」
「うん」
 ただの恋愛結婚なら、慰謝料を請求して離婚するだろう。しかし、僕らの絆はそんな簡単なものではない。もっと深いところで、複雑に絡み合っていた。
 妻の歌う『かけがえのない時間』とは、幼少期のものだ。性に狂って変わってしまう前の、無垢な少女だった妻の、人生そのものに別れを告げていた。
 僕らが共に過ごしたかけがえのない時間。妻が複雑に絡み合った絆を引き千切るのなら、その気持ちを尊重する。だから、僕も別れを告げよう。
「bye bye...」

3/22/2025, 6:57:17 AM

 クラスメイトが言う。
「今日は海沿いを通って帰ろうぜ」
 親友と帰るのが日課だと断ったが、強引に手を引かれてしまった。
 クラスメイトなのに名前も知らない彼。それくらい接点がない。しかし、下校を共にしたいと言う。一体、何が起こったのだ?
「なんで俺なの?」
「なんとなく!」
 納得のできない理由だが、説得するのも面倒だ。己のフィーリングに従って生きている彼に、俺の言葉など通用しないだろう。
 彼の背中に興味はない。海に視線を向けた。
 一面の青に反射する光がキラキラして眩しい。親友はこれを嫌がる。だから、今まで海沿いは通らなかった。
「なあ。お前、なんでアイツとつるんでるんだ?」
 アイツとは、親友のことだろう。俺と親友は恋中にあると、まことしやか囁かれている。
 噂の発端はわかりかねるが、毎日くっついていれば、誤解もされる。
 どう思われたって、俺たちが離れることはない。すぐに飽きるであろう話題だ。好きに言わせておけばいい。
 そう思っていたが、彼だけは飽きないらしい。
「一緒にいたいから」
「やっぱ付き合ってんのか?」
「付き合ってない」
「ふーん」
 頭の後ろで手を組む彼は、つまらなそうな声を出す。そして、煙草をポケットから取り出した。
「未成年が吸っていいものではないぞ」
「はは。うっざ」
 取り出した一本を咥えようとしたから、咄嗟に取り上げた。
「は? 返せよ」
「返したら吸うだろ」
 彼はとても小さな声で、俺のことを堅物と言った。なんと言われようが、見過ごせない。
「なあ。海岸に寄ってこうぜ」
 海岸まで走る彼はとても無邪気だ。だが、寄り道にまで付き合うほど、俺は優しくない。この温度差を、とても気持ち悪く感じる。
 そのまま家路を辿ると、門の前に親友がいた。
「なんで先に帰ったの?」
「いや、拉致られたんだよ。俺は被害者」
「……ユキルくん?」
 俺が他の誰かと話すと、親友は悲しそうな顔をする。この顔はあまり見たくない。でも、すぐにその場を明るく出きる術もない。
「よくわかったな」
 雑に相槌を打つ。彼の名前を知らないから、誰を予想されても答えられない。
「彼となにを話したの?」
「なんだっけ。忘れた。それよりさ、行きたいとこあるんだけど」
 歩き慣れた通学路から逸れて、海沿いの道を歩く。ついさっき、彼と歩いたこの道を、親友と歩きたいと思った。
「海に夕日が反射してるね」
「そうだな」
「眩しいよ」
 親友は光に弱いのだと思う。サングラスを贈るべきか迷ったが、必要なら自分で用意しているはずだ。
「ごめん。でも、この景色はお前と見たかったから」
 何をするにも親友と一緒だったから、彼と歩くことに違和感を覚えていた。ずっと避けてきた海を、誰と見るよりも先に、親友と見ておきたかった。
「眩しいけど、綺麗だね。君と見た景色、僕はずっと忘れないよ」
 今生の別れみたいに、悲壮感が漂う声で言うものだから、大袈裟だな、と笑った。

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