あお

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「お母さん、出掛けちゃった」
 少女は今にも泣き出しそうな顔をしている。スカートの裾をキュッと握りしめる様が、悲しみを物語るようだ。
 この子が俺を頼るのはいつものことで、詳しい事情は聞かなくてもわかる。
 十にも満たない年頃の子を放って、母親は遊び呆ける。父親は夜の町へ稼ぎに出掛けている時間だ。
 静まり返る部屋に一人きり。それは想像を絶する孤独なのだろう。大人にもなれば平気なことでも、子供には耐え難い苦痛になることもある。特にこの少女は、独りが苦手なタイプと見える。
「オレンジジュースでいい?」
「うん」
 少女の目の前にマグカップを置いた。トポポと音を立てて注がれるジュースを、少女は真ん丸な目で見つめる。
「どうぞ」
「ありがとう」
 少女がマグカップを持つ。小さな手で包むように持つ仕草が、小動物のように愛らしい。
 オレンジジュースは、可愛らしい口へどんどん流れ行く。一気飲みとは、見かけによらず豪快な一面もあるんだな。
 コトリと置かれた空のマグカップに、継ぎ足すことは可能だ。しかし、頼まれていないのにそうするのは、接待のようで気が引ける。
「いつもこのマグカップだね。おじさんが大切にしているものなの?」
「君のために買ったものだよ」
「わたしの?」
「そう。おじさんのと色違いは嫌だった?」
「ううん。嬉しい。仲良しのお友達みたい」
「仲良しのお友達だから、おじさんもオレンジジュースを飲んじゃおうかな」
「お揃いだね!」
 頬を真っ赤に染めて笑う少女は、とても嬉しそうにしている。
 いつか「おじさんが友達なんて嫌」と離れていく日が訪れても、今日の幸せが色褪せることはない。
 色違いのマグカップで飲んだ、とても甘いオレンジジュース。それが記憶と結び付いて、掛け替えのないひとときを、度々俺に思い出させてくれるだろう。

6/15/2025, 2:32:54 PM