『ようこそ、故人図書館へ。』
「こんばんわ。…今日は生憎の雨だね。」
『おや、雨はお嫌いですか?』
「雨が起こすメリットは素晴らしいと思うよ。でも、雨は少し残酷だからね。」
『雨があるからこそ、始まる生命がある。そんな雨は、残酷ですか?』
「雨は全てを流してしまうからさ。」
『それもそうですね。まぁ、嫌な事は消えませんがね。』
「司書さんも何かあったの?」
『私の事はどうでも良いのです。それより、何かご用でしょうか?』
「…悩み事があってね。僕の人生って薄っぺらいなぁって思えちゃったんだよ。」
『どの人間も、外から見たら薄っぺらいものですよ。』
「じゃあ僕のは特段だよ。起承転結のない物語だよ。」
『それならば、今から始めてみませんか?貴方様だけの物語を。』
「…始められるかな?こんな平凡な僕に。」
『ええ。私がお見受けした所、貴方様の言葉は他の皆様よりも秀でております。貴方様は決して凡ではございません。私が保証しましょう。』
「…司書さんって意外といい人?」
『一人の人間の悩みなんて、私にはどうでも良い事です。ですが、最近の本は面白味に欠けるものばかり。丁度飽きてきた所でしてね。』
「成る程。僕は只の暇潰し要因ってことね。」
『私と貴方様の悩みが同時に消えて喜ばしい事ではないですか。』
「確かにね。…じゃあ待っててよ。すぐ最高の物語をお届けするからさ。」
『心から、お待ちしております。』
『人間とは実に奇怪。悩み、苦しみながら、終わりに向かって歩んでいく。終われば、また始まっていく。狂っているとしか、言い表せませんね。』
『本日も貴方様の人生という名の物語をお待ちしております。』
「好きだよ。」
軽い彼の言葉が、風に乗って届いてくる。
「好き。」
私の言葉を、彼は軽く受け流した。本当に、私達って付き合ってるんだろうか。そう考えてしまう程だ。街を歩けば可愛い娘ばかり見てるし、煙草だって何度言っても止めてはくれない。〝私の事、好き?〟その言葉を考えて、すぐに飲み込んだ。面倒くさい女って思われたくない。
「今日は、帰るね。」
はぁ、今日も彼は好きとは言ってくれなかったな。哀しいとは思はない。でも…。
「寂しいね。」
そう言葉にした時、強い衝撃を身体に受けた。そして、視界が暗闇に包まれた。私はそのまま、意識を手放した。
気付いた時には、私は死んでいた。どうやらあの日、私は車に轢かれたらしい。
『あぁ、結局彼に好きって言ってもらってないな〜。』
少しの後悔が残る。その時、何処からか小さな声が聴こえた。懐かしい声が。
「死んじゃったんだね。」
彼だ。私の墓参りに来てくれたらしい。墓参りだというのに、相変わらず煙草は咥えたままだ。
『君は変わらないね。泣いてくれても良いのに。』
私の声は彼には届かない。きっと風に乗るには重すぎるのだ。
「ねぇ、戻ってきなよ。一人は寂しいでしょ?」
『うん、寂しいよ。君もだと良いな。』
彼は少し泣きそうな顔をしている様に見えた。
「そろそろ帰るね。また、来るよ。」
もう夕暮れか。きっと、彼はもう来ないのだろう。やっと束縛から解放されたのだから。
風が吹く。
「好きだよ、この先も。君だけが好きだよ。」
彼の煙草の香りと、初めて聞く言葉が風に運ばれる。私の頬には、涙が伝った。
「別れよう。」
私が最も恐れた言葉を告げたのは、私だった。
「…この前、余命宣告されたんだ。」
彼は徐ろに、そう告げた。街は暖かさに包まれ始めているというのに、私の手は震えていた。
私と彼の出会いは、公園だった。その公園の近くには病院があり、患者らしき人が多く見られるが静かなので、私のお気に入りスポットだった。そこで、私は彼に出会った。彼はどこか儚くて綺麗だと思った。正直、一目惚れだ。
「付き合ってください!」
気付けば、そう彼に言っていた。そんな珍行動を彼は邪険にせず、笑ってくれた。絵画のようだった。
それから、私達は友人として会うようになった。彼は病院の患者らしく、暇な時はいつも公園に来ているらしい。
「ここは静かで良いよね。騒がしいのも好きだけどさ。」
彼は微笑みながら、そう言っていた。失礼だけども、きっと彼の儚さは病人というのもあるのかもしれない。
「好きです、出会った時から。付き合ってください。」
二度目の告白も私からした。今度は彼は、受け取ってくれた。やっと恋人になれた。それなのに、私達の関係は終わりに向かっていった。
「別れよう。今までありがとう。」
私から言ったんだ。私の願いとは真逆の告白を。だって知っているから。彼が病室で泣いている事を。その内容が、私への懺悔だった事を。だから、別れを告げた。これ以上彼を苦しめないように、泣かせないようにするために。
「…ごめんね。僕のせいで。」
彼は泣いた。あぁ、泣かせたくなかったのにな。
「ありがとう。本当に大好きだよ。」
彼は私を抱きしめた。彼の腕の中は温かった。
私はきっと最低だ。彼の笑顔も、涙も、あの日の温もりも忘れられずにいる。私から別れを告げたのに、まだ彼に恋をし続けている私は、自己中の化身だ。
【僕はーーー】
これは、僕が書いた遺書だ。
『これから僕が隠した手紙を探してくれ。全部で四つあるよ。』
夜中の二時。親友である彼に、僕は一つのメールを送った。彼にだけは、知っていてほしいと思った。僕が自殺する理由を。
僕が死んだと知らされた彼は、泣く事はなかった。そしてすぐに僕が隠した手紙の捜索を始めた。
『我が親友ながら、薄情なものだね。』
空から彼を見守りながら、そう呟いた。
一つ目の手紙
【僕は君に出会えてよかった。それと同時に、後悔もした。君みたいな人間を、僕みたいな人間が振り回してしまった事だ。でも、君に出会えて幸せだった。】
二つ目の手紙
【僕は死にたかった。理由もなく、只死にたかった。きっと僕は死に恋をしていたんだ。】
三つ目の手紙
【僕は君の時間を奪ってきた。そんな僕が言うのもおかしな話だけどね、僕は君に生きて欲しい。笑っていて欲しいよ。】
彼が見つけれたのは、三つの手紙だけだ。四つ目は見つけられていない。いや、見つからない。何故なら、四つ目はないのだから。
『君が死んだ時に、話してあげるよ。』
数十年後。彼は老衰死で眠りについた。彼が火葬される時、彼の腕の中には僕が書いた手紙があった。僕はそれを見て、静かに涙を流した。
『泣いてはくれなかったのに、大切にしてくれたんだね。』
最後の手紙の行方は、彼の元に手渡された。
『生人図書館、これにて閉館。』
灯っていた蝋燭はゆっくりと消えていった。
生人図書館。生者の未来を記す不思議な本が置いてある図書館。俺はここの司書をやっている。大勢を殺し処刑された俺に、神様とやらがくれたものだ。
『まぁ、俺に罪の意識なんて無いんだけどな。』
はぁ、退屈だ。
俺はここで、優越感に浸るために司書をしている。ここに来る奴は惨めで、哀れで、可哀想な奴ばかり。実に居心地が良い。でも、何だか違うんだよな。
『チッ。もっと俺の存在を上げてみせろよ。』
机を思わず蹴った。机の上に置いてあった本が落ちてくる。あぁー、癖は直らないもんだねー。
落ち着こうとコーヒーを淹れる。コーヒーなんて色のついた飲み物、死んでから初めて飲んだな。意外とイケる味をしてる。少し落ち着いて、先程落ちた本を拾い上げる。この本に記された人間は、もうすでに死んでいる。生人図書館にある本は、死んだ人間のものは置いていない。その人間が死ぬと同時に消滅してしまうからだ。しかし、この本は消えない。何故なら、この人間は、まだ存在しているから。彼もまた、神に拾われた哀れな魂だ。
『一度会ってみたいねぇ。故人図書館の司書さん。』
神は、俺に言った。俺のライバルに値する奴が居ると。それが、故人図書館の司書だ。俺と同じ境遇であり、俺とは真逆の図書館で働いている。一度本気で殺し合ってみたいもんだ。まぁ、負けても死なないけどな。
『さて、そろそろ生人図書館を開くかね。』
俺がそう言うと、蝋燭が灯り始める。
『ようこそ、生人図書館へ。』
さぁ、傍観しよう。あいつらの天国から地獄まで。