「僕は彼女を愛していました。」
これは僕が、最愛の人を殺した話。
「話を聴いてくださいますか?」
山の中にある小さな教会。目の前にあるステンドグラスから光が漏れ、外からは蝉の鳴き声が聞こえる。長椅子が並び、人は僕しか居ない。だから、僕の話を聴く者は誰も居ない。それでも、僕は話し始めた。
4月、僕の横に光が現れた。
「これからよろしくね。」
高校生になり、初めてのクラスで出来た友達でした。騒がしい教室で、彼女の声だけが鮮明に響いているようでした。
5月、光の中の影を知った。
「私、病気なんだって。もう長くないの。」
僕の両親は大きな病院を営んでいます。そこで、彼女に遭遇しました。彼女は照れ臭そうに涙を流していました。僕は彼女の手助けをしたいと思いました。初めて出来た友達だったから。
6月、僕は愛を知った。
「ありがとう。私も、君が好きだよ。」
僕の告白に彼女は喜んでくれました。それと同時に、悲しそうな顔をしました。長く持たない命で、僕の時間を奪ってはいけないと考えたのでしょう。
7月、彼女は死んだ。
「最後に、お願いがあるの。」
彼女は、僕にそう言いました。僕はその願いを聞き入れました。いつ死ぬか分からぬ恐怖に、いつまでも怯え続けたくないという彼女の願いを。
そう、彼女の願いは、
「私を君の手で、楽にして。」
「僕は彼女を愛していました。だからこそ、彼女を殺したのです。」
僕はここまで話し終え、教会を後にした。もう7月も終わる。まだ僕は捕まっていない。何故教会であんな話をしたのか分からない。誰かに聞かれれば、捕まってしまうのに。でも、多分疲れているんだ。もう、辞めにしよう。
8月、君に会いたい。
「君だけを、愛しているよ。」
僕は彼女に会いに逝く事にしました。
これは僕が、最愛の人を殺し、会いに逝くまでの話。
『仕方のない子ね。』
私の泣き虫な宝物。一生守るって約束したのになぁ。
「お姉ちゃん。」
私には年の離れた弟が居る。気弱な性格で優しくて可愛い弟が居る。この子のためなら、どんな事でも頑張れる。そう思わせてくれる、私の宝物。
「お姉ちゃんが一生傍に居て、一生守ってあげるわ。」
この約束は絶対に守る。そう誓った。
でも、駄目だったみたい。両親の心無い言葉や暴力にも、学校での虐めも、全部耐えてみせた。でも世界は冷たいから、私への風当たりは酷くなるばかり。私は命を絶つ事を選んだ。
「ごめんね。弱いお姉ちゃんで、ごめんね。」
永遠とそう呟きながら、私の人生は終わった。
死んでからも意識はこの世に残るようで、私は弟を見守り続けた。
『あの子も、私と同い年になったのね。』
もう高校生になった彼。彼は私が居なくても、誰にも害を受けずにスクスクと育った。
『もうお姉ちゃんは要らないね。今日が最後にするよ。』
夜空を見上げながら、彼は何か考え込んでいる様だった。
「…お姉ちゃんに会いたいなぁ。」
ふと彼から溢れた言葉。あぁ、今日は私の命日だ。
『お姉ちゃんは、貴方の傍に居るよ。』
届かない声で、彼に話しかける。今まで何度もこうして話しかけた。勿論反応は無い。今日も無反応のはずなのに、彼は私の方に顔を向けた。
「お姉ちゃん、?」
『…貴方、私が分かるの?』
「うん、聞こえるよ。見えるよ。」
彼は泣き出した。きっと私も泣いている。
『ごめんね。約束守れなかったよ。』
「何言ってるの?お姉ちゃんは、守り続けてくれたよ。だって、ずっと傍に居てくれたんだから。」
二人で抱き合った。世界も悪くないって思ったのは、これで二回目だ。一回目は、君が生まれた日だよ。
「お姉ちゃん。僕が泣き止むまで、どこにも行ったら駄目だよ。」
『仕方のない子ね。』
「その代わり、お姉ちゃんの涙の跡が消えるまで傍に居るよ。」
『ありがとう。私の優しい宝物。』
『ようこそ、故人図書館へ。何かお探しで?』
「先月亡くなった彼の、本はありますか?」
『えぇ、もちろん。少しお待ちを。』
「…彼、本当に死んだんですね。」
『人間誰しも、いずれは死ぬのです。それが遅いか早いか、たったそれだけです。』
「それだけでも、私達を苦しめるには十分なんですよ。」
『貴方は、苦しいのですか?』
「…もう、忘れましたよ。」
『そうですか。ならば結構です。』
「…優しいですね。昔の彼みたいに。
『こちら、貴方様がお求めの書物で御座います。』
「ありがとうございます。」
〈〇〇年〇月〇日 こんな俺にも彼女が出来た。俺には勿体ないくらい素敵な人だ。告白してくれた彼女に、恥じない彼氏になりたい。
〇〇年〇月〇日 どうしてだろう。彼女に冷たくしてしまう。嫌いになった訳でもない。なのに、好きを言葉に出来ない。こんなの彼氏失格だ。
〇〇年〇月〇日 どうやら俺は死ぬらしい。車に轢かれそうな猫を助けた為に。あぁ、でもこれで彼女に相応しい恋人になれた。どうか、彼女に今後恋人が出来ませんように。俺の事を引きずってくれますように。〉
「…私、彼が私に飽きたんだって思ってました。それで、私も彼から離れつつあって、本当に彼女失格ですよ。」
『そんな事は御座いませんよ。』
「司書さん、貴方に何が分かるんですか?」
『人間の心など、当の昔に無くしてしまいました。しかし、私は見てきました。』
「…」
『貴方様は、そのお方のお葬式で、涙を流していたではありませんか。』
「…彼が死んだ時、確かに悲しかった。苦しかった。でも、もう何も思えないんです。」
『それは、悲しさに染まってしまっただけです。苦しさに慣れてしまっただけです。』
「…彼に逢いたい。」
『それならば、逢いに行けばよろしいのです。逢いに行ける力を貴方様は持っているではないですか。』
「…司書さん、ありがとうございました。」
『貴方様の力になれたようで、幸いで御座います。』
「じゃあ、行ってきます。」
『行ってらっしゃいませ。』
『人間の〝恋愛〟というものは、何とも厄介です。恋故の寡黙、愛故の執着。こんなものは誰にも届かない、それなのに何故、声を上げて伝えようとしないのでしょう。人間というものは、何とも厄介です。』
『本日も貴方様の人生という名の物語、心よりお待ちしております。』
「こんな世界、大っ嫌いだ。」
そう強く思った。でも、どうしてこの世界はーー。
「死にたいな。」
人間は嫌いだ。矛盾ばかり口にする。自分より優秀な誰かを恨み、自分より劣等な誰かを嘲笑う。過去から何も学ばない。醜く哀しく愚かな生き物。
「…眩しいな。」
太陽は嫌いだ。自分が正しいとでも言うように、誰彼も光らせる。太陽があるから、影が生まれる。朝が始まる。自分勝手なお星様。
「…空気が重いな。」
空気は嫌いだ。肺に沈み、呼吸が止まりそうになる。息を止めても、すぐには死ねない。どうしても空気を求めてしまう。残酷な生命源。
全部嫌いだ。俺も、俺を取り巻くものも。全部全部、壊して、燃やして、存在を否定してしまいたい。でも、一番嫌いなのは、こんなものを創ったこの世界だ。
俺は今、ある建物の屋上に居る。理由は一つ。こんな世界とおさらばする為だ。でも、きっと俺は死ぬ事は出来ない。馬鹿でも分かる、自分の臆病さに嫌気が指す。何度目だろうか。この場所に立つのも、この場所で涙を流すのも。死にたいと叫びながらも、死ぬ事から逃げている俺は、生きた人間なんだと実感する。人間も太陽も空気も嫌いなのに、人間として太陽の下で呼吸をしながら待つ俺は、何て惨めなんだろう。あぁ、本当に嫌いだ。
「こんな世界、大っ嫌いだ。」
どうしてこの世界は、こんなにも美しいのだろうか。こんなにも手放したくないのだろうか。死にたいと思わせるく程に憎いのに、生きたいと思わせるほどに美しい。あぁ、どうしてこの世界は、こんなにも残酷なのだろうか。
『だって。』
同じ傘の中で、彼女は自身の秘密を告げた。
「あの、傘入りますか?」
彼女との出会いは、土砂降りの中でだった。まだ昼なのに暗い空。そんな空を、微笑みながら見上げる彼女。俺は彼女が、異質に感じた。でも、目が離せなくて、気が付いたら声を掛けていた。彼女は、突然話しかけてきた俺にも、微笑みを向けた。
『良いんですか?では、お邪魔させてもらいます。』
俺の傘の中に、彼女は入ってきた。そこでふと思った。今日は朝から土砂降りだったのに、彼女は何故傘を持っていないのだろうか。
『私が何故傘を持っていないか、気になりますか?』
心臓が跳ねた。まるで心の中を読まれているようだった。そんな俺の心情を気にもせずに、彼女は口を開く。
『私には、傘は必要ないんです。だって。』
彼女は先程までとは別の微笑みを浮かべていた。口角は上がっているのに、目は何も映らない程に黒い。
『だって、幽霊。ですから。』
心臓が止まるかと思った。いや、ほんの一瞬、心臓は確実に止まったのだと思う。
『驚きました?今まで話していた相手が、人では無い事に。』
彼女は、少し寂しそうに微笑んだ。そんな彼女の表情を見ると、胸が締め付けられそうだった。
「…人でなくても、貴方は綺麗ですよ。」
俺の言葉に、彼女は微笑んだ。それは雨の中でも輝く太陽に見えた。
この時俺が発した言葉は、彼女への哀れみだったのだろうか、それとも恐怖で頭がおかしくなったのか。もう、今では覚えていない。ただ、一つ言える事がある。それは、俺が彼女に恋をしてしまったという事だ。
この事は、秘密にしよう。彼女の正体も、俺の淡い恋心も。傘の中の秘密にしよう。