「残念ながら、ドナーが見つかりませんでした。」
その言葉は、私の余生を決めるものだった。
「じゃあ、君はドナーが居ないと死んじゃうんだ。」
彼はそっかそっか、と呟いた。せっかく初恋の彼と付き合えたのに、癌が見つかるなんて。
「最悪だよね。」
思わず、そう口にしていた。そんな私を、彼は微笑みながら見つめていた。
「君は悪くないよ。」
「でも、私には臓器が必要で、それは誰かの不幸を願う事なんだよ。そんなの、残酷だよ。」
「…僕なら、君に臓器を使って貰えるなら幸せだよ。」
「そんな、悲しい事言わないでよ。」
彼は不敵な笑みを溢した。
「そうだ。僕、旅行に行く予定が入ってね。少しの間、病室に顔を出せないと思う。」
「そっか。楽しんで来てね。」
「うん。お土産待っててね。」
数日後、急遽手術の予定が入った。どうやら、ドナーが見つかったらしい。私はすぐに彼に連絡をしたが、彼から返信は来なかった。数日後の手術は、成功した。
「貴方宛の手紙です。」
看護師から渡された一通の手紙。私は嫌な予感がしたまま、手紙を読み始めた。
【拝啓、愛しの君へ。これを読んでいるという事は、手術は成功したようだね。君に癌が見つかった時、僕は心に決めました。僕の臓器は君だけに捧げると。しかし、只捧げるだけでは、君がこの事を知った時病んでしまう。なので、君には僕の記憶と共に生きて欲しい。そして、僕の分まで笑って欲しい。それが、僕の臓器との交換条件です。
これからも、君を愛しているよ。】
涙が止まらなかった。私はもっと彼を知るべきだった。彼は私に隠れて、臓器の適応検査をしていたなんて、自分事しか頭になかった私には思いもよらなかった。
「こんなお土産、待ってないよ。」
暫くして、私は退院した。横に彼は居ない。でも、もう泣くのは止めた。今日からは、彼の記憶と生きよう。
「まずは、私達の出会いの場所に行こうか。」
『お元気ですか?』
窓際に降り立った彼女は、相も変わらず綺麗だった。
「別れよう。」
「お家からの命ですか?』
「うん。君の話をしたら釣り合わないって言われた。」
「そうですか。ならば仕方のない事ですね。貴方はこれからどう生きるのですか?」
「分からない。」
「そうですか。では、お別れしましょうか。」
「うん。ごめんね。君に良い事がある事を願うよ。」
「私は…。いえ、何もありません。…さようなら。」
俺は最近同じ夢を見る。三年前の夢。当時付き合っていた彼女は、俺の初恋の人だった。でも、別れた。家からの圧に抗えず。
「彼女を振らなければ、今頃彼女はまだ…。」
その時、窓が叩かれる音がした。カーテンを開けると、そこには翼を生やした彼女が微笑んでいた。
『お元気ですか?』
「何で、…君はもう居ないはずなのに。」
彼女は三年前に自殺した。それなのに何故?
『貴方は今、笑えていますか?』
「…笑えてないかも。」
『その様子ですと、まだお家から敷かれたレールを歩いているのですね。』
「楽しい道ではないけど、安全で楽だからね。」
『ならば、貴方が私に告白して下さった事は、かなりの冒険だったのですね。少し嬉しく思ってしまいます。』
「うん。本当は君ともっと一緒に居たかった。」
『別れの日、私が何か言い淀んだのを覚えていますか?』
「覚えてるよ。」
『あの時の続きを言いに、今日は来たのです。』
彼女は真剣な眼差しで、俺を見つめた。
『私は貴方と見る景色が、世界で一番大好きでした。以上です。…そろそろ帰りますね。さようなら。』
そう言い、彼女は月明かりを受け、消えていった。
もしも彼女を振らなければ。もしも家よりも彼女を優先していれば。後悔と憶測は頭を飛び交う。今からでも自分を生きれるだろうか?生きれたのなら、声を大にして言おう。君と見た景色について。
『ようこそ、故人図書館へ。』
「こんばんわ。…今日は生憎の雨だね。」
『おや、雨はお嫌いですか?』
「雨が起こすメリットは素晴らしいと思うよ。でも、雨は少し残酷だからね。」
『雨があるからこそ、始まる生命がある。そんな雨は、残酷ですか?』
「雨は全てを流してしまうからさ。」
『それもそうですね。まぁ、嫌な事は消えませんがね。』
「司書さんも何かあったの?」
『私の事はどうでも良いのです。それより、何かご用でしょうか?』
「…悩み事があってね。僕の人生って薄っぺらいなぁって思えちゃったんだよ。」
『どの人間も、外から見たら薄っぺらいものですよ。』
「じゃあ僕のは特段だよ。起承転結のない物語だよ。」
『それならば、今から始めてみませんか?貴方様だけの物語を。』
「…始められるかな?こんな平凡な僕に。」
『ええ。私がお見受けした所、貴方様の言葉は他の皆様よりも秀でております。貴方様は決して凡ではございません。私が保証しましょう。』
「…司書さんって意外といい人?」
『一人の人間の悩みなんて、私にはどうでも良い事です。ですが、最近の本は面白味に欠けるものばかり。丁度飽きてきた所でしてね。』
「成る程。僕は只の暇潰し要因ってことね。」
『私と貴方様の悩みが同時に消えて喜ばしい事ではないですか。』
「確かにね。…じゃあ待っててよ。すぐ最高の物語をお届けするからさ。」
『心から、お待ちしております。』
『人間とは実に奇怪。悩み、苦しみながら、終わりに向かって歩んでいく。終われば、また始まっていく。狂っているとしか、言い表せませんね。』
『本日も貴方様の人生という名の物語をお待ちしております。』
「好きだよ。」
軽い彼の言葉が、風に乗って届いてくる。
「好き。」
私の言葉を、彼は軽く受け流した。本当に、私達って付き合ってるんだろうか。そう考えてしまう程だ。街を歩けば可愛い娘ばかり見てるし、煙草だって何度言っても止めてはくれない。〝私の事、好き?〟その言葉を考えて、すぐに飲み込んだ。面倒くさい女って思われたくない。
「今日は、帰るね。」
はぁ、今日も彼は好きとは言ってくれなかったな。哀しいとは思はない。でも…。
「寂しいね。」
そう言葉にした時、強い衝撃を身体に受けた。そして、視界が暗闇に包まれた。私はそのまま、意識を手放した。
気付いた時には、私は死んでいた。どうやらあの日、私は車に轢かれたらしい。
『あぁ、結局彼に好きって言ってもらってないな〜。』
少しの後悔が残る。その時、何処からか小さな声が聴こえた。懐かしい声が。
「死んじゃったんだね。」
彼だ。私の墓参りに来てくれたらしい。墓参りだというのに、相変わらず煙草は咥えたままだ。
『君は変わらないね。泣いてくれても良いのに。』
私の声は彼には届かない。きっと風に乗るには重すぎるのだ。
「ねぇ、戻ってきなよ。一人は寂しいでしょ?」
『うん、寂しいよ。君もだと良いな。』
彼は少し泣きそうな顔をしている様に見えた。
「そろそろ帰るね。また、来るよ。」
もう夕暮れか。きっと、彼はもう来ないのだろう。やっと束縛から解放されたのだから。
風が吹く。
「好きだよ、この先も。君だけが好きだよ。」
彼の煙草の香りと、初めて聞く言葉が風に運ばれる。私の頬には、涙が伝った。
「別れよう。」
私が最も恐れた言葉を告げたのは、私だった。
「…この前、余命宣告されたんだ。」
彼は徐ろに、そう告げた。街は暖かさに包まれ始めているというのに、私の手は震えていた。
私と彼の出会いは、公園だった。その公園の近くには病院があり、患者らしき人が多く見られるが静かなので、私のお気に入りスポットだった。そこで、私は彼に出会った。彼はどこか儚くて綺麗だと思った。正直、一目惚れだ。
「付き合ってください!」
気付けば、そう彼に言っていた。そんな珍行動を彼は邪険にせず、笑ってくれた。絵画のようだった。
それから、私達は友人として会うようになった。彼は病院の患者らしく、暇な時はいつも公園に来ているらしい。
「ここは静かで良いよね。騒がしいのも好きだけどさ。」
彼は微笑みながら、そう言っていた。失礼だけども、きっと彼の儚さは病人というのもあるのかもしれない。
「好きです、出会った時から。付き合ってください。」
二度目の告白も私からした。今度は彼は、受け取ってくれた。やっと恋人になれた。それなのに、私達の関係は終わりに向かっていった。
「別れよう。今までありがとう。」
私から言ったんだ。私の願いとは真逆の告白を。だって知っているから。彼が病室で泣いている事を。その内容が、私への懺悔だった事を。だから、別れを告げた。これ以上彼を苦しめないように、泣かせないようにするために。
「…ごめんね。僕のせいで。」
彼は泣いた。あぁ、泣かせたくなかったのにな。
「ありがとう。本当に大好きだよ。」
彼は私を抱きしめた。彼の腕の中は温かった。
私はきっと最低だ。彼の笑顔も、涙も、あの日の温もりも忘れられずにいる。私から別れを告げたのに、まだ彼に恋をし続けている私は、自己中の化身だ。