「ごめんね。」
彼女に向けた懺悔は、彼女には届かない。
「死にたいな~。」
彼女は言う。だから、僕は言う。
「まだ死んじゃ駄目だよ。」
僕がこう言うと、彼女は少し悲しそうな顔をした。
「いつなら、死んでいいの?」
「僕が死ぬまで。」
ここまで会話したら、僕達の間には沈黙が住み着く。
僕と彼女は幼馴染だ。互いの事なら、何でも知っている。好きな事も、嫌いな事も。勿論、彼女が死にたがる理由も。彼女の両親がどんな人なのか、彼女にどんな事をしてきたのか、全部知っている。でも僕は、知らない振りをする。彼女がどれだけ〝死にたい〟と叫んでも、僕は耳を塞ぐ。だって、ここで僕が〝死んでも良いよ〟なんて言ったら、きっと彼女は本当に死んでしまう。僕はそれが嫌で嫌で、苦しいから、言わない。それが彼女を苦しめていても、僕は彼女に傍で生きていて欲しい。傲慢だって分かってるよ。でも、彼女に恋をしているんだ。
【今まで、ありがとう。】
真夜中に届いた、一通のメール。彼女からのメール。僕はすぐに理解した。僕の愛する人は、もうこの世に居ないのだと。僕は涙を流した。
「ごめんね。」
何度も謝った。でも、許しは要らない。許されて良い事では無いから。彼女を殺し続けたのは、僕なんだ。
彼女が死んでから暫くしても、世界は終わる事は無い。本当に憎たらしい。もし彼女の〝死にたい〟に、〝一緒に死のう〟と言えたなら、きっと僕達は笑えていたのだろうか。でも、僕は傲慢な上に臆病だから、彼女も世界も手放す勇気なんて無かったと思う。
僕は今日も、天を仰ぐ。涙が溢れて仕舞わないように、彼女と一緒に話せるように。
「皆の為に死ねるなんて、何て光栄なの。」
そういう彼女は、泣いていた。
【ヒャクネンニイチド、ムスメヲヒトリ、ササゲヨ。
サスレバ、ムラノアンタイヲチカオウ。】
これは俺達の先祖が、かつて神と結んだ掟だ。心底馬鹿げていると思う。でも、そんな事を口に出してしまったら、この村では生きていけない。皆、神の奴隷なのだ。
「もう時期、百年だ。早急に、巫女を選ばねば。」
村の奴らが口々にそう言う。巫女というのは、神への捧げ物である娘を指す。今年の巫女、皆誰が選ばれるか分かっている。彼女以上に容姿も頭脳も器量も優れている者は居ない。でも、誰も言わない。本人に気付かれてしまえば、逃げられる可能性があるからだ。誰もが神を慕っているようで、誰もが神を恐れている。
「今年の巫女は、お前に決まったよ。」
長老が、一人の娘に告げた。彼女は微笑みながら言った。
「神様に仕えれるなんて、とてもありがたいわ。」
彼女がその言葉を言った瞬間、村の連中は手を叩いた。まるで、これから起こる彼女の悲劇を知らぬように。
俺は彼女に聞いた。
「お前は、怖くないのか?儀式で何が行われるか、知らないはずがないだろ?」
彼女は微笑みながら言った。
「怖くないわ。だって、神様の元に行けるんですもの。」
「神が本当に居るとでも?この儀式は単なる村の人口を減らす口実だ。」
「だとしてもよ。皆不安なのよ。だから私、皆の為に、死んであげるわ。」
彼女の顔から、笑みは消えていた。
「皆の為に死ねるなんて、何て光栄なの。」
彼女は泣いていた。泣き顔も美しいんだなと思った。
「俺はお前に笑って生きて欲しいんだ。…好きだから。」
「私も好きよ。でもね、私はこの村も好きなの。」
儀式当日。巫女装束に着替えた彼女は、片手に短刀を握りしめていた。そう、この儀式は巫女自ら首を切り、神に忠誠を誓うというもの。巫女は助からないし、きっと神の元には行けやしない。だからこんな馬鹿げた話、俺が終わらせないと。俺の手には彼女と同じ、短刀が握られている。
「やっぱり、来たのね。」
彼女はもう、泣いてはいない。
「頼むから、死ぬ時は俺の愛した君でいてくれ。只の村娘の君でいてくれ。」
「そう。なら、貴方が私を殺して。私が愛した貴方が。」
俺は短刀を彼女に突き立てた。俺は、泣いていた。滲む視界の中で、彼女が笑っているように見えた。俺は、自分の腹を刺した。
ただ君だけが犠牲になれば救われる世界よりも、ただ君だけでも生きている世界の方を愛したいと思った。そんな俺は夢見がちなのだろうか。
『ようこそ、生人図書館へ。』
「…こんばんわ。」
『おや、本日の来館者は随分大人しいねぇ。』
「…人と、話すの、苦手で。」
『俺の事を人間として見てんのかい?そりゃあ、お涙溢れる話だ。』
「人じゃないんですか?」
『元ってとこだな。人間じゃないってのは、気楽だぜ?何にでもなれるし、何にもならなくて良い。』
「…良い事、なんですかね?」
『それは、お前さん次第だ。』
「…。」
『なぁ、黙ってたって何にも変わりゃしない。悩みがあるんだろ?言えよ。』
「…僕、昔からなりたいものが無いんです。夢とか、よく分からないし。僕はきっと、どこかおかしいんですよ。」
『分かんねぇな。お前さんのどこに欠陥があるって言うんだ?只の普通のガキだろ。』
「だって、周りの皆は夢を語ってるのに、僕だけは何も語る事が出来ないんですよ?」
『なら、語れるものを作れ。』
「作れないから、悩みなんですよ。」
『それなら、最終奥義だ。』
「なんですか?」
『他人の夢をぶち壊せ。それをお前の夢にしろ。』
「…そんな夢でも良いんですか?誰かの不幸を願っても、良いんですか?」
『夢の良い所は、語るのはタダって事だからな。』
「…最高の夢、ですね。」
『だろ。』
「僕の夢、叶いますかね?」
『さぁな。だが、未来は変えられる。不都合な事は忘れて、未来を塗り替えていけ。』
「…はい!」
『夢が無いなら、人生を描け。その描いた先に、夢はある。だから、夢を描け。』
「こんな俺で、ごめんね。」
そう言い私を抱きしめた彼からは、煙の香りがした。
「ちょっと、出掛けてくるね。」
そう言った彼は、普段よりも上等な服に身を包み、花束を持っていた。何処に行くのかも、誰と会うのかも知っている。でも、それをいちいち聞く気はない。彼が誰かと会うよりも、面倒くさい女と思われる方が、よっぽど嫌だ。
「いってらっしゃい。気をつけてね。」
だから、笑うだけ。そうすれば、彼との甘い時間は続いていく。なんて幸せなのだろうか。
彼が花束を持っていた出掛けた先は、墓地だ。しかも、彼の元カノの。彼女は、交通事故に遭って他界したらしい。彼にとっては生きがいだった彼女の死後、彼は抜け殻のようだった。そんな時に、私と彼は出会った。話しかけてきたのは彼の方。どうやら、私の容姿が元カノに似ていたらしい。不名誉な出会いだった。しかし、私は次第に彼に惹かれていった。告白をしたのは私の方。私と付き合う事で彼を苦しめるかもしれない、それでも私は彼との時間を諦めきれなかった。優しい彼は、告白を受け入れてくれた。
「君がいるのに、最低だよね。こんな俺で、ごめんね。」
彼はそう言って、私を抱きしめた。彼からは、線香の香りがした。安心する香り、なんて言ったら不躾だろうか。
「君は何処にも行かないでね。」
彼は泣いていた。そんな彼を愛らしいと思ってしまう。
「何処にも行かないよ。君がここにいる限り。」
私のその言葉を聞いて、彼はようやく笑った。
彼と元カノの甘い思い出を塗り潰す私は、どこまでも最悪な悪女なのだろうか。彼を苦しめているのに、彼との甘い時間を求める私は、どこまでも強欲な悪魔なのだろうか。
「…もう朝か。」
いつからだろう。朝を憎むようになったのは。
『これからも一緒だよ。約束ね。』
小さな女の子が、こちらを見て笑いかけた。そのうち、視界は暗くなり、次第に意識が覚める。
「…またこの夢か。」
寝起きの掠れた声が、俺以外誰も居ない部屋に漂う。今日も外は快晴だ。俺は必然的に外を睨んだ。あぁ、世界は今日も回っている。
俺は中学に上がってすぐ、事故に遭ったらしい。そのせいで俺は、全ての記憶を忘れてしまった。所謂、記憶喪失というやつだ。俺の中には、何かが消えたような消失感だけが残っていた。そんな自分を見失った時期だ。俺があの夢を見始めたのは。不思議な夢だ。何も覚えていないのに、懐かしさで涙を流した日もあった。きっと、それだけ大切な記憶なのだろう。…もう俺には何も分からないけど。
朝は嫌いだ。夢から覚めてしまうから。現実を思い出させるから。世界が始まるから。
夜は好きだ。夢を見れるから。現実を忘れられるから。世界が終わるから。
『ごめんね。』
夢が始まる。しかし、今日はいつもと違う。小さな女の子は、中学生くらいに成長していた。そして、泣いていた。
「何で泣いてるの?」
俺は堪らず、彼女に聞いた。
『私のせいで、君は事故に遭ったから。』
「それって、どういう事?」
『数年前の今日、私が通行車両を見ずに道路を渡ったのを、君は庇って車に轢かれたんだよ。』
そうだ。俺は彼女を守ったんだ。
『私のせいなのに、私は君の傍に居る事も出来ずに逃げたんだよ。最低だよね。』
「最低じゃない!俺は君を守れて良かったよ。」
だって、君が好きだったから。あぁ、全て思い出せたよ。君のおかげだね。
『…約束をしたのも私からなのに、守れなかった。』
「一緒にはいられなかった。でも、君は会いに来てくれた。それだけで、良いんだよ。」
彼女は少し頬を赤らませた。そして、嬉しそうに涙を流した。
『私はこれからも、君だけが好き。好きなんです。』
「俺もだよ。記憶が消えても、この思いは忘れない。」
二人で泣いた。しかし、俺達は笑っていた。
「…もう朝だ。」
夜が明ける。世界が回る。現実はそんなに良いものじゃない。でも、君がどこかで俺を見守っている世界なら、ずっと続けば良いと願っしまう。