「アンタ変わってるね。」
友人から言われた言葉。私の何処が変なのよ。
私には大好きな人が居る。子どものように無邪気で、夢を見据える人。少し我儘だけど、優しい。私はそんな彼が、この世で一番愛おしい。でも、そんな私を見て、友人は心配そうにする。
「アンタの彼氏〝ピーターパン症候群〟なんじゃない。」
そうかも。でも、それの何が悪いの?
「尽くしてばっかで、つまんなくないの?」
全然。むしろ毎日幸せよ。
「でも、一番変わってるのは、アンタだよ。」
私は普通よ。普通の恋をする、普通の女。
「ヤバすぎ。アンタみたいのを〝ウェンディー症候群〟って言うらしいよ。」
全くもって、不愉快な時間を過ごした。私がウェンディーだなんて。失礼よ。確かに、ピーターパンに尽くす彼女の姿は素敵だった。でも結局は、ピーターパンを置いていったじゃない。私はそんな女じゃない。彼のためだったら死んでもいいし、誰かを殺してもいい。彼が望むなら、悪党にだってなりたいわ。
彼の寝顔を見つめる。月明かりに照らされて、とても綺麗。本当に子供のよう。
「ねぇ、私をネバーランドに連れてって。」
静かな部屋に私の声が響く。彼となら、彼とだけなら、きっと私は幸せになれる。だから、お願い。私を置いていかないで。
「私だけ、大人になっていっちゃうね。」
眠ったままの彼に、今も依存している私。こんな私は、普通じゃないの?おかしいの?
「これじゃあまるで、私の方が子供みたいじゃない。」
『愛してる。』
昔、言われた言葉。誰が言ったんだっけ?
「…もう、朝か。」
カーテンから差し込む光に、少し苛立ちながら体を上げる。そして、ノロノロと洗面所に向かう。鏡に映る俺は、泣いていた。またか、と呟く。俺は昔から時々、目覚めると泣いている事があった。哀しい夢を観たせいかもしれない。涙と夢について一度、占ってもらった事がある。その時の占い師は、少し微笑んで
『もうすぐです。もう少しで、理由は明かされます。』
とだけ、告げた。結局俺は、涙の理由を知らない。
俺が観る夢は、まるで実際に体験した事のあるように感じた。ストーリー自体は、有名な〝ロミオとジュリエット〟のようなもの。そこで俺は、一人の女性に恋をする。お互いを知る内に、二人は恋に落ちる。しかし、不運な事故のせいで、彼女は亡くなった。俺は、後を追うように自殺した。家柄の問題はなくとも、待っているのは死。そんな在り来りなストーリー。その中で俺が一番覚えているのは、花畑の真ん中で彼女が、俺に愛を伝える場面。彼女の顔はぼやけていて、よく見えない。それでも、笑いかけているようで、優しくて、心地が良かった。
ある晴れた日の朝。俺は、用もなく道を歩いていた。何だか、誰かに呼ばれている気がした。真っ直ぐに続く道を、ゆっくりと歩いていると、何かにぶつかった。ぶつかったものの正体は、同い年くらいの女性だった。俺は、慌てて謝ると、彼女は目を大きくした。
「大丈夫ですか!?」
そう言って、彼女はハンカチを俺に手渡した。俺は理由も分からず、それを受け取った。
「泣いてますよ。これ、使ってください。」
そう言われて、俺は自分が泣いている事に気が付いた。そんな、俺を見て、彼女は小さく笑った。
「昔から、変わらないね。泣き虫のままだ。」
俺は、涙の理由を知った。
『故人図書館に、ご来館ありがとうございました。』
「相談乗ってくれて、ありがとう。司書さん。」
『いえ。貴方様の為になる事が、至上の喜びですので。』
「そうだ。これ、どうぞ。」
『こちらは…?』
「紅茶だよ。最近のマイムーブなんだ。だから司書さんにもお裾分け。」
『それはそれは、ありがとうございます。』
「それじゃあ、また縁があったら。」
『貴方様の物語、お待ちしております。』
テーブルの上に、小さな紅茶の紙袋を置いた。自然と出る溜め息。最近の子は、どうやら死にたがりが多いらしい。
『死ぬなら、勝手に死んで欲しいですねー。』
壁にかかった鏡に目をやる。そこには、無愛想な顔が映る。慌てて、笑顔を作る。しかし、気力は沸かない。それ程までに、疲れが溜まっているのだ。
故人図書館。ここは、犯罪者の私に神様がくれたものだ。ここでは、色々な人間の過去が覗ける、不思議な本が置いてある。私はその本を管理し、人間の悩みを解決へと導いていく。…まぁ、死へと誘っているだけだが。それでも、半数は生き延びようとしている。そしてまた悩む。それのループだ。馬鹿馬鹿しい。疲れた。面倒くさい。
『でもまぁ、神様には抗えないんですけどね。』
あるだけの力を振り絞って、紅茶を淹れる。すぐに香りが鼻につく。私は、カップに紅茶を注ぎ、少し飲む。そして、シュガーポットから角砂糖を三つ取り出し、紅茶に投げ入れた。また少し飲む。
『やっと、飲める味になりましたよ。』
周りを見ると、本しか目に映らない。見慣れた風景。でも、何だか今日は、嫌いじゃない。時計が、一時を告げる。束の間の休息も、もう終わり。すぐに悩める人間がやって来る。私は、頬を少し叩いた。よし、今日も頑張りますかね。
『ようこそ。故人図書館へ。本日はどういったご要件でしょうか?』
「笑おうよ。」
そう言い、笑顔を振り撒く貴方が、好きでした。
「ねぇ、君に夢はある?」
突然聞かれ、少し戸惑う。そんな僕を見て、彼女はニヤリと笑った。
「私はね。死ぬまで踊っていたい。」
なるほど。踊る事が大好きな彼女らしい夢だ。それなら僕の夢は。
「僕は、そんな貴方を、ずっと見ていたいです。」
彼女は少し頬を染めた。そしていつもの調子で、笑った。
「じゃあ君は、私が作る歴史を目の当たりにできるね。」
彼女は幼馴染だ。だから、ずっと彼女を見てきた。小学生でバレエ、中学校ではポップダンス、高校生の今は社交ダンスを習っている彼女。彼女はいつだって笑っていた。
「笑おうよ。」
彼女の口癖だ。弱気でコミュ障の僕に、よく言ってくれた。その言葉を聞くだけで、強張った顔も笑顔に変わる。そんな彼女が好きだった。もっと沢山、彼女の踊りを見ていたかった。しかし、悲劇は起きた。
彼女は事故に遭い、両足を無くした。
彼女は事故の日から、一度も笑う事はなかった。いつも朧気に、外の景色を眺めていた。その表情は、今にも消えてしまいそうで怖かった。そんな恐怖のせいか、僕は言ってしまった。狂っているけれど、確かな僕の願いを。
「一緒に、踊りませんか?」
僕がそう口にした時、彼女は静かに涙を流した。そして、震える声で言った。
「踊り、たい。君と一緒に、踊りたいよ。」
どれだけ願っても、彼女の足は戻らない。どれだけ笑っても、心は死んだまま。それなら少しだけ、我儘を言わせてください。無くしたら何も残らないなんて、僕には残酷すぎるんです。
「Shall We Dance?」
『ねぇ、何で?』
幼い俺が、問いてきた。俺は少し、笑ってみせた。
「能無しの木偶の坊。」
上司は俺を、蔑むように睨んだ。俺は小さく謝った。毎日、この繰り返し。正直、疲れるし面倒くさい。それでも俺は何もしない。
俺は、貧しい家庭に産まれた。父は屑、母は癇癪持ち。そんな二人の子供が、真っ直ぐ育つ訳もなく。昔から俺は、欠陥人間だと言われていた。自分でそう思った。何故なら俺は、本心から笑った事がないから。家に帰れば、塵扱いされる。学校に行けば、虐められる。それでも何もしなかった。いや、何も出来なかった。何をすればいいのか、分からないから。
でも一度だけ、心から望んだ事があった。その時俺は、死にたいと望んだんだ。家のナイフで、首を刺そうと思った。しかし、寸前でやめてしまった。理由は分からなかった。
あれから社会に出ても俺は、欠陥人間のままだ。時々、脳に幼い自分が、語りかけてくる。
『あの時、死ねばよかったんだ。そうすれば、これ以上恥を晒さずに済んだのに。』
そうだよ。あの時、俺は死ぬべきだったんだ。
『じゃあ何でやめたの?ねぇ、何で?』
何でだろう。分からないよ。
『嘘だ。本当は知ってるんでしょ?』
知らないよ。何も知らないから、何も言わないで。
『生きたいんでしょ?笑いたいんでしょ?』
この世界は不公平だ。それでも俺は、公平を求めている。例え、それが幻想だとしても。あの日、俺が選んだ選択が間違っていないと証明するために。
きっと明日も、俺は欠陥人間だろう。それでも良い。欠陥だらけのこの世界に、俺はお似合いだから。