さよなら終点やっとこ始発
窓のそとには煙と見とれてしまうほど美しい星空、そして永遠に続くレール。
この列車がどの星空を走っているのか、どこに辿り着くのか、私には分からない。
気がついた時すでに私はこの列車のこの座席に座っていてそれ以前の記憶がおぼろげだった。いつものように大学へむかって講義をうけて、友達と意味もないオチもない話をくっちゃべり、電車に乗って家に帰り──そんな日々の延長線上、繰り返す日々にいたはずだった。少なくともこんなファンタジーのような列車に乗ることは絶対になかったはず。
最後の記憶は誰かが私を呼ぶ声とサイレン、赤い何かの花弁。その記憶ですら脆く、触れれば壊れてしまいそう。考えてもどうしてそんな記憶なのか思い出すことも出来ない。
列車から降りて家に帰ろうにもこの列車が止まることは1度もなかった。さらには人っ子一人乗っていない。操縦席ちは向かったものの、そこは空っぽで霞のような煙が漂うだけだった。
列車内は明るく、穏やかなBGMが流れている。こんな状況でなければ乗り続けていたいと思うほどの心地良さだが、“帰らなければいけない”という理由のしれない焦燥感が胸に燻っていた。
もしもタイムマシンがあったなら
「もしタイムマシンがあったのなら、いつに戻るのが最適解か。」
私の数少ない友人の、私のたった1人の親友である彼は、いつも通りのしかめっ面をしてそう問いかけた。お気に入りのカフェで行われる2人だけの討論会。話すのは意味の無い雑談の延長戦。
「戻るのは前提なんだね。君にしては意外だ。」
偏屈で堅物としか言いようのない友人は、たしか決定論を支持していたはずだ。たとえタイムマシンが実現したとしても、歴史の一貫性を壊すような、パラドックスとなる行為は出来ない。そんな話。
以前、過去に戻ったらという問いに、小学生時代に戻って十何年分の宝くじを当てまくるといった私に対して、彼は冷ややかにそういったのだ。見下すような目で見てきたコイツを私は忘れない。
「意外も何も、私にだって変えたい過去の一つや二つある。ただ、変えたい過去を最善の過去にするためにはどのタイミングに戻ればいいのかと。」
「変えたい過去、ねぇ。」
コイツが主張を曲げてまで、変えたい過去とは?
やっとこさテーブルに乗った彼のサンドイッチは思考の前に放棄された。この店の自慢であるカツサンドには目もくれず、見覚えのある古い万年筆を頭に押し当てている。それが彼の癖だった。集中している時、手に持っているもので頭を押す。周囲には目もくれない。
「結局のところ、そのタイミングの直前がいいんじゃない?あまりにも前過ぎると忘れてしまうし。」
「それで変えたい出来事に対応出来なければ意味が無いだろう。」
それもそうだ。例えば事故を防ぎたかったとして、それが起こる1秒前に戻ってもきっと防ぐことは出来ない。ただ、その変えられなかった過去を見届けるだけだ。
それなら直前は最適解ではない。
そもそも、コイツは一体何を変えたいのだろうか。最適解を見つけたい問はその変えたいものなのだろう。
恥ずかしい思い出?辛かった記憶?染み付いた後悔?自分のこと?それとも、他の誰か?
気になってしまえば分かるまで引けないのが私の性分というもので、頭にあるのは最適解よりもコイツの変えたいもののことだった。
「君は一体何を変えたいのか、その前提が分からなければ話し合おうにも話せない。そうだよね?」
「……確かにな。」
そうして彼は渋々と言ったように、ポツポツと語り出した。
なんでもコイツは、人が死ぬ運命を変えたいらしい。
この偏屈で堅物の変人野郎にそんな相手がいるとは思えなかったが、真剣で、それでいて悲壮感のあるその顔を見れば茶化せなくなってしまった。
運命をねじ曲げて、せめて今自分がいる時まで生きていて欲しい。だが、何度考えても上手くいかない。たとえ初めの死因を回避出来たとしても、別の事象が殺してしまう。そうやって何度も何度も思考実験を繰り返し、行き詰まった。
だから、気分転換に話にきた。と、彼は言った。
「ねぇ、その運命を変えたい人、死んでしまう過去の人って。」
「もしかして私だったりするのかな?」
返事は無い。ただ、ゆっくりと万年筆を置いて、目を閉じる。そして意を決したように、ゆっくりと開いて私を見つめた。そして、
「なぜ」
と、一言問うのだ。
初めから、正確には彼が遅れてこのカフェに入ってきた時から違和感はあった。
見たことがないコートを着ていたこと、いつもは頼まないようなカツサンドを頼んだこと、先日あげたばかりの万年筆が古ぼけていたこと、彼の信じているものが変わっていたこと。
きっと私の知る彼と目の前の彼には大きな時間のズレというものがあって、その隙間で変わったのだろう。彼は私が知っていて、それでいて知らない彼なのだ。
なんでも私は、今から数年後にとても凄惨な死に方をするらしい。誰もが後悔するような、生きていて欲しかったと願うような、そんな死に方。詳しくは教えて貰えなかった。
彼はそんな私の未来を、彼の過去を変えようとしたらしい。そのためにタイムマシンなんてものまで作って、過去を変えようとした。
だが、私の結末は変わらなかった。彼の変えた運命はまた私に降りかかり──私はとても凄惨な死に方をしたそうだ。
彼が辿り着いた結論は
「過去は変えられない」ということ。皮肉にも、昔の彼が辿り着いていた決定論そのものだった。
「ここに来たのはほんの気まぐれだった。結論が出て、諦めて、最後の悪あがきにお前に聞きに来たんだ。お前なら別の答えを知っているんじゃないかと思ってな。」
「未来の君が知らないのなら、過去の私が知っているわけがない。」
「ごもっともで。」
すっかり冷えきったカツサンドにやっと手をつけて、未来人は苦笑した。
「でも、君がここに来た意味はあったのかもしれない。」
未来人は停止する。今度は困惑の色をめいいっぱい広げて、
「なぜ?」
と、一言問うたのだ。
過去は変えられない。それは彼が何度も試行した時間遡行で思い知っている。
過去というのは、歴史というものはもはや神の領域だ。今を生きる人類には手を出すことが出来ない不可侵領域。
だが、未来というのは私たちのものだ。私たちが動き、考え、創り出す。今を生きる人類のための領域。
たとえ過去を変えられなくても、未来は変えられるのかもしれない。彼が変えられなくても、未来の私が変えれられなくても、過去の私なら、未来が存在する私なら間に合うのかもしれない。
「つまるところ、タイムマシンで戻るべきタイミングの最適解とは、その変えたい瞬間が、変える人にとってまだ未来である時。というわけさ。」
そりゃ君には変えられないわけだよ。
鳩が豆鉄砲を食らったような顔とはまさにこの事だろう。いや、空いた口が塞がっていないと言うべきなのか。なにか文句を言いたげな素振りをした後、それを飲み込んだ。
「馬鹿げている。そんな屁理屈のような、おかしな理論が通用するか。」
「試してみればいいじゃないか。私が未来を変えられたかどうか。そもそも、私が君の思い通りになると思ったことが間違いなんだ。」
「それじゃ、未来でまた会おう未来人。」
私の名前
種という数え切れないほどの同類の中で、個人を区別するものは一体なんだろうか。見た目?だが、世界には同じ見た目の人間が3人いるとも言う。性格?すぐには区別することは不可能だろう。
そこで分かりやすいのが“名前”なのだろう。容姿と組み合わせることで機能する、一種の識別符号。
人というものはその短い符号に意味を込めたがる。そこに込められたものがなんであれ、与えられた名前こそが、その人を区別する根本なのだ。
もしも、その名前がなかったとしたら。失くしてしまったとしたら。私という存在は何処へいってしまうのだろうか。私は、存在できるのだろうか。
「結論から言うと、存在することは出来ている訳だが。」
「名前を失くしたのってそれを証明するためにわざとしたんじゃないよね?」
呆れたように責め立てる彼女の顔には青筋が浮かんでいた。
「名前を失くしたからこの疑問に辿り着いたんだ。」
「それなら良かった。証明するためにバカをしてきた君だからもしかして、とね。」
「名前を失くして、なにか変化はあったの?」
彼女は既にガムシロップが入ったコーヒーに、角砂糖を3つ入れてそう聞いた。あまりにも不健康で子供っぽい味付けのコーヒーを見て、思わず眉間に皺が寄る。
「名前が無いわけだから、身分証明に使えそうなものが単なる紙切れになった。もし私になにかあったら死んだと思ってくれ。」
「なにそれまじ笑えない。」
「だが、それ以外に困ったことは特にないんだ。不思議なことに名前がわからなくても周囲の人間は私を区別出来ている。現に、君もこうして私をカフェに連れ込んで会話をしている。どうやら私の仮説は間違っていたらしい。」
名前が無くても、何も変わらなかった。隣家の住人はいつもと変わらず挨拶を交わすし、近くの小学生は相も変わらず馴れ馴れしく絡んでくる。そして目の前の彼女も、気にせずコーヒーに5個目の角砂糖を入れている。
「私の考えた名前と存在に関する仮説を聞いてくれる?」
「どうぞ。ちょうど思考に行き詰まっていたところだ。」
例えば君の前に小学校時代の友達が現れたとする。君たちはとても親しい友人だったが、10数年という月日は残酷にもその記憶を風化させてしまっていた。
あるあるでしょう?一緒にしたことも、その時の感情も、覚えているものは確かにある。でも名前が思い出せない。
そんな自分に対して、向こうは当たり前のように名前を呼んで話しかけてくる。
嗚呼気まずい!気まずすぎる!にこやかな相手に反してこちらの心情といったら地獄絵図だ!話したいことは積もりに積もっている。だが名前が思い出せないから話しにいくったらありゃしない!嗚呼苦しい!悩ま……
話が長い?いつもの君の方が長いよ。まぁここはやってきた店長のホットケーキに免じて許そう。
でも、名前がないからといって絶対に会話が成り立たない訳じゃない。君には相手との記憶がある。苦労はするだろうが名前を呼ぶことを避けて思い出話をすればいい。
「つまり、それと同じだよ。名前がなくても記憶がある。その存在に付随する大切なものがある。それによって私達は互いを認識できる。」
「なるほど。それは面白い仮説で実に有力的だ。この現状を説明するにはピッタリの例だな。余計な部分を除けば。」
「うるさい。」
ホットケーキにシロップをかければ、ほのかな甘い香りが席に漂った。
「ほれはほれほひへ」
「飲み込んでから話せ。」
一瞬の好きにホットケーキにアイスとチョコソースを乗せ大きくほおばった彼女は、まるでハムスターのようだった。
「それはそれとして、君名前は取り戻せるんだよね?色んな手続きとかヤバくない?」
「……善処する。」
私の名前の行方は、また別の日に。
君と手を取りあって、ここから出る夢を見続けている。
どんな世界にも永遠なんてものは存在しないわけで、今日私たちは終焉を迎えることになった。明確にいえば星の終わり、隕石の追突による逃れられない世界滅亡。
どこぞの映画のように宇宙の外に新たな星を見つけたとか、巨大な宇宙船で暮らせるようになったとかいう希望はなく、ただひたすらに終わりを待つことしか出来ない。
数週間前に知らされて以来、世界はとっくに諦めムードで、家にとじこもる人、遊びに出かける人、大切な人と過ごす人、いつも通りに過ごす人、色々だった。私はと言えば数少ない友人に会うため街に飛び出し、すっかり変わってしまった街に適応できず迷子になってしまったのだった。
世界最後の日に迷子になって1人で死ぬとは、なんと愚かで情けない最後だろうか。誰にも会えない街灯の下で、どうすることも出来ず突っ立ていた。
いつだったか、昔にもこうして迷子になったことがあった気がする。あいつを探して街に繰り出て、迷子になり……あの時はどうしたんだったか。私はあいつの元に辿り着けたんだろうか。
そんなことを考えていると不安になってきて、もういい歳なのに目が潤んでしまう。
このままあいつに会えず、言いたかった愚痴も、怒りも、思い出も、感謝も、何も言えず、私は終わってしまうのだろうか。
そんなどうしようも無い絶望に、私の心はズタズタに切り裂かれて、仄かなオレンジのスポットライトの下にうずくまるしかなかった。
「私ね、君と一緒なら世界だって救える気がするんだ。」
最後に会った日、あいつはそんなことを言っていた。あの時は馬鹿なことをと一蹴したが、今この現状を思えばそんな戯言でも本当であって欲しいと願うばかりだ。
もしも世界が救われたら、救えたならどうしようか。予定ばかり話してついには行けなかった遊園地にでも行こうか。食べたかったパンケーキ屋に並んでみようか。やろうと話したまま埃を被ったゲームの続きをしようか。見たかった映画を見ようか。あの日言えなかった言葉の続きを話そうか。
もしも私たちがもう一度会えたなら、手を取りあって、隣に立てたなら、世界だって救えるんだろうか。
棒のようになった足を震わせて、最後の力を振り絞って立ち上がる。目指すは何度も諦めたあいつの隣。今度こそ、その手を掴んでみせると誓って。
何十分、何時間も走り回って、あいつの後ろ姿を見つけた。あの日から今日に至るまで何をしていたのかは知らないが、あいつは全身ズタボロで、立っているのが不思議な程だった。
あいつはとても驚いた顔をしてこっちを見ている。目を閉じて、ゆっくりと息を飲んで、目を開けて、その真っ直ぐな瞳で私を貫きながら、
「もう会えないと思ってた。」
なんて、泣きそうな声で言うのだった。
「君と会うのはすっごく久しぶり。2年ぶりくらいかな。」
「数週間前にあっただろう?」
「そっか、君にとっては数週間前だった。」
どうにもこいつとの会話は要領を得ない。が、そんなのはいつもの事だった。こいつはやけに人懐っこいくせに、どこか遠くて、不思議で、掴みどころがない。ふと気がついたらどこに行ってしまいそうやつだ。
「もう何度も、何十回も何百回も繰り返して、会えなくて、もう君が死んじゃったんじゃないかって、全部手遅れだったんじゃないかって、不安だったんだ。」
「そう、か。だが、今度は会えたな。」
「うん。やっと会えた。」
「私が死ぬほど頑張ったからな。」
目の前のこいつは冗談だと思って笑っているが、冗談抜きで死にそうだった。崩壊寸前の世界を走るのは実に危険な事なのだ。
「でも、今度こそ上手く行きそうな気がする。君が隣にいて、手を取って、一緒にいられる。それなら私は世界だって救えるんだ。」
「それなら早くしよう。一緒にやりたいことが溜まってるんだ。」
お前と一緒なら、どんな夢だって現実にできる。
私の当たり前
夏が来た!アホのように暑く、バカのような湿度を誇る我らが夏がついにやって来てしまった!
そんな暴言を吐いてはいるが、なんだかんだ我々は夏が好きなのである。強い日差しの中で食べるアイス、ぬるいプール、手持ち扇風機片手に練り歩く街、夏を生きる我々の特権である。
私にとっての当たり前は、そんな特権を振りかざす夏である。暑い暑いと文句を言いながらも、謳歌してきた夏。それが今年も訪れると思っていた。
というよりも、私の当たり前の日常が続くと思っていた。
ふと気がつくと、緑の生い茂る廃墟の群れに囲まれていた。
パラレルワールドに迷い込んだJKが当たり前の夏を取り戻す話