鏡の中のあなたへ
「この間、親友と絶交してきたんだ。」
果たして親友なぞいるのかという風貌で性格の彼が、壮絶な舌戦の後にそんなことを言うものだから、やっと落ち着いて飲むことが出来た紅茶を吹き出してしまった。
「君友達いたのかい?!紹介してくれよ!君に対する愚痴を語り合いたいからね!」
高校から大学へと同じ道を共にしてきて、私は彼の絶交するような関係性にある人の話を聞いたことも見たこともない。
「あの子はもういない。私がお前に話そうとしているのは親友と絶交した話と言うより、親友が生まれてからの話だ。」
そういう彼の顔は普段の仏頂面ではなく、どこか哀愁と儚さを漂わせていたので、先程の言動を少し反省した。
紙ナプキンでこぼした紅茶を吹き、姿勢を正す。
「聞かせておくれよ、君の親友の人生を。」
親友とは言っても世間一般でいう正当な友人ではなく、いわゆるイマジナリーフレンドと言うやつだ。事の始まりについてはあまり良く覚えていないが、私の幼少期というのは不安定で両親も共働き。ふと生まれた心の隙間を埋めようとしたのだろう。
彼は鏡の中に住んでいた。今ならば、鏡像を別人と捉えたのだと思えるが、当時の私にとって彼は全くの別人で、貴重な同い年の友人だったんだ。お前の言う通り、私は幼い頃から仏頂面で付き合いと口が悪かったからな。
「でも、イマジナリーフレンドって多くは子供のうちに消えるって話だろう?多くの子供の大切な友達で、そのうち正体に気が付かれ消えて忘れ去られる。」
「あくまでも多くは、の話だ。青年期から大人にかけるまで残る場合もある。私の場合はそれだった。つい先日まで、鏡を見れば幼い彼がいて、普通に会話をしていたんだ。」
彼の親友は、少し赤毛のアンの登場人物に似ていると思った。ケティ・モーリス。戸棚のガラスにうつった自分に別の名前をつけアンの友人になった鏡像。
彼女は多くのイマジナリーフレンド達のように正体に気が付かれた訳ではなく、アンが別の家庭に移動することで戸棚から離れることになってしまった故に別れを告げる。
きっと、アンの心からケティが忘れられることはなかったのだろう。最後まで、気がつくことなく友達でいられたのだ。
会話をしていたんだがな。やっぱり大学生ともなると分かってしまうんだ。いや、本当はずっと前から分かっていた。彼は単なる私の想像で、実在しない。子供の寂し紛れのおもちゃで、大人になれば捨てなければいけないと。
「それで、絶交したの?そんな義務感からサヨナラを告げたのかい?」
おもわず口をついて出てしまった言葉に、彼は顔を顰めた。素直だと言われる悪癖が出てしまったと後悔する。
それでも、思ったことは本当だと思い直して、言葉を続ける。
「君のことだから、親友君と議論でもして大喧嘩になったのかと思っていたからさ。」
「それでも、本当に、大人になったから別れるなんてもったいないと思ったんだよ。私もその子と友達になりたかったから。」
「……悪かったな。もう居ないんだ。家の鏡は、全て割ってしまったから。もう、どこにも、居ないんだ。」
彼のコーヒーの水面が揺れて、模様を刻む。きっと、忘れ去る前に愛する親友の役目を終わらせたのだろう。その手で、繋がりを壊してしまった。
紅茶を口に含んで、窓ガラスを見つめた。そこにいるのは、私と彼だけだ。鏡の中のあの子はもうどこにもいない。
もしも鏡の中のあなたへ私の声が届くのならば、どうか彼の元へ帰ってきてくれないだろうか。私も仲直りする手伝いをするから、絶交を撤回して、もう一度話してはくれないだろうか。私もあなたに会いたかったんだ。
なんて、不毛な願いを抱きながらやっと運ばれてきたショートケーキのいちごにフォークでとどめをさした。
探偵はすれ違う
運命の人とは人生のどこかですれ違っているという話がある。そのすれ違いが、自身の運命にどう影響するのかはそのタイミングによるそうで。
その話を鵜呑みにするのなら、僕にとっての運命の人はクソみたいな運命を押し付けて行ったのだろう。
「さて、もう観念して自白したらどうだね?私が推理をするまでもなく、君の犯行であることは確実なのだよ。」
「ほんっっとうに違うんです!!絶対庭ですれ違いざまにぶつかった人がカバンに入れたんです!!!」
「血で濡れたナイフがカバンに入っていて犯人じゃないは無理があると思わんのかね?」
探偵を自称する青年と部屋に2人きり。何かが起こったかと言えば、屋敷で起こった殺人事件の取り調べである。
事の発端となったのはとある資産家が自分の屋敷で開いたパーティー。記者の僕も上司から資産家の情報を掴めと命じられ、新聞社の代表として招かれることになった。
平々凡々な僕が一生掴めないようなチャンスに、買い直した一張羅と屋敷のある辺境行き列車の切符を握りしめテンションは高く、隠せない笑顔で挑んだ……のだが。
行く道中に交通事故の目撃者になり、猛ダッシュの末滑り込んだ列車ではテロリストが同乗していて人質になり、更に同乗していた警察官によりテロが止められ、結局パーティーには遅刻した。
五時間も遅れて辿り着いた屋敷の庭園で不機嫌そうな中折れ帽の男にぶつかられてスっ転び、内心舌打ちしながら立ち上がれば屋敷から悲鳴が聞こえ、書斎から主人の刺殺体が見つかり、あれよあれよという間に取調べが始まってなんとびっくり僕のカバンから血濡れのナイフが見つかったのである。
「そんな虚言が通用すると思っているのかね?」
「ほんとに!!!!嘘じゃ!!!!ない!!!!」
「静かに言い訳したまえよ!!!」
目の前の自称探偵は僕を犯人だと決め打ちしているようであり、このままでは情報収集はおろかやってきた警察に捕まって豚箱エンド。僕は清廉潔白で平凡でか弱い一般人なのでそれだけは避けなければならない。
「僕の服を見てみてくださいよ!!!血ィ着いてないでしょ?!」
「あっ確かに……だが着替えされすればいい事だろう?!」
「その着替えをどうしたかって話でしょうが!」
不毛な言い争いをしている最中、廊下を走るような足音が聞こえ屋敷の執事であろう老人が部屋に飛び込んできた。
「た、探偵様!大変です!屋敷と外の街を繋ぐトンネルが爆破され、警察が来れなくなってしまいました!」
「なんだとぉ?!?!」
「そして、奥様も、奥様の遺体が温室で見つかりました!」
「な、なんだとぉ?!?!奥様は取調べ開始時点で生きていただろ?!」
「えっじゃあ僕犯人じゃないじゃん!!この野郎なにが探偵だ!!!!心が傷つけられたから慰謝料払え!!」
こうしてあれよあれよという間に僕の容疑ははれ、パーティーの参加者改め容疑者達は屋敷に閉じ込められた。
「君の容疑が晴れた訳では無いぞ。奥様を殺してなくとも、主人を殺したかもしれない。」
「ぐっ……それなら慰謝料は勘弁してやる……。」
「だが、君への疑いは限りなく軽くなった。そこでだ。私に協力して真犯人を見つけださないか?」
「はぁ?!なんで僕が」
「いい新聞のネタになるだろう?それに見つからなければ消去法で君を警察に突き出す。」
そんな脅しともに僕はこの自称探偵と共同戦線を張ることになった。
屋敷で続く殺人事件とその真犯人の正体は、僕が警察に突き出されなければ新聞に載るだろう。
放つ言葉に力を込めて
「ヤダーー!!もうやりたくないー!!学校が爆破されればいいのになぁ!!そしたらやらずに済むのになぁ!!」
「君は言霊、というものを知っているかね?」
進まない問題集に文句を言う僕を見かねてか、先生はそんな問を投げかけた。
「コトダマ、ですか?ビー玉の類似品か何かで?」
どうやら僕の推測は的をはずれていたようで、先生はリズミカルに指で机を叩く。この行動をとる時、先生はだいたい不機嫌だ。
「言に霊とかいて言霊だ。かつてより日本で信じられていたものでね。言葉を声として発することで、現実の自称に影響を与える、言葉が持つ力だ。良い言葉には良いことが、悪い言葉には悪いことが起こる。」
そして先生が長い前置きをするときは、大抵その後に文句が続く。
「それで、言いたいことは?」
「問題集が終わらないだの爆破すればいいのにだの言ってそれが影響する前に、さっさと手を動かせ。」
「先生だって原稿をためて編集さんに怒られてた癖に。」
子気味よく鳴り響く破裂音。嵐のような怒号と雷のような悲鳴。あまりの騒がしさに耳を塞ぐ。
「さて、君の願った通り学校が爆破されている事だが……どう思っているのかね?」
「先生がコトダマとか言ったから本当になったんじゃないですか。」
「ああ言えばこう言う。君が大人しく課題をこなしていればテロリストに襲撃されず済んだんだよ。」
「別にテロリストとかは言ってないです。といいますか、なんで先生がここにいるんですか?」
「ここにいる友人にある本を届けに来たんだよ。君に会うつもりは無かった。今頃はカフェにでも行って優雅に紅茶でも飲むつもりだったんだ。」
「紅茶とか言ってマスターに講談でもたかるつもりだったんでしょう。」
実に愚かな現実逃避。僕が望んだのはあくまでも事故的な爆破であり、人死も建物の損壊も望んでおらず、真の望みは学校の臨時休校だったのだが。
嫌だ嫌だと言いながら学校に行けば突如教室に入ってくる黒ずくめの男たち。そこから始まる爆発カーニバル。阿鼻叫喚の中逃げ出して鉢合わせたのは頼りない作家で家庭教師の先生だったというわけで。僕も先生も特殊な家の生まれだったり秘密部隊の潜入捜査官だったりもせず、平々凡々、か弱い男の子なのでどうしようも無い。警察の到着を待つばかりであった。
そうもしている間に、悲鳴は近づいてくる。酷い硝煙と血の匂いが鼻をつく。先生の顔色も酷いもので、ただでさえ青白い顔色が死体のようになっている。
「デリカシーというものが無いのか君は。この状況で死体という言葉を言うな殴るぞ。」
「相変わらずのお口が聞けるということは元気ですね!まああと数分後には死んでるかもしれませんが!」
「君にはまず道徳教育をした方がいいようだ。」
「ああ、本当に君があんなことを言わなければ良かったものを!」
「過ぎたことはしょうがないですよね!撤回も出来ないですし……ん?」
言霊とは、言葉を声にすることで言葉を現実にする、事象に干渉する力だ。良い言葉は良いことを、悪い言葉は悪いことを。
僕が爆破しろと悪い想像を言葉にしたからテロリストに占拠され、爆破テロに巻き込まれた。
それなら、この状況を打開する良い言葉を声にすればいいのではないか。
「私の話し方が悪かったんだろうが、言霊は絶対に起こるものじゃないぞ。どちらかと言えば信仰と心の持ちようによるもので」
「とは言っても何を言えばいいんですかね。テロリストみんなすっころべとか?」
「話を聞け。まあ、それだと無力化出来ないだろう。すっ転んで気絶とかにしておけ。気休めにしかならないだろうが。」
たとえ気休めだろうと、頼りたくなるのが人の性。言わない言葉より言う言葉。1回奇跡を起こせたんだから、もう一度起こったっておかしくはないだろう。
どうか、この言葉が本当になるようにと祈りながら。放つ言葉に力を込める。
「テロリストがみんなすっ転んで気絶して警察にそのまま捕まりますように!」
柏手1つと共に放たれた言葉は、大きな打撃音と共に学校中へ響き渡った。
しんと静まり返った校舎には、確かな人の息遣いが木霊している。
先生はハンカチで口を覆いながら、教室の扉を開けた。
「嘘だろ。君超能力者か何かか?」
後を追うように外を除けば、重装備のテロリストが、地面に突っ伏していた。
とどめを刺すように、サイレンが近づいてくる。
「僕、超能力者かも知れないです。」
言霊が強すぎる生徒と巻き込まれる家庭教師の話。
向かい合わせ
「アナタには、ワタシが誰かを当てて欲しいんですよ。」
向かい合わせに座っている男はそう切り出した。“名前”という言葉を聞くと、何故か鼓動が早まるような感覚がする。その鼓動に合わせるように汽車が大きく揺れた。
「ですが、今のワタシとアナタは実質初対面。そこでアナタはワタシに質問をしてください。私はそれにはいかいいえで答えましょう。いわゆる水平思考クイズですね。」
夜の海、大切な人に会いに行く話
幼い頃から海が嫌いだった。光を反射して目を焼く青、冷たいような色をしてぬるい青、全てを包み込もうとするくせに何もかもを飲み込んでしまう青。その青が酷く美しくておぞましかった。
「来年の夏は海に行かないか?見せたいものがあるんだ。」
あなたをさらおうとするその青が、この世で1番嫌いだった。
夜の海は昼とは正反対だ。あれほど騒がしくて熱気に満ちていたのに、今はしんと静まり返って少し肌寒い。輝くような青も墨を垂らしたように濁って醜い。みんなを散々惑わせた癖に本性はこんななんだ。と、意思もない海に八つ当たりしてしまう。それだけ海が嫌いなんだ、許して欲しい。
こんなに嫌いな海に来たのは、親友と会う約束があったからだ。ソレがなければこんな所に来てはいない。
彼は私の唯一の親友で、私が唯一の友達だった。常に不機嫌そうな面で見るからに陰気そうな目。口をひらけば文句と理屈が出てくる、そんな人。しっかり付き合えば不器用で素直なだけで、優しく真面目な可愛い人だと分かるが、青春を生き急いでいた彼らは気がつく前に去っていった。私が親友といえる関係になったのも、たまたま相席した喫茶店で議論という名の口喧嘩をし意気投合したからであり、マウントを取れるような話では無いけれど。
彼は海が好きだった。その病的なまでに青白い肌と陰気な様子には似合わないが、常に海をモチーフにした何かを身につけている程には魅入られていた。
その海は、病室にもあった。
なんでも講義中に突然倒れたらしい。元から日陰で暮らしてきたような貧弱で体力のないやつではあったけれど、まさか倒れるほどだなんて思いもしなかった。
少し入院はするらしいが、まぁ揶揄してやるかぐらいの気分でお見舞いに行った。
青い花、青い鳥のキーホルダー、海の名前がついた本、他にも色んな海と青があった。中には見覚えのあるものや私があげたものもあった。そんな海にかこまれて、あいつはいつもどおり不機嫌そうな面をしていた。
「どうにも海に行きたくてしょうがないから、海を飾ることにした。」
「すごい、プリキュアにどハマりしたけどプリキュアにはなれない幼稚園児みたいな思考回路と部屋してる。」
と返したら近くにあったプラスチックのコップを投げられた。10センチも飛ばずに地面に落ちた。
「来年は海に行かないか?見せたいものがあるんだ。」
「泳げるようにプールに行っといてくれ。」
「別に海は怖くないんだろう?ならちょうどいい。」
「次こそ海に行ってみせるから、待っててくれ。」
彼は海に行くことなくその病室の偽りの海で生涯を終えた。
必死こいて習得したクロールも、海に行くついでに立てた旅行の予定も、何も見ずに死んで行った。
骨はあいつの家族の希望で海に撒くことになった。親しい友人として話していたようで、私も参加させて貰えた。
あいつは背が高い方で、ヒョロヒョロしていたけど場所をとって、邪魔だったのに最後には小さな壺ひとつになって、分けられて手のひらの上の粉になった。
そうして彼は海になった。
私にとって、彼は自覚している以上に重い存在だったようで、食事は味がしないし講義は頭に入らない。
彼が居ない世界はどうにも居心地が悪くてつまらない。
なので後追いすることにした。
彼はおそらくブチギレるだろうがその時はその時は共に逝くリュックに詰め込んだコーヒーで許してもらおう。
波を踏み潰して膝まで沈む。波は冷たく、死の気配がした。
波をかき分けて胸元まで沈む。磯の香りが鼻にこびりつく。あとどれくらいで私が死んで沈むのか考えた時、突然私より何メートルも高い波が視界を覆った。
濁流が流れ込む。冷たい水が体を押す。