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もしも過去へと行けるなら


彼女がここにいることは知っている。そして、私がここに来ない事も知っている。ここへ来たのはほんの気まぐれ、少しの休憩。知りもしない問の答えを聞くために、私は彼女の前に座るのだ。

私の数少ない友人は、ある日死んでしまった。交通事故だった。何でも、職場へ向かう最中にロードローラーに引かれたらしい。人と認識できないほどぺちゃんこになってしまったそうだ。何故ロードローラーがいるのか、引かれたのかは分からないがあいつらしい馬鹿げた幕引きだと思った。思ったが、納得は出来なかった。
もしも過去へと行けるなら、私はあいつに何をするだろう。何を言うだろう。どうやって、あいつを生かすのだろう。
結論はいつまで経っても出なかったので、実際にやってみることにした。正直タイムマシンの可能性など微塵も信じておらず、成功するとは思っていなかったが、とにかくやって納得したかったのだ。失敗して、全てを終わりにしたかった。タイムマシンが完成したのはあいつが死んでから2年後。丁度命日の日だ。

2回目
事故の数時間前に戻り、あいつを職場に向かわせないようにした。自宅のアパートでこっそり下剤をもり、トイレに監禁したのだ。交通事故さえ起こらなければ死なないと、そう思っていたから。
安心して今に戻ればあいつは死んでいた。何でもアパートにトラックが突っ込み、アパートごとぺちゃんこになったそうだ。事故の時刻は1回目と同じだった。
もう一度、タイムマシンを起動する。

3回目
事故の1時間前に戻り、同じように職場へ向かうのを妨害した。前回と違うのは直接関わることだ。
仕事へ向かおうとする彼女を無理矢理いつものカフェへ連れ込み、何とか引き止める。元々面倒くさがりでどこか雑な彼女だ。仕事に間に合わない事を悟ると、私に暴言を吐きながら連絡を入れる。
今日全ての食事代金を奢ることを約束し、別の話題に切り替え有耶無耶にする。議論好きなロマンチストはその話題に乗っかり、楽しそうに自論を語る。私はただひたすら、時間が過ぎて彼女が未来へ進むことを祈って聞き流す。
置かれたミルフィーユは緊張のせいで味がしない。けれど、平穏を装って、1口頬張り──投げ飛ばされる。
横からはキツイスポットライトが当てられ、世界が遅延する。投げ飛ばしたのは彼女だ。火事場の馬鹿力とでも言うのだろうか、普段の様子からは信じられない程必死の形相で、とんでもない力で、彼女から引き離される。
そして、スポットライトの主が、トラックが窓を突き破り彼女の時間は止まった。
居眠り運転だったそうだ。アクセルを踏んだまま、真っ直ぐ進みカフェへ突っ込んだ。彼女はトラックと店の壁やあれやこれやに挟まれてぺっちゃんこになった。初めて、彼女の死体を見た。
もう一度、タイムマシンを起動する。

何度起動しても、彼女は死ぬ。何故かぺちゃんこになって死ぬ。食べたミルフィーユと見届けた彼女の死体はゆうに100を超えた。

「もしもタイムマシンを使って過去を変えるなら、何時に戻るのが最善だと思う?」
彼女を引き止めようとしたとき、そんな話を振られた。何回目かは覚えていない。覚えていられないほどタイムマシンを起動した後だ。
「私はね、使わないことが最善だと思うよ。」
分からないと口を開こうとした時、そう冷ややかに彼女は告げる。彼女の目を見られなかった。
「学生時代こそ、タイムマシンの可能性を信じていたけれど。けれど過去は変えられない。変えられちゃ大変だ。」
きっと、彼女は勘がいいから気がついていた。私が何かをしようとしていること、そして自身に何かがおこることを。
「君が死ぬなら必ず死ぬし、私が死ぬならきっと死ぬ。そういうものなんでしょ。」
諦めなよ。諦めて、元の時代に帰んな。

そこへ戻ったのは、現実逃避の結果だ。諦めたくて、全てを終わりにしたくて、彼女の言葉は私が望んでいた言葉だ。そのはずだ。けれど受け入れられなかった。君ならまだ、タイムマシンを信じていて、過去は変えられると信じていると、そう信じていた。
彼女の死を見届けて、今へ帰って、呆然として。そうして無意識の下でやってきた過去だ。ここはまだ私たちが学生だった頃。彼女は強引なロマンチストで、私は頑固なリアリスト。この日は私がたまたま腹を下し、カフェに集うことはなかった。

彼女はいつもの席にいる。私が最後に見た姿より少し若く、私を見るなり
「君、お腹の調子は大丈夫?なんだかやつれているけれど。」
と、呑気に言ったのだ。

「もしタイムマシンがあったのなら、いつに戻るのが最適解か。」
ミルフィーユは食べ飽きた。というよりは彼女はカフェで死ぬことも多かったため、ミルフィーユにトラウマを抱いているというのが正直なところだ。
気分転換も兼ねて、普段は食べないカツサンドを注文する。彼女はいつも通り、ホットケーキとコーヒーを頼む。
「戻すのは前提なんだね。君にしては意外だ。」
学生時代の私は決定論、タイムマシンが実現したとして歴史の一貫性を壊すようなことつまり歴史改変は出来ないと主張していた。私は自他ともに認める頑固だから彼女からしたら主張を変えた、それだけで驚きと興味の対象になる。
「意外も何も、私にだって変えたい過去の一つや二つある。ただ、変えたい過去を最善の過去にするためにはどのタイミングに戻ればいいのかと。」
「変えたい過去、ねぇ。」
例えばお前が死ぬ過去とか、なんて口が裂けても言えなかった。

見慣れた、けれども記憶より少し若い店員がカツサンドとコーヒーを持ってくる。手の込んだホットケーキは何時だって議論の途中で現れるものだ。
メニューよりも美味しそうなカツサンドだが、今は食べることより話すことを優先したかった。彼女はいつも通り、コーヒーに角砂糖を5個入れる。正直に言えば、この極度の甘党であり糖分を常に供給されなければ済まない彼女は、事故なんかより甘いものを食べすぎて不健康になって死ぬと思っていた。
指先で持て余していた万年筆を頭に押し当てる。いつかの彼女に貰った、ただの万年筆。彼女が死んでからは何故か手放せなくなってしまった。
「結局のところ、そのタイミングの直前がいいんじゃない?あまりにも前過ぎると忘れてしまうし。」
「それで変えたい出来事に対応出来なければ意味が無いだろう。」
「それもそっか。」
直前も、1時間前も、前日も、その全ては最適解ではない。

彼女はコーヒーを付属のスプーンでかき回し、うんうん唸っている。何かを考える時、手にしたものを弄くり回すのは彼女の悪癖だ。
ゆっくりと時間が過ぎる。思えば、こんな穏やかな時間を過ごしたのは久しぶりかもしれない。いつだって、過去を変えるため奔走してきた。遡る間に生まれた時間だって、生きた心地がしなかった。けれどもここは平穏そのもの。少なくともトラックは突っ込んでこないしロードローラーだって現れない。
彼女はまだ死なない。死ぬまでにはあと数年の猶予がある。その猶予は酷く短く残酷だ。
「君は一体何を変えたいのか、その前提が分からなければ話し合おうにも話せない。そうだよね?」
「……確かにな。」
彼女の言ってることは最もだ。話し合うには前提条件が開示されていなければならない。
ただ、正直に言ってしまっても良いものではないだろう。過去を変えようとしている私が言えたものではないが、自分が数年後ぺちゃんこになって死ぬと知ったら、何が起こるか分からない。
悩んで、迷って、ため息をついて、少し暈して話すことにした。









7/24/2025, 4:19:31 PM