今日の空は何色か

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3/25/2025, 3:52:16 PM

お題 記憶

 「ちょいとそこのお兄さん、面白いもんがあるから見ていかないかい」

ビニール袋をガサガサ鳴らしながらアパートの階段を登っていたら、背後から急に呼び止められた。俺はつい、足を止めてしまった。

「これ、このタバコを吸うとな、いいもんが見れるんだよ」
「…」
「聞いて驚け、何とこのタバコ、自分の中に1番強く残っている記憶が煙の中に浮かぶんだ」

男はそう言って笑うと、持っていたタバコを吸い、煙を吐き出した。すると、煙の中に男が浮かんだ。煙の中でも男は笑っていた。数人の仲間に囲まれて、楽しそうに。

「あの頃は楽しかったなぁ。あいつらとやる仕事が、楽しくて仕方がなかった」
「…」
「今となっちゃあ、バイト終わりの一服が僕の唯一の楽しみだけどね」

男はそう言ってまた笑う。お兄さんも一服どうだいと男が言うので俺は仕方なく、一本受け取って火をつけた。本当は、少し、期待していた。一瞬だけでも楽しい記憶を思い出せたら、最後に少しは軽くなると思った。しかし、そんな願いは虚しく散った。わかっていた。俺の記憶は、不安と恐怖と過労と涙でドロドロだ。男は黙って見つめていた。ひどく惨めな気持ちになった。いっそのこと、さっきみたいに笑ってくれたら良かったのに。

「…なぁ、お兄さん、一旦僕と休憩しないか」
「…は」
「いっぱい、耐えて来たんだろ。辛かったなぁ」
「…な、に…急に」
「明日桜を見に行くんだ。お兄さん、ちょいと人助けをすると思って付き合っておくれよ。今日はそうだな…星を見よう。僕の好きな酒だが、ご馳走するぞ」

男は勝手に話を進める。俺はいいなんて一言も言っていないのに。桜とか星とか酒とか、釣り、映画、スキーもいいな、なんて、冬は終わったばかりなのに。ビニール袋からロープがこちらをのぞいている。やめてくれ。もう決めたのに。

「…その袋、僕が持ってあげるから、今は泣きなよ、思いきり」

軽くなった手のひらがぼやけて霞む。とめどないそれが止まる頃には星がきらりと瞬いていた。男がくれた酒を口に含む。久方ぶりに味がして、嬉しくて、明日が少し、楽しみになった。

3/25/2025, 4:24:51 AM

お題 もう二度と

 こんこんこん。ドアを叩く音がした。この時間、父も母も仕事で居ない。まあ、私もいつもなら学校に行っている時間なのだが、今日はどうにも体調が悪くて休みを取った。先ほどまでちょっとぬるめのお風呂くらいの体温だったのが、解熱剤のおかげで今は微熱程度まで回復している。…というのはどうでもよくて、音だ、問題は。明らかに3回ノックされた。私しか、いるはずが無いのに。覚悟を決めて恐る恐るドアを開ける。

「どうも。タコです。中に入れてくれませんか」

ドアの先には、自称タコと名乗るよくわからない生物がいた。どこから入って来たのやら、そこそこ場所を取りそうなそれは、ぬるりと毒々しい色の触手を挙げて私の部屋の前に佇んでいた。そのままにしておくこともできず、部屋の中に招き入れる。

「…私風邪ひいてるから長居されたら困るんだけど」
「大丈夫。僕はタコなのでうつりません」
「私が困るんだってば…。ところで何しに来たの」
「今夜海に帰るので、どこかで暇を潰そうかと…」
「今すぐ帰れ」

聞くと、自称タコと名乗る謎生物は観光のためにわざわざ陸に上がってきたらしい。図々しい態度が少々癪に障るが話し相手が欲しかったのも事実だったので、彼の暇つぶしに付き合ってあげることにした。謎生物の話は意外にも面白くて、気がつけば空が夕焼け色に染まっていた。

「あんた話すの上手いね。あっという間だった」
「光栄です。もう二度と会うことはないでしょうが、最後に会えたのがあなたでよかった」
「…最後だと思うとなんか寂しいや。私も楽しかった。気をつけて帰るんだよ」

謎生物はうにょうにょ動きながら器用に壁をつたって外に出て、楽しそうに帰っていった。観光の最後にいい思い出が作れたのなら良かったと思いながら、私は窓の鍵を閉めた。その1週間後。

「…もう二度と会えないとか言ってなかったっけ」
「陸で暮らすタコがこの世に一匹くらいいてもいいかなって」
「私の感動を返せ」

自称タコは戻ってきた。キレのあるツッコミを彼に浴びせながらも、私の口角は上がっていた。

3/22/2025, 4:51:42 PM

お題 bye bye…

 狐は人に化ける…なんて、そんなの、本の中の話だと思っていた。ついさっきまでは。山菜を取りに森に入ると、…どろん!という音が聞こえて、慌てて辺りを見渡せば、狐の耳が生えた、何とも不完全な人間がポツリと立っているのが見えた。

「…で、あんたは変身の練習中ってわけか」
「そうだけど、お前、少しは驚いてくれよ。化け狐だぞ」
「驚いてるよ。感情が顔に出にくいだけ。それよりあんたこそ、今どきの若造が山菜取りにきてるんだからうんとかすんとか言ったらどうなの」
「そういえばそうだよ。何してんだよお前、危ないだろこんな山奥に1人で。人間は脆いんだぞ、怪我したらどうする」
「それはごめん。いけると思ったんだ」
「…急に素直になるなよ…」

狐は案外ノリが良いらしい。今日初めて会ったのに、ずっと前から知り合いだった気がする。

「なにか人の体でできるすごいことって無いの」
「すごいこと…あ、身振り手振りだけでコミュニケーションをすることができるよ、人間は。例えばこうすると…さようならって意味になる」
「へぇ!そりゃすごい。…こうか?」
「そうそう。上手いじゃん」

なかなか上達しなかったからか、かなりモチベーションが下がっている様子だったので、咄嗟に浮かんだ、1番身近なジェスチャーを教えてみる。すると途端に目が輝きだし、僕の真似をして手を動かし始めた。

「ありがとな。なんか、変身楽しくなってきたわ」
「あんた、ちょろいね」
「狐が感謝してやってんのにお前は…。てか、そろそろ帰れよ。もうじき雨が降るぞ」
「え、うそ、なんでわかるの」
「狐なめんな」
「せっかく仲良くなれたのに…もうお別れか…」

狐の言うとおり、来た時は青かった空はどんよりした灰色に染まっていた。こんなに気の合うやつは初めてで、柄にも無く、泣きそうになる。ここで子どもみたいに地団駄を踏んで喚いたら、もう少しそばにいてくれるだろうか。

「…なぁ。来ればいいだろ、明日も明後日もその次も。そのためのこれ、なんじゃねえの」

狐は僕に向かって手を振った。先ほど僕が教えたばかりの、さよならの挨拶だ。

「そうか。…そうだね、来て良いのか。うん、来る。明日もここに来るからね、僕」
「おう、待ってる」

僕は手を振った。狐も手を振った。遠くで響く雷が、明日の自分を祝福してくれているみたいで、どんよりした空とは裏腹に、僕の足取りは軽かった。

3/22/2025, 3:29:02 AM

お題 君と見た景色


 初めて、家出をした。今は何時だったかしら。思い出せない。けれども辺りは真っ暗で、街灯の光がやけに眩しくて、だからきっと、真夜中。真っ暗な公園のブランコに腰掛けて、ゆらゆらと揺れてみる。あれはいつだったか、こうしてゆっくり揺れながら誰かを必死に見つめていた気がする。

「なにしてる、ここで」

ぼうっと闇を見つめていたら、急に声をかけられた。

「家出をしたの」
「…なぜ家出をする」
「…わからないわ。なぜだったかしら」
「隣、いいか」
「ええ、もちろん」

ぶっきらぼうなその人は、隣のブランコに腰掛けた。暗くて顔はよく見えないけど、探し物が見つかったような、そんな顔をしている気がした。

「あなたこそ、何者なのよ」
「…忍者だと言ったら信じるか」
「信じてもいいけど、バレちゃったら仕事に支障が出るんじゃないの」
「…たしかに」
「あなた、変な人ね。結構好きよ、そういうの」

私がそう言って笑うと、忍者は驚いたように固まった。何か、おかしなことを言ってしまったのだろうか。

「…同じ事を言う人がいる。とても大切な人だ。その人が笑ってくれるから、俺はこうしてここに来る」
「私もあなたみたいな人を知っている気がする。思いもよらないことで笑わせてくれるから、目が、離せなかったの」

真っ暗な公園に色がついた気がした。この景色を、忘れたくない。忘れたくないのに。

「大丈夫。大丈夫だ。だから、帰ろう」

そう言って差し伸べられた忍者の手は、私と同じくらいしわしわで、鼻の奥がツンとする。握ったその手は闇夜を溶かす蝋燭の灯りみたいに暖かくて、柔らかかった。

3/20/2025, 1:59:51 PM

お題 手を繋いで


 夢中になると、今その時に全力を注いでしまうのは私の悪い癖だ。現にこうして私は今、写真撮影に夢中になった結果、迷子である。いい年した大人が、夕暮れ時に。どうしても写真が撮りたかった。綺麗な蝶を見つけたのだ。撮れると思ってしまったのだ。撮れなかったが。頼みの綱であるスマートフォンはついさっき充電が底を尽きた。全くどうしてこうなった。

これは腹を括らなければいけないな、と思う。幸運なことにここは住宅街。恥ずかしいが背に腹は変えられない。勇気を出して呼び鈴を鳴らし、道を聞こう。周りを見渡せばどの家も温かみのあるあかりが灯っていて、私はそのうちのひとつに、吸い込まれるように手を伸ばした。

「そこはダメ」

ぎゅっと反対側の手を引かれ、思わず振り返る。ドールハウスから出てきたみたいな乙女心くすぐられる格好の女性が険しい表情をして、私の手を引いていた。

「あ、その、私迷っちゃって、スマホも使えなくて…」
「でしょうね。でも、そこも、あそこも、あの家も…とにかく全部ダメだから」
「はい…すみません…」
「ついてきて。ここから出たら帰れるでしょう」

そう言って、彼女は私と手を繋いだまま歩き出した。私は黙って彼女の後に続いた。数分ほど歩くと、見慣れた大通りに出た。あっさり見つかった帰り道に先ほどまでの苦労は何だったのだろうかと頭を抱えたくなる。

「わざわざありがとうございました。スマホも使えなくて、困っていたので助かりました」
「たまにいるのよ。複雑だからね、ここって」
「ひとつお聞きしても?」
「なあに」
「…どうして、呼び鈴を鳴らしてはいけなかったんでしょうか、ここには何かルールがあるんですか?」

不思議だった。道を尋ねることがそんなに悪いことなのか。だとしたら認識を改めなければならない。そう思って、何気なく聞いたことだった。彼女は急に真顔になった。私の背中を嫌な汗が伝って落ちる。

「…食材がわざわざ歩いてきてくれたら、便利なことだと思わない?」

瞬きをした次の瞬間、もうそこには住宅街なんて無くて、もちろん彼女も、いなかった。握り締めていたスマホが振動する。充電は72パーセント。道を検索するには、充分すぎる残量だった。

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