「祭りが明けて」
今日は一日できるだけ声を出さないようにしようと思いながら、バスから降りる。
幸いなことに、家を出てからここまで会話をする必要はなかった。
学校前のバス停から校舎へ続く並木道は、色付いてきている。
ぼんやりと眺めがら歩いていると、ふいに名を呼ばれ、肩を叩かれた。
文化祭の準備期間、なんだかんだで話す機会が増えたクラスメイトだ。
ぺこり、とお辞儀をして応える。
「いやー、文化祭が終わったら一気に寒くなったな!」
そう言う彼の声は掠れている。
あぁ、私だけじゃなかったんだ。
昨日は、一日中呼び込みしたり、ライブで盛り上がったり、後夜祭で歌ったり……楽しかった。
その時間も、そのあと残った疲れも、この人と共有している。なんだかまだ夢を見ているみたい。
彼は自分の声のことをまったく気にしていないようで、私の隣の位置をキープしながら、ひっきりなしに話しかけてくる。
「なーんか、今日リアクション薄過ぎねぇ?具合悪い?」
覗き込まれ、心臓が飛び出そうになった。
思わず顔を背ける。
「それとも、俺のこと嫌い?」
いや、ちょっと待って。なぜ顔を近づけてくる?
近い!近いって!
「……ちが……こえ、あんま……でなくて……」
蚊の鳴くような声になってしまった。恥ずかしい。
「良かったぁ。せっかく仲良くなれたのに、嫌われたかと思った」
どくどくと、自分の心臓の音がうるさい。
期待しちゃダメ。
この人は、ただ、クラスメイトと仲良くなりたいだけ。
クラスの中心人物で、誰に対しても優しい彼のことを、ずっと密かに見ているだけだった。
彼は私と話したかったと言っていたけど、こうして気軽に話す関係になりたかったのは、私の方だ。
文化祭の準備で話すようになったけど、気がついたらそれ以上のことを望んでしまっていた。
それくらいは自覚している。
「片付け終わったあとの打ち上げ、来るよね?」
こくり。頷くと、彼は嬉しそうに笑った。
────声が枯れるまで
「一目惚れからじゃない」
「いい加減に顔で好きになるのやめたら?」
恋愛小説ならエモいラブコメ展開があってもおかしくない、男女の幼馴染という関係。
だが、私たちにはそういうことは起こらない。
「そうは言ってもなー、やっぱ女は顔だと思うんだよ」
「サイテー」
「そういうお前だって、イケメンは好きだろ」
「まあ、観賞用としては、ね。でも彼氏にしようとは思わない」
「へーえ」
「私は、あんたと違って中身重視なの!」
「中身なんて、見ただけじゃわかんねーだろ」
「だから、会話して、何度もデートして、知っていくんじゃん」
「そういうもんなのか」
「そうだよ」
彼はとても惚れっぽい。
それだけではない。
彼の恋は長く続かないのだ。
いつも彼の一目惚れから始まって、猛アタックして付き合う。
そして、二週間経たないうちに別れる。
原因は、毎回同じ。
性格や価値観の不一致。
「その言い方だと、何度もデートしてるのか、お前」
「……まぁ、誘われれば。生理的に無理な相手以外なら」
「マジかよ」
「なに、そんなに意外?」
「あーいや、その……俺以外にもお前のこと、可愛いって思うヤツいるんだと思って……」
「バカにしてんの?」
どうせ私は、あんたの元カレたちに比べたら地味で可愛くないよ!
「いや、だからその、他にもお前のこと好きなヤツがいるんだと思うと、ちょっと焦ったというか、嫌な気分になったつーか……」
見たこともない表情を浮かべる幼馴染。
私は彼と距離を取ろうと一歩下がった。
「な、なに言ってんの……」
なぜ、私の胸は高鳴っているんだろう。
こんなヤツ……違うのに。
私の好みではないのに。
「一目惚れからじゃない『お付き合い』してくれねーか?」
────始まりはいつも
「学園一の美少女は平穏を望む」
クラスの女子たちが歓声をあげる。
校庭で男子たちがサッカーをしていて、彼がゴールを決めたのだろう。
今すぐ窓に駆け寄りたいのを堪える。
「やっぱ、王子かっこいー!」
『王子』というのは彼のあだ名だ。
生粋の日本人で庶民なのに、なぜかそう呼ばれている。
彼の活躍に湧くクラスメイトとは対照的に、自分の席に座り本を読んでいる私。
それを見て、友人はため息をついた。
「ほんと『王子』に興味ないのね。勿体無い」
そして、このあと言うことは、誰も、いつも同じ。
「二人並べば美男美女で絵になるのに」
私は図書室に行くからと席を立ち、廊下に出た。
学園一のイケメンでサッカー部のエース。性格も良く、友人も多い。しかも成績優秀で東大現役合格も夢ではない、と言われている彼。
そんな男女共に人気ナンバーワンの『王子』に、私はまったく興味がない──ということになっている。
図書室のある別館へと続く渡り廊下に出ると、ひんやりとした空気に気持ちも引き締まるような気がした。
窓から見えるのは、澄んだ青い空。
向こうから、彼が歩いてくるのが見えた。
珍しくひとりだ。
一歩、二歩、三歩……
だんだんと近づいていき、目を合わすことなくすれ違い、遠ざかっていく。
平穏な学園生活を維持するため、高校では他人のフリをする。
それが、私が彼と交わした約束だ。
────すれ違い
「あっぱれ」
「眩しい……」
呟いて汗を拭う。
見上げれば、すっきりとした真っ青な青い空。雲は遠い山の方に見えるくらいだ。
明日から文化祭。
俺たち文化祭実行委員は、校門から校舎へ続く道にゲートを設置する作業をしている。
「ねぇ、知ってる?」
隣のクラスの実行委員の女子が俺に話しかけてきた。
「なにを?」
「『あっぱれ』って『秋晴れ』が語源なんだよ」
そう言って彼女は胸を張る。
揺れるふたつの膨らみを視界に入れないようにしながら、わざと気のない相槌を打つ。
「なーんて。嘘だよー」
「そんなことだろうと思った」
揶揄いやすいと思われているのだろう。
彼女は毎日のように損にも得にもならない「嘘豆知識」を披露してくる。
「本当はね『あわれ』が語源なんだよ」
「……」
「そんな目で見ないでよ。これは本当!」
「あぁそう」
「本当だってばぁー!」
何がそんなに嬉しいのかわからないが、楽しくて仕方ないといった顔をしている彼女。
それに対して、微笑ましいと思う自分は何なのだろう。
あぁ、そうか。
納得したら、笑えてきた。
「な、なに笑ってるの〜?」
「いや、五歳の従姉妹と同じことしているな、って思って」
「ええ……ひどっ……五歳児じゃないしー!」
やたらと大きな五歳児に腕を掴まれた俺を、同じ実行委員のメンバーたちが呆れたような目で見ている。見せもんじゃねーぞ。
「あーはいはい、十五歳児でしたね」
「ちがーう!」
────秋晴れ
「初恋の話」
中学の入学式で一目惚れをしたその子は、男子生徒たちの間で可愛いと話題になっていた。
残念ながら、俺と彼女は別のクラスだったが、百人中百二十人は美少女だと言うであろうほど可愛い彼女の情報を得るのは難しいことではない。
彼女本人は極力目立たないように心がけて生活しているのだろう。図書委員、美術部所属。休み時間はひとり。読書しているか窓の外を見ながらスケッチブックに向かっている。
父親が大病院の院長だとか、母親が有名デザイナーだとか、幼少の頃から婚約者がいるだとか、様々な噂があったが、裕福な家庭であることは事実だと、彼女と同じ小学校出身の生徒が言っていた。
孤高の美少女。深層の令嬢。高嶺の花。
彼女はまさにそんな存在であった。
話しかける猛者もいたが、誰ひとり彼女の関心を惹くことは出来ず、卒業。
卒業アルバムを見るたびに、彼女はどんな美しい女性になっているだろうかと懐かしむこと十数年……
ある日、俺は彼女の個展を観に行った。
たまたま情報を知った同級生から教えてもらったのだ。
芸術とは無縁なので知らなかったが、彼女はその界隈ではかなり有名なアーティストだという。
じっくりとプロフィールを見ていく。
そうか、結婚して子供もふたりいるのか。
がっかりしたような、安心したような、妙な気持ちになりつつ、彼女の作品をひとつひとつ見て回った。
「遠いところ、ありがとうございます」
聞き覚えのある声。
視線を向けると、美しい女性が知り合いと思われる来場者に微笑んでいた。
あの子だ。
年を重ねても変わらない彼女。
思わずため息が漏れた。
中学の同級生だったなど名乗られても、彼女は俺のことなど覚えていないだろう。
俺は何枚かポストカードを購入し、会場を後にした。
「────というわけで、初恋の子の話は終わり。つまり、何も無かったというわけだ」
「マジで先輩の初恋話、つまんないっすね」
「だから聞いてもつまらんと言っただろう」
それを無理矢理聞き出した会社の後輩をチラリと睨む。
「じゃあ、次はあたしの初恋話しましょうか」
ニヤニヤ笑う彼女を制す。
「いや、聞きたくないな」
「なんでですか!」
そりゃ、今惚れている女の過去の話なんて知りたくないからに決まってるだろう。
────忘れたくても忘れられない