天使が堕天すると、その輪と翼は穢れた黒に染まる。
もしくは、輪と翼を失って、死の概念を持つ人間にされる。
そうして、どこかに封印されたり、行く宛てもなくさ迷い続けたり、息絶えたり…悪魔の仲間として寝返ったりするのだとか。
沈められる時はまだ白かった私のも…きっともう、とっくに黒くなっちゃったかな。
けれど、光のほとんど届かないこの場所で、私がそれを確認する術はない。
…確認できたところで、何ができるわけじゃないし。
悪魔を庇って、仲間を見殺しにした、天の裏切り者。
そんな私は罰として、枷を付けられて…深い深い湖の底に沈められた。
堕天したとはいえ天使の身体のままだから、溺死もしないし、餓死もしない。
暗くて、冷たくて、静かで、ひとりぼっち。
ずっとずっと、このまんま。
(「天死の湖」―黒白 入鹿―)
「ねぇ、たまには地上でお月見しない?」
その言葉に、あたしは一瞬 言葉を失った。
逢魔時から黎明にかけては、悪魔が活発に動く時間。…とはいえ、それだけなら、自我さえしっかり保っていれば襲われることはない。
ただ、あたしは「仲間殺し」…人間で言うところの殺人を犯した悪魔だ。そしてあたしにお月見を提案してきた彼女は、あたしの契約者…悪魔視点で見れば、罪人を匿う共謀者だ。
追手共から逃れるために、私達は地上を捨てて、空島へと移り住んだのに…わざわざ夜の地上に降りるなんて、自ら見つかりにいってるようなものじゃない?
「…まぁ、心配なのはわかるよ。危険なのは、百も承知。でも、私だってこの数年でだいぶ強くなったはずだし……たまには二人で、空島では見れないような景色を楽しみたいから」
柄にもなく顔に出てたみたいで、彼女は困ったような笑みでそう言葉を続けてきた。
…まぁ、確かに。契約直後の彼女に比べれば、今の彼女の力は比にならない。仮に悪魔に襲われたところで、今の彼女なら返り討ちなんて容易よね。
彼女の強さは、あたしが一番間近で見てきたしね。
地上に降りたあたしは、彼女にナビゲートされるまま足を運ぶ。そうして小高い坂を登りきったあたしの前に、金色の海が広がった。
…いえ。海に見えるけど、あれは草ね。草なはず、なのだけど…月光を反射して、キラキラと輝いて…とても草とは思えないほど、綺麗…。
「ねっ、地上でのお月見もたまにはいいでしょ?」
「…フフ、そうねっ。」
地上から見る月は、空島の月よりも小さくて、白くて、模様もなんとなくぼやけてた。
でも、金色の海には…その小ささと色がちょうどいいような、そんな気がした。
(「空島」―悪魔と契約者―)
初めに異変が起きた日から、今日は何日ほど経ったのか…。
管理者として日付感覚を狂わせるのは如何なものか、とは自分でも思うが、とはいえ私も身体は人間だ。時の流れの異なる世界を短いスパンで行き来すれば、どうしても時間感覚が混交してしまう。
まぁ幸い、異変収束の為に自ら立ち上がった者達がいたので、この世界での表立った行動はそっちに任せている。異世界に迷い込んだ経験を持つ彼らだ、わざわざ私が加勢しなくとも、命を落とすようなことはないだろう。
…いや、加勢する必要はもうない、と言った方が正しいか。
光の消えた四白眼で、目の笑っていない笑顔だけを顔に貼り付けながら、私に対する黒い感情をその瞳から垂れ流す黒幕が。
私というたった一人を見つける為だけに、この世界の秩序をかき乱し、多くの人間を捨て駒として利用した、人の姿をした人ならざる存在が。
私の目の前に、いるのだから。
……世界が、二つに分かたれる前。
「一つ前の世界」で、私と対となって世界を守護していた存在。
感情や衝動を司る私に対して、理性や秩序を司っていた、私の片割れ。
無愛想な私に対して、表情豊かだったはずの彼女。
だが、その面影は…目の前の彼女には、どこにもない。
…なぜ、そんなにも変わり果ててしまったんだ?何がお前を、そんな醜い存在に堕としたんだ?何を思って、お前はこの世界を…
…いや、無駄なことは考えるのはやめよう。
「一つ前の世界」は、もうとっくに消え失せた。あの世界のことを覚えてるのは、目の前にいる彼女を除けば、管理者である私くらいしかいない。
それに、彼女…否、ヤツは、私を殺し、この世界を書き換えようとしている。…この世界の、破壊者だ。
私はヤツを消さねばならない。この世界の、管理者として。
(『無題』―守護者だった管理者と、守護者だった破壊者―)
人間は、人間の顔の狂いによく気付くという。でもその実、顔全体を見ているのではなく、向かって左半分しか見てないのだとか。
向かって右に来る左目は、透き通ったピンク色。でもよく見てみると、反射光の表現か、あるいは視線を引く為の描き込みか、いろんな色彩が隠れている。
向かって左に来る右目は、描き途中。綺麗な左目をくすませちゃわないように、うんと綺麗に描かなくちゃ。
…でも、現実はそううまくはいかなくて。
まつげをもうちょっと短くしようとすれば、肌の色を塗りすぎて。
目をもうちょっと大きくしようとすれば、 白目を作りすぎて。
瞳をもうちょっと複雑な色にしようとすれば、差し色の主張が激しくなって。
透明水彩じゃないから上から塗り潰せるとはいえ、色が濁っちゃうからある程度は絵の具を乾燥させないといけないし。
平坦なキャンバスに描くのと違って、立体的な顔に描くのは筆の動かし方を変えなきゃいけないし。
鏡越しだから頭がこんがらがっちゃって、変な描きミスが頻発するし。
…というか、こんな複雑で綺麗な色、どうやったら作れるの?
何色でどう描き込んでいったら、こんなハーモニーが生まれるの…?
私以外の、私よりもっと上手い誰かに描いてもらうことも、考えはした。でも私の周囲に人物画を描ける子はいなかったから、自分でやるしかなかった。
もしかしたら、外に出て探せば誰かしら見つけられたかもしれない。けれど、この状態のまま外に出るのは…私がイヤだった。
人間がお化粧をバッチリ済ましてから外出するように、私だって完成してから人目に触れたかったから。
…でも、ごめんね、お父さん。
せっかく、右目を描き直そうとしてくれたのに。
その想いを無下にしないように、私もずっと頑張ったけど…。
お父さんの腕が凄すぎて、私じゃちっとも再現できなかったよ。
私の右目、私の肌の色で、全部塗り潰しちゃった。
(「みらみゅーじあむ」―甘い誘惑―)
私は、人間として、この社会に踏み入った。
貴方は、妖精として、この社会に踏み入った。
私は、偽りの名で、偽りの姿でステージに立っている。
貴方は、自分の名で、そのままの姿でステージに立っている。
私は、歌に妖力が多く宿っていることを、隠している。
貴方は、歌に魔力があまり宿っていないことを、公表している。
「Ayaneさんは強い人なんですよ。心ない言葉や強い言葉を言われても、上手く受け流して、全く傷つかないんです。私はまだそれが出来なくて、今でも落ち込んじゃった時は、いっつもAyaneさんに励ましてもらっているんです」
MCからの問いかけに、貴方はそう答えた。
「妖精っていうと、こう…概念を司っているようなイメージがあるじゃないですか。私もそのイメージを持ってて、人間がとやかく言っても気にも留めないだろうなって思い込んでたんです。素人は黙っとれ、みたいな感じで(笑) …だから、最初に彼女から相談を受けた時はちょっとビックリして。ただそれで、あっ、妖精も人間と同じことで悩んだり落ち込んだりするんだって。妖精だからどうの人間だからどうのっていうのは、思い込みだったんだって気付いたんです」
貴方の言葉に、私はそう続けた。
"人間としての私"として。さも人間であるかのような物言いで。
実際のところは…偽り続ける私よりも、偽らずに真っ向勝負する貴方の方が、よっぽど強いと思っているのだけれど。
…私の思い込みかしら?
(「精楽の森」―精楽 妖音―)