【未知の交差点】
深夜零時が近づくと、不思議と散歩がしたくなる。
冷たい空気の中、ゆっくりと深呼吸をする。
人も車も姿を消して、家の灯りも消えている。
まるで別の世界に迷い込むような感覚。
徒歩で行ける距離などたかが知れている。
とはいえ、近所にも通ったことのない道がある。
なるべく覚えのある、真っ暗でない道を選んで歩く。
本当は街灯のない小道なんかを通りたい。
レトロに舗装された脇道の前で足を止めた。
この道はどこに繋がっているのだろうか。
私の知っている場所か、はたまた行き止まりか。
湧き上がる好奇心に抗って散歩を再開する。
見慣れた街は昼間とは違う姿を見せる。
ライトに照らされた看板とか、24時間営業の店とか。
普段なら気に留めないものに目がいく。
そういう新しい発見こそが、夜の散歩の醍醐味だ。
せっかくの夜に他者と行き違うのは苦手寄り。
先に存在に気づけば手前の横断歩道を渡った。
昼間でも割と苦手寄りだけど、夜は積極的に避ける。
世界を独占するような気分を邪魔されたくない。
散歩の時、私はスマホと少しの現金を持ち歩く。
夜の自動販売機はなぜか魅力的に思えるものだ。
変なジュースなんかを見つけると嬉しくなる。
だから、あったら必ず確認することにしている。
帰路にて、対向車線の歩道に自動販売機を発見した。
周りが暗いので、そこだけ浮いているように感じる。
近くに横断歩道は見当たらないが、車の音もしない。
今だけ今だけ。自分に言い訳して駆け足で渡った。
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───── お題とは関係ない話 ─────
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【夢日記】10/11
僕は親を亡くした、孤独な学生だった。
主観の映像は、昼中の登校シーンから始まる。
少しして、僕は休み時間の教室を歩いていた。
映像作品の場面の切り替わりのように唐突だ。
人は多いのに、遅刻した僕を誰も見ていない。
そして鞄を手に帰ろうとする僕を誰も止めない。
気にしていないというより、見えていない感じだ。
僕はそのまま教室を出てコンビニに向かった。
公共料金ほか払込みは専用のアプリで確認できる。
もちろんネットショップやフリマなどは含まれない。
表示されるのは、税金や期限厳守のものだけ。
アプリ内で電子バーコードの利用も選択可能だ。
今日の目的である支払いを済ませてコンビニを出る。
五万円の出費なのでなかなかの痛手だ。
だが、これでしばらくは何も無いだろう。
アプリを確認すると、なぜか残1件となっている。
帰宅後、机に置かれた未納の払込用紙に気がついた。
公共負担込み支払額は、なんと503,000円。
目を見開いてよく見ると、実費負担は19,000円。
展示をされない方へ。キャンセル料との記載がある。
展示とは美術の作品のことだとすぐに思い至った。
僕は授業を休みがちで、その制作時間も休んでいた。
少し前に同じ展示のキャンセル料を支払ったばかり。
金額は違うけどまだあったのか、と頭が痛くなった。
まあ、いいか。親の遺産でお金は足りているし。
そこで、ふと疑問に思う。展示ってなんのことだ?
すべて夢だった。僕の現状も境遇も、複数の出費も。
ただ、あのアプリは現実にもあると便利だと思った。
【一輪のコスモス】
洗練された美しさのたとえは多く存在する。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。
いずれ菖蒲か杜若。高嶺の花である、石楠花。
どれも彼女を言い表すのに相応しい花だ。
必死に手を伸ばしても届かない、遠い存在。
今の彼女しか知らなければそう思うだろう。
だが、麗しくあるためには手入れが必要だ。
その手入れをする誰かが、たまたま僕だった。
僕と彼女の出会いは中学時代にさかのぼる。
当時の彼女は、今とまるで違う姿をしていた。
性格や品の良さはそのままだが、主に容姿が。
メガネを掛けた目は前髪で隠れ、寝癖がそのまま。
彼女に話しかけたきっかけは、おませな妹だった。
その頃、僕は連日ヘアアレンジをさせられていた。
初めは嫌々していたそれに興味が湧いてきて。
「髪触ってもいい?」彼女は呆然としていた。
いや、うん。我ながらどうかしていた。
始業前の教室に二人きりだからこそ良くなかった。
慌てて事情を説明する僕は無様だったことだろう。
だけど彼女は意外にも「好きにしていいよ」と言う。
僕のアレンジを彼女は気に入ったようだった。
次は彼女から声をかけられ、また始業前の教室で。
人は見た目が八割とは、まさにその通りだと思う。
容姿を整えただけで一気に目を引く存在になった。
高校入学を機に、彼女はコンタクトに変えた。
前髪を切り揃え、隠していた泣きぼくろが露出する。
彼女が視線を集めると誇らしげな気持ちになる。
綺麗だろ、彼女は僕の花なんだ。
【秋恋】
あ、言っちゃった。そんな顔で君は口を抑えた。
まんまるの目が不安げに私の反応をうかがっている。
反射的に目を背けた。面映ゆくて頬に熱を感じる。
明らかな独り言なのに慈しむ響きがあったから。
いつから、なんて考えてもわからない。
もう一度目を向けると、暗い顔で俯いている君。
勘違いさせてしまったのだと気がついた。
「ご、ごめんね」咄嗟の言葉でまた傷つけてしまう。
悲痛な表情の君を眼前に、私の頭が真っ白になる。
「ち、違う。違うの。ごめんねってそうじゃなくて」
どう言えばいいのか。焦りで言葉が見つからない。
でも、誤解を解くのは今でないと。「……嬉しくて」
私の小さな呟きひとつで、君は花咲く笑顔に変わる。
本当に? 信じられない、って喜びが溢れている。
「嫌でなければ、手、繋いでもいいですか……?」
探り探りの距離感。初々しい照れが伝染する。
そっと差し出した右手に、君は大切そうに触れる。
宝物に触れるような手つきがくすぐったい。
ぎゅっと握れば、君もゆっくりと力を込めた。
それだけで、心臓が暴れて落ち着かない。
「戻ろっか」なんとか現実に意識を引き戻す。
買い出しのためにサークルの集まりを抜けてきた。
あまり遅くなって変に揶揄われるのは嫌だ。
踵を返すと、繋ぎっぱなしの手が控えめに引かれた。
「もう少しだけ、歩きませんか?」
君のお誘いに頷き、寄り道の終わりを引き伸ばす。
日の入りが早くなり、風も冷たくなってきた。
だけど。君の体温に触れていれば、寒くない。
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───── お題とは関係ない話 ─────
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【夢日記】10/9
大きめのボックス車の二列目に私は座っていた。
前後に男性が二人ずつと、右隣に髪の長い女性。
真横の扉が開いて、眼鏡の男性が入ってきた。
遅刻してきたその人は私と女性の間に座る。
「なにその大荷物」助手席の青年が白い目を向けた。
「あ、聞いちゃう? いいよいいよ、これはね」
ウキウキと眼鏡の男が膨らんだリュックを漁る。
「とりあえず出すぞ」最年長の男が車を出発させた。
七人も乗っているのに、不思議と車内は広く感じる。
動き出した後も眼鏡の男は次々と荷物を散らかす。
青年はハナから興味がなく、とうに前を向いている。
後部座席にいる双子の学生はスマホに夢中だ。
両隣の私と女性が標的にされて共にうんざりする。
傍聴者がいなくても需要のない荷物紹介は続く。
眼鏡の男は心配性なのか、無駄な荷物が多い。
外を見て聞き流していたが、ある言葉に耳を疑った。
「これが室内履き。で、これがかかと踏む用」
色も形も、履いているものと全く同じ靴。
いやいや、かかと踏む用って何? それ、いる?
間違いなく本人を除く全員が疑問に思った。
女性は「は?」と呟き、私はただ冷ややかに見た。
振り返り、「邪魔じゃん。置いてこいよ」と青年。
我関せずと後ろで騒いでいた双子も一瞬沈黙した。
「相変わらずだな」と慣れきった最年長は苦笑い。
そこで目的不明のドライブは強制終了を迎えた。
結局、七人はどういう関係なのだろうか。
始まったばかりの夢の続きを知る手段はない。
だって、眠り続けることはできないから。
【愛する、それ故に】
前に横になったのはいつだったっけ。
連日の残業で限界なのに、眠ろうにも目が冴える。
いっそカフェインに頼って朝まで起きていよう。
そんな気持ちで、ネットの海に飛び込んだ。
静かな現実世界と対照的に、電脳世界は賑やかだ。
僕が開いたのは、誰でもVライバーになれるアプリ。
こんな真夜中でも多くのライブ配信がされている。
その中のひとつで、運命的な出会いを果たした。
「いらっしゃーい。よければコメントしていってね」
ハツラツな印象のキャラデザにまず一目惚れ。
おっとりとした声と口調が安らぎを与える。
絵柄と人柄のちぐはぐさに興味を惹かれた。
この子の魅力はまだ知られていないようだった。
配信歴が浅いのか、視聴者は僕を含めて数人。
コメントで話しかければ必ず拾ってもらえる。
彼女は頻繁に配信し、徐々に人気を獲得していった。
視聴者が増えるにつれ、なんとなく距離が遠くなる。
ついに企業に所属することになったらしい。
配信だけで生計を立てることが目標だと言っていた。
彼女の夢が叶って嬉しいのに、素直に喜べない。
彼女の配信は、雑談からゲーム実況にシフトした。
以前と同じようにコメントを打っても反応はない。
彼女は僕の特別だけど、僕は彼女の特別じゃない。
今や大勢いるリスナーの一人に過ぎないのだから。
それでもいい。彼女が彼女らしくいてくれるなら。
だけど、どうしても許せないことができた。
男性ライバーとのコラボ。それは彼女に必要ない。
変わらないでいてくれ。コメントで不満を訴えた。
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────── 以下、閲覧注意 ──────
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───── お題とは関係ない話 ─────
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【悪夢日記】10/7
月明かりに揺れる、カナヅチを振りかぶる影。
明らかに人間の大きな影が天井に映っている。
ゾッとした。「ヒッ」慌てて口を抑えた。
悲鳴を上げたらいけない。
恐怖で固まる体をそっと動かす。
なるべく音を立てないように起き上がった。
一歩、二歩、窓の外を警戒しつつ後ずさる。
カーテンには男の動きが投影されて見えた。
スマホの緊急SOS機能がオフであることを悔やんだ。
以前、電車内で誤作動を起こして切ったのだった。
二度と不要な通報をせぬよう、オフに変えたまま。
電源ボタンを長押ししても起動するのはAIだけだ。
ドクドクと頭の奥まで鼓動が響く。
窓はまだ割れていない。男の苛立ちが見える。
背中が扉に当たった時、カタンと小さく音が鳴った
直後、見えないはずの影の口元がニィと歪む。
──目を開けてようやく、あれが夢だったと知る。
背筋の凍える感覚。荒い呼吸。汗ばんだ肌。
脳が痺れるほどの恐怖。記憶に残る不気味な笑み。
夢でよかった、と心底安堵した。
考えれば、そうだ。知らない場所だった。
今はアパートやマンションに住んでいない。
眠る頭の上は窓だけど、人の出入りはできない。
そもそも窓の外にベランダなんてない。
スマホを見ると、まだ二時間しか経っていなかった。
きっと濃すぎたコーヒーが眠りを浅くしたのだろう。
こんな悪夢で肝の冷える思いは二度としたくない。
戒めとして記録する。入眠前にコーヒーは飲むな。
【静寂の中心で】
広い湖と危険な森に囲まれた、質素な小屋。
一人で住むには広すぎるそこが、私の世界のすべて。
風の音も、虫の声も、川のせせらぎも聞こえない。
耳鳴りがするほど孤独に満たされた場所だ。
言葉を理解して早々、私はここに捨てられた。
うるさいだけだったノイズが心の声と知ったから。
親に気味悪がられ、周囲に化け物呼ばわりされた。
放置されてはいないが、親の顔はもう覚えていない。
週に一度、最低限の食料を持って見張りが訪れる。
それが親としての、せめてもの優しさのつもりか。
どうせ早く死ねばいいと思っているだろうに。
見殺しにするのは後味が悪い、と勝手な理由だ。
見張りが利用するボートは霧のかかった対岸にある。
泳ぎの不得意な私は、自力でここから出られない。
幸い、水と火はあり、生活できる環境は整っている。
電気は通っていないので、太陽が眠れば私も眠る。
『ただ置いてくるだけって。やっぱり変な依頼だな』
耳から聞こえているのか、頭に響いているのか。
連続した低い音がして、人の訪れに気がついた。
また人が変わったようで、事情も知らなさそうだ。
「こんにちは」次々と荷物を置く音が止まった。
『え、幻聴? 誰かいる?』扉の外の困惑がわかる。
「もし時間があれば、お話に付き合ってくれない?」
誰かと話さなければ言葉を忘れてしまうと思った。
この場限りを覚悟して、私は秘密を打ち明けた。
口数は少ないけれど君の心は饒舌にものを話す。
君の心と私の声で、陽が傾くまで話をしていた。
次は一週間後。君が来ることを祈って、待っている。